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本誌既報通り やっぱり、この男はイカれている 金正恩側近大臣を公開「丸焼き」処刑の衝撃
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43425
2015年05月28日(木) 週刊現代 :現代ビジネス
本誌編集次長 近藤大介
先週号で報じたように、北朝鮮がとんでもないことになってきた。32歳の世界最年少の国家指導者は、世界最悪の暴君と化した。日本も対岸の火事では済まない北朝鮮有事の「Xデー」が迫っている。
■温厚で剛毅な軍人だった
「玄永哲人民武力部長(国防大臣)とは、一緒に酒を酌み交わしたりしただけに、処刑されたと聞いて強い衝撃を受けました。やはりよく面倒を見てもらった張成沢党行政部長が、1年半ほど前に処刑された時に続くショックでした。
玄永哲は、北朝鮮の軍人には珍しく、オレがオレがというところがない温厚な性格の男です。部下にも慕われ、酒の強い剛毅な軍人でした」
こう述懐するのは、金正日ファミリーのもとで13年間を過ごした「金正日の料理人」藤本健二氏である。
5月13日、韓国政府の情報機関である国家情報院が、韓国国会の情報委員会に衝撃的な報告をした。
「北韓(北朝鮮)の玄永哲人民武力部長が4月30日頃、反逆罪の汚名を着せられて銃殺された。金正恩第一書記は、周囲の幹部たちに対する不信感を強め、次々に粛清するという恐怖政治に邁進している……」
本誌は先週号で、金正恩第一書記の「鶴の一声」で、このところ幹部たちが立て続けに処刑されており、金正恩政権が大きく動揺していることを報じた。そんな中で、北朝鮮最高幹部の一人である玄永哲人民武力部長が犠牲になった可能性が出てきた。
国家情報院関係者が語る。
「金正恩は第一書記に就いた'12年以降、これまで84人もの幹部を粛清してきました。だが最高幹部となると、'12年7月の李英浩軍総参謀長、'13年12月の張成沢党行政部長に続いて、今回の玄永哲人民武力部長が3人目です」
1949年生まれの玄永哲人民武力部長は、17歳で入隊し、「金正恩と一心同体」だった朝鮮人民軍のナンバー2である。'10年9月に、金正恩が「金正日総書記の後継者」として公式デビューした際、金正恩とともに朝鮮労働党の中央委員となり、朝鮮人民軍の大将となった。
'12年7月に金正恩が、軍の実質上のトップだった李英浩総参謀長を電撃的に粛清した際には、玄永哲は「最も信頼される男」として、後継の総参謀長に就任した。そればかりか、同時に軍の最高意思決定機関である党中央軍事委員会の副委員長、及び大将から次帥に昇進を果たしたのだった。
ところが同年秋には、玄永哲は次帥から大将に降格。翌'13年5月には、総参謀長を解任されてしまった。軍人の亡命者が続出した責任を取らされたなど諸説あるが、降格された真相は定かでない。
だが昨年6月には、再び人民武力部長に就任していたことが判明。同年9月には、国権の最高機関である国防委員会の委員にも任命された。
どの幹部も同様だが、まさに金正恩第一書記の気分次第で、上がったり下がったりである。そして国家情報院の発表が事実とすれば、その末に粛清されてしまったというわけだ。
■対航空機用の兵器で処刑
玄永哲人民武力部長の処刑方法について、韓国3大紙の一角『朝鮮日報』は、次のような残忍な方法を報じた。
〈姜健総合軍官学校で軍幹部や家族たちを動員し、彼らの眼前で銃身が4本ある14・5mm高射砲を使って銃殺。「反逆者は埋める場所もない」として、処刑後に火炎放射器で遺体を焼き尽くし、跡形もなくなるようにした。
