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合意のための原発論その3 自分がよければ、いいじゃないか
http://takedanet.com/archives/1027117428.html
2015年05月11日 武田邦彦 (中部大学)
2回にわたって「被曝と健康」について対立点を整理してきました。被曝を心配する人から見ると「福島では誰も死んでいない」と言われますと、「「環境権」と言い、快適な環境が大切という時代に、死者がいなければそれで良いのか? それなら中国で下水から回収した油をビンに詰めて販売し、「死なないじゃないか」と言うのと同じだ」と反論したくなります。
でも、原発をやりたいという人の意見は、
1) 自分は福島に住んでいない、
2) 福島で30万人の人が1年1ミリを超えたとしても、犠牲者は20人ぐらいだ。そのぐらいのことは別の事件でもいくらでも起こる。原発だけを騒ぐな、
3) もともと1年1ミリで8000人が犠牲になるという数値がいい加減だ。法令で決まっていても非常時だから守る必要は無い。
ということのどれかと思います。
この問題は難しいもので、昔から常に議論になります。その典型が「戦争」で、戦争というのは必ず死者が出ますが、その代わり国土を守ることができます。「1万人ぐらい死んでも仕方が無い」としてきました。それと同じで、原発があった方が日本経済のために良いのだから、20人ぐらいの犠牲は仕方が無いとの考え方もあります。
乱暴のように思いますが、人の感覚によって違うこのような問題は非常に解決が難しいのです。良い悪いは別にして、「自分だけ良ければ良い」、「命よりお金」、「生活ができなければ命などいっても意味が無い」、「人の痛みは自分には感じられない」という人もかなりおられますし、それが絶対的な価値観で、「悪い人」であるとか、そのような考えを全部否定できるかというと、そうでもありません。
たとえば、シリアでアメリカ軍の爆撃と、イスラム国のテロが続いていますが、これまで、アメリカ軍の爆撃では1万人以上が、イスラム国のテロでは1000人以下の犠牲が出ているとされています。だから殺人の数ではアメリカ軍が圧倒的に多いのですが、「良い殺し方」と「悪い殺し方」があるという前提で、日本のテレビも新聞もアメリカを支持する報道をしています。
アメリカの殺人が良い殺人である理由は、日本とアメリカは関係が深く、もし関係に傷がつくと貿易などの面で「お金を損する」可能性があります。それに対してイスラム国は少し石油の関係がありますが、あまり日本とは利害関係がありません。お金と関係の深い殺人は良い殺人、自分と関係の無い殺人は悪い殺人と区別しているともいえます。
かつて社会党や共産党が原水爆禁止運動をしているとき、共産国の原爆は「良い原爆」、アメリカの原爆は「悪い原爆」とおおっぴらに言っていました。つねにこのようなことはあります。
だから、「福島の人、20人ぐらいの犠牲は良いじゃないか」という考えは、実は「日本人の多く、マスコミの多くの考え」でもあるからです。私(武田)は「苦しんでいる人を平気では見ていられない」という性質を持っていて、この性質が遺伝的なのか、生活環境だったのか、それとも勉強の結果なのか、分かりませんが、原子力で犠牲者や病気の人がでるのは耐えられないのですが、それは私の個人の感情です。
もともと生物は自分が生きることが第一で、その必要があれば仲間も大切にするというところがあり、私の方が生物らしくなく、「俺は福島には住んでいないし、再開される原発も遠いから関係ない」というほうが動物的で、自然の叡智に近いとも言えます。
このような本質的な差を克服することは不可能と考えて、私は「危険か安全か」という議論を避けて、「約束」を持ち出しました。それが「法律で1年1ミリと決まっているのだから、みんなでそれを守ろう。これは法律だから日本人全部に適用されるし、法律は私たちが相互に約束したものだから」という理屈です。
でも、この論理もどうも失敗しました。「約束は知らなかった」、「約束は守らなくても良い」、「事態が変わったのだから、約束は反故にすべきだ」、「お金の方が約束より大切だ」というのが再開派の考えで、こうなると、どのステージで議論しても合意には至らないと思います。
また、実際に被曝を少しでも減らしたいと思って、テレビやブログで頑張ってみると、「民主主義のもとでは法律は国民相互の約束だ」ということ自体も異論がありました。多くの人は「法律はお上(国会かお役所)が決めるもので、自分たちは守らされる。だから、仮に法律に1年1ミリとなっていても、お上が勝手に変えることができる」と思っている人が多く、事実、地方自治体が法令の基準とは無関係に「健康に影響がない」と言うようになりました。
「法治国家は個人の価値観を乗り越えて、合意の社会を作ることができる。事実、日本はそうである」という私の事実認識が間違っていたようです。
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