22. 2015年3月18日 11:22:53
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2015.3.18 06:00 【プーチンの「戦争」クリミア併合1年(2)】 踊らされた東部、流血の惨事 http://www.sankei.com/premium/news/150318/prm1503180009-n1.htmlドネツク市郊外の攻撃を受けたアパート。住民のほぼ全てがこの地域を去った http://www.sankei.com/premium/photos/150318/prm1503180009-p1.html ドネツク市郊外の攻撃を受けたアパート。住民のほぼ全てがこの地域を去った 焼け焦げた戦車やトラック、散乱する日用品と砲弾が戦闘の激しさを物語っていた。 2月15日の停戦発効後、ウクライナ政府軍が親ロシア派武装勢力の猛攻を受けて撤退した東部ドネツク州の要衝デバリツェボ。「包囲されたウクライナ軍に投降を呼びかけたが、従わなかった」。親露派兵士(25)が説明した。 市街ではアパートの窓ガラスはほとんど割れ、崩壊した建物も目立つ。「ウクライナにも親露派にも共感できない。こんな戦争は必要ない」。地下室で戦火を逃れた学校職員、イリーナさん(37)が語った。 ロシアによるクリミア併合では、地元出身者が多かった現地のウクライナ軍部隊が早々と投降し、血が流れることはほとんどなかった。これに対しドネツク、ルガンスクの東部2州の紛争は6千人以上の死者を出す惨事に発展した。 「クリミアと同じシナリオで、迅速に(併合が)進むかと思っていた」。ドネツクの作家、ルサノフ氏(48)は昨年3〜4月、ヤヌコビッチ前政権の転覆に抗議し、親露派デモに加わったころを振り返った。 東部はロシア語を話す人が多数派で、2州では親露感情が特に強い。「(親欧州的な)キエフや西部の高圧的態度にはもともと反発があり、首都の政変で不満が噴出した」。ルサノフ氏はそう話した後、「今はプーチン露大統領に若干の失望感を抱いている」と漏らした。 ■ ■ 親露派の武装集団は昨年4月上旬、東部2州の行政庁舎などを相次いで占拠。昨年5月12日に住民投票を強行し、「人民共和国」の独立を宣言した。 しかし、ロシア系住民が全人口の6割超を占めるクリミアと違い、約4割にすぎない東部2州では、独立やロシア編入を求める世論もさほど勢いはなかった。 ドネツクの消息筋は、「昨年春の親露派デモに参加していたのは最大数千人。多くがモスクワから動員されていたことはロシア語の発音からも明らかだった」と証言する。 プーチン露政権は混乱を焚(た)きつけ、ウクライナの親欧米政権に東部の自治権拡大や連邦制導入を認めさせる狙いだったとされる。親露的な東部を通じてウクライナへの影響力を保持し、欧米への接近を阻止しようと考えたのだ。 軍事的に東部を併合するのはクリミアより格段に困難である半面、親露派を見捨てればロシア国内で強硬派の非難を浴びるというジレンマもあった。 ロシアの軍事評論家、ゴリツ氏(59)によると、プーチン政権はこうした事情から、(1)ウクライナ東部に義勇兵2万5千〜3万人を投入する(2)軍部隊4万〜5万人をウクライナ国境沿いに展開し、必要に応じて戦闘に加える−という手法を取った。義勇兵の多くは「休暇中」や「退職」の軍関係者で、高度な武器の操作や指南役を担ったとみられる。 ■ ■ デバリツェボ陥落後、東部では大規模衝突は起きていないものの、紛争で東部住民の「反ウクライナ」感情は増幅された。仮に停戦が維持されても、親露派支配地域がモルドバの沿ドニエストルなどと同様、政府の支配が及ばない「非承認国家」の道をたどるとの見方は強い。その場合、ロシアの支援なしで親露派地域が存立するのは困難だ。 クリミアで始めた「戦争」は、プーチン政権自身にも大きな代償となってはね返りつつある。(ドネツク 遠藤良介)
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