http://www.asyura2.com/15/asia19/msg/535.html
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(宮内庁)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h28e-philippines.html#AIRPORT
平成28年1月26日(火)
フィリピンご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)
<英文>へ
この度,フィリピン国大統領閣下からの御招待により,皇后と共に,同国を訪問いたします。
私どもは,ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として,昭和37年,昭和天皇の名代として,フィリピンを訪問いたしました。それから54年,日・フィリピン国交正常化60周年に当たり,皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく,感慨深く思っております。
フィリピンでは,先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き,この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには,ルソン島東部のカリラヤの地で,フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が,両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め,この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。
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(L'empereur Akihito poursuit sa tournée pacifiste aux Philippines: RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20160126-empereur-akihito-poursuit-tournee-pacifiste-philippines
日本|フィリピン|安倍晋三
明仁天皇はフィリピンで平和行脚を続ける
記者 RFI
発表 2016年1月26日・更新 2016年1月26日14:45
日本の明仁天皇と美智子皇后、フィリピン・マニラの空港にて、2016年1月25日。
REUTERS/Romeo Ranoco
日本の明仁天皇と美智子皇后は、2国間の外交関係回復60周年を祝うために5日間の日程でフィリピンを旅行中だ。明仁天皇はこうして第2次世界大戦の記憶に残る場所の巡礼を続けている。日本軍が米国を初めとする同盟諸国の側に立って地域の安全保障にもっと重要な役割を果たせるよう、日本政府の側は平和憲法の解釈を変更するが、このような時に彼は平和のメッセージを携えて現地に来ている。
報告 RFI東京特約記者、フレデリック・シャルル
世界最古の君主の家系を継承する明仁天皇はフィリピンで、「国籍を問わずその戦争で命を失った全ての人々に敬意を表する」ために第2次世界大戦中に日本帝国軍が行った激戦の地の巡礼を続けている。
明仁天皇は裕仁天皇の息子だ。エンペラー・ヒロヒトの名により日本のアジア侵略戦争が行われた。日本帝国軍の売春宿で売春を強いられたフィリピン人慰安婦には、明仁天皇の来訪を利用して賠償を求めたいと考える人たちがいる。しかし、このテーマについての話はないだろう。また、フィリピン政府も韓国政府と異なり日本政府との交渉に入らなかった。
平和主義者の明仁天皇は安倍晋三首相を否定することを躊躇いなく行う。日本を他国のような国にするために平和憲法を見直したいと考える首相に、日本がずっと平和憲法を保持してきたことを思い出させるためだ。
(この話題に関連する投稿者の過去の投稿)
「日本の天皇がパラオの戦死者を追悼する」(宮内庁・BBC)(2015.4.11)
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(AFPBB News - Youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=qjBq5XbBPQk
天皇皇后両陛下、フィリピンで戦没者を慰霊 Japan's Akihito visits Philippine WWII cemetery
AFPBB News
2016/01/27 に公開
フィリピンを公式訪問中の天皇皇后両陛下は27日、首都マニラ(Manila)にある「英雄墓地(Libingan ng mga Bayani)」を訪れ、第2次世界大戦(World War II)の犠牲者を悼まれた。
両陛下は、日本とフィリピンの国交正常化60周年を祝うほか、第2次世界大戦の戦没者を慰霊するためにフィリピンを訪問されている。
5日間にわたる訪問の公式行事は27日朝、マニラのマラカニアン宮殿(Malacanang Palace、大統領府)での歓迎式典から始まり、主催するベニグノ・アキノ(Benigno Aquino)大統領が両陛下を出迎えた。
午後には、両陛下はマニラにある英雄墓地を訪れて供花し、「無名戦士の墓」の前で深々と拝礼された。この墓地は、第2次世界大戦で犠牲となったフィリピン人兵士を祭るため1947年に建てられた。(c)AFP
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(宮内庁)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h28e-philippines.html#280127
平成28年1月27日(水)
フィリピン大統領閣下主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(大統領府)
<英文>へ
貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり,大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは,皇后と私にとり,深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され,大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき,心より感謝いたします。
私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは,1958年12月,ガルシア大統領御夫妻が国賓として我が国を御訪問になったことに対する,昭和天皇の名代としての答訪であり,今から54年前のことであります。1962年11月,マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち,温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め,多くの貴国民から温かく迎えられたことは,私どもの心に今も深く残っております。この時,カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし,将軍が1898年,フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも,私どもの忘れ得ぬ思い出であります。
貴国と我が国の人々の間には,16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ,マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り,時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し,日本人の外国への渡航と,外国人の日本への入国を禁じたことから,両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは,19世紀半ば,我が国が鎖国政策を改め,諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。
当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが,その支配から脱するため,人々は身にかかる危険をも顧みず,独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり,武力でなく,文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1か月半滞在し,日本への理解を培い,来る将来,両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは,フィリピンの国民的英雄であるとともに, 日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。
昨年私どもは,先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては,貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人が決して忘れてはならないことであり,この度の訪問においても,私どもはこのことを深く心に置き,旅の日々を過ごすつもりでいます。
貴国は今,閣下の英邁な御指導のもと,アジアの重要な核を成す一国として,堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏,閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは,今も皇后と私の,うれしく楽しい思い出になっています。
この度の私どもの訪問が,両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い,ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と,フィリピン国民の幸せを祈り,杯を挙げたいと思います。
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