08. 2015年5月01日 21:40:24
: bWstxquPOA
コシミズ独立党は不正権力の中央突破には威力を発揮する。 けれども福島第一原発事故の放射能被害には、世界の刻々展開している新認識とは全く別次元の2011年3月11日以降の「福島第一原発事故はありもしない大規模な偽装」見解を立てて変化なしである。 そこから、公的私的機関も含めて「最悪放射能被害対応」に様々な次元で、世界が動いているのに、複雑に発展している中で、ただひとり悠然と「放射能こわいこわい病」と断定して動じない。そして福島第一原発が大仕掛け芝居の「空騒ぎ」ではなくて深刻真剣対応が必要な「レベル七相当の歴史的初の途方もない巨大事故」という理解と視点に立つ人々を、未だに嗤っているのだ。 これはいろいろ正直な男であるからこそ、中央突破の切り込み隊長として最優等であるからこそ、見逃されてはきたところがあろうと思われるが、世界のまじめな対応の軽視と認識される「別次元ひとりぼっち」の主張がうるさいと、欠点修正放棄決定の強情が、必然的に他のまともな国民と衝突する。 この生来の癖らしい生兵法の一言居士ぶりを発揮する対象とは、畑違い「原発放射能重大事故」は違うだろうと言うことなのだ。そもそも笹川財団と売国官僚の「食べて応援」と同一方向のまったく生兵法の「放射能怖い怖い説」の「内部被爆偽装説」など、 慎重さを欠く判断だ。笹川と同一路線ということに、なぜ奇妙さを覚えることがない(できない)のか。 「原発放射能事故」に関しては、ユダヤ外国資本糾弾自認者が、まったく腐敗権力糾弾に無能なのはどういうことなのだと、考えている人々が大勢いるのも知らずにいるということなのだ。本当に「期待はずれ」なのだ。当人の生兵法断定が、肝心の合意形成の邪魔にもなっている。それなのに反原発ということで、どうして済むのかということなのだが、当人が馬耳東風に映る。それで滑稽なのだ。また、大きな損を自分から行っていることなのだ。 最初から、反原発裁判にも立っていたならば、どれだけ全体の不正抵抗運動は前進したであろう。こうした見方に立つことは、大方のまともな人たちは期待もしてはいないだろう。 まあ、周りを見渡せばそれぞれに一長一短。オール5最優秀スーパースターは何処にもいないのが、日本の市民抵抗運動。しかし、その彼らが大切な唯一の頼りなのである。 自信の生活を犠牲にして奉仕してくれているのだ。その人達に言い過ぎは禁物だ。しかし言わねばならない痛いことは痛くとも言わねばならない。 福島事故の真剣対応をも平行して対応しようという人々達との考えとは比べものにならないもの。自分とは見方が違って(実力が上の人々だろう?)「放射能怖い怖い病観」に立つ人々の考え方もひとつとことん人知れず、専門家が驚くほどに勉強を積んで学んで後に「反原発」の中核の言論形成については「ああ、そうか。これが反原発だ」という理解納得に至るような態度も無いのだ。誰が何処であっても無理を通せば道理は引っ込むのだ。 小沢選挙支援のときもそうだが、小出助教に話を聞きに行き、ドイツまででかけて、反原発世論に対してのアピールに努めた小沢を、心の中では「空騒ぎ原発放射能事故」に踊らされていた阿呆であると、嗤っていたことになるではないか。これはそもそも始まりから駄目だと思えることだ。一時の混乱期ならば仕方がないとされるがいつまでも進歩しないとどうか。 ほかの政治家支持に関しても同じことが言えるのだ。支持されるほうもわかっていて受けるが、その複雑な心中の理解に関して、疎い印象はぬぐえない。 それぞれにひとつの裏社会利害関係など有るはずもない、世界各国政府の放射能測定管理者等の一致した福島原発由来の測定数値と食品や中古自動車や生産地制限をつけた輸入制限に至る大きな動き等に、関してもまったくの無関心を露呈しているのだ。 