27. 母系社会 2015年10月25日 11:16:43
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>>22さん>「党に対する公然たる批判を,外部に対して行わない」と変更 少数派が多数派を公然と批判しても良いと思いますね。マス媒体で公然と批判するとか、自派のサイトで批判する、多数派が開催する集会で、許可を得て発言するとか、ビラを撒くという程度なら。 多数派の政策が失敗した場合、事前に外部に対して少数派の存在も知らせておけば、全党的信頼喪失は免れます。また、何らかの政策については、党内には別の意見もあることを支持者や国民にも知らせ、考えてもらうことも、支持者や国民の政治意識を高める訓練・教育になりますし、勝つためには、党外の意見を考慮した選挙活動を行うことも重要です。党外では、少数派の意見の方が圧倒的に多いなら、その問題には選挙後に少数派と話し合いを開催し、運用面で取り入れるとか表明すべきです。 一時的離脱=離党をしてもらう場合は、多数派の候補に対抗馬を立てるとか。しかし、離党しても選挙後に復帰したい元党員は、積極的に復帰することを認める方が良いと思います、自民党のように。もちろん、正当な理由なく、暴力行為を行った場合は簡単には復帰させられないでしょうが。 他の規約は、XXさんの言う通りだと思います。 >以上のストーリーに登場しない,日本共産党というのは,どうもヨーロッパ >には類を見ないユニークな政党のようです。 そうですね、大変ユニークだと思います。とにかく、国際的に孤立状態になりましたが、自主独立派となったことが、今日の生き残りを可能にさせたわけで、ソ連と中国という国際的権威から日本共産党が離脱できたのは、宮本議長の<胆力>も大きく貢献したのでしょうが、当時の日本が西側で最大のマルクス研究陣を擁していたことも影響したのではないかと思います。 おそらく、日本のマルクス研究の水準は、今でも世界一でしょう。また、マルクス陣営以外の人文科学系の水準も高く、こうした学界の重鎮の一人である東大の大森荘蔵に招聘されて、ブント系「教祖」の一人でありながら、東大教授でもある廣松渉氏が誕生したわけです。 ロシア革命の評価は、今でも定まりませんが、ドイツ共産党のローザ・ルクセンブルクはロシア革命直後に、ロシア革命は民衆主導の下からの革命ではないから個人独裁にまで至ると、ほぼ正確に予想しましたね。しかし、ドイツ共産党以外は、世界初の社会主義革命を成功させたソ連の権威に拝跪するようになり、また、ロシア国内の実情を隠したスターリンをレーニン並みに評価してしまいました。それで日本共産党も1960年代まで、トロツキーについてソ連が流したデマを、盲目的に信じていたわけです。 事実は、スターリンが乱暴な性格であることを危惧したレーニンは、トロツキーを後継者にしようとしたくらい高く評価されていました。しかし、トロツキー本人は、ロシアでは嫌いな人が多いユダヤ人であったことで党の評判が下がると危惧して辞退してしまいました。しかし、その後一転して、トロツキーがスターリンと戦うと決意した時には既に、党内の主要なポストをスターリン派が独占していたのでトロツキー派は敗北し壊滅。それでも、スターリン派はロシア赤軍の創設者であり、レーニンと並ぶ革命の英雄であったトロツキーを殺すことができずに国外追放し、国外で暗殺させました。 日本でトロツキーが評価されはじめた契機は、1956年の「ハンガリー動乱」ですが、この時、まだソ連を信じていた日本共産党は、ソ連を支持しました。しかし、それ以前から日本でトロツキーを高く評価したグループや、少なくとも日本共産党ほど低い評価はしなかったグループは「ハンガリー動乱」でソ連に対して批判的になり、ソ連を支持した共産党とも対立する新左翼各派になったのですが、日本共産党も1960年代にはソ連派を追放したので世界的には早かった方だと思います。 その後中国派も追放して、自主独立派になったわけですが、共産党も新左翼各派も、結局は大部分の民衆を救うことは出来ず、民衆とは無縁な存在で、むしろ、自民党と馴れ合っていたと批判された社会党の方が、実質的には民衆の生活向上に役立っていたと思います。ただし、理論的に低いままだった社会主義協会の影響が強い社会党は、最後までソ連や中国、北朝鮮とも縁を切ることは出来ず、ソ連や中国、北朝鮮が社会主義というイメージを国民に植え付けてしまいました。 そもそも、「社会主義国」などというのが言語矛盾だと思います。つまり、社会主義の段階でさえ、世界的体制でなければ実現出来るはずがないわけで、国家レベルでは不可能です。これは、社会主義の段階であれば食品など生活必需品は、資本主義体制よりも政策的に安く供給しなければなりませんが、そうすると、周囲の資本主義国と価格差が生じるので密輸が横行して破綻します。それで、ソ連のように鉄のカーテンで国境を塞ぐしか他に手段が無くなり、結果的に、人や文化の交流も不可能となり、牢獄のような国家になってしまうからですね。 >ソ連の崩壊と中国の変貌で壊滅状態の左派勢力ですが、これは違うでしょう。 その通りですね。確かに「壊滅状態」というのは言い過ぎでした。特に、イギリス労働党の党首選で、最左派が勝ったのは希望です。一方、逆に今年の総選挙でリスペクトのジョージ・ギャロウェイ下院議員が落選しているので、今回の英国世論の左傾化と、どう繋がるのか気になりますが。 ●マルクスは、基本的には先進国革命派であり、政治的、経済的、軍事的な影響力が圧倒的に強い英・独・仏・米などの欧米の先進国で左派政権が誕生し主導することで、世界的規模での社会主義への同時的な移行が可能になると予想していました。このマルクスの予想通りであれば、イギリス労働党の党首が左派になったのは、その第一歩かもしれません。 マルクスも晩年には、ロシアのような発展途上国での革命が成功する可能性を、100%否定しないようになりましたが、マルクスと同じ先進国革命派と思われていた廣松渉氏は、晩年に日中の連携による世界革命というアジア主導の革命構想、つまり晩年の廣松渉氏は、新しい「アジア主義」を唱えたわけです。 広松氏は、マルクス思想は近代思想の原理・前提である本質主義=実体主義を否定する関係主義の立場という解釈と、アジアの伝統思想には、西欧風の本質主義=実体主義を否定する関係主義という特徴があることから、両者の提携という構想を提唱したわけです。たとえば、仏教は典型的な関係主義ですが、儒教の「衣食たりて礼節を知る」とか、陰と陽の力関係で全てを説明する道教も本質主義=実体主義を否定する特徴があります。また、死ねば誰でも神になるという日本の縄文神道=古神道や、イスラム教の神髄も関係主義なのだそうです。 つまり、レーガンの「悪の帝国」とかブッシュの「悪の枢軸」、「ならず者国家」というのは、本質主義=実体主義的な国家に対する規定です。また、他国を「悪の帝国」と言って批判することは、同時に自国を正義と言っているのと同じであり、戦争を正当化する言辞ですが、アジアの関係主義の立場なら、そもそも国家という極めて複雑な存在を、一まとめにして「悪の帝国」とかの言葉で「レッテル貼り」するような乱暴なことは、思想的にできないわけです。 ですから、廣松渉氏の「アジア主義」は、戦前の右翼のような、単なる弱者連合、被害者同盟としての「アジア主義」、理念無き「アジア主義」ではなく、関係主義という理念を掲げた「アジア主義」で、関係主義による近代という時代の止揚も視野に入れた文化革命的な構想です。 ●近代という時代や社会のパラダイムは、トマス・ホッブズが1642年の『市民論』で、中世ヨーロッパのキリスト教教義である性善説を否定したことで基礎付けられています。周知のように、ホッブズは自然状態における人間の有様を「万人の万人に対する戦い」と決めつけ、性悪説的人間観を提唱しました。 本質主義=実体主義の人間観だと、性善説か性悪説のどちらかになります。ホッブズは、人間の本性が性悪だから、自然状態では「万人の万人に対する戦い」が起きると考えたわけです。これはホッブズが近代人だったからですが、これは転倒した人間観であり、生き馬の目を抜く市場経済=貨幣経済が社会に浸透して他人を騙す人が増えたので、人々は他人を警戒するようになり、性悪説的人間観が必然的に社会に蔓延しただけですね。 しかし、人々は市場経済=貨幣経済の只中で、生きていたので、ホッブズの性悪説を真理として受け入れ、それで近代社会学では「契約説的社会観」が真理と見なされるようになったわけです。悪人同士で社会を創るのですから、契約書を交わさないと、見知らぬ他人と社会など造れないはずだと考えたわけですね。それで、「契約説的社会観」を前提にして社会が組織され、近代という時代が始まったわけで、近代的パラダイムの前提には、この性悪説的人間観があります。 ●弁証法を否定し、矛盾律や素朴反映論、本質主義=実体主義的存在論を原理(前提)とする形式論理学派は、必然的に理性重視の人間主義、科学主義、客観主義に陥ります。この本質主義=実体主義は、われわれの日常意識の世界であり、われわれは日常的には実体主義の世界で生きているので、本質主義=実体主義の性悪説は、非常に強固な信憑性を持っています。 とは言え、形式論理学を全否定しているのではなく、形式論理学も共時的には妥当性があるので、欧米のマルクス派の中の多数派は残念ながら、形式論理学や本質主義=実体主義の壁を破れず、逆に妥協して弁証法や労働価値説も放棄した「分析的マルクス主義派」が主流のようです。また、残念ながら日本の主流派も本質主義=実体主義ですが、流石に日本では、弁証法や労働価値説まで放棄する「分析的マルクス主義派」は少数派のようです。 日本人は子供の頃から、「方丈記」の「 ゆく河の流れは絶えずして・・・」とか、自我さえも否定する関係主義の仏教の世界観に、親しんでいます。廣松渉氏も日本人ですから、マルクスがヘーゲルから、西欧伝統の本質主義=実体主義を否定する関係主義を学び、関係主義の世界観に基づいてマルクス思想を構築していたことに気が付いたようです。 ●そもそも資本主義は、特許権を認める<労働は個人労働である>という本質主義=実体主義的な労働観が常識・通念となって根底で支えているわけです。これを<労働は協働である>という労働観に更新するには、やはり、関係主義的世界観が必要です。というのは、<労働は協働である>という労働観は、個々の労働を、通時的にも共時的にも、全体との関係の視点で見なければ得られないからです。 社会主義→共産主義への移行には、<個人的労働観から、協働的労働観への移行>が必要だとすると、単なる先進国革命では権力の奪取はできても、その後の文化革命に失敗して、元の資本主義に戻る可能性が高いわけです。それで、欧米の先進国が主導する世界的規模での革命ではなく、先進国化した「日中の連携」による世界革命というアジア主導の革命構想、つまり晩年の広松氏は、新しい「アジア主義」を唱えたのではないかと思います。 |