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昨年12月、韓国国交省の施設に出頭した大韓航空前副社長の趙顕娥被告=ソウル(共同)
【ソウルから 倭人の眼】国民は自分が土下座させられたように感じた…財閥憎しの韓国 ナッツ姫裁判
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150301/frn1503011121004-n1.htm
2015.03.01 夕刊フジ
一審で懲役1年の実刑判決が下された大韓航空の趙顕娥(チョ・ヒョナ)前副社長らの裁判は、初公判から判決公判まで韓国各メディアが熱のこもった報道を展開し、“世論裁判”の色合いが濃いものだった。趙被告側の控訴で、二審へと引き継がれる裁判。ナッツ姫(趙被告)や一族支配の財閥に対する猛烈なバッシングの半面、一連の騒動と裁判からは、韓国社会特有の世論による“裁きの風土”が感じられた。 (ソウル 名村隆寛)
■判決は軽いか、重いか
財閥3世の女性副社長が離陸直前の自社機内で、客室乗務員のナッツの出し方に激怒し、乗務員ら2人を罵倒、暴行。揚げ句に、旅客機を引き返させ、「降りろ」と客室責任者に命令し、無理やり降ろさせた事件。求刑「懲役3年」に対し、判決は「懲役1年の実刑」。これを重いと見るか、軽いと見るか。
ソウル西部地裁での判決公判(2月12日)で、裁判長は、「乗務員を奴隷のように考えたりせず、人に対する最小限の礼儀の気持ちがあれば、決して事件は起き得なかった。金と地位で人の自尊心を傷つけた事件だ」などと判決理由を述べた。
判決前、韓国メディアや法曹界では、猶予判決の見方が強く、公判当日も「執行猶予が付くかどうか」が注目されていた。フタを開ければ、執行猶予なしの実刑判決だった。
ソウルの法曹関係者は「当初、執行猶予付きの懲役1年6月ほどの判決を予想していた。懲役1年の実刑は軽いとはいえない。重い」と分析する。さらに、「暴力、暴言がらみの非常に単純な事件なのに、大騒ぎになってしまった。一種の世論裁判だ。個人的には無理があると思う」と指摘する。
■猶予判決なら無罪同然
実刑判決についてどう思うかを、韓国メディアの記者を含む十数人の知人に聞いてみたところ、大体が「妥当だろう」「軽い」という意見だった。「軽過ぎる」(20代男性)という厳しい評価も少なくなかった。
「軽い」「軽すぎる」と答えた人は、「執行猶予が付いた判決なら無罪も同然。韓国国民は一層激怒していたであろう」などと似たような言葉を付け加えた。趙被告に同情的な意見は、筆者が聞く限りはなかった。
事実、韓国メディアは「有罪判決は財閥グループ一族の特権意識に対し、韓国社会が下した審判とも言えよう」(朝鮮日報の社説)と、判決を評価した。同時に、財閥グループ一族に判決の意味を重く受けとめるよう強く求めた。
趙被告や、大韓航空を傘下に置く財閥「韓進グループ」の一族が反省しようが、韓国社会では趙被告側が控訴した今、財閥一族という特権階級がとった横暴な行為への怒りは依然としてくすぶっている。
■“見せしめ”社会
大韓航空をめぐる今回の騒動は、日本でも「ナッツ・リターン事件」と呼ばれ、ワイドショーなどで連日大きく報じられたと聞く。事実、珍妙な出来事で、ワイドショーにはうってつけの騒動だったであろう。
財閥3世のお嬢さまが、鶴の一声で社員をひざまずかせ、旅客機を引き返させる。韓流ドラマによく出てくるような、とんでもない大金持ちが現に存在し、悪役の演技でもなかろうに、やっちゃった行為。「実際にこういうことってあるんだ。カネいっぱい持ってんだろうなあ。会社内での権力は絶大なんだろうなあ」。正直なところ、こう思った。
しかし、この悪役を地でいく(ような)行いが、韓国世論の神経を激しく逆なでしたのだ。筆者のような、よその国から来た者の受けとめ方とは違う。メディアがリードする韓国世論は確かに怒っており、腑に落ちない様子だった。
趙被告は、調査や事情聴取のため韓国国土交通省や検察に出頭するたび、韓国メディアに囲まれ、マイクを突きつけられた。うつむくだけで「ごめんなさい」と小声で繰り返すだけだったが、完全に“見せしめ”“さらし者”の状態だった。
韓国では、検察に出頭したり裁判所に出廷した人物が、報道関係者に囲まれた場合、必ず立ち止まって質問に答えるという特有の「不文律」がある。また、逮捕された容疑者が警察署でメディアのインタビューを受けさせられる場面も、ニュース番組でよく目にする。
