http://www.asyura2.com/15/asia18/msg/767.html
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カンボジアは非常に親日的な国であり、皇太子が親善訪問しているだけでなく、日本の企業や商店などの進出がここにきて目立っているし、観光客の数も世界遺産のアンコールワットがあるお蔭で激増している。そのせいもあってアンコールワットに関しては、数多くの案内書や情報が手に入るし、プノンペンには日本語の無料雑誌が四つもあり、日本語の看板を出す日本レストランもたくさんある。
http://www.nara.accu.or.jp/newsletter/sekaibunkanews6/cambodia.html
だが、カンボジアの政治や経済の実情を得るための価値ある情報は乏しく、ジェトロやジャイカなどの半政府機関が出している情報案内は、お役所仕事を反映してほとんど役に立たない。まして、日本大使館や経済研究所などの出す情報はお粗末の極みで、大企業向けに作られているので役に立たない作文だし、現地に密着して取材する熱意のないおざなりなものばかりである。そうした情報の貧困状態の中で、現地で長年トップ記者をしていたアメリカ人と、アメリカから世界を舞台にして仕事をしている日本人の国際記者が、カンボジア情勢を掘り下げた対談を日本の雑誌に発表していた。それによるとカンボジアへの経済進出で投資規模を比較すると、日本に比べると韓国は八倍で中国は十五倍だという。しかも、首都のプノンペンに駐在している日本の新聞記者はゼロであり、日本の首相のが安倍の訪問は半日足らずのお粗末さで、援助のカネだけはばら撒いて人気稼ぎをしているが、出たとこ勝負のお粗末さは世界の物笑いになっていることが良く分かるのである。
<貼り付け>
『ニューリーダー』 2014年9月号
特別対談
太平洋とインド洋を結ぶ国際政治と経済戦略(下)
二一世紀冒頭のカンボジアを巡る地政学
スチュアート・アラン・べッカー ミャンマー・タイムス 営業局長
藤原 肇 フリーランス・ジャーナリスト、慧智研究センター所長
カンボジア内戦の悲劇と虐殺の歴史の真実
藤原 これまでの対談で、太平洋からインド洋にかけての地域と、ユーラシアとアフリカの両大陸の周辺地域における地政学的な分析と展望を行い、大枠としての位置づけがー段落しました。そこで各論に相当する話題として、べーカーさんが誇る現地事情を軸に、あまり知られていないカンボジアの内幕を披瀝して頂きたい。カンボ ジアといえば内戦や、クメールルージュによる虐殺のイメージが世界に強く受け止められています。
ベッカー 悲惨な内戦や収容所での大量虐殺については数多く報道されてきましたが、カンボジアの悲劇は冷戦との関係もあり非常に分り難く、私も理解するのにとても苦労しました。ただ、現在のカンボジアは新しい方向に歩みだし、貧困からの脱却を目指して国づくりを試み着実に前進している。
藤原 シアヌーク国王が北京で亡くなり、彼の王国がクーデターで潰され、内戦やクメールルージュの虐殺とか、米国の空爆による大量殺戮があった。冷戦構造に加え中ソ対立の中で米ソ中の三国とカンボジアの関係が腸捻転のように捻れていたこともあり、すっきりした形で理解できずに、断片的な出来事の堆積になっている。 あなたのカンボジア体験に基づいて、主要事件を時系列で並べて整理し、情勢推移を説明してほしい。
ベッカー 一九六〇年代はシアヌークが王国を支配し、社会主義路線を実行していたが、国防相のロン・ノル将軍のクーデタで軍事政権のクメール共和国が生まれた。そこで国王は共産ゲリラと連携し、軍事政権に対して抵抗を開始した。 当時は米ソ冷戦が絶頂期で、ロン・ノル将軍を支援した米国は、共産主義者とべトコンを掃討するため、カンボジア空爆を開始した。
藤原 べトコン掃討を口実にした米軍は、太平洋戦争で日本に投下した三倍以上の爆弾で農村を焼き尽くし、一〇〇万人近い農民を殺戮している。国王の社会主義路線に反発したCIAが、謀略工作で軍事政権を支援して、カンボジア内戦が始まったのです。
