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<独占>天安門事件参加者が歩んだ26年間、揺れ続けた心の記録(2/4)―「参加者の現状?一言では説明しきれない」
http://www.recordchina.co.jp/a109989.html
2015年6月2日(火) 12時48分
取材班「では、26年前の学生運動に参加した人たちの現在の状況を紹介していただけますか?」
5月のある日曜日。北京の街はうだるような暑さに見舞われ、朝から土っぽいもやのため遠くのビルがかすんで見える。週末ということで長安街を走る車両は少ないが、天安門広場を見物するために各地からやって来た観光客を乗せた大型バスが行き交っている。バスは人民大会堂の裏手で観光客を降ろすため、その先は歩いて広場に向かわなければならない。広場に以前ほどの開放感はなく、東西南北に出入り口が設置され、入場するには飛行機に乗るときと変わらないくらいの厳重なチェックが待っている。これほど面倒なことがあっても観光客らは不愉快な表情を見せることなく、広場へと急ぐ。なぜなら、彼らはここが中国の文化と政治の中心であることを知っているからだ。ここはまさに中国を象徴する場所と言える。
Aさん「当時、広場に集まった7000人の大学生の中には海外に行ってしまった人もいる。国内にとどまった人は3つのタイプに分けることができるだろう。まず、以前の気持ちを持ち続け、政府に真っ向から挑もうとするタイプ。彼らがどのような生活をしているのか私にはよく分からない。彼らはほとんどの時間を監獄の中で過ごしているのだから。次に、役人になったタイプ。政府の内部から中国を変えようとしている。3番目が私のように政治から遠く離れ、仕事に没頭する生活を送っている人間。圧倒的に多いのは3番目のタイプだ」
取材班「では、26年前の学生運動をどのように考えていますか?」
Aさん「あれは何かを企んで起こされた運動などではなかった。だから行動するに当たって具体的な核心となる部分が欠けた。大勢が広場に集結して政府への不満を叫び、政府による改革を訴えたのは、どうやって中国を変えればよいか誰も分からなかったためだ」
取材班「1989年の天安門広場での学生運動から長い年月がたちました。中国の現状はどうですか?」
Aさん「これはスケールの大きいテーマだな。博士論文だって書けそうだ。ここは暑すぎる。場所を変えましょう」
Aさんは私を自分のポルシェ・カイエンに乗せ、北京商務中心区(CBD)にある高層オフィスビルに連れて行った。Aさんは外資企業向けのPR会社を経営しており、200人以上の従業員が彼の下で働いている。(記事/レコチャ取材班・編集/野谷)
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