http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/348.html
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「天文学的な金がかかる、経済の活力が失われる?…その通り、原発事故とはそういうものだ」
http://sun.ap.teacup.com/souun/17755.html
2015/7/3 晴耕雨読
toriiyoshiki氏のツイートより。https://twitter.com/toriiyoshiki
…ということは、年間1mSvの追加被ばくを受ける地域で10年暮らせば、白血病のリスクが3%増えるということになるのかな?
…この数字を小さいと見るか大きいと見るかは個人のリスク判断に任されるべきだが、なんとも微妙なラインではあるな。http://bit.ly/1HxzDbk
先ほどの「国際がん研究機関」の発表をめぐる記事の補足。
福島でちょっと線量の高い地域で生活している人たちは年間1mSvくらいの追加被ばくは現に受けている。
その一方で、東京から自然放射線量が高い関西に引っ越せば、同じ程度の追加被ばくは受けることになるだろう。
東京から京都への転勤辞令を被ばくを理由に断ったという話は寡聞にして知らない。
また酒好きの俺は、それよりもっと高いリスクに日々晒されているはず。
つまり、知らないですませればそれだけの話である。
しかし、気にし始めると強い不安を覚えるだろうし、それが理由のない不安とは言えない。
つまり、年間1mSv程度の低い線量による被ばくであっても相応のリスクは抱えることになるから、その判断は個々に委ねられるべきである。
政府が年間20mSv以下であることを理由に帰還を迫ったり(補償を打ち切ったり)、自主避難者に対する住宅提供を取り止めたりすることは許されない。
繰り返し書いてきていることだが、政府や電力会社、一部の専門家が、自然放射線量や医療被ばく(俺など年間20mSvではきかない)を理由に原発事故による被ばくを容認させようとするのは詭弁である。
リスクの多寡を自己判断するのは「基本的人権の基本」みたいなものだから。
政府や東電がすべきことは情報を可能な限りきちんと公開し、そこから導き出される被害者のリスク判断=意思を尊重し、除染を求める人には除染を、移住を求める人には生活支援をきちんと行うことである。
天文学的な金がかかる、経済の活力が失われる?…その通り、原発事故とはそういうものだ。
いま原発裁判や様々な取材活動を通して明らかになりつつあることは、国や東電は原発事故の巨大なリスクを認識しながら、そこには目を瞑ってきたということだ。
リスクを直視すれば原発推進は経済的に不可能になるから。
そしてそれは…不本意だが…我々の社会が消極的にもせよ選択した道だった。
だからいま、国や東電、そして我々の社会は、リスクを無視した結果の巨額のツケを請求されている。
福島の人たちなど事故被害者にツケをまわすことは許されないというのがぼくの意見。
それは個々人の判断を尊重する姿勢であり、民主主義社会を維持するための最低限の「倫理」だと考えている。
だから、東京オリンピックに限りある社会的資源を集中投入することにぼくは反対なのだけれど、それはひとまず措く。
しかし、事故の巨大な経済的・社会的・保健的リスクを直視しないまま原発を再稼働するなどは過去の「過ちを繰り返す」ことに他ならず、あり得ないというのがぼくの見解である。
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