移民だけが“ヘル朝鮮”の脱出口に見える理由 http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/23142.html 朴露子(パクノジャ)の韓国、内と外 外国へ移住するという若者たちと深層的対話をしてみれば、彼らにとって北欧ないしは欧米地域の相対的高賃金や高福祉が移民欲求をかきたてたとばかりは言えないことが知れる。 彼らの移民志望動機は、第一が民主化の失敗であり、第二は朴槿恵(パククネ)政権の“労働との戦争”だ。 ところが移民しようが資本主義世界の一般的問題である搾取や疎外、差別などを避けられるわけではない。 結局“労働者”としての自覚を持って、国内でも労働者が人間らしく生きられる世の中を作るために共に闘うことこそがより良い方法ではないかと思う。 私は今年でノルウェーに来て16年になる。 その間全く変わらないことが一つある。 この16年間、私には多いときは週に数件ずつ、少ない時でも月に数件は「北欧にどうにかして移民できないだろうか」のような類の問い合わせが韓国から届いている。 移民問題と何の関係もない一介の教員労働者である私にそのような問い合わせが来るのは、それだけ韓国に北欧との接点が少なくて、関連する専門家が少ないためだと思う。 最近になってそのような問い合わせが急速に増えたことも確かだ。 それだけ輸出と不動産市場、マルチ商法に依存する韓国経済が、最近大きな危機を予感して多くの人が“脱南”(?)を考え始めたのではないかと考えられる。 電子メールでの問い合わせだけでなく、韓国の青年、学生たちと対話をするたびにいつもリフレインのように「ヨーロッパのようなところに移民して暮らしたい」という言葉が聞こえてくる。 青年たちのこの“脱南ラッシュ”(?)をどのように理解すべきだろうか? 私は北欧移民とは何の職業的関係もないと言ったが、“移民”問題それ自体は私にとっては“自分の問題”でもある。 私自身が一種の移住移民者だからだ。 初めはソ連の廃虚から韓国に行き、それから韓国のある私立大学で3年間非正規教員として仕事をした後にノルウェーに就職移民に行ったからだ。 私の場合、移民の動機を説明するのは極めて簡単だ。 最初の移民は単純にひもじかったからだった。 1990年代中盤のモスクワでは、特に家賃を払って住宅を借りなければならなかった私のような場合には、一つの大学で契約専任講師として韓国語を教えると同時に、別の三つの大学で時間講師として講義をしても、とうてい飢えを凌ぐことはできなかったために、非正規教員(正確には3年契約の講義専任講師)の賃金で一応生活できたソウルに行ったのだ。 二回目の移民は契約期間が満了したので行ったのだが、その他に自分は基本的に外部者であり韓国学界の構成員にはなれないことを実感したことが大きな動機だった。 同じ“胎生的韓国人”でさえも一部の専攻では特定大学の特定学科を卒業していなければ生涯を“庶子”として生きることを余儀なくされる状況なのに、貧困国出身の外部者に韓国学界への編入が容易なはずがあろうか? ところで、私に向って「どうしても外国へ移住したい」意向を明らかにした韓国の青年の大多数は、ひもじくて言っているわけではなかった。 高卒の青年もいたが、相当数は“名門大”出身であり、少数だが彼らの中にはすでに正社員として就職できた幸運児もいた。 差別にさらされがちなアジア系外部者として、慣れない北欧に行って生涯をそこで社会編入問題と取り組む覚悟をしてまでも、経済大国である大韓民国の若く賢い人材が移民熱を燃やす理由は果たして何なのか? もちろん、一義的には多くの若者が資本主義世界の労働者として当然にも自分たちの労働をより有利な条件で売ろうと思うことから移民を望む。 韓国の保守マスコミは異口同音に「高費用低効率」と恨んでいるが、統計的に見れば韓国は高賃金社会では全くない。 勤労者平均年俸(約3千万ウォン)は日本の約80%、ドイツやフランスの60%、アメリカやカナダの50%に過ぎない。 そのうえ高学歴者の就職競争は一層激しく、労働時間ははるかに長く、労働強度もはるかに高く、老齢年金や無償医療・教育サービスとして提供される社会的賃金も質的にも量的にも北欧のそれとは比較にならない。 