処刑現場に動員した人々には、「頭を下げたり涙を見せてはいけない」と命じた。そして処刑執行後には、処刑対象者を非難する感想文を書かせた〉
高射砲はそもそも、殺人用ではなく敵の航空機を撃ち落とすための兵器である。また遺体を焼き尽くすのは、「血脈を絶つ」という朝鮮民族最大の屈辱を与えるためだ。
姜健総合軍官学校は、平壌郊外にある朝鮮人民軍の陸軍士官学校である。最近ではこの学校の練兵場が頻繁に、幹部たちの公開処刑の場所として使われている。
金正恩が初めてこの場所で公開処刑を命じたと見られるのは、いまから5年前の'10年3月である。当時の金正恩は、父親の「後継者見習い」として、主に経済分野を「指導」していた。
金正恩はその前年の12月に、自らの経済実績にしようと、自国通貨の朝鮮ウォンを突然、100分の1に切り下げる「通貨改革」(デノミネーション)を断行した。だがこれによって一般国民はおろか、120万朝鮮人民軍の生活も危うくなり、軍人の暴動が全国各地で相次いだ。
この時の模様を、後に北京で朝鮮労働党関係者から聞いた。
「あの時はわが国が、21世紀に入って最大の危機に陥った。後継者としての面目を丸潰しにされたと怒り心頭だった金正恩は、父親の金正日総書記の前で、張成沢党行政部長、金英逸首相、文日鋒財政大臣、朴南基党財政計画部長、李泰日党組織指導部副部長ら経済分野の幹部たちの名前を列挙して非難した。そして、『張成沢叔父以外の全員を引っ張り出し、公開処刑にしてやります』と息巻いたのだ。
ところが金正日総書記は、『大規模な粛清をすれば必ず反動が起きるから、(公開処刑は)一人か二人にしておけ』と宥めた。そこで金正恩は、朴南基と李泰日だけを公開処刑にした。だが腹の虫が治まらなかったため、しばらくして文日鋒も処刑した」
■側近は誰もが不幸になる
'11年12月に金正日総書記が突然、死去すると、金正恩の「暴走」を止める者はいなくなった。
いや正確には、その時点では3人いた。
一人目は、軍事分野での「帝王学」を金正恩に授けた李英浩総参謀長だ。だが前述のように、金正恩は第一書記に就任してわずか3ヵ月後に、「恩師」の李英浩を粛清してしまった。
二人目は、金正日総書記の妹婿の張成沢党行政部長だった。だがこの「不動のナンバー2」と言われた権力者も、'13年12月に処刑してしまった。
この時は、飢えたシェパード犬を放って肉体を喰わせる拷問を加えた後に、近距離から100発近くも機関銃で掃射。さらに火炎放射器で燃やしてしまうという極めて残忍な処刑を断行した。後日、この報告を受けた中国の習近平主席は、思わず手で顔を覆い、「今後、アイツ(金正恩)は相手にするな」と命じたという話も伝わっている。
最後の諫め役は、金正日総書記の妹、金敬姫書記だった。だが金敬姫は、張成沢が処刑されたとの報告を受けて以降、精神的なショックと糖尿病の悪化によって、自宅に蟄居したままだ。この5月11日には、米CNNテレビが、「昨年5月に金正恩が金敬姫の毒殺を命じた」とスッパ抜いた。
前出の国家情報院関係者が続ける。
「思えば金正恩の側近は、誰もがロクな目に遭っていません。5月11日には、軍強硬派の筆頭だった金格植元人民武力部長が、急性呼吸不全により死去したと朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が報じましたが、これだって毒殺かもしれない。
あの金正恩の美人妻、李雪主でさえ、'13年夏には、過去に張成沢の愛人だったことがバレて殺されかけました。すでに金正恩の娘を産んでいたことで、何とか生き残れたのです」
今回粛清されたと国家情報院が発表した玄永哲人民武力部長は、4月中旬にロシアを訪問し、モスクワ国際安全保障会議に出席したばかりだった。就任から3年経った金正恩第一書記が、初の外遊として、5月9日にモスクワで行われた対独戦勝70周年記念軍事パレードに参加する予定だったため、その準備も兼ねての訪ロだった。