ベッカー 何百万もの難民が都市部に逃げ込み、プノンペンにも二〇〇万人以上が集まり、クメールルージュの支配が始まって、口ン・ノル将軍は亡命してしまった。 こうして、カンボジアに原始共産主義が出現し、腕時計やメガネをつけた者は知識人として、収容所に送られ処刑されたのです。
藤原 クメールルージュの虐殺の源流は、毛沢東の文化大革命が手本であり、紅衛兵のカンボジア版の少年兵が、知識人たちを皆殺しにした。クメールルージュの頭目のポル ・ ポトは、中国に行って文化大革命を観察して、それをカンボジアに移植したという。また、通貨を始め学校や病院も不要だとして、社会システムを徹底的に破壊した。クメールルージュが天下を取ったのは、確かー九七〇年代の半ばの頃でしたね。
ベッカー 一九七五年頃で、わずか三年の間に三〇〇万人を虐殺した。国民の三分のーが殺されているが、一面に白骨が散乱した地獄図は、映画の『キリング・フィールド』が描いている。犯罪の告発は末だに続いているが、実行犯が裁かれているだけです。
国際政治が使う正義とフンセンが演じた内戦終了劇
藤原 毛沢東の文化大革命によって、五〇〇〇万人のシナ人が殺されたが、まさにそのカンボジア版だ。 しかも、毛沢東は未だに人民元の顔であり、誰も告発しようとしないが、シナ人の歴史感覚も狂っている。これが正義の正体ということだから、美辞麗句には用心する必要がある。
ベッカー 昔から「良い戦争や悪い平和などは、かつてあったためしはない」という通りで、権力者がやることは常に疑うべきです。
藤原 中国は武器弾薬を供給しており、米英はタイと一緒にポル・ポトを支援し、ケ小平、レーガン、サッチャーの三巨頭が、世紀の殺人集団のパトロンだった。 それは反べトナムと反ソが理由で、冷戦構造が支配したせいだが、北京とワシントンが手を結んで、力ンボジアを虐めた手口は卑劣です。
ベッカー べ卜ナム戦争で惨敗した米国は、ソ連に対し強い怒りを抱き、反べトナムのクメールルージュとポル・ポトを軍事的に支援した。また一〇個師団を動員したべトナムは、一五万人の戦闘部隊で攻め入り、ー九七九年にわずか六ヶ月でプノンぺンを占領した。ポル・ポトはタイ国境に逃げ込み、パイリンを拠点にゲリラ活動に移った。これは興味深い連鎖反応を生み、ケ小平は懲罰行動を口実に、五〇万人以上もの人民軍を動員し、中越戦争に路み切ったが惨敗している。しかも、米軍から鹵獲した兵器を持ち、実戦経験を持つべトナム軍は、人民軍を徹底的に粉砕したので、北京政府のメンツは丸潰れとなった。
藤原 フランスを始め米国やシナを相手に、侵略者を打ち破ったベトナムの歴史はアフガン人と同じで意気軒昂で、張子の虎の人民軍もカタなしだった。これで力ンボジアの内戦が終わり、ようやく平和が訪れたのだが、どんな形でフンセンが登場したのか。フンセン首相はウィキペディアによると祖先が海南島出身で、シナ系のカンボジアの軍人として、クメールルージュ軍の指揮官でした。 彼はボル・ボト車の指揮官とLて活躍したが、反旗を翻してべトナム政府と連帯し、ポル・ポト政権を打倒しています。狡猾さで彼はずば抜けた能力の持ち主です。
ベッカー フンセン夫人はベトナム系の華僑です。一九七九年にポル・ポトの共産政権が瓦解した後に、フンセンは政治家としてのキャリアを歩み出し、副首相と外相を兼任して、一九八一年のパリ平和会議で手腕を発揮した。彼は複雑な利害対立を掻き分け、自らの狡猾さを活用して生き残り、一九八五年には首相として権力を掌握し、現在の独裁体制を築き上げた策士です。
現に、三〇年近くの長期独裁政権を続け、おそらく戦後のアジア諸国においては、独裁政治家の筆頭に属している。毛沢東が独裁権力を維持したのは、わずか十数年にしか過ぎなかったから、フンセンの権力支配は絶大ですよ。
フンセン首相の権力支配とネルギー戦略の活用
藤原 彼が長期にわたって権力を支配し、民衆の支持を集め続けた背景には、一体どんな秘策があったのだろうか。
ベッカー カンボジア人にとって最大の出来事は、暴虐を極めた粛清政治であり、知識階級が絶滅した惨事です。それだけにポル・ポトの暴政を崩壤させたフセインの手柄は絶大です。同時に大衆を喜ばすために、農民に対しバラ撒き政治を行い、懐柔政策で支持勢力を築いた。特にカンボジア語の新聞のほぼ全社を支配し、洗脳工作をしていることは有名で、愚民政策をフルに活用している。さらに民族主義の感情を巧妙に利用し、反タイの国民感情を煽る。軽率な欧米文化がタイ経由で流入すると、反タイ・キャンぺーンを展開し、国民の敵愾心を煽り、彼が支配するメディアがそれに協力する。
