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日中の政治的な緊張が長く続いた時期も、民間の交流はさまざまな形で続けられていた。中山大学の沈泱さんは、日本を訪れた際に出会った日本人の先祖と自身の曽祖父、平和について次のようにつづっている。写真はイチゴ大福。
日本人のお宅で知った衝撃の事実、いちご大福をほおばりながら噛みしめた平和―中国人学生
http://www.recordchina.co.jp/a117217.html
2015年8月24日(月) 19時38分
日中の政治的な緊張が長く続いた時期も、民間の交流はさまざまな形で続けられていた。中山大学の沈泱さんは、日本を訪れた際に出会った日本人の先祖と自身の曽祖父、平和について次のようにつづっている。
関西国際交流センターで1カ月半の研修をした際に、家庭訪問プログラムとして田村さんのお宅を訪ねることになりました。今までにもたくさんの日本人と接触してきましたが、日本で地元の住民と交流するのは初めてです。いったい日本社会にいる日本人はどのような人だろうか。もしかして僕のような中国人に対して、日本人は何か憎しみでも抱いているのではないだろうか。僕は不安感を持ちながら、家庭訪問の日を待っていました。
ようやくその日がやって来ました。前もって田村さんに連絡をすると、直接センターまで迎えに来ると言ってくれました。本当は僕が自分で田村さんのお家に行くべきなのですが、田村さんの親切がわかると、かえって断りにくくなりました。そして、僕もほっとしました。僕が中国人だとわかっていても、こんなに親切に応えてくれた田村さんって、きっといい人に違いないと思いました。不安は跡形もなく消えていきました。
田村家に着く頃にはもう午後の5時で、田村さんと少し話をしたら、晩ご飯の時間になりました。最初に出されたのはいちご大福です。田村さんの話によると、これは和菓子屋で注文したもので、本場のいちご大福だそうです。赤いイチゴがまるで雪に包まれたように美しく、さすが日本のお菓子、食べるより鑑賞しているほうが楽しいほどです。ひと口噛むと、イチゴの甘みとふわんとした口当たりが、体の芯まで染みていきます。
ふと、田村さんが「ね、沈君、確か今回の研修生のうち、中国人は8人ですよね」と言いだしました。「えっ、は、はい、そうですけど」と、僕は戸惑いました。田村さんがそこまで調べていたとは、思いもよらなかったのです。そして、僕が一番気になったのは、田村さんがこれから何を言いたいかということです。まさか、あの敏感な話題でも話そうとするのか。僕は一瞬で緊張状態になりました。
「では今週の日曜日にいちご大福を10個注文して、センターに送りますので、中国の皆さんと一緒に食べたらどうでしょうか」。田村さんはニコニコしながら言いました。田村さんはすぐ携帯を取り出して、お菓子屋に注文しました。いちご大福を食べている間、田村さんといろいろな話をしましたが、そこでひとつ衝撃的な事実を知りました。田村さんのお父さんは第二次世界大戦で太平洋のある島で亡くなったそうです。これを聞いて、僕は曽祖父のことを思い出しました。
母から聞いたのですが、僕の曽祖父はゲリラ部隊の隊長だったそうです。残念なことに、日本軍に捕まって亡くなったのです。そのとき、曽祖父はきっと悔しかったことでしょう。日本軍を恨んでいたに違いありません。自分の子孫が日本人と同じテーブルについて、食事をするなんて、曽祖父には思いもかけないことでしょう。それに、相手は日本軍の子孫です。僕は曽祖父と一度も会ったことがありませんが、彼に対して複雑な気持ちを持っています。でも、田村さんと会って、やっと曽祖父にこう言えます。
「あなたがずっと望んでいた平和な日々がやっと訪れました。田村さんのような方がいる限り、あの時の過ちは絶対繰り返しません。安らかに眠ってください。田村さんのいちご大福は、本当においしいです」。そう、あの日のいちご大福は本当においしかったのだ。(編集/北田)
※本文は、第九回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人の心を動かした『日本力』日本人も知らない感動エピソード」(段躍中編、日本僑報社、2013年)より、沈泱さん(中山大学)の作品「田村さんのイチゴ大福」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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