現在進行形で歴史的最大原発事故の人類危機が日々展開しているというのに、未だに4年前に直感的に打ち立てた「原発事故は偽装で空騒ぎ演出見解」に立ち続けて、この領域では何の進歩も理解も見せずにいる。 ロシアや中国や周辺国を含めての放射能被害の真剣な対応をも完全無視なのだが。 これは本人には悪いが、ひどく滑稽な図なのだ。コシミズ支持のプーチンがはたして「福島原発事故は空騒ぎ」説に立っているかどうか。単純に、優れた情報発信のロシアの声やロシアトゥデイは、あれはプーチンの代弁でもあるのだ。 当人の弁舌で訊きたいものだ。 「個人的判断では完全」な断定だが、こうした断定にも実は、負ける可能性があって「放置しない方」が勝てる可能性が大きいかどうか。 「勝ち続ける(けなければならない)模範的態度」をこうした状況に当てはめると「勝ち」と「負け」の痛烈な分岐発生が、当初の断定のまま、進んだ観察研究もせずに単純な継続の態度に起こるかどうか。 起こりえる危険な場合は、この段階では人の賛同は得られないということがあり得るかどうか。 優れた戦闘の天才がいたとして、ある「謀略可能性も含む大きな事件」に対しての個人的に「殆ど確信的な空騒ぎ断定」を下して、その主張を「大きな事件」自体が大きく変貌していてまともな国民の動きが「事故発生事実前提」で、見解を共有して対応の議論をしている時に、4年前の断定を曲げない。 そういう戦闘の天才がいたとして、その天才が、他の戦いも同時に戦いながら、その後「大きな事故発生」由来の判断で、その自説撤回拒否の天才が、しくじることはあり得るか、あり得ないか。 大きな責任を負う戦闘のセオリーで正しい態度なのかどうか。その天才は天才故にその断定は、どのように事態が変貌しても、正しく有り続けて、失敗の原因になることなど100%無いかどうか。 この巨大な責任をともなう巨大な仕事に対して、まともな国民の未だにごく少人数を除き誰をも納得させていない。「福島原発事故は放射能被害ゼロ説」に立ち続けて、勝てる保証、勝てる見込みを描く高い次元に達するどころか根拠無き「放射能事故空騒ぎ」にのみ立脚しての総ての「放射能被害発生前提」に立つ人々を嗤う図、嗤い続ける図だが、正直な見方では相手にされていないから救われていることの理解など持ち得ていないのだ。 負ける仕事の態度をかたくなに継続することは、高度な理解とは無縁の態度であり、改善の余地の放置状態であろう。数千万人の中でも「これは勝てるという真実の論理を含んだ現実に効力を持ち得る論理」ならば数万人数千人は深い理解と賛同を示すものだ。何であれそれが良い仕事なのだ。 見解未分状態で発展しないのは、今後その指導者のルート誘導は危ういと判断されてしかたがない。 一律否定のコシミズはこの領域に多数存在する大人の理解と判断も一律嗤っているという立場になるのだ。世界中に膨大にいて不正対応の中核をなす人々の動きに関心も責任も持たない限りなく生兵法的態度の「放射能怖い怖い説」が有効性を持たぬのは、そもそも当人の関心が無いのが明らかであるし、その点できわめて無責任な判断で断定と言うことだ。 斜に構えたような断定があるばかり。そのほかに誠実さの努力の跡に至った見解があるわけではない。この滑稽な独り相撲が全体の合意形成に支障を来すものになる場合は、そこが「超えることができなかった成長の限界点」ということになるのだろう。多くの善意助言を、悪意とひとくくりに断罪し捨て去ってきたことはみんなが知っている。他では違うが、なぜか福島関連にはこの劣等生態度だ。 大勢の人と一緒に仕事ができない人間はわかるが、個人独立の仕事でも「重大見解の合意」に関して「余計な迷惑の自覚無し責任感認識無し」態度があって今後も続くと、まともな国民の社会からも疎まれ、偏屈者の孤立に自ら進むだけのことになる。 総合的に平均点以上をとれていないと高度な敵に有効な攻撃は出来ない。自分で欠点の客観視とそれを補うことさえ軽視していたら→弱い弱い独り相撲なのだ。 |