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「君たちは矢だ」艦長は言った…日米開戦80年 真珠湾奇襲、突撃した103歳元搭乗員の証言/東京新聞
2021年12月8日 05時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/147450
「暴慢不遜そんナル宿敵米国ニ対シ愈々いよいよ12月8日ヲ期シテ開戦セラレントシ…」。1941(昭和16)年11月24日。千島列島・択捉えとろふ島の単冠ひとかっぷ湾に停泊していた空母「蒼龍そうりゅう」の艦内で、艦隊を率いる南雲忠一海軍中将の訓示を艦長が代読した。約80人の航空機搭乗員たちに、ハワイを攻撃し、米国と戦争を始める旨が告げられた。
吉岡政光さん(103歳)=東京都足立区=は「これは帰れない。ハワイで死ななければいけない」と、興奮から全身の血がすべてデッキに吸い取られるような感覚に陥った。
11月26日、空母6隻を中心に編成された海軍機動部隊は単冠湾を出発。12月8日(日本時間、現地時間は7日)。吉岡さんは3人乗りの「九七式艦上攻撃機」に搭乗し、飛行位置を割り出し、戦闘時に爆弾や魚雷を投下する「偵察員」を務めた。
艦長から「俺たちは弓である。君たちは矢だ。間違いなくしっかり敵に当たってきてくれ」と激励を受け、重さ800キロの魚雷を搭載した機体は一路、オアフ島の真珠湾を目指した。
日本軍の真珠湾攻撃などに端を発した太平洋戦争の開戦から12月8日で80年−。
◆告げられなかった行き先
石川県出身の吉岡さんは18歳のとき、役場に貼られた志願兵募集のポスターを見て「どうせ20歳で兵隊に取られるのだから」と、海軍に入った。操縦士を希望したが募集がなく、航法や戦闘で操縦士を補助する偵察員の道に進んだ。
真珠湾攻撃20日前の1941年11月18日、吉岡さんが乗り込んだ空母「蒼龍そうりゅう」は大分県・佐伯湾を出港する。艦内のパイプには凍結防止用の石綿が巻き付けられていた。一方で、半ズボンの作業服を積み込んだとの話も耳にした。「寒いところなのか、それとも暑いところへ行くのか」。乗艦歴は2年を超えていたが、航海の行き先を告げられなかったのは初めてだった。
それがハワイであることを知らされたのが、海軍機動部隊の集結地となった千島列島の択捉島に到着してからだった。
死は怖くなかった。むしろ「アメリカが世界一の海軍を持っていることは知っていたし、偵察員の同期でこんな大戦争に参加できるのは何人もいない。いい死に場所を与えてもらった」と喜んだという。
◆魚雷命中、と思いきや…
蒼龍から出撃して約2時間後、吉岡さんたちの第1次攻撃隊は朝を迎えたハワイ上空に到達する。分厚い雲の切れ間から海岸線が見え、隊長機からモールス信号で「全軍突撃せよ」を意味する「ト連送」が発信された。
戦艦の攻撃を命じられていたが、既に各所から黒煙が上がり目標が見つからない。ようやく、真珠湾内のフォード島西側に停泊する戦艦を認めた。高度10メートルの超低空で進入。戦艦に400メートルまで接近し、吉岡さんが魚雷を投下すると、一気に軽くなった機体がふわっと浮いた。ほどなく、魚雷は命中。高さ30メートルはあっただろうか、水柱が2本上がった。
しかし、すぐに攻撃は失敗だったことに気が付く。狙った戦艦の砲塔に砲身がなかったのだ。演習用の標的艦「ユタ」だった。
蒼龍に戻ると「武勇伝」を聞こうと待ち構えていた兵士に取り囲まれた。ようやく抜け出した時は、既に夕食の時間。搭乗員が集まった部屋は対照的に重苦しい空気が支配し、皆が黙々と食事を口にしていた。
◆戻らなかった戦友
その場で吉岡さんは、第2次攻撃隊の5機が未帰還で、戦死者が出たことを知る。親しくしていた1つ年下の搭乗員もいて、ショックを受けた。急に疲れが出て、報告書作成は翌日回しにして就寝した。
蒼龍は42年6月のミッドウェー海戦で沈没する。吉岡さんは内地で補充要員の養成を命じられ、艦を降りていたため難を逃れた。その後は南方の戦場を回り、45年に茨城県の百里原海軍航空隊へ転属したが、部品不足などから稼働可能な飛行機はほとんどなかった。そのころ、本土決戦に備えてやりにするのだと短剣の供出を命じられた。「そんなもので何をするんだ」とあきれた。
百里原海軍航空隊で終戦を迎える。玉音放送の内容を部下たちに教えようとしたが、戦死者への感情がこみ上げ、しばらく言葉が出なかった。
◆「戦争の無残さ みんな考えて」
戦後は運送会社や海上自衛隊に勤めた。家族にも戦争体験を話すことはなかったが、「後世の人に知ってもらいたい」と思い始めた数年前から口を開いた。
「もう少し早くやめてくれたら、たくさんの人が戦死しなくて済んだ。遅くとも昭和19年初めごろに講和を申し込んで戦争をやめてくれたら、こんなにたくさんの人が死なずに済んだと今でも思っている」
最近の国際情勢を「日米が戦争をした理由よりも複雑怪奇で、一触即発という感じがする」と懸念する。「戦争は無残で最大の人殺しだということを、みんな考えてほしい」(小松田健一)
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