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この時代を生きている人間を、愛情を持って描きたい(※イメージ)
韓国で悪評続出? 映画「殺されたミンジュ」監督が語る“民主主義”〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160112-00000000-sasahi-kr
週刊朝日 2016年1月15日号
この時代を生きている人間を、愛情を持って描きたい。映画監督キム・ギドクの創作の根底には、常にそんな思いがある。女子高生オ・ミンジュの死を巡る容疑者と謎の集団との攻防を描いた「殺されたミンジュ」は、監督曰く「韓国では、数多くの悪評に悩まされた(苦笑)」映画だそうだが、目を覆いたくなるような暴力シーンしかり、容疑者と被害者が入れ替わる展開しかり、映像としての鮮烈さは、たとえ100年後の人間が観たとしても戦慄するに違いない。
「“ミンジュ”とは、人の名前だけでなく、“民主主義”という意味もあります。韓国社会で民主主義が成し遂げられた過程で、私は、韓国は大きな犠牲を払ったと考えています。困難を経て、勝ち得ることのできた民主主義の光、それが見えたような気がしたのも束の間、ここ数年はその民主主義が後退しているような危機感を覚えるのです。映画を通じて、この状況を検証したかった。それが映画を撮るきっかけになりました」
とはいえ、描かれているのは、韓国社会に対する問題提起だけではない。社会の不正や腐敗のほかにも、国家と個人の関係や、信念とは何か、人間とは何かということまで、想いを馳せざるを得なくなる。
「でも私は、たとえ自分の中にはっきりとした答えがある場合でも、主張しないようにしているほうなんです(笑)。芸術家は、人から熱烈に応援されると、自分が権力者であるような錯覚に陥りやすい。そうなってはいけないと思うので、自己検証は怠らないようにしています」
映画を撮るようになる前は、パリでアートの勉強をしながら、自ら絵を描き、同時にストーリーを想像する生活を送っていたという。
「映画を作るときは、いつも最初にイメージがあるんです。今回の映画では、釘の刺さったこん棒のシルエットが、頭の中にまず浮かびました。韓国でも拷問をするとき昔から使われてきたもので、見るだけで痛くなるでしょう?(苦笑) 映画作りは視覚的なイメージから、極大化した感情を伝えていく作業でもあります。私は、人間たちの哀しみや痛み、どこから来るのかわからない理由のない苦痛を癒やすものが映画ではないかと思っていて、今回はこのこん棒がその“苦しみ”や“痛み”を象徴するビジュアルになりました」
韓国の映画監督の中では、世界的にもっとも名前の知られているキム監督だが、
「韓国では興行的に成功したこともないし、大きな予算の映画を作ったこともない。韓国社会で、私はとても孤独です」と苦笑いする。「大きな制作費で監督を依頼されたこともあります。でも、私の映画には大金の必要も、有名俳優をキャスティングする必然性もなかった。なぜなら、私の映画は貧しい人たちを慰め、権力者たちに警鐘を鳴らし、痛みを感じる人たちに勇気を与えるものであればいいと思うからです」
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