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「放射能は、貧困者に、より多く降り注ぎます」事故原発収束作業員・北島教行さん
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/7e361676020dd1e513c1b455a9be22c2
2015年03月05日 ウィンザー通信
今から3年前の冬、原発事故が起こってから1年弱が経った頃に、福島原発の第一、第二で作業員として働いておられた方が語られたものです。
心がえぐられるような思いで読みました。
この時から3年経った今もまだ、同じような搾取や使い捨てのような扱いが改善させないままです。
そして東京電力は黒字を出した…。
そして自民党政府は、原発再稼働に血道をあげている。
こんな社会は間違っています。
事故の後遺症とやくざの金の取り立てと、のっぴきならない貧乏の、重い重い鎖を身体中に巻いて生きていた時、
どうしてこうも、すっぱりと無視されているのだろうと、明るい朝の光を背中に浴びながら、高校への通学路を歩いていました。
それはきっと、とりあえず何にも無かったかのように繕っている自分のせいでもあるのだけれど、それにしても分かるだろうに、近くで見ている人は。などと思いました。
そして、後のドラマで流行った「同情するなら金をくれ」という台詞を、そっくりそのまま、暗い心の中でつぶやいていました。
こんな、わたしごときの経験と、あの過酷な環境で働いておられる原発作業員の方々を、一緒にして考えるのはおこがましいと思いつつ、
それでもいつも、あの時の自分が思い出されてならないのです。
わたしの人生の危機など、わたしひとりでなんとかなるものですが、作業員の方々の危機は、なんとかなることではありません。
そんなことに煩わすことさえ、申し訳のないことです。
命を、健康を犠牲にして、重篤な危機に再び陥ることのないよう、非常に危険な作業をしてくださっているのですから。
よく、それでも一向に効果が無く、収拾にはほど遠いままではないか、と言う人がいます。
ミスが多く、後手後手の仕事に、呆れている人がいます。
でもそれは、作業員の方々だけのせいではなく、上に立つ者たちの不適切な指示や計画が、大きな原因となっているのではないでしょうか。
議員に、企業に、作業員の方々の支援の充実を図るよう、強く要請しましょう。
報道機関に、作業員の方々が置かれている環境の実態を、ありのまま伝え続けるよう、きつく要求しましょう。
放射能は貧困者により多く降り注ぎますーー北島教行さんの心境
2012.2.24
https://www.facebook.com/notes/10150693410317359/
北島教行さんは現在、福島第一、第二原発内で、作業員として働いております。
私たち、原発推進派も原発反対派も、放射能の問題に焦点を当てすぎて、
原発産業の問題は、弱者に負担を強いる社会構造にあることを、忘れてはいないでしょうか?
彼は、私たちの偽善者ぶりを、鋭く指摘しています。
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収束作業現場にいると、ニュースに触れる機会がなく、宿舎でも泥のように眠るだけなので、
「事件」らしきことは、現地をはるか離れた場所の友人達から、もたらされることが多々あります。
今回、2号機の温度上昇に至る原因として、計測機器の故障が疑われ、実際そのような結果となりましたが、
友人達からの「ありがたい忠告」を、たくさんいただきました。
曰く「早く現場から逃げよ」と。
心配頂いて嬉しくもありましたが、深く考え込んで出した、現在の心境を綴ります。
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温度上昇問題、現場での慌ただしさは終息しました。
東京では、現場情勢がわからないから、憶測が憶測を呼び、不安感が増幅するのでしょう。
「逃げて欲しい」との暖かい言葉に嬉しくもあり、しかし残酷でもある、と感じてしまうのも確かです。
私の進退で申せば、私自身の経済的貧困故に、原発事故収束作業員を辞めることができません。
ほとんど全ての作業員が、経済的貧困が理由で、例え将来に、重大な健康障害が発生するかもしれないと解っていても、職場放棄することができないのです。
また、職場放棄したら、人類に重篤な被害を及ぼしてしまうことを理解しているがため、放棄することができなくなるよう、「社会からの無言の強制」に応じざる得ないのです。
その状況で、私達作業員は、引き換えるにしては余りにも低賃金(1稼働日給8千円から1万円、待機日は日給ゼロ、一切の補償なし、将来の保証も補償もなし、諸保険無権利)であるにも拘わらず、
疫病発生地域の医療従事者、戦場の医療従事者、火災現場の消防隊員とまったく同様の、職業的倫理観に基づいて従事しているのです。
私達収束作業員は、ギリギリまで退却することなく、最善の手を打つことを覚悟しています。
我が身が蝕まれようとも。
最後まで保ち続けたいのは、「収束作業員としての職業的プライド」です。
「誰か」が緊急措置をしなかったら、人類全体に災禍が降りかかるのですから。
私達は、このような気概で作業しています。
しかし、「社会的に犠牲者となることを暗に要求され」ている収束作業員は、推進派、反対派問わず、
「収束させることを要求する、圧倒的多数の都市民の人々」に、良いように利用される存在でしかない、と実感します。
反原発運動の人々は、ひとたびでも、「1Fの現場にて何かあった時」には、鬼の首をとったかのように、私たち収束作業員の被害を都合宜しく代弁し、利用しつくそうとすることでしょう。
安全な高みで見物している、都市民による反原発運動の「強欲さ」「身勝手さ」「利用主義」に、ウンザリなのです。
私がもし、このような「利用」をされる対象物とされたなら、死んでも許さない、と遺言するしかありません。
社会的貧困者を収束作業にあたらせておいて、なんの痛みも感じようともしない反原発運動のエゴイストどもへの、失望感と不信感に溢れています。
推進派と何ら変わることなく、「犠牲者」を要求しているのですから。
原発を推進してきた者どもと同じ視点、「命の重みなど検討するに値しない貧困者」に、「死に至る苦役を負ってもらう」という思考は、反原発運動の側もあるのです。
貧困問題や差別問題を持ち込ませない、と宣う「シングルイシュー」は、思考として破綻していることを、反原発運動に関わる人々に悟って欲しい、と願うばかりです。
私達収束作業員は踏み留まって、最悪の事態を再発させないよう、24時間体制で従事しています。
重篤な被曝を受けながらの作業です。
「誰か」が必ずやらなければ、冷温を維持することさえできません。
その「誰か」とは、貧困故に就業せざるを得ない、私達収束作業員です。
貧困の問題とは、貧富の差別や、社会的マイノリティ差別の問題でもあります。
現場に来る前から、そのような分析をしていましたが、こちらに来て、そのような予測通りの、絶望的な現実を目の当たりにし、
反原発運動における、「原発労働者問題の切り棄て=隠蔽化」への絶望と怨嗟を、隠すことはできません。
読み書きも満足に出来ない労働者も、多数おります。
社会的には取るに足らない、棄民として扱われている階層かもしれません。
でも、こんな私達も、「人間」なのです。
反原発運動の人々に、収束作業の現場では、「人間」が従事しているんだよ、と叫びたい衝動に駆られます。
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