日本でのように、回答もせず、黙殺してさっさと入っちゃっても構わない−は、ここでは許されない。表現を変えれば、韓国社会ではこうした場合、“見せしめ”にならねばならないのだ。
■国民全員が受けた屈辱
財閥一族という特権に対する韓国世論の怒りの背景を、趙被告の逮捕直前に韓国紙、朝鮮日報のコラム(昨年12月21日)が上手く解き明かしていた。生まれつき財閥の一員である人物(趙被告)が、努力して大企業に入社し一生懸命働いてきた2人の社員を土下座させたことについてコラムは、こう書いている。
「韓国国民は誰しもが自分が土下座させられたように感じたはずだ。あまりにも多く(の富や権力)を持つ者、その強欲さを隠さぬごく少数の前に、誰もが膝を屈したかのように感じたのだ」と。
事件の内容だけを見れば、これほどまでに韓国国民の怒りを買うようなものではないことにも、このコラムは言及している。ただ、いくら勉強しても待遇のいい企業への就職は極めて困難な韓国社会の現実。どんなに頑張って働いても、生まれながらの金持ちにはかなわない。そのどうしようもない不公平感が、韓国国民の間に噴出したというわけだ。
今回の騒動では、大韓航空を調査する立場にある国土交通省に、同社の出身者が多数在籍しているという“逆天下り”があらためて問題視された。調査に関わった国交省の調査官(大韓航空出身者)が調査内容を大韓航空側に漏らしたとして逮捕、起訴され、懲役6月、執行猶予1年の判決を受けた。
このような相変わらずの官民癒着、特権層の癒着体質も、世論の屈辱感を刺激し、怒りの火に油を注いだ。
■怒りの根底に羨望や嫉妬感
財閥一族とそれに便乗する者ら、特権階級に対する韓国世論の怒りは、一方で、羨望や嫉妬の裏返しと見ることもできそうだ。
生まれつき、世間一般とはケタ違いの将来が保証され、30代の若さで財閥の役員や関連会社の社長になってしまう財閥の3世や4世。韓国国民でなくとも、誰もが羨(うらや)ましく思うだろう。
だが、今回のような権力をかさに着た横暴が判明すると、羨望は非難へと一転し、騒ぎが拡大してしまう。そこには、同じ社会に生きているのに、あまりにも境遇が違いすぎることへの不満や嫉妬感がうかがえる。また、特権層(財閥)の仲間に入れず、ラインにも乗れず、その“おこぼれ”にさえありつけないことから来る屈辱感もありそうだ。
特権階級への羨望、嫉妬、屈辱感が複雑に重なり、一気に怒りや猛非難へと変わる。ついこの間まで威張り、偉そうにしていた者をさらし者にして、なじりスッキリと留飲を下げる。趙被告を見つめる世論の様子に、韓国社会のもう一つの断面が見えた。
■懲らしめ文化と世論
韓国では、こうした世論の意向をくむ、あるいは気にするかたちで、検察や警察の捜査が進められるケースが少なくない。
メディアや世論の「けしからん!」「もっと懲らしめろ!」という声に押されて、見せしめや懲らしめが行われることは珍しくない。その好例が今回の「ナッツ姫裁判」だ。日本などとは明らかに違う、「法」よりも「情」に重きを置いた韓国独特といえるもので、筆者はこれを“懲らしめの文化”と呼ばせてもらっている。
ただ、この世論を背景にした行きすぎた捜査や裁判所の判決に対し、韓国国内でも異論はある。韓国最高裁の梁承泰(ヤン・スンテ)長官は年頭に、「民主国家では、その場しのぎの世論からの独立こそが、裁判の独立の最重要課題だ」と指摘した。
梁長官は、「世論を誤導し不当に裁判所に影響を及ぼそうとの動きが増えている。自らの考えと違う裁判は無条件に非難し、自分が信じたい事実と情報だけを選んだ利己的真実を前面に出しつつ、裁判を歪曲(わいきょく)する事例も少なくない」と、裁判に及ぼす韓国世論の影響過多に対し、警鐘を鳴らした。
■あれも韓国、これも韓国
捜査や判決が世論に左右され、ともすれば、世論に乗りかかってしまうことさえ否定できない韓国の法的風潮。梁長官の懸念は図星であろう。しかし、この指摘は今後、生かされるのだろうか。
大韓航空をめぐる騒動で、あらわになった一連の出来事。発覚当時、「またか」という声さえ珍しくなかった財閥3世の機内での“乱行”。特権階級の隠蔽工作と官民癒着の体質。一方で、これを徹底的に糾弾し、懲らしめようとする世論。さらには、世論の意向を受け入れて、見せしめや懲らしめに同調する当局。
機内乱行を除けば、すべて韓国で起きた韓国人による出来事だ。韓国社会に染みついた韓国らしい現象と言ってもいい。この慣習や風土。騒ぎはいったん収まったものの、一朝一夕には変わりそうにない。
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