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[世界の鼓動]帰還迷う在タイ難民
ミャンマー政府と交渉進むが… 故郷のつらい記憶、色濃く
ミャンマーとの国境に沿って点在するタイの難民キャンプ。ここで暮らす11万人もの人々が岐路に立たされている。ミャンマー政府と少数民族の和平交渉が進み、帰還に向けた環境は整いつつある。ただかつてのつらい経験や子供の教育を思い、戻りたいと考える人はわずかだ。今後の生活をどう描くか。キャンプ設立から30年を経て、難民の気持ちは揺れている。
タイ北部の中心都市、チェンマイから南西へ四輪駆動車で揺られること6時間。でこぼこの山道の先、迷彩服を着た内務省管理官が監視するゲートをくぐった。「メラマルアンキャンプ」だ。
川沿いのわずかな平地や斜面に竹や木の葉で造られた高床式の家屋が所狭しと並ぶ。カレン族を中心に約2300世帯、約1万3000人がタイ政府や非政府組織(NGO)の支援で暮らす。
カレン族のノーソーさん(47)が逃れてきたのは20年前。夫のコーセーさん(59)と稲作で暮らす中、ミャンマー軍に襲撃された。両親やきょうだい6人で生き残ったのは彼女だけ。頭部を銃撃され2週間意識不明だった夫を支え、山中を2日間歩き通しで国境を越えた。
夫は後遺症で耳がほとんど聞こえない。ノーソーさんも心の傷のため、意識を失う日がある。キャンプで生まれた息子と娘は17歳と15歳になった。「ミャンマーには帰りたくない。米国に行き、子供は医者や看護師になってほしい」と訴える。
「戻りたい」3%
タイでミャンマー難民のためキャンプが設立されたのは1984年。カレン族など少数民族が内戦を避け入国してきた。2005年から第三国定住制度を通じ、約9万人が米国やオーストラリアなどに移住。ただ流入は続き、今も9カ所のキャンプに11万人が暮らす。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がメラマルアンキャンプで13〜14年に実施した調査では、住民の48%が第三国定住を望み、タイでの定住希望が40%で続いた。「ミャンマーに帰りたい」はわずか3%だ。
ミャンマー政府と主な少数民族の組織は今年3月、停戦協定の草案について合意。一定の自治権獲得に向け一歩前進するなど和平交渉は進む。
ただ同キャンプの男性リーダー、ボーポーさん(60)は「戻ってどう生活していくかの問題は残る。家族内でも親や子供によって希望は多様化している」と話す。故郷を離れるまでのつらい記憶は色濃く、戻っても家族や友人はなく、住居や仕事のあてもない。
将来への不安大
キャンプ生まれの子供にとっては見知らぬ土地。UNHCRメーサリアン事務所のジェーン・ウィリアムソン保護官は「特に若者の将来への不安は大きい。5年でも10年でも、時間をかけて決めるべきだ」と指摘する。
ミャンマーで差別に苦しむイスラム教徒「ロヒンギャ族」の難民船漂着が周辺国で相次ぎ、難民問題への注目は高まった。一方で財政難などでキャンプへの支援は減り、米国が集団定住の募集を終えるなど第三国への道も細りつつある。人々の夢や目標がかなう日は来るだろうか。
(バンコク=清水泰雅)
[日経新聞6月28日朝刊P.38]
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