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原発再開と地元住民の責任
http://takedanet.com/archives/1020479241.html
2015年02月24日 武田邦彦 (中部大学)
ある報道で原発が再開される地方の女性が大喜びしているのが伝えられた。「お金が落ちる」と言うことだが、福島原発事故で福島の人が被災したのは「被害者」だが、なぜ被害者かというと「政府や自治体が福島県民をだましていたから」である。
大人なら「自分が決定権がある」というものについてはその決定によって他人が被害を受けたら、決定の権限に応じて責任を分担する必要がある。これまでは政府や自治体が「地震でも大丈夫」とウソを言っていたのだから、住民がそれに惑わされて原発誘致を決めたということがいえるが、今はそうではない。
もし電力会社や自治体が今でも「安全だ」といっても、福島原発事故から、安全技術は進歩していない。規制を厳しくしても電力会社が悪意をもっていなければ(福島原発事故までも最善を尽くしているなら)、技術が向上していなければ危険の程度は変わらないからだ。
たとえば「活断層を調べる」ということを行っているのは原発の建設の時だけだ。高層マンションも新幹線の線路も震度6で破壊してしまっては困るが、活断層の調査なしで工事が行われる。もし新幹線の架台が下に活断層が通っていたらダメなら、日本列島は活断層だらけなので、ぐねぐねした線路になるはずである。
日本の重要建築物の中で原発がもっとも地震に弱いから活断層の上に作れないということはテレビを見ていれば普通の人はわかる状態でもあり、さらに福島原発(第一は爆発、第二はほとんど津波がなかったのに爆発寸前)の状態を見ているのだから、「知らない」とはいえない状態にある。
だから福島原発が爆発して原発がどのぐらい危険なのか素人でもはっきりわかる状態だ。それでもお金が欲しいから原発を再稼働すると決めた市町村の人たちは、もし原発に事故が起こり、それを電力会社が補償できなければ、再開に賛成した住民が、被害を受けた人たちに補償しなければならない。
「決定権」というのは「責任」を伴うもので、日本人ならそのぐらいの覚悟はしてほしい。「自分は一般の国民だから何を決めても義務は生じない」というと「民主主義」の原則にも反する。私たちは主権者であり、投票もし、住民集会も行われる。地元の承認というのを重く考えてくれているのだから、そのときこそ、国民が「私が主人だ。主人だから決めたことには責任を持つ。だから国民の意見を聞くべきだ」というのでなければ日本の原発の安全性も上がらないだろう。
「原発反対」を叫ぶのは私たちの力がなく、民主主義ではないときのことだろう。
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