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中臣氏による故地奪還 満州事変 浄土真宗・曹洞宗の移住作戦
http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/729.html
投稿者 れめく 日時 2015 年 6 月 23 日 09:08:37: 2a13jxQagsSNg
 

民族を挙げて虚言症を患っている「女真族」は、高句麗、渤海国、契丹、金朝の台頭など、フェニキア人が満州で政変を起こす度に日本に移住した。そして、「常世の神」などのカルトを経て浄土真宗・曹洞宗を創設して日本人の家畜化を試みてきた。だが、そんな日本の女真族が故地満州への帰還を企図したことがある。「満州事変」である。

ここで、海西女直・建州女直と共に悪しき「関東軍」の中枢に収まっていた、建州女直ジェチェンの後裔「中臣氏」について説明したい。ジェチェンはBC2世紀頃に高句麗が立つとスクスフと共に日本に移住している。

ジェチェンは「土」を当て字して「土蜘蛛」を称し、スクスフはクスに「国栖」と当て字して「国栖族」を称した。その後、AD3世紀頃に中臣阿麻毘舎卿がジェチェンに「中臣」を当て字して新規に「中臣氏」を称したと考えられる。

AD6世紀には、中臣御食子、中臣国子、中臣糠手子ら3兄弟が出現するが、東漢氏の血を引く大伴咋女が御食子に接近し、自身の血統に中臣氏の血統を取り入れた。これにより、中臣鎌足が生まれたが、鎌足は中臣氏というよりは東漢氏の血が濃かった。そのため、国子、糠手子らの女が次々に鎌足の子孫藤原氏の有望株に接近し、特に藤原氏北家の血筋に中臣氏の血統を打ち立てていった。
一方で、一部の中臣氏は大和国忍海郡に移住し、ジェチェンに「中村」を当て字して「中村氏」を称した(ただ、中村姓には藤原氏、清和源氏、坂東八平氏由来のものもあるので全てが中臣氏の系統というわけではない)。
アカイア人の伝統として、一族の中に強いカースト制を敷いていた「中臣氏」は上層カーストが藤原北家に代表される公家に属し、下層カーストの者は農民として同じ建州女直由来である「浄土真宗」「曹洞宗」などに隷属していた。

明治維新のあと、下層カーストに属する農民たちは先祖の名「ジェチェン」に因んで「中」「塩」「沢」「土」「種」「村」「長」「町」などが付く姓を称した。

西園寺内閣成立を機に、海西女直(曹洞宗)・建州女直(浄土真宗)に属する女真族の末裔が秘密裏に同盟し、故地奪還を実現しようと暗躍を開始した。それが「満州事変」である。

1931年6月27日に「中村大尉事件」が発生する。立ち入り禁止区域を密偵していた陸軍参謀中村震太郎一行が張学良配下の屯懇軍に拘束されて殺害されたという事件である。関東軍はこれにより、日本国民の支持を取り付けて反中国的世論を創りあげることに成功した。
満州に暗躍した中村姓はみな中臣氏の系統である。しかし、死に役を買って出ているので中村震太郎氏は下層カーストの出自と考えられる。下層カーストに属する者は決して上層カーストに逆らうことがない。この徹底した強力なカーストにより、女真族、デーン人などのアカイア人の上層カーストの系統は、多数派である下層カーストの、人間としての本能を完全に封印し、反乱などを防止している。
同じ中村姓ではあるが、上層カーストに属する中村覚、中村雄次郎は関東都督府に所属し、中村是公は行政官を担当していた。

関東軍とは、中臣氏の子孫を含む女真族の連合が組織した軍事集団であった。関東軍は、政府の不拡大方針や陸軍中央の局地解決方針を無視し、自衛と称して戦線を拡大した。当時の日本国民は関東軍の専行の理由を知る由もなかったが、専行は当然の成り行きであった。彼らは日本人ではなく、女真族であるからだ。挙句に、彼らは満州国承認に慎重であったフェニキア人の系統である犬養毅(エノク族)首相を暗殺する。
犬養毅に直接手をかけた兵士の名は黒岩、三上であるが、黒岩姓は「岩」が海西女直ホイファに因み、三上姓も「上」が海西女直イエヘに因んでいると考えられる。五・一五事件はある種、服従を良しと思わない日本人に対する、女真族による制裁であった。