藤原 歴史が教える教訓によれば、隣国は近いがゆえに仲が悪いし、「遠交近攻」が外交のー般法則だから、タイを敵視する手口は有効です。だが、ベトナムは軍事的にカンボジアを侵して、米軍と一緒に国民を殺戮したのに、タイほどは嫌われていませんね。フンセンが指揮官の立場で、ベトナム軍と協力してポル・ポト政権を倒し、カンポジアを地獄から解放したが、フン・センは元クメールルージュの将軍だった。 だから、いくらフンセン夫人がべトナム系でも、べトナムは侵略した敵国であるし、復雑で微妙な民族心理もあるでしょう。
ベッカー もっと現実的な利害関係がある。フンセンに政治資金を提供し、カンボジアの政治を制しているのが、ベトナム政府だと考える人も多い。カンボジアでは電力の絶対量が不足し、電気代が猛烈に高いだけでなく、プノンペンでも供給不足で頻繁に停電する。 しかも、フセイン政権が三〇年近く続くが、発電所を作る努力をしておらず、電力のほとんどはべ卜ナムから買い、そこに大きな利権が見え隠れしている。フンセン首相の背後にいるのは、電力を供給するべトナム政府であり、カンボジアの生命線を支配しています。
藤原 巧妙な間接支配のやり方です。土地とエネルギーを抑えることで、権力がそれを支配する巧妙な手口は、中国やソ連の共産体制では当然だが、日本や台湾の政府を始めとして、欧米でも帝国主義支配のイロハです。電力はインフラ構造の土台だから、フンセンがその手を使うのは当然だし、べトナム政府がフンセンを支えるために、電気を供給するのは理に叶っている。カンボジアが自立するための課題の筆頭は、エネルギー問題の解決だし、それは全世界の国に共通のテーマでもある。だから、中国政府はすべてに優先させて、ミャンマー経由のパイプラインを建設し、国家の安全保障の確保をしたが、そういう地政学の根幹の問題について、今の政治家はなおざりにしている。そして、マネーゲームや軍拡に熱中しており、GNPや外貨準備高に注目するが、安全や豊かな国民生活は軽視して、利権あさりに終始しています。
フンセン率いるカンボジアと支配者たちのチキン・ゲーム
ベッカー べトナムが持つ力をフルに活かし、エネルギー利権を支配するところに、フンセンの狡猾な政治力があり、大国を操る上での秘密があります。東南アジアでは中国は毛嫌いされ、敵対を表明していない唯ーの国がフンセン支配のカンボジアです。だから、中国はカンボジアを絶好の足がかりとして使いたい。フンセンの電力購入の政策は、ベトナムによる支配の継続ですが、北京にとってベトナムは宿敵です。カンボジアとべトナム分断が中国の優先政策になる。貧Lいカンボジアは経済建設ができないが、中国にはバラ撤けるカネがあり、経済援助を口実に工作ができる。フンセンが欲しいのはカネです。経済援助を引き出すカウンターバランスにべ卜ナムの存在を活用する。策士の彼がそれを利用しない手はない。
藤原 ウィーン会議の時代に比較して、最近の政治家は質の低下が酷いし、小粒のダンゴばかり目立つが、国際政治の策略は当然です。また、ベトナムは米国との戦争を勝ち抜き、ドサクサ紛れの泥棒行為を排除して、人民軍の侵略作戦を撃破している。北京にとってべトナムの存在は、脇腹に突き刺さった短刀です。だから、力ンボジアに札束をちらつかせベトナムとの仲に楔を打ち込み、北京が経済援助を持ちかけて懐柔を試みるのは至って当然だし、アフリカでそれが大成功しています。
ベッカー それに関して面白い話がある。タイ国境のユネスコの世界遺産であるブレアビヒア寺院にタイ陸軍が侵入して戦いになった時の話です。カンボジア兵の制服を着た兵士にベトナム兵が混じっていたという。それ以降はタイ軍は用心して、攻撃しなくなったそうだが、ベトナムの存在を利用した奇手です。しかも、誰の発案かはわからないが、タイとの国境紛争の際には、軍令を担当するタイ陸軍に狙いを定め、タイ国王が持つ統帥権を使うことで、タイの首相を退任に迫い込んでいる。 フンセンの三男フン・マネも軍人の訓練を受け、米国の陸軍士官学校を卒業している。謀略への対応は軍人としての素養だし、フンセン一家の運命に関わる。実はフンセンの豪邸は北鮮大使館の隣で、地下道で大使館に繋っており、息子のマネ率いる親衛隊にも、この地下道は直結している。
