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福井地裁の原発運転禁止仮処分は「司法の暴走」と大前氏指摘
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150521-00000015-pseven-soci
週刊ポスト2015年5月29日号
2011年3月の東日本大震災以来、原子力発電所をめぐる議論は司法の場にも持ち込まれている。福島第一原発事故の原因を綿密に調査・検証した著書『原発再稼働「最後の条件」』(小学館)などで積極的に日本の原発について発言してきた大前研一氏は、高浜原発の運転禁止仮処分決定について「司法の暴走」ではないかと疑問を示した。
* * *
二つの原子力発電所の運転差し止め訴訟で、司法判断が分かれた。
関西電力・高浜原発3、4号機(福井県高浜町)については福井地裁(樋口英明裁判長)が運転を禁じる仮処分決定を出し、九州電力・川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)については鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)が運転差し止めを求めた住民の仮処分の申し立てを却下したのである。
しかも、福井地裁の樋口裁判長は、新規制基準は原発の周辺住民の生命、身体に重大な危害を及ぼす深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないと言えるような厳格な内容であるべきなのに、「緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発(高浜原発)の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである」と結論づけ、半径250km圏内の住民の「人格権」(生命や身体、自由や名誉など個人が生活を営む中で他者から保護される権利。憲法第13条から導かれる基本的人権の一つとされている)が侵害される具体的危険性がある、と認定した。
しかし、私は昨年5月に樋口裁判長が同様の論理で関西電力・大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを命じる判決を下した際も述べたように、この論理が全く理解できない。極めて重要な問題なので、改めて説明しよう。
樋口裁判長は、事故が起きる可能性がゼロでない限り、原発を運転してはならないと言っているわけだが、この幼稚な論理が司法でまかり通ったら、世の中のすべての経済活動は一般住民が訴訟を起こしさえすれば止められることになる。
たとえば羽田空港の増便によって東京都心上空を頻繁に飛んでいる旅客機が航空路の下の人口密集地に墜落する可能性はゼロではないし、住宅地の道路を走っているトラックが運転を誤って住宅に突っ込んでくる可能性もゼロではない。あるいは、火力発電所の蒸気タービンが壊れて羽根が飛び散る可能性も、化学工場が火災を起こして爆発する可能性もゼロではない。
となると、それらはすべて人格権を侵害するので、旅客機は東京都心上空を飛んではならないし、そもそも客を乗せて空を飛んではいけない。トラックは住宅地の道路を走ってはいけないし、火力発電所や化学工場は操業してはならない──。そう言っているのと同じだからである。
だが、そこまで司法がやってよいのかどうか、これは司法府の仕事なのかどうか、甚だ疑問である。そもそも我々は樋口裁判長が定義するところの「人格権」を侵害した社会、すなわち前述したレベルのリスクを許容した社会に住んでいるのだ。逆に言えば、この論理が大手を振るようになったら、今の社会そのものが成り立たなくなるだろう。
また、原発事故は航空事故や交通事故などとは規模が違うというならば、犠牲者数や被災地域の広さによって差し止めるか否かを判断していることになる。その線引きをするのが裁判官の役割だとは思えない。樋口裁判長の論理は社会性に基づいていない“神学論争”であり、それを振りかざすのは「司法の暴走」にほかならない。
上級審では、基準地震動と耐震設計の問題ではなく、「何が起きても電源と冷却を確保できるかどうか」という福島第一原発事故の教訓からスタートした現実的かつ本質的な問題を議論、審理するところから開始してもらいたい。
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