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9日、澎湃新聞網は記事「南京大虐殺の歴史写真はどこから来たのか?」を掲載した。南京大虐殺研究センターの張連紅主任は澎湃新聞網のネット交流会に参加し、読者の質問に答えた。写真は南京大虐殺記念館。
南京大虐殺の写真は本物?それとも捏造?中国人専門家が回答―中国メディア
http://www.recordchina.co.jp/a122937.html
2015年11月10日(火) 11時54分
2015年11月9日、澎湃新聞網は記事「南京大虐殺の歴史写真はどこから来たのか?」を掲載した。南京大虐殺研究センターの張連紅(ジャン・リエンホン)主任は澎湃新聞網のネット交流会に参加し、読者の質問に答えた。
Q:なぜ日本軍が迫っているのにあれほど多くの市民が南京にいたのでしょうか?誰も日本人の襲来に気がつかなかったのでしょうか?
1937年11月20日に国民党政府が移転し、政府職員も撤退しました。旧日本軍は急ピッチで進撃を続け、その残虐さを伝え聞いた近隣の人々は続々と南京に集まっていました。南京には戦争の空気が漂っていましたが、外国人が設立した難民居住区が唯一の希望となっていたのです。欧米人が管理する地域は安全だろうと人々は信じていました。
また、旧日本軍が平民を傷つけることはないとの幻想を抱いていたのかもしれません。しかし入城後の焼き討ち、殺害、強姦、略奪は人々の幻想を打ち砕きました。市民も自宅を離れ安全区に逃げ込んだのです。安全区の面積は全市街地の8分の1という狭いものでしたが、そこに20万人以上が収用されました。
Q:南京大虐殺の歴史写真は本物なのでしょうか?
南京大虐殺の写真は主に2種類の出所があります。第一に南京にいた欧米人が撮影したもの。米国人宣教師ジョン・マギーが撮影した写真やフィルムが代表格です。第二に旧日本軍の兵士や従軍記者が撮影した写真です。そのほとんどは公開されることはありませんでしたが、一部は中国人が経営する写真館で現像され、暴行の証明として持ち出されました。後に南京軍事法廷で証拠として採用されています。(翻訳・編集/増田聡太郎)
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