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3日、中国では「抗日戦争勝利70周年」として軍事パレードなどの記念式典が行われた。そんな中、ある芸能人が中国版ツイッター「微博」で式典とは無関係な内容を投稿してバッシングに遭っている。ささいな行為によってこれほど罵倒されるのはなぜなのか?
中国人が他人に謝罪させるのが大好きな理由とは―中国メディア
http://www.recordchina.co.jp/a118483.html
2015年9月8日(火) 4時50分
2015年9月3日、中国では「抗日戦争勝利70周年」として大規模な軍事パレードをはじめとするさまざまな記念式典が行われた。そんな中、ある芸能人が中国版ツイッター「微博」で一連の式典とは無関係な内容を投稿したことでバッシングに遭っている。
問題となった投稿は台湾の女性歌手によるもの。式典の当日、今年生まれた息子の写真を投稿したことで「愛国心に欠ける」と非難の的になった。しかし、愛息子の写真を公開する行為と、愛国心の有無はどう結びつくのか?このようなささいな投稿によって、これほどまでに口汚く罵倒されなければいけないのはなぜなのか?中国メディア・捜狐(SOHU)は7日、「中国人はなぜ他人に謝罪させるのが大好きなのか?」と題して、近年の中国でたびたび発生するバッシング行為について論じた。
自らがよいと思うものを、他人がよくないと思う。自分の意見に同調しない他人が、自分とは異なる意見を唱える。それが攻撃の対象になる。相手の意見は相手の教養や知性やモラルのなさによって生まれたものであり、私はあくまで正しい。よって、相手が謝罪をするまで相手を見下し、攻撃し続ける。
25年前、あるテレビドラマが一部の視聴者に「面白くない」と批判された。その時、プロデューサーが「このドラマの面白さを理解しない人は、学識が低く道徳心に欠ける人」と発言して問題になったことがある。こうした心理や現象は、インターネットが発達した近年になって急激に目立ち始めた。匿名性の高いインターネットを舞台にすると、それはますます感情的になる。今年の春、台湾のある女性タレントが、インターネット上での執拗な誹謗中傷に耐え兼ねて自殺した事件があった。「言葉によるいじめの深刻さはもっと問題視されるべき」との言葉を遺して。
中国出身のノーベル賞受賞作家・莫言(モーイエン)氏はその受賞スピーチの中で、このようなエピソードを明かしている。彼が小学生の時、ある博物館の展示会を見学して、多くの級友が“感動のあまり”泣きだした。莫言自身もその感動の涙を先生に見てもらうために、涙をぬぐうことはしなかった。級友の中には頬につばを塗りつけてうそ泣きしている者もいた。そんな級友らの間でただ1人、誰にも同調せず涙ひとつ流さない生徒がいた。莫言は涙を流さなかったその生徒のことを先生に告げ口した。彼と同様の告げ口をした生徒は10数人いたという。
「多くの人が泣いている時、中には泣かない人がいるということを許容しなければならない。泣くことが何らかのパフォーマンスになっているならなおさら、泣かぬ人を許さなければならない」。莫言はそう語っている。
同じように喜び、同じように悲しみ、同じように感動し、同じように批判せよ。他人に同じ感情を共有せよと押しつける心理は、本質的には他者を奴隷にしようとしている行為にほかならない。特に、大勢が憎しみの感情を共有し、その対象を一斉に攻撃し、快感を得ようとする考え方は、まさにユダヤ人を迫害したナチスのやり方に似ている。言論の自由が保障された社会で、人が人を罵倒するのは自由かもしれないが、しかしながら、誰もがその罵倒の対象になる危険があることもまた事実である。(翻訳・編集/愛玉)
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