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合意のための原発論その1 法令の基準を合意できるか?
http://takedanet.com/archives/1026867604.html
2015年05月09日 武田邦彦 (中部大学)
原発問題で合意が難しいのは、1)被曝と健康、2)安全か危険か、3)経済的かどうか、の3つが主だろうと思います。この3つは相互に関係もしていますが、一応、独立したものとして整理を進めていきます。
「被曝と健康」は大きく、二つの考えに分かれています。第一に、「福島程度の被曝は大したことは無い」、もしくは「被曝した方が健康だ」という考えです。もう一つは「被曝はがんや遺伝性疾患につながる」という認識です。
福島原発事故の前は、「被曝は大したことは無い」という考え方は、表面的には出ていませんでした。特にテレビやコメンテーターは放射線の事件が起こるたびに、「許されない」、「たとえ規制値の1000分の1でも許されることではない」と強調してきました。時には感情的にさえ「被爆の怖さ」を強調していました。
事故が起こってから、「被曝は大したことは無い」と考える人たちは、「正しく恐れる」とか、「汚染された野菜を子供に食べさせても良い」というようになり、これが不安を拡大しました。なぜ、それまでと180度違った見解が次々と出されるようになったのでしょうか?
日本の被曝の「規制値を決める基準」は医療用を除き、「一般人1年1ミリシーベルト、職業人1年20ミリシーベルト」と決まっていて、この数字は放射線審議会などの国の専門機関で決まり、パブリックコメント(一般大衆の同意など)の後、役所や場合によっては議会などで最終的に決まり、それに基づいて大臣告示がなされ、法律の条文に書かれるベクレルやグレイなどが決まります。
事故直後の3月12日の一号機爆発のときには、NHKはテレビで「1年1ミリシーベルトの規制値の何倍」とアナウンサーが伝え、経産省も同じことを言っていました。
ところが報道統制か、あるいは自己規制が始まり、誰もが沈黙し、「法律には被曝量の規定はない」と多くの専門家が発言するようになりました。それを受けて住民を指導する立場の自治体の多くが「1年100ミリが規制値」などと間違ったことを公表するようになったり、「放射線が漏れても健康に影響のないレベル」と言ったりするようになりました。
この状態は事故後、4年になる現在でも続いていて、東京の公園で高い放射性物質が見つかった時にも東京都の区は「健康に影響がない」と発表しました。東京の公園の線量率はかなり高かったので、「健康に影響があるかどうかは別にして、法律で決められた限界を超えた被爆者がいる可能性が高い」という状態でしたが、自治体が独自に「健康への影響」を判断しています。
まず第一に、法律にあるもの(基準が決まっているもの)を「ない」といって通るというのは近代日本の歴史でも珍しいのではないかと思います。「ない」と言っている人、主として政府、マスコミ、専門家、経済評論家、経済界、自治体などは、自分が法令で決まったことを無視していることをよく知っています。
つまり、「1年1ミリを基準とした制限」を示した法律があるのは分かっているけれど、それを言うと福島の人が移動しなければならないし、お金はもったいないし、原発は再開できないということで、ここは、日本人の阿吽の呼吸でないことにしておこうという点でコンセンサスが得られています。
合意を探る第一点は、「日本には原発などの人工的な放射線源からの被曝を規制する基準とそれに基づく法令があった」ということを合意できるかという点です。法令があるのですから合意も簡単なように思いますが、これがかなり難しいと感じられます。
その理由は、もともと1年1ミリという基準を決めたときに、やや無責任だったからです。
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