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発見された被爆者のカルテ
被爆者75人分のカルテ 佐賀の病院で発見 「詳細、貴重な資料」
佐賀県の医師や大学教授らでつくる「佐賀医学史研究会」(鍵山稔明会長)は、長崎と広島の被爆者計75人分のカルテを旧佐賀県立病院(現県医療センター好生館)で発見したと明らかにした。病状だけでなく、被爆した克明な状況や死後に病理解剖した臓器の状態も記されている。
原爆に関する資料は、戦後に進駐軍が多くを没収しており、研究会の青木歳幸事務局長は「詳細な記録がまとまって見つかるのは近年では珍しい。人体への影響を研究する上で貴重な資料」と話している。
75人は1945年8月14日〜46年1月、当時の県立病院内科を受診した16〜59歳の男女。妊婦もいた。カルテには脱毛や皮下出血などがドイツ語と日本語で記されている。
放射能被害の特徴的な症状の一つとされる白血球の減少がみられる人もいた。
カルテはB5サイズで「昭和二十年度内科、原子爆弾ニ依ル書類」と書かれた表紙のボール紙に229枚がとじられ、厚さは約6センチ。色あせ、かすれて判読が難しい文字もある。
2011年、看護師が内科の古いロッカーを整理中に偶然発見し、研究会が約3年かけて内容を精査した。
病院によると、カルテは原則、専用の倉庫でまとめて保管するが、県立病院に進駐軍の医師が複数回訪問した記録があるため、当時の医師が見つからないよう別に保管していた可能性もある。
[日経新聞6月7日朝刊P.30]
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