こんな狡猾なフンセンを利用するため、中国は宿敵べトナムに対して、カンボジアとの仲を裂く狙いで、ラオスに積極的な投資を始めた。まず道路とダムを作ることで、ラオスの電力をカンボジアに供給し、べトナムの影響力を低下させて、抱き込みを図っている。
藤原 資本の人質は前回、韓国や台湾を相手にしたシナ人の拐帯作戦で論じた。しかも、逃げを狙う台湾や韓国の行く先は、労賃が安いベトナムやカンボジアだが、中国はそこでの賃上げを進め、逃げ出す理由を封じようとしている。
ベッカー これまでカンボジアの単純労働者は平均質金が月八〇ドルだったが、突然一六〇ドルという倍の要求が出た。結局は月一〇〇ドルで妥協したが、つぎに一二〇ドルになれば五割の賃上げとなり、台湾や韓国は中国から出にくくなる。
フンセン首相の運命と立ち遅れた日本の外交と情報力
藤原 中国の日本の企業も同じ罠に落ち、逃げ出すのに悪戦苦闘しており、脱出先の国で賃上げが進めば、移転への意欲が減退するだろう。しかし、それ以上に威力を持つ拐?戦法は、タイの政情を混乱させて不安定にし、中国国内とタイへの日本の投資が、人質になるシナリオの持つ効力です。これが発動される事態になれば、安倍が考える幼稚な軍事強化などは、全く愚かな自滅行為になります。
フンセンの狡猾さを知らないで、経済援助を口実に札東を積み上げ、カンポジアを軽く見る外交は、禄な結果にならないというのに、日本政府は、フンセンを軽視して来た。
昨年一一月のカンボジア訪問で、昼過ぎに空港に到着した安倍首相は、日本人の慰霊塔に献花してから、フンセン首相や国王と会った。だが翌朝早くラオスに向かい旅立ち、まるでツムジ風みたいだった。現地の記者の立場で観察したあなたは、あの時どんな印象を持ちましたか。
ベッカー 日本人は至ってお人好しだがら、フンセン首相が何を狙って歓迎し、心の中で何を考えていたかは、分からなかったに相違ない。片手間が見え見えのスケジュールは、礼儀知らずのー方的な訪問だったが、援助の点では「ネギを背負った鴨」だった。フンセンは笑顔で相手をしていても眼光は鋭く光っており、安倍首相レべルなら扱い慣れ、料理しやすいと読んだはずだ。何しろ、半年前にフンセンが北京を訪問した時に、二十億ドルの援助と投資を引き出し、次は日本からどんな提案があるかと、待ち構えていたに決まっている。そんなところにバタバ夕と訪れて、友好や援助の美辞麗句を並べても、そんな相手は幾らも扱い慣れている。日本側の情報力の無さについても十分に知り尽くしていたはずです。
藤原 それ確かでしょう。大使館やジェトロはあっても、プノペンに日本の新聞の特派員は皆無で、共同通信のプノンべン支局には三人のカンボジア人がいるが、日本人は駐在していません。商社の支店や日本の企業などが、ビジネスとして進出していても、情報力では全くお粗末です。これだけ対日感情が素晴らしく、カンボジア人が日本を敬愛し、日本レストランも沢山あるのに、大半の経営者は華僑か韓国系です。しかも、中国や韓国から日に二便あるのに、日本からの直行便はない。
ベッカー でも、日本人は地味な仕事を誠実に行い、水道などのインフラつくりを担当して、現地ではそれが評価されており、ボランタリー活動も熱心です。こういう民間レベルの協力が、今後どんどん増えることにより、両国の関係が良くなればいいと思う。そうすれば真の友好と親善が育って、中国包囲網の強化などという、低級なレべルの発想から抜け出し、日本人の持ち味が活かせます。
ただ、かつては立派で誠実な日本人がいたが、最近は金儲けの投資や進出が日立つので、日本生まれの私は歯痒いです。また、自信がないのに虚勢を張って視点が見定まらない首相よりも、皇室外交の方が遥かに優れ、それをやらない限り活路はない。カンボジアヘの日本の投資に較べ、中国は十五倍で韓国でも八倍です。獰猛なシナ人や韓国人には勝てないし、狡猾な欧米にも出し抜かれてしまう。
汚職が蔓延するカンボジア 国造りの将来は......