簡単に言えば、“社会貴族”と言われるごく少数の職群・職種(“名門大”の専任教授、医師、高級公務員や財閥の役員など)以外の場合には“より良い社会”に行ける労働者であれば韓国で仕事をすることは“損害”と言える。 資本家にはるかに多くの時間とエネルギーを奪われていながら、得られる報酬ははるかに少ないためだ。 “ヘル(地獄)朝鮮”の別名は“企業天国労働地獄”なので、まだ“脱出”可能性が多少なりともある若い労働者、ないしは労働者候補生がそんな地獄を抜け出したいと思うのは当然のことではないだろうか? それでも疑問は残る。 特に住宅の賃貸ないし購入費用と子供の育児費用まで考慮するならば、韓国は多くの韓国人にとって薄給の国であるが、果たして賃金だけで疎外と差別に露出しかねない慣れない地域に行って、残った一生を生きる決心がつくだろうか? 1950〜70年代とは違い韓国の労働者の賃金は飢餓賃金とまでは言えないのに。 しかし、外国に移住したいという若者たちと深層的対話をしてみれば、彼らにとって北欧ないし欧米地域の相対的高賃金や高福祉が移民欲求を呼び起こしたとばかりは言えないことを簡単に知ることが出来る。 彼らが言う移民志望動機は、大きく二つに分けられる。 第一は、“民主化の失敗”と括れる巨大な問題群だ。 もちろん私と話し合った若者たちは、韓国にまだ一部の自由民主主義的制度が残存すること自体を否定はしなかった。 たとえ現在の大統領と執権官僚層が熱心に破壊してはいるものの、まだ制限的ではあっても反対の声を上げて政治・市民団体が現執権者らと合法的闘争を行うことができる。 ところがこのような可能性もますます少なくなっている上に、政治ではなく社会が全く民主化されなくて、むしろ最近では一層再び権威主義化しているということが若者たちを最も苦しめている。 一昨年、“ナッツリターン”事件が話題になったが、事実その事件が外国の空港で、複数の目撃者の前で起きたのでそれなりに知らされて司法処理につながったのだろう、このような“企業における強者の横暴”は韓国企業では常習的であり、減るどころかかえって増えている印象を与える。 会社の中での上司と部下の関係や、大型マートなどサービス業種での顧客と感情労働者間の関係は、民主化・平等化されるどころか一層序列化・暴力化されている。 公開的に維新時期を懐かしむ朴槿恵勢力による国政掌握が韓国政治の後退・再権威主義化の象徴になったが、同じような後退は社会の随所で進行している。 韓国で生きることを“運命”として受け入れた過去の世代の場合には、権威主義的社会関係の強者・上司の暴言や暴力を“妻子のため”になんとか堪えもした。 ところが海外研修が普遍化して、一時は少数の専有物だった外国語駆使力も一般化されたおかげで、若い世代は民主・平等とは逆行している韓国の“ヘル”での人生をもはや宿命として受け入れようとはしない。 かつて多くの女性が無条件に「我慢が肝心」と自らに言い聞かせた家庭内暴力が、この頃では離婚請求理由になり離婚率急増の理由になるのと一脈通じる論理なのに、個人の尊厳と精神の健康を守るために外国に視線を転じる青年たちに果たして石を投げることができようか? 第二は、朴槿恵政権が行っている“労働との戦争”を、若い労働者や将来労働者になる青年たちが韓国を脱出してでも避けようとしているということだ。 新自由主義は世界のどこでも労働者に残酷だが、朴槿恵時代の韓国ほどに労働者を構造的に絞り取り組織的に無力化させる社会は世界のどこにも見られないほどだ。 例えば、使用者が職場内の恐怖支配に利用することが明らかな韓国雇用労働部の最近出した「低成果者解雇指針」のような文書をノルウェーの労働者が読むならば、19世紀末の搾取工場の話と誤認することが明らかだ。 全国単位の労働者組織の代表を数千名の警察官を動員し逮捕する国家を、果たして韓国以外に挙げられるだろうか? こんなところで労働者として生きることを、運命として受け入れろと言うほうが無理だろう。 “ヘル朝鮮”から出て行きたい気持ちはよく分かる。 しかし、皆が皆できるわけでもなく、出たとしても程度の差こそあれ資本主義世界の一般的問題である搾取や疎外、差別などは避けられないだろう。 結局“労働者”としての自覚を持って、韓国でも労働者が人間らしく生きられる世の中を作るため共に闘争することこそがより良い方法ではないかと思う。 朴露子(パクノジャ)ノルウェーオスロ大教授・韓国学
|