■チャウセスクに怯えた正恩
だが結局、4月末になって突然、北朝鮮からロシアに「第一書記の不参加」が伝えられた。朝鮮労働党関係者が明かす。
「金正恩第一書記のロシア訪問の責任者だった玄永哲部長は、甘い見通しを上げていたが、ロシアからの最終決定は大きく異なっていたのだ。
例えば軍事パレードを閲兵する序列は、プーチン大統領の隣は習近平主席で、金第一書記はだいぶ離れた位置だった。また経済援助もほとんどもらえず、強く希望していた地対空ミサイル『S-300』はドル払いで、かつ中国の許可を取らないと売らないという。
『話が違う!』と金第一書記が玄部長に詰問したら、玄部長が言い訳したため、金第一書記がブチ切れたと聞いている。だが、玄部長が処刑されたかどうかは不明だ」
玄永哲部長の処刑については、否定的な見方もある。韓国の北朝鮮問題の権威である鄭成長世宗研究所統一戦略研究室長が語る。
「国家情報院は4月30日頃に処刑されたというが、5月5日から12日まで毎日、朝鮮中央テレビに玄永哲の画像が出てきました。もし処刑していたら、北朝鮮当局が発表し、かつ即刻テレビ映像から消すはずです」
ロシア・セゴドゥニア(旧ノーボスチ)通信東京副支局長のコツバ・セルゲイ氏は、「結果的に金正恩はモスクワに行かなくてよかった」と語る。
「それはロシアの『チャンネル1』が4月7日に放映した『太陽の国の影』というドキュメンタリー番組が、大いに物議を醸しているからです。
この番組は、1945年の日本の敗戦に伴って朝鮮半島支配が終焉を迎えた後、朝鮮半島を解放したのは、北朝鮮が喧伝している『金日成将軍』ではなく、ソ連軍だったという内容なのです」
金正恩第一書記の訪問に合わせてロシアが「金王朝の建国神話」を崩壊させたことで、金ファミリーが北朝鮮を統治する正当性がなくなってしまったのだ。
セルゲイ氏が続ける。
「もし金正恩が予定通りモスクワへ来ていたら、ロシアの記者たちは一斉に、この『北朝鮮建国のタブー』について質問を浴びせたでしょう。その時、金正恩はどう答えるのか?おそらくどう答えたとしても、金正恩がモスクワ訪問中に、平壌でクーデターが起こる確率を高めてしまったことでしょう」
ロシアでは金正恩第一書記に、「ミニ・スターリン」というニックネームが付いているという。
「だが、両指導者は似て非なる存在です。たしかに、スターリンも金正恩のように、側近たちのポストを次々に入れ替え、ナンバー2ができないように統治していました。だが、スターリンは質素倹約を心がけ、死去した際には古いコート4着、古靴3足しか持っていなかった。
ところが自分とファミリーだけ贅沢三昧の金正恩は、今回、玄永哲を粛清したとしても、今後クーデターに遭う確率は十分あると言えます」(セルゲイ氏)
冒頭の藤本氏も嘆いて言う。
「1989年にルーマニアの独裁者で金日成主席の盟友だったチャウセスク大統領が、市民によって銃殺刑に処せられた時のCNNテレビを、金正日・正恩親子は見ています。その時、私も一緒に見たのですが、金正日総書記は、『幹部全員に半年間、主体思想を叩き込む』と決意。正恩も相当、恐怖感を持ったはずです」
だが、自分がチャウセスク大統領になることを恐れて、側近たちを次々に粛清しまくっていては、かえってその「二の舞」になる道を早めているのではなかろうか。いまやもう、いつ「北朝鮮有事」が勃発してもおかしくなくなってきた。
「週刊現代」2015年5月30日号より
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