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第二次世界大戦時、日本全土がアメリカ空軍の空爆に晒されたが、東京、大阪、名古屋など焼け野原になった土地がある一方で、秋田県、山形県、石川県、滋賀県、奈良県、京都府、鳥取県、島根県などは焼け野原とは無縁であった。
資料によって異なるが、死者数では、秋田県が94名、山形県が42名、長野県が52名、石川県が27名、滋賀県が45名、奈良県が31名、鳥取県が61名、島根県が38名、京都府が215名となっている。東京都の死者数11万7千人、大阪府の1万5千人、愛知県の1万3千人、広島県の26万人、長崎県の7万5千人に比べると大きな差があることが分かる。
大都市圏でないこと、軍需工場がなかったことなどが空襲を逃れた理由とされるが、それは本当なのだろうか?じつは筆者はもうひとつの共通点を発見したのだ。みなさんはお分かりだろうか?それは、大規模な空襲を免れた都道府県が昔から「浄土真宗が盛んな土地」であるということだ。京都には本拠地があるし、奈良、滋賀などは言わずもがなであるが、石川県などは真宗信徒から「真宗王国」と呼ばれた。
資料によって異なるが、ある資料では石川県では空襲による死者数が27名とある。一方で金沢空襲では死者数は60名とされている。が、どちらにしても現代に於ける交通事故死者数の全国平均約90人にも満たない。
アメリカ空軍は全国的に一般市民が居住する市街地さえ容赦なく空爆し、焼き尽くした。果たして、石川県などが大都市圏でないということだけで空爆を逃れる理由になるだろうか?大谷家とアメリカの間に、何か「秘密の交流」があったのではないか?筆者はその疑念をぬぐい去ることが出来ない。
「大谷家」は日本のデーン人であるが、第二次大戦時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトもデーン人である。
本土空爆が開始された頃、「仕事が生ぬるい」ということで更送されたハンセル准将に代わり、カーチス・ルメイ少将が第21爆撃司令官に就任した。このルメイ少将もデーン人である。彼は3月10日の東京大空襲を皮切りに、夜間に低高度で焼夷弾を集中投下する無差別爆撃を開始した。
この交代劇がもたらした結果からもお分かりのように、デーン人は非常に残虐な種族である。中世の魔女狩りと同じく、「悪者は殺してもいい」という主張を楯に、デーン人は熾烈な空爆を繰り返した。
ダン族の時代から継承されている彼らの伝統。それは、自分達の利益に寄与しない者を敵に指定し、「悪者を作る」ことである。
アメリカ合衆国の曙に、清教徒を率いてアメリカ大陸に移民したロバート・ブラウン、ジョン・ロビンソンはデーン人の血統である(デーンロー時代にイギリス人姓を乗っ取った)。ハーバード大学初代学長に就任したヘンリー・ダンスター、イェール大学を建てた人々などもデーン人だ。ただ、アメリカ合衆国を独立させたのはフリーメイソンに所属するアダム族、フェニキア人の系統であった(フリーメイソンも後に、一部がデーン人に乗っ取られてしまうが)。
このアダム族、フェニキア人が君臨するアメリカ合衆国の中枢にデーン人が侵入をはじめたのは、デーン人であるアルフォンソ・タフトと友人のウィリアム・ラッセルが1832年に秘密結社「スカル&ボーンズ」をイェール大学内に設立してからである。
その前年の1831年、デーン人のルイス・カスがジャクソン内閣の陸軍長官に就任すると、彼らは陰謀の能力を発揮し始めた。当時、デーン人は「自分の領土」としてテキサスを欲したが、そのためにはメキシコ人を皆殺しにする必要がある。
だが、何の大義名分もなく攻め込めばただの侵略者として批判される。それどころか、復讐の口実をも与えてしまうことになる。デーン人は考えた。復讐を予め回避した上で目的を遂行する方法はないものか、と。そして、その方法が「アラモノ砦の戦い」で実践された。「悪者なら殺しても良い」
デーン人はメキシコ人がアラモの砦を攻めるように誘導し、アラモ砦に立てこもったアメリカ市民がメキシコ人に皆殺しにされるまで待った。しかして、アラモ砦のアメリカ人が皆殺しになった一報が届くが早いか、デーン人は泣きながら「メキシコ人はなんて非道なヤツラなんだ。罪もない人々を殺すなんて。我々が被害者たちの代わりにメキシコに正義の鉄槌を与えねばならない。リメンバー・アラモ!」と叫びながら当時の主要メディア、新聞紙上を通してアメリカ市民を鼓舞し、メキシコとの戦争に踏み切った。これは「侵略ではなく、成敗」である。
