http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/433.html
Tweet |
平成以降、それまで芸人だったはずが映画ばかりとるようになったビートたけし。海外での評価(ベネチア映画祭での金賞など)が後押ししたのか国立大学での教職を得るなど罪歴さえぬぐえば褒章路線へ一直線である。
見た目も随分と落ち着き、こじんまりしてきた。空港ですれ違ったら、家田荘子と間違えてお辞儀をしてしまうかもしれない。それでも彼が昔かわらず作品の中で守っている個性とは暴力的で無政府的な『闘う男』の原型である。
それが如実にあわられた連作『アウトレイジ』。一見ストレートなヤクザものである。しかし、この映画はある意味、黒澤映画『桑畑三十郎』シリーズの現代版だ。
一体、三十郎とは誰なのか?それが小日向文世の演じる片岡刑事である。たけしの演じる大友組長の学生時代の後輩という設定のどう見ても30代ではない三十郎ではあるが。
三十郎の役割とは何か?対立する二派の勢力の間を行ったり来たりして争いを煽ってはどちらも弱体化させてしまい独り勝ちしてしまうアウトサイダーである。『用心棒』では丑寅と清兵衛の2ファミリー同士を殺し合いに導き、『椿三十郎』では悪徳大目付一味と若侍のクーデター集団を相殺した。
現代の桑畑三十郎たる片岡刑事はそうやって暴力団の抗争を煽り、目を付けた一家を解体にもっていく行政プロジェクトの元締である。最後は魂胆を見抜いたビートたけし演じる古ヤクザに射殺されてしまう。三十郎の死である。
この映画が現行の世界地図の上で持つ意味を考えてみよう。
対立する二つの勢力のどちらにも加担するフリをして、結局双方を共倒れにもっていき漁夫の利を追求してきた国がある。代表的なのがアメリカ合衆国だろう。三十郎というのはいわばアメリカを象徴したキャラクターなのだ。圧倒的な武力でもって世界の警察を自任してきたスーパー剣士。
中東でもアジアでも中南米でもアメリカのやり口は世紀にわたっていつも同じであり、反民主政府勢力に肩入れして財政的・軍事的援助をCIAの指揮で行う。ゲリラ軍が力をつけすぎてきたら、今度はテロ成敗だと言ってそっちをたたく。
いつも三十郎は自分が暴かれる前に町を去るわけだが、片岡刑事は公務員であるから手柄を欲張ってしまい殺されてしまう。アメリカの場合も新世紀にはいってこれまでのようにはいかなくなる。
サウジびいきをしていたら、サウジ人に911で本土を攻撃される。イラク・アフガンへの強引な侵攻では他の先進国のみならず自国内からも批判がわきでる。シリアでもまったりどっちつかずのままやろうとしたら、それまでことあるごとに牽制してきたロシアに再度横槍をいれられる。もう三十郎の思い通りにはできない時代なのだ。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。