01. 2015年2月06日 09:21:01
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ISISは自滅への道を歩むか アラブ人の対立を煽る作戦が裏目に出る可能性 2015年02月06日(Fri) Financial Times (2015年2月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 思想的に歪んだ世界各地のジハード(聖戦)集団を除くすべての人にとって、昨年12月に拘束されたヨルダン軍パイロット、モアズ・カサスベ中尉を生きたまま燃やした殺害事件は、過激派組織「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」が計り知れないほどの邪悪さを持つことを証明した。 だが、いま最も重要なのは、この自称イスラム異端審理に対する地元のスンニ派と各部族の反応がいかに発展していくか、だ。これは果たして、ISISが策に溺れて自滅への道を歩む始まりになり得るのだろうか。 ヨルダン人パイロットを残虐な方法で殺害した意図とは UAE、対「イスラム国」空爆参加を停止 ヨルダン操縦士拘束受け ヨルダン・アンマンの首相府前に、ISISに殺害されたモアズ・カサスベ中尉の写真を手に集まった中尉の親族ら〔AFPBB News〕 得意げにビデオ撮影されたカサスベ中尉の焼殺に対するヨルダンの反応は、2005年にアンマンのホテルで起きたアルカイダによる自爆テロ事件で有罪判決を受けたジハード主義者2人の死刑を執行することだった。 この2人は、すでに死亡したアブ・ムサブ・ザルカウィのネットワークの一員だった。 ザルカウィはヨルダン生まれのイラクのアルカイダ系組織の指導者で、ISISの誕生に一役買い、数々の人の首を切る、地域で最も残虐なジハード主義者と見なされていた。 ザルカウィの組織がISISの前身だ。そのISISをいま率いるのは、ザルカウィ以上に残忍な元部下で、戦闘部隊が制圧したシリア東部とイラク西部の広大な地域で国家樹立を宣言した自称「イスラム国」カリフ、アブバクル・バグダディだ。今回の忌まわしい殺害に対する彼とISISの動機は検証することができる。 ISISはこれまで、斬首、はりつけ、石打ち、むち打ち、奴隷化に手を染め、シーア派、キリスト教徒、ヤジド派などの「異教」「背教者」の小数派を一掃する意思を明言してきた。今回の殺害は、こうしたISISの残虐行為をさらに重ねることに加え、3つのことをしようとしたように見える。 ISISに対する米国主導の空爆作戦がもたらしている焦土化を衝撃的なやり方で喧伝すること。この空爆作戦に対する無制限の全体主義的対抗を表明すること。そして、ヨルダンなど、「十字軍」連合と手を組むスンニ派アラブ諸国が負う潜在的なコストを浮き彫りにすることだ。 だが、カサスベ中尉を殺害した卑劣な行為はほぼ間違いなく、近隣諸国の間の断層を探ろうとするISISの取り組みの一部を形成していた。 ISISはここへ来て、トルコとの国境に接するシリア北東部のクルド人街、コバニ(アインアルアラブ)を巡る戦いに負けた。だが、戦術的には、トルコ人とトルコ国内のクルド人の間の激しい分裂を呼び覚まし、30年間の武力闘争を経て少数派クルド族と和解しようとするトルコの新イスラム主義政府の努力を阻止することに成功した。 同様に、ISISはレバノンにも撃退された。だが、イランの支援を受けたレバノン国内の強力なシーア派民兵運動「ヒズボラ」をシリア内戦に引き込むことには成功している。このことは、いまだに1975〜90年の内戦の宗派対立の傷が癒えていないレバノン国内で不和の種をまいた。ISISは、襲撃の際に拘束したレバノン人兵士、警官を、宗派に基づいて斬首することで、宗派間の緊張を維持している。 ヨルダンの場合、ISISの意図は恐らく、アブドラ国王のハーシム家の君主制を支える部族的基盤を打ち砕くことだったのだろう。 カラク出身のカサスベ一族のようなヨルダン川東岸の大きな部族に対する政府の政策への不満は、いまではイスラエルに占領されているヨルダン川西岸からやって来たパレスチナ人が少なくとも国民の半分を占める国にあっては、決して小さな問題ではない。 部族の心理を読み違えたか とはいえ、アブドラ国王は短期的に試練に直面するものの、ISISはさまざまな部族の気持ちを読み違えたように見える。実際にヨルダンで国民心理を読み違えたのだとすれば、イラクとシリアでも同じ過ちを繰り返すかもしれない。 それこそが、自分の血みどろの手を過信して行き過ぎたザルカウィに起きたことだった。