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芸能界と在日・部落・共産主義。
芸能界と創価学会。
何でかなと不思議でしたが、芸能界の生き字引が解説してくれてます。
芸能界の正体
当時音楽鑑賞組織は成立順に1)労音=労働組合を中心とした組織。2)音協=労音に対抗し経営者が資金を出し合って作った組織。3)民音=創価学会が作った組織。がありお互い凌ぎをけずっていました。(金一クリエイト大阪会長 http://www.create-osk.com/?p=87 )
金一会長の小史
http://www.create-osk.com/?p=87
<マルキシストが芸能界を作った?>
そんな私にとって掛け替えのない素晴らしい先生方に出会うことが出来ました。一人目は1年生の時の担任で小川先生 「純な心で」というのが先生の口癖で、誠実に生きる事の大切さを教えていただいた。お金に困っていることを知り家庭教師のアルバイトの紹介をしてくださったり、学校をサボって映画を見たり、演劇部の仕事で学校に泊まりこんで授業に出なかったりしても「時々は授業に出ろよ」としか言わなかったその声が今も耳に残っているのです。二人目は世界史の先生で2年生の担任でも在った中川先生 人はどの様に生きてゆけば良いのか、そのために何を学ぶべきか、共産主義者でもあった先生はマルキシズムについて手ほどきをしてくださいました。 マルクス、エンゲルス「共産党宣言」毛沢東「矛盾論、実践論」などの研究会を通じて多くの友人を得ることができました。中村進さん(吉本興業作家)三田順啓さん(旧Mitaコピスター社長)佐々木武さん(元日本医科歯科大学教授)それまでほとんど本を読まなかった私が進んで本を読むようになりました。 本屋、古本屋まわりが楽しみでした。 本箱は木製のみかん箱で、とても重宝したものでした。
卒業后先生は演劇部の顧問にもなられ松田一二さん、(クリエイト大阪初代社長、故人)安藤利通さん、(大阪労音舞台監督アルバイト先輩)三田和代さん(元劇団四季)等とともに高校演劇コンクールに恐れ知らずにもオリジナル脚本をもって参加、舞台の面白さの魔力にとりつかれました。新制作座 真山美保「日本中が私の劇場」に心服。水品春樹「舞台監督入門」が当時の私のバイブルになりました。
<社会科学研究会や演劇部の後輩の中にも在日朝鮮人の友人が何人もいました>
京都ニ条城脇の大学へ通っていたこともあり卒業後も高校の演劇部や社会科学研究会に顔をだしていました。放課後の学校放送で関西弁訛りの無い印象に残るアナウンスをよく耳にしました。福留功男さん(元日本テレビアナウンサー)このころから別格の存在だったようです。
社会科学研究会や演劇部の後輩の中にも在日朝鮮人の友人が何人もいました。結婚する為帰化した人。帰化をせず朝鮮籍のまま働いている人、夢と希望を持って北朝鮮に帰国した人、彼女に何度か手紙を書きましたが一度も返事は来ませんでした。 学生運動で消耗していたとはいえ、まだマルクス主義を信奉していた私は夫々の人に相談を受け、そこに生きる人々の複雑さや現実を理解せず生意気な意見を述べていました 「若かったからね」ではすまされなかったのではないかという心の痛みを、今も澱のように持ち続けているのです。
夜行列車に乗り東京へデモ行進で往復し帰ってすぐに、樺美智子さんが安保闘争で亡くなったことが白黒のTVのニュースで流れました。 誰はばかることなくあれほど泣いたことはいままでにはありません。 「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい・・・」西田佐知子
同じ後輩の中に恋人ができました。 資産家の娘でもあり思想上の問題もあって、二人が逢うことは友達の協力なくしては不可能でもありました・・・・
<日本は安保闘争を通じて社会主義の国になることを信じていました>
日本は安保闘争を通じて社会主義の国になることを信じていましたが、世の中は何も無かったように闘争は終わり、人々は普通の生活にもどり、私たちは大きな疎外感にまみれていました。 映画 「灰とダイヤモンド」アンジェ・ワイダはそんな心に沁みこみました。大学に行く気力も無くし、山本周五郎の小説の中にだけ心のよりどころを得ていた私に
演劇部の後輩でもあった安藤さんが「大阪労音のアルバイトでもしてみませんか?」と声をかけてくださり舞台監督の道に入ることになりました。
最初の仕事は大阪毎日ホール、ラテンバンド「有馬徹とノーチェクバーナ」のサイドピン五色のカラーチェンジャーつきの器具でかなり緊張したこと、蛍光塗料のセットがラテンのリズムによく似合っていたことを昨日の事のように覚えています
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大阪、東京労音共同製作 千田是也演出 ペギー葉山主演「劉三姐」は生まれて初めて観たミュージルで感動し「労音で仕事ができたらなぁ・・」と思い、 勤労者演劇協議会「労演」福田善之作、林光作曲 渡辺美佐子主演「真田風雲録」の<♪てんでかっこよく死にてえな・・>に涙し「いつか一緒に仕事が出来るようになれば・・」と夢を膨らませていました。 「劉三姐」の物語は2004年チャン・イーモウ監督によってスペクタクルミュージカルとして桂林で上演されたり、女子十二楽坊の楽曲で演奏されたり話題を呼んでいます・・・
<労働者・資本家・創価学会>
当時音楽鑑賞組織は成立順に1)労音=労働組合を中心とした組織。2)音協=労音に対抗し経営者が資金を出し合って作った組織。3)民音=創価学会が作った組織。がありお互い凌ぎをけずっていました。偉大なる失敗作として思い出される例会は「西田佐知子リサイタル」で構成、藤田敏雄 演出、砂田実。音楽、いづみたく、で歌謡曲の前奏、間奏、後奏を極端に排除し、シャンソンのヴァースを取り入れたり、意欲に溢れたステージが期待された。結果はカタルシスのない舞台となり観客の不満はあふれ、担当者でなかった私もその対応にかりだされる始末で、さじ加減の難しさを思い知らされました・・・・
<参考リンク>
◆労音
https://twitter.com/search?q=%E5%8A%B4%E9%9F%B3&src=typd
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