「リメンバー・アラモ」。このフレーズ、どこかで聞いたことありませんか?とにかく、この「アラモの砦」によるテキサス共和国建設が、デーン人の世界侵略の幕開けとなった。デーン人はこの手法を現在に至るまで最大限に活用している。1885年にデーン人であるクローバー・クリーヴランドが第22代アメリカ大統領に就任したが、これ以降、最凶最悪の種族デーン人がアメリカ合衆国の頂点に君臨しはじめた。
上記の手法はもちろん、第二次世界大戦でも用いられた。第二次世界大戦を指揮したのは第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトである。真珠湾攻撃前夜、ルーズベルトはパーティーの席上で「あした戦争が始まるぞ」とのたまい、別の場所では、「私は戦争を作るのだ」と言ってのけたという。
彼は「アラモの砦」作戦を基調に第二次世界大戦を作ったが、その作り方を説明したい。ルーズベルトは日本の兄弟「大谷家」に日本軍が真珠湾を攻撃するように指示した。その上で決行前日にルーズベルトは何も知らないアメリカ兵たちを古い戦艦に乗船させ、日本軍が爆撃しやすいように戦艦を湾岸沿いに並べさせた。
その時が来ると、ルーズベルトは全てを把握しておきながら知らないフリをし、アメリカ兵たちが全員焼け死ぬのを見届けた後で怒りのこぶしを振り上げて大日本帝国に宣戦布告した。この時のルーズベルトの演技により、世界中が大日本帝国を悪の帝国であると信じた。デーン人の勝利の定義のひとつが「デーン人のウソをどれだけ多くの人々が信じるか」である。もっとも、人類はそれほどバカじゃない。つまり、「ウソと分かっていても怖いので信じているフリ」をしている人の方が多かった。ありがたいことに現在は風向きが変わりつつある!
とにかく、大谷家とデーン人はお互いが共通の先祖ダン族から枝分かれしていることを知っていた。そして、「家族」である彼らは当然、団結した。つまり、大谷家は裏で「デーン王朝アメリカ帝国」の上層部と密通し、「自分たちの領土への空襲回避」を懇願した。それが石川県など、浄土真宗が盛んな土地が無傷で済んだ理由である。
一方で、大谷家は日本国内の敵である真宗信徒以外の宗派をピンポイントで狙うようにアメリカに要請していたと考えられる。
例えば、「京都空襲」の際、被害を受けた東山区馬町、右京区、上京区には真言宗、日蓮宗、浄土宗、臨済宗、天台宗、時宗などの寺院が集中しており、浄土真宗関連の寺院は大谷廟、養源院(もと天台宗)のみである。
「京都空襲」に於いて、大谷家は上記の宗派に属する信者の軽減を謀ったものと考えられる。不思議なことに、「大谷廟」は140戸が焼失した馬町のすぐそばに隣接していたにも関わらず、全く損害は無かった。
また、「大垣空襲」ではただひとつの本願寺系列の寺院が焼失している。被害を受けた「開闡寺」は東本願寺派に属しているが、海西女直に属する戸田氏(海西女直ハダ由来)の援助を受けていた。だが、戦中戦後当時には「建州女直」と「海西女直」は対立関係にあった(その際たる衝突が、戸田(海西)vs池田(建州)という「創価学会」に於ける覇権争いだが)。
とにかく、建州女直に属する大谷家と海西女直に属する開闡寺は対立関係にあったため、大谷家はアメリカ軍に要請し、開闡寺を狙ったと推測できる。そしてこの一件が、戦後の「創価学会」の発展へとつながる布石となるのだ。
ある種、アメリカ軍は「東本願寺の要請」により、真宗信徒が住むための土地を確保するために全国の主要都市を焼き尽くした。つまり、デーン人には「浄土真宗の繁栄」が念頭にあった。大谷家は、邪魔なフェニキア人を一掃した後の日本国の王座を「デーン王朝アメリカ帝国」に約束されていたのだ。
そうなると、原爆投下も彼ら大谷家の願望ではなかったかと考えられる。戦国時代、本願寺は偉大な日本人である織田信長、上杉謙信、豊臣秀吉、徳川家康、北条氏、富樫氏、六角氏などと戦火を交えた。だが、正々堂々と戦うと弱い彼らは有能な武将の前に辛酸を舐めこそすれ、勇敢な日本人の血統に羨望と憎悪を抱いていた。
広島は村上水軍に代表される倭寇の勢力圏であり、長崎も松浦党など日本の倭寇と福建海賊の勢力圏であった。海賊は「力が掟」であるが、非力な女真族がもっとも不得意とする輩の集団である。広島、長崎にはホンモノには敏感だが、浄土真宗のようなニセモノには簡単には服従しない気質の人々、海賊の子孫が多く居住していたのだ。
ただ、広島県も江戸時代初期の頃から「真宗王国」と呼ばれていたのだが、それでも尚、ニセモノを嫌悪する正直な日本人の比率が高かった。そのために福山市、呉市が空爆され、とどめとして広島市に原爆を落とされたのだろう。
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