http://www.asyura2.com/15/asia17/msg/346.html
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「イスラム 中国への抵抗論理」宮田律/イースト新書‘14年 から抜粋
第五章 中央アジアとウィグル独立派
≪ウィグルにおけるシスラム復興≫
世界的なイスラム復興のうねりがある一方で、新疆ウィグル自治区のウィグル人組織が自らをイスラムと強烈に関連づけることはほとんどなかった。というのも従来、ウィグルの民族運動は世俗的な指導者たちによって担われてきた。
ウィグルにおいてイスラムは、中東などの「イスラム原理主義」に見られるほど中心的な政治課題ではない。しかし、イスラムがウィグル人の民族的アイデンティティの重要な構成要素であることは確かだ。
≪近代の国民国家を否定する解放党≫
解放党に見られる中央アジアのイスラム運動は、イスラムの本質を平和的なものであることを強調し、米国やその同盟国を好戦的勢力として位置づけている。解放党は、近代の国民国家を欧米の政治概念に基づいた「反イスラム的」なものとして否定する。1923年のオスマン帝国の崩壊とともに消失した「カリフ国家」の復活を唱えるようになり、また不当な政府と戦い、より平等なカリフ国家創設のために、国際的なイスラムの連帯を唱えるようになった。イスラム本来の姿を復活させるために、欧米モデルの経済、社会、政治を否定し、反欧米、反ユダヤ、反シーア派の主張を行っている。
解放党の活動は、中央アジアでは徹底的な弾圧の対象となっている。それは、解放党が統一イスラム国家の建設を唱えるからだ。中央アジアで巨大なイスラム国家が出現するということは、当然現在の国家的枠組みが崩れることを意味する。
解放党は1953年にヨルダンでパレスチナ人判事のタキー・タッディーン・ナブハーニーによって創設された。ナブハーニーはムスリム同胞団のメンバーであった。そのイデオロギーはアラブ・ナショナリズムとイスラム原理主義を混ぜ合わせたものである。(現在の)後継者になったのは、アター・アブールシュターであった。彼は、1955年から解放党の活動に身を投じてきた。
解放党は、ヨーロッパ植民地主義がつくったイスラム世界の国家を容認しない。ヨルダン、シリア、イラク、トルコ、エジプト、リビア、チェニジアといった国々の刑務所は、収容できないほど解放党のメンバーであふれかえっているという。
イスラム世界を統一してカリフ国家を創設するというイデオロギーを掲げる解放党は、必然的に世界各地にイスラム組織をもつ。
中央アジアで解放党の活動がますます活発になった場合、中国のウィグルの分離独立運動にも影響を及ぼすことは明らかである。
解放党は、その活動は決して暴力に訴えることがなく、イスラム国家の樹立をもくまで平和的手段によるものと主張している。
第六章 中国によるウィグル包囲網
≪上海協力機構の力学≫
新疆ウィグル自治区は、モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン。アフラニスタン、パキスタン、インド、チベット自治区と境界を接している。これら隣接地域、またイスラム諸国やトルコ系の国々が文化的つながりによってウィグル人を支援しているのではないかと中国は懸念している。 中国、ロシア、中央アジア諸国の安全保障体制である上海協力機構は、1996年4月に上海で設立され、その目的は、中国、ロシア、中央アジア諸国の国境地帯の軍事協力を進めることにあった。設立当初、タリバン政権が勢力を増し、ロシアがチェチェンの武装勢力に苦戦していたため、イスラム武装集団や過激派に対する警戒に協力して対処しようとする性格が強かった。
・バグダーディーを…カリフと認めるかという問題とは別に、「カリフ制の復活」は正統な大義として認められている/池内恵
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/255.html
投稿者 仁王像 日時 2015 年 3 月 30 日 20:06:34: jdZgmZ21Prm8E
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