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ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の名言に「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」がある。大連理工大学の任麗潔さんは、日本人の友人の過去への認識と相互理解への姿勢についてつづっている。
「戦争中、もっと日本語を勉強しておけばよかった…」=反日だった祖父の口から出た意外な言葉―中国人学生
http://www.recordchina.co.jp/a113633.html
2015年7月10日(金) 8時49分
ドイツのヴァイツゼッカー元大統領の名言に「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」がある。国同士の付き合いにおいて、過去とどう向き合うか、そして相互理解をどのように深めていくかが重要ではないだろうか。大連理工大学の任麗潔さんは、日本人の友人の過去への認識と相互理解に対する姿勢について次のようにつづっている。
「私には海の向こうにも、孫娘がいるんだよ」と祖父はいつも言っている。祖父は幼いころ、戦争の恐ろしさを経験したため、日本人に対するイメージは決していいものとは言えなかった。祖父はいつも日本語専攻の私に「日本人は怖いよ。気をつけないと」と注意していた。彼女と知り合うまでは…。
彼女は私の大学に留学していた日本人の女子学生・京子だ。1年生の時、日本人の友達が欲しくて、留学生の教室の外でずっと待っていた私に話しかけてくれたのが彼女だった。日本語がまだ下手な私に、いつも熱心に教えてくれ、いつの間にか私たちは何でも話し合える友達になった。
ある日、家で彼女と一緒にテレビを見た時のことだった。経済的な原因で学校に行けない子どもが中国にはたくさんいるのだという話を聞いて、彼女はしばらく沈黙した後、突然「私たちも寄付しよう」と言った。「どうして外国人なのに、中国の子どもに寄付するの?」と聞いたら、彼女は「親戚が広島の原爆で亡くなった。アメリカや戦争が憎くて、たまらなかった。でも、歴史を勉強するにつれて、日本は『加害者』であることが分った。戦争中、中国にもっとひどいことをした。こうして、寄付することで、やっと自分が日本人であることを胸に刻んで、歩けるようになった」と答えた。
京子のことを祖父に教えたら、祖父は「日本人の間に、戦争のことで反省している人がずいぶんいるんだ」と感心して言った。その後、京子はよく家に遊びに来るようになった。祖父は戦争中に教えられた片言の日本語で、楽しく交流していた。中国の伝統的な文化が大好きな京子も、祖父から京劇や囲碁、書道などを熱心に学んだ。また、日本の素晴らしい文化や習慣を教えてくれた。私たちは家族のように楽しく付き合うことができた。
あっという間に、彼女の1年の留学生活が終わった。別れの日、家族みんなで空港に見送りに行った時、いつもにこにこしていた京子は涙を流しながら「私には、中国にも家族がいるから、必ず日中友好のために力を尽くすよ」と言った。祖父も「戦争中、日本語を教えられた時、よく勉強したら、もっと交流できたのに…」と悔しそうに言った。祖父が日本に興味を持ったのを初めて見た。
中国と日本は、昔から深いかかわりを持ってきたが、残念なことに近代になって両国の間に歴史の不幸が起こった。今、大切なのは民間の交流――これこそが、相互理解を深める一番の方法だと思う。私もいつか日本に行って、京子と同じように相互理解を深めるよう、ささやかな力だが貢献していきたいと思っている。(編集/北田)
※本文は、第三回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「国という枠を越えて」(段躍中編、日本僑報社、2007年)より、任麗潔さん(大連理工大学)の作品「民間交流から始まる相互理解」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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