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黒澤明が戦後にとった大衆娯楽映画『七人の侍』。いまでも国内外での評価は高く山田洋次が音頭をとった文芸春秋誌での専門家による邦画名作選出企画でも堂々の一位に輝いたものである。
野武士の襲撃に手を焼いた村の百姓が浪人を雇って、ついには野武士を撃滅させるというたわいもない話であるが、そこには人間社会の縮図があるのだという。つまりは庶民と彼らの生活を脅かす巨悪との闘争はいつの時代も忘れ去られることのない命題だということである。
主演した三船敏郎氏も『七人の侍』を代表作にあげ、中でも百姓の心情を武士の前でぶちまける台詞は何年たっても諳んじれるほどだったのだという。そのときの台詞を要約すると「百姓ほど卑劣な人種はない。臆病で我儘で嘘つきで軽薄な泥棒だ。しかし彼らをそうさせているのは他でもなくサムライのほうじゃないか」
つまり黒澤明は「庶民vs巨悪」の対立図式において庶民が巨悪を打倒することではじめて正義はまかり通る、さもなくば庶民は一生ミジメな敗北者のまま人生を我が物にすることができない、という革命必至思想を押し付けている。
日本の戦後とは、この黒澤思想、『七人の侍』のわざとらしいヒロイズムをジャーナリストから公務員までがしょった偽善の中でくりひろげられたのである。
私も一応は戦後の育ちなので、庶民のために無償で巨悪に立ち向かうサムライたれ!というような狂った教育をうけてきたのである。公立学校の教員が教壇において「自民党、広域暴力団、皇室の三悪がなくならないかぎり日本はよくならない」などと平然と反日発言におよび、近所の大人たちも似通ったことをオマジナイのようにとなえるのである「大企業が政治家とつるんで我々一般市民の犠牲のもとに甘い汁をすっている」と。
私もそれが正しいなどと思い込まされていたものだから、実際の世界に直面したときには人格の崩壊をおぼえるほどだった。私は全ての階層、全ての人種、全ての年齢域、全ての共同幻想に接してきたアルティメット社会見学人であるから、全てを知っている。
いわゆる体制側。いわゆる特権階級。いわゆる高学歴。まともな立派な人間は実にこういった少数の社会的ヒエラルキーの上層、より権力に近い側に集中してみられることがわかる。
それに反し、特権とは無縁な庶民の実になげかわしいほどの下種ぶりには微塵ほどの敬意をも抱くことができなかった。疑う人間は、アホ私立女子高のロッカールームに隠れてアホ共の日常会話を一度ヒアリング・マラソンしてみればいい。そうでなければ公立老人ホームみたいな糞屑のはきだめで一日過ごしてみればいい。ぶっ殺したくなるから。
「サムライのせいで百姓がこのザマ」という言い分には何の説得力もないことがわかるだろう。
悪いのは明らかに百姓のほうなのである。百姓が悪いのである。三船、いや、黒澤明は間違っているのである。
ネットにはびこるカルトな自称有名ブロガーというのは、どいつもこいつも現実を直視することなく、愚鈍な『七人の侍』賛歌をぶっちゃける。小学校時代の先生は正しいのだ、と強引に一生言い続ける井の中の蛙クンたちである。
たとえばコシミズ。「全ての悪事の背景には黒幕としてロカフェラーが暗躍しています。ビビッてませんがー」
たとえばキッコ「全ての元凶はイスラエル人マフィアのシェルドン・アデルソンである今日この頃いかがお過ごしですか?」
たとえば安部芳裕「ロスチャイルドが仕掛け人です。」
たとえば天木直人「ワタシはアホです」
お前らは黙れ。そして死ね。
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