アルカイダとともに米軍占領と戦ったスンニ派の反乱勢力は、ザルカウィの工業規模の殺戮や宗派大虐殺への欲求に嫌気を差し、極め付けに部族の特権を奪われたことで、2006〜09年にアルカイダを攻撃するようになった。ISISよりも広く国境をまたぐ現象であるスンニ派部族政治のコイルは、滑りやすかったりするのだ。 ISISが自滅への道を歩むこの動きを止めるものがあるとすれば、それは西側が地域の独裁者、特にシリアのバシャル・アサド大統領への依存に再び傾くことだ。ISISを前にして、一部の西側の軍実力者はアサド体制に対して「(知らない悪魔より)知っている悪魔の方がまし」というモードに入っている。 シリアのスンニ派の心理を反ISISに変える助けになるのは、アサド家を権力の座から降ろすことだ。そしてこれは、もしかしたら、アサド体制の最大の支援国であるイランと米国との和解の好ましい副産物として実現できるかもしれない。 By David Gardner http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42860 イスラム国ではなく「ダーイシュ」、 弱点を突いて解体せよ
元バアス党員と元イラク軍人たちが夢想した世界とは 2015年02月06日(Fri) 松本 太 ヨルダン・アンマンの首相府前に、イスラム国に殺害されたモアズ・カサスベ中尉の写真を手に集まった中尉の親族ら(2015年1月27日撮影)。(c)AFP/KHALIL MAZRAAWI 私たちの同胞が殺された今、我々はもはや塹壕に篭もっていてはならない。彼らの脅威から目を背けることは、次の犠牲を生むことになるからだ。目を見開いて、敵を見据えること。 彼らのことを「イスラム国」ともはや呼ぶ必要はないだろう。「イラクとシャームのイスラム国」のアラビア語の略称である「ダーイシュ」(al-Dawla al-Islamiya fi al-Iraq wa al-Sham)と呼び捨てにすることだ。この2月4日早朝に、ムアズ・カサスベ空軍パイロットの残虐な殺戮に怒りを押し殺したアブドゥッラー国王が、ヨルダン国民を前にしてテレビでそう呼び捨てたように。 なぜなら、そうした共通の認識をとることこそが、「ダーイシュ」が確信的に築き上げ、不要に膨張した彼らの共同幻想を打ち砕くことになるからだ。こうして、不幸な事件が連続する中で、ヨルダン国民と私たちは1つになる。 筆者は、すでにイスラム主義との戦いは、そのイデオロギーとの戦いにあると述べた。(「本当に撃退すべきなのはイスラム国の暴力ではなくイデオロギーだ イスラム国という疫病への処方箋」)。今ここで改めて、彼らのイデオロギーとその戦略を一枚一枚剥がしていく必要がある。 本稿では、わずか12年弱ほどのイラク戦争後の戦後史を明らかにしつつ、ダーイシュの真の姿=その組織、戦略、そして戦術を皆さんと共有したい。そうすることによって、彼らが一体いかなる組織なのか、彼らの行き着く先がどこなのか、白日の下にさらされるだろう。 これはダーイシュという幻の脱構築であり、その誤った認識論的な存在に終止符を打つことである。 イラク元政権関係者が築きあげた「ダーイシュ」 ダーイシュは実にイラク的なのだ。この認識を持つことが始まりとなる。彼らは、イラクという大地から生まれた過激派組織なのだ。その秘密結社的な紐帯、そして、極度の残虐性。いずれもイラクという土壌を抜きにしては語れない。 そして、ダーイシュを成立させしめたのは、イラク南部にあった米軍キャンプ「キャンプ・ブッカ」の拘置所であったことを決して忘れてはならない。拘置所において、旧バアス党や旧イラク軍の関係者がイスラム主義の過激なイデオロギーに目覚めていくのだ。 それは彼らが心底からイスラム主義に感化されたというよりは、むしろ、そのあまりの実利に気がついたといった方がより的確なのかもしれない。その隠された歴史はいまだよく記述されていない。しかし、私たちは、それがいかなるものであったのか、想像することはできる。 イラク戦争後、自らが権勢をふるったかつての国家と社会から、身ぐるみを剥がされるように追い出されたイラクのスンニ派の前政権関係者たちは、根なし草となった。いかに、戦後を生き抜くか。この大きな悩みこそが、彼らをイスラム主義の過激な思想に近づけることになる。 自称カリフのアブ・バクル・アルバグダーディをはじめとして、現在の「ダーイシュ」の幹部の相当数が実際にキャンプ・ブッカの出身者なのである。この点で、最近公表された元MI6のプロフェッショナル、ロバート・バレットによる「イスラム国」と名付けられた詳細な分析は、巷で出版されている凡百の解説書や断片的な新聞記事をその明晰さにおいてはるかに凌いでいる。 キャンプ・ブッカに拘束された「ダーイシュ」幹部のプロフィール写真(“The Islamic State“ - the Soufan Group, November, 2014より抜粋) 拡大画像表示 彼らは、幸いにも拘置所や刑務所に入れられたがために、米軍とイラク治安軍、そしてイラクの部族からなる覚醒評議会による徹底的な攻撃(サージ)を生き延びることができた。その間に当時の「イラクのイスラム国」が、その幹部を立て続けに失った結果、拘置所にいた人々がその穴を埋め、世代交代が起きるのである。
