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20年前、あの戦慄の裏側で 魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第125回
http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/582.html
投稿者 空気くん 日時 2015 年 5 月 10 日 16:24:58: .eVDa5FBVDInM
 

時々、幼いころの故郷の風景を思い出す。町の外れに平らな干拓地が広がっている。青いイグサが風に揺れている。畑や田んぼの間を真っ直ぐ伸びる農道を進むと、コンクリートの高い堤防に突き当たる。堤防の向こうは不知火海。干潟のつづく灰色の海である。
オウム真理教の教祖だった麻原彰晃の故郷も同じ風景だろう。私の町から南へ十数q離れた干拓地だ。彼は貧しい畳職人の家に生まれた。7人兄姉の四男だった。

生まれつき左目がほとんど見えず、右目も弱視。しかも幻覚を起しやすい体質だったらしい。3〜4歳のころ、魂が火の玉になって眉間から飛び出し、家族の寝姿を見たり、隣家を廻って帰ってくるという体験を何度かしている。

性格はおとなしく、花や昆虫の好きな子で、3歳で九九を暗唱できるほど早熟だった。保育園に入って数日で「あんなとこで教えること、みんな知っとるで行きとうない」と言って通うのをやめた。


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満6歳で熊本市の全寮制の県立盲学校に入学した。高等部2年のとき、全国身体障害者大会の1500m走で4位に入り、翌年には柔道の初段試験にも合格した。
彼は専攻科に進んで漢方を学ぶうち中国の仙道に惹かれ、神道や仏教へと関心を広げていく。このころ柔道で疲れると、必ず幽体離脱の経験をしたという。

盲学校を出て、鹿児島などで2年ほど鍼灸師として働いた後、東京の予備校に行き、大学を目指した。だが、黒板の字が急に読めなくなって進学を断念し、予備校で知り合った妻と結婚した。麻原22歳、妻18歳のときだった---。

こんな話を始めたのは他でもない。『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)が出版されたからだ。著者の本名は松本麗華。一時は麻原の後継者ともいわれた女性である。
本の表紙は、真っ直ぐ前を見つめる彼女の写真だ。内に秘めた思いの深さを感じさせる。父親の逮捕前、報道陣のカメラに向かいアッンカベーした12歳の娘が32歳の大人になっていた。

あれから20年。時がたつのは早いなと思いながら本を寝床に持ち込んだ。睡眠薬を呑んだから30分もすれば眠くなる。そんなつもりで読みだしたのだが、眠れない。事件の衝撃が脳裏に甦る。

彼女の苦難はそこから始まる。教団から離れても常に警察に尾行され、電話を盗聴される恐怖。普通に学び、働きたくても受け入れられない現実の苛酷さ。街を歩くときも買い物に行くときも誰かに監視されているという緊張感・・・・・・。

〈わたしは「生きる」ことに行き詰まってしまいました〉と彼女は言う。が、すぐ思いを決したようにこう語る。〈自らを表明しない限り、わたしを取り巻く真実を伝えることはできない。環境も現実も変えることができない―〉

それでやっと彼女の写真が表紙を飾った理由がわかった。もう逃げない。人目も避けない。「麻原の三女」という宿命を背負って生きていくという宣言だった。
そんな手記だから、家族の内情が赤裸々に綴られる。裁判記録や報道からうかがい知れない事実が次々でてくる。私が驚いたのは彼女が描く父母の人間像である。

彼女が物心ついたころ、一家は船橋に住んでいた。父は渋谷でヨーガ教室を営み、あまり家に帰らなかった。母は、父が'82年に薬事法違反で逮捕されたことなどから対人・外出恐怖症にかかり、家に閉じこもってばかりいた。
たまに父が帰ると、母は「何で帰ってこなかったのよ。1週間で帰ると言ったのに」と詰り、叩いたり引っ掻いたりした。父はそれにほとんど抵抗しない。そんな騒ぎがあっても3姉妹は父の帰宅を大喜びし、次姉は「太陽のない世界に、太陽が来た」と言った。

船橋の家には父の大事な瞑想室があった。麗華さんはそこで〈瞑想する父に抱かれて満ち足りた時を過ごしました。父は温かく、優しく、静かでした〉と回想する。

3歳のとき、彼女は男の子が振り回した鉄パイプで額を割られ8針も縫った。父は彼女の額の傷を「三日月」「稲妻」と見なし「神様からの祝福だね」と言った。三日月や稲妻は宗教的なシンボルだ。おかげで傷跡を気にせず、むしろ誇りに感じるようになった。

'87年、父はオウム教団を作った。急速に膨張する教団のなかで父はすべてを見通す神のような存在になった。外部から激しい攻撃を受けても、彼女は父と一緒なら死んでもいいと思ったという。

〈父のそばにいると、一瞬で心を覆っていた鎧が解かれ、底知れぬ安心感に満たされたからです。そこは識別のない世界でした。理屈はありません。人の心を掴んで離さない包容力と言ってもいいかもしれません。同じような話を、わたしは多くのサマナ(出家信徒)から聞きました〉と彼女は言う。

麻原は不思議な男だ。娘には優しい父でも、敵対する者には激しい憎悪をむき出しにし、愛人を何人も作ったりする俗物性も併せ持つ。どれが本物の彼で、どれが偽物なのかよく分からない。でも、それを突き止めないと、「真理の求道者」たちが殺人集団に変貌した理由を解き明かせない。

手記で麗華さんが強く訴えているのは父の無実ではない。彼女は〈父が事件に関わっていないと、信じているわけでもありません〉と判断を留保したうえで、精神に異常をきたした父親の治療をひたすら求めている。

娘としては当然の要求だろう。彼女は'04年、東京拘置所で初めて父に接見したときの様子をこう書いている。〈コンクリート造りの接見室。分厚いアクリル板の向こうに、車いすに乗った、小さなおじいちゃんがいました。それが三四〇九日ぶりに見る父でした〉。
父は変わり果て、廃人になっていた。話しかけても「うん、うん」と意味のない音を発するだけだ。裁判所は死刑を免れるための詐病としたが、彼女がその後、数十回にわたって接見しても意思疎通ができたことは一度もない。

弁護側が鑑定を依頼した精神科医6人は全員、麻原には訴訟能力がないと診断した。私は専門家ではないけれど、麻原詐病説にはやはり同意できない。

理由は二つある。一つは冒頭に触れた、幻覚を起しやすい麻原の体質だ。彼は成人してからも、統合失調症によく見られる幻聴や妄想を再三体験している。

もう一つは、彼の精神が変調をきたした経緯である。彼が法廷で不規則発言を始めたのは地下鉄サリン事件の重要証人への弁護側反対尋問からだ。この反対尋問で検察側立証は崩れだした。麻原はいわば裁判の最大のヤマ場で反対尋問の妨害行為を繰り返した。詐病ならあり得ない行為である。

司法に真実を追究する良心があるなら即刻麻原の治療に取り掛かるべきだと私は思う。彼を死刑台に送るのはそれからでも遅くない。

『週刊現代』2015年5月9・16日より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43064  

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