1937年には南京事件が発生する。これは明確に女真族による中国侵略であった。目的は中国国民党の攻撃と支持者の軽減である。上海や南京には、古来からフェニキア人の系統も多く住んでいたと考えられるが、フェニキア人を掃討した上で街を焼き尽くし、「空き」を作って、後に下層カーストに属する女真族を日本、中国各地から大量に移住させようという試みも念頭にあったのだろう。
中シナ方面軍の顔ぶれを見ていきたい。陸軍大将松井石根、陸軍中将朝香宮鳩彦王、陸軍大佐鷹森孝、陸軍中将吉住良輔、陸軍中将中島今朝吾、陸軍少将山田栴ニ、陸軍中将柳川平助、陸軍中将谷寿夫、陸軍中将牛島貞雄、陸軍中将末松茂治、陸軍少将国崎登である。「鷹」「住」「中」「山」「柳」「谷」「崎」など、仲間同士の認識のために女真族に因んだ漢字を組み込んだ名前が多く見られる。

1938年には重慶爆撃が発生する。一万人以上の民間人犠牲者を出した残酷な事件だが、これも女真族による中国侵略の一環であった。指揮者はシナ方面艦隊参謀長井上成美である。この井上姓も海西女直イエヘに因んだ「上」が組み込まれているのが分かる。

それにしても、南京事件、重慶爆撃のような非人道な行為を指揮した人々が現在、日本国の中枢を担い、正義と平和を謳っている。それが中国政府、韓国政府、北朝鮮政府が現在の日本国を非難する所以である。彼らは日本政府の正体を知っているのだ。

関東軍は日本の女真族の私設軍隊であり、満州国は日本の女真族の国家であるため、甘粕(スクスフ由来)など、指揮系統に身を置く者には、女真族を由来にする漢字を組み込んだ姓を持つ者が少なくない。総司令官には河合操、白川義則、武藤信義、「張作霖爆殺事件」を指揮した村岡長太郎、畑英太郎、「満州事変」を指揮した本庄繁、南次郎、「ノモンハン事件」を指揮した植田謙吉、梅津美治郎、山田乙三がいる。

いずれも「川」「武」「村」「岡」「畑」「庄」「植」「津」が組み込まれている。南姓の由来は分からないが中村姓同様に中臣氏の子孫ということらしい。だが、南姓だけでなく、上記の姓には藤原氏、清和源氏、坂東八平氏由来の姓もあることをお断りしておく。

1932年2月、満州国建国が宣言されると日本から女真族の子孫が満州開拓の名目で移民として故地への帰還を果たした。
戦後、「中国残留孤児」など、置き去りにされた日本人の子供が中国人に育てられたことが美談として語られるが、実際には中国人ではなく、「満州人」が「家族」である「女真族」の子供を保護したに過ぎない。
1980年代、女真族の血統で占められた日本政府が老いた残留孤児を日本に帰国させる事業を展開したが、残留孤児たちは本人だけでなく、家族全員(30人〜50人)を日本に同行させた。そして、国民の税金から5年〜10年のスパンで生活費が捻出され、残留孤児の家族に支給された。つまり、残留孤児の帰還はある意味、公費を使った満州人の移住でしかなかった。
2007年1月に起きた渋谷区短大生切断遺体事件の容疑者、同年3月に起きたリンゼイ・アン・ホーカーさん事件の容疑者などは、この日本に帰還を果たした残留孤児の家族である可能性が高い。

現在の安保政権は、上記のように中国・朝鮮侵略を行った非情な関東軍の子孫である。2006年(だっけ?)首相就任時の顔の暗さとは異なり、現在の安保首相はしきりとニヤニヤしている(芸能人に囲まれていた時は動揺していたが)。これは残留農薬基準値緩和を達成したことで喜んでいるのだろう。安保首相は、女真族が日本人に勝利したことを確信しているのだ。

 

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