★阿修羅♪ > 中国6 > 739.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
被毒歴史認識の誤り:汪兆銘政権成立は盧溝橋事件から3年後に近い1940年3月
http://www.asyura2.com/15/china6/msg/739.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 8 月 19 日 16:21:54: Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 中国で抗日戦争を戦ったのは国民党軍 共産党は成果を横取り(SAPIO2015年9月号) 投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 19 日 08:05:05)


 歴史的経緯や事実に関する“解釈”の表明は自由だが、最低限歴史的事実はきちんと踏まえなければならないと思う。


【引用】
「そもそも中国共産党が日本に勝利したという話自体が嘘なのだ。」

【コメント】
 これについては、国民党(中華民国)が日本に勝利したという話も嘘と言える。

 日本は大陸中国で泥沼に嵌まり苦戦が続いたが、敗戦間近でも戦闘レベルで負けていたわけではなく、日本が負けた相手は太平洋を主戦場とした米国である。

 合理的でまっとうな考え方だが、中国の政治軍事勢力は、「空間をもって時間となす」考え方で、米英の支援を受けながら耐えたのである。


【引用】
「1937年7月の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争は、中国国内の内戦に日本が干渉する形で始まった。

 当時、中国では、日本が支援していた汪兆銘の南京国民政府と、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党が三つ巴の内戦を繰り広げたが、すでに共産党軍は内戦で疲弊し弱体化していた。」

【コメント】
 西安事件を契機に成立した「国共合作」が崩壊し、国民党政府が共産党勢力を掃討する「国共対立」状態が続いていた中国を再び「国共合作」に転換させたのが、盧溝橋事件というか第二次上海事件以降のシナ事変と呼称される日中戦争である。

 日本の軍事活動拡大が国民党と共産党をもう一度結びつけたわけである。

 それはともかく、「当時、中国では、日本が支援していた汪兆銘の南京国民政府と、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党が三つ巴の内戦」という誤った記述は訂正すべきである。

 日本が後援した汪兆銘首班の南京国民党政府が成立したのは、盧溝橋事件(1937年7月7日)から3年近く経った1940年3月30日である。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. あっしら 2015年8月19日 16:23:54 : Mo7ApAlflbQ6s : raK8N6SB3c
タイトルの表記訂正


(誤)
「被毒歴史認識の誤り:汪兆銘政権成立は盧溝橋事件から3年後に近い1940年3月」

(正)
「ひどい歴史認識の誤り:汪兆銘政権成立は盧溝橋事件から3年後に近い1940年3月」

 お詫びとともに訂正させていただきます。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 中国6掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
中国6掲示板  
次へ