藤原 短絡的な金儲け主義から脱却し、良質の日本人がカンボジア人に協力することです。昔の日本人はカネを出す代わりに知恵を出して尊敬されたのに、今では力ネを出せば良いと考えて、それが外交にまで反映している。華僑は商売上手で金力を活用して、それで利権のネットワークを築くが、この手法は日本人に似合いません。
ベッカー 私が日本生まれを誇りに思うのは、日本人が大切にしてきた誠実さであり、それがとても大切な精神として、カンボジア人に感銘を与えるし、最大の贈り物になると確信します。長く続いたフンセンの独裁支配で、権力者による汚職が蔓延して、賄路天国になっているカンボジアだからこそ、誠実で正直者の日本人の存在が、極めて重要だと思うのです。
藤原 この国の賄賂はそんなに酷いのですか。
ベッカー 酷いものです。東南アジア諸国の権力者が最も使いやすいのが取引上の利権で、不動産や認可にまつわるものが、不正蓄財の宝庫になっています。中国や日本が絡む建設事業は、利権として甘い汁の源泉です。役人の多くは袖の下を稼ぐし、フンセン君臨もその上に成り立っている。
去年夏の選挙は不正選挙が取り沙汰されたが、投票日にフンセンは姿を消し、プノンペンに非常線が張られた。彼の自宅の周辺は警戒網ができたし、警備陣の中にベトナム兵が混じり、警成網が囮だという噂までが流れて、国中が大騒ぎになりました。三日後にフンセンが姿を現して、ベトナムにいたことがわかったが、不正蓄財を持つシナの高官と同じで、選挙で敗北したら、フンセンは亡命を考えていたという噂もある。
藤原 権力の座を確保して君臨しているが、政府の正統性は疑問符つきですね。
ベッカー フンセンの人民党(CPP)は勝利宣言をしたが、プノンペンなど都市部では惨敗で、本当に勝ったのかどうかはわからない。野党側は勝利宣言をした上に、不正選挙だったと主張した。だが、野党のサム ・ レシン党首が選挙直後に渡米すると、そこをフンセンに狙われて、米国に逃亡したと逆宣伝されてしまった。
こうした状況を観察する限り、フンセンを相手に立ち回るのは、日本の情報力では頼りない。でも、日本人の誠実さは貴重だと思うので、頑張ってほしいと期待しています。
藤原肇 (ふじわらはじめ) 1938年、東京生まれ。仏グルノーブル大学理学部にて博士課程修了。専攻は構造地質学、理学博士。 多国籍石油企業の開発を担当する石油ジオロジストを経て、米国カンサス州やテキサス州で石油開発会社を経営。コンサルタント、フリーランス・ジャーナリストとしても活躍。『夜明け前の朝日』(鹿砦社)、『賢く生きる』『さらば暴政』(清流出版社)、『生命知の殿堂』(ヒカルランド)、『Japan's Zombie Politics』『Mountains of Dreams』(Creation Culture)など著書多数。
Stuart Alan Becker (スチュアート・アラン・ベッカー) 1961年、神奈川県座間市生まれ。 アラスカで育ちワイオミング大学で英語学、ハワイ大学でジャーナリズムを学ぶ。アリゾナの「イースト・アリゾナ・クーリエ」誌、香港の「サウス・チャイナ・ポスト」紙で活躍。ノーム・チョムスキー、ビル・ゲイツ、キャスパー・ワインバーガー、ジェラルド・フォードなどへのインタビュー記事でも知られる。カンボジアの「プノンペン・ポスト」特報記者を経て、現在「ミャンマー・タイムス」 営業局長。主な著書に「China Power Project Directory」がある。
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