例えば、「ダーイシュ」のナンバー2とされるアブ・ムスリム・トルコマーニは、同じキャンプ・ブッカの拘置所の出身者である。アブ・ムスリムは、元々イラク特殊部隊および軍情報部の出身のバアス党員であり、現在は、イラク全体のオペレーションを担当している(注:「バアス党」は汎アラブ主義を掲げる政党)。サッダーム・フセインの側近として仕えた革命指導評議会副議長のイッザト・イブラヒーム・アルドゥーリの子飼いと言ってもよいだろう。 さらに、アブ・アブドルラフマーン・アルビラーウィとして知られたアドナーン・アルドレイミーについて語る必要がある。なぜなら、同人の軌跡は、ダーイシュの成り立ちを語っているからだ。 ビラーウィは、2014年6月5日にイラク治安軍によって殺されるまで、イスラム国の軍事委員会のトップを務めていた男だ。ビラーウィはアンバール州の最大部族ドレイムの出身で、イラクにおいて米軍に抵抗した部族である。ビラーウィは1993年にイラク軍事アカデミーを卒業、イラク軍に参加、大尉となる。 イラク戦争開始後、ビラーウィは、イラクのアルカーイダに参加、ザルカーウィと共闘したが、2005年に米軍に拘束され、キャンプ・ブッカに長期間拘置されている。そして、2013年7月に当時の「イラクのイスラム国」が襲撃したアブグレイブ刑務所から他の500人の囚人とともに逃走したとされている。脱走後、イスラム国の軍事委員会に参加、北イラクへの攻撃において主要な役割を担った。2014年6月9日にモスルが陥落した際には、ダーイシュは、その軍事作戦を「ビラーウィの復讐」と名付けたのである。 ハッジ・バクルも興味深い人物である。同人はすでにシリアにおいて2014年1月に死亡しているが、元々武器開発を担当するイラク陸軍大佐であった。イラク戦争後のスンニ派による抵抗運動に参画するが、米軍に拘束され、キャンプ・ブッカの拘置所に入れられたことをきっかけとして、ダーイシュの幹部となる。 同人は、組織内パージを強行し、バグダーディを中心とするダーイシュの組織化を図ったと見られている。同人に対しては、イスラム主義者からは、あまりにも世俗的との批判すらあった。バグダーディをカリフの位置につけたのも、ハッジ・バクルの操作の結果によるものと考えてよいだろう。 ここで、もう1人のナンバー2、アブ・アリ・アルアンバーリについても言及しておく必要があろう。アブ・アリは元々イラク軍の准将まで務めた男だ。イラクのアルカーイダにおいて頭角を現し、現在はダーイシュにおいてシリア全体のオペレーションを担っている。一説によれば、アンバーリこそが、バグダーディを背後で操っているとも見られている。 もうお分かりのとおり、ダーイシュは、イラクの元政権に所属していたスンニ派の人々が築き上げた組織なのだ。その意味で、例えば、カリフに任命されたバグダーディ本人にどれほどの権威や意思決定権があるのか疑問も多い。 「ダーイシュ」の基本戦略はどこから来たのか ここに1冊の大著がある。イスラム主義者が熱心に読む戦略書だ。『野蛮の作法』と名付けられたイスラム主義者のための一種の指南書だ。もともと2004年にアブ・バクル・ナージという人物の名前で、インターネット上に投稿されたものである。そこには、イスラム主義組織が目指すべき戦略が赤裸々に提示されている。 アブ・バクルは、ジハード諸組織にとって、イスラム諸国において民族的・宗教的な復讐心や暴力を確信的に創り出し、それをマネージすることが必要なのだと強調する。また、戦闘員をリクルートし、殉教者を出す上で、大国からの軍事的反応を引き起こすことの有益性も指摘されている。 そして、長期的な消耗戦(War of Attrition)とメディアの操作によって、米国という大国を消耗させるべきだと説くのである。また、敵の心に絶望感を植え付け、敵が和解を求めるまで、いかなる敵の攻撃に対しても、敵に対価を払わせ続けるべしと主張する。 すなわち、恒常的な暴力をイスラム諸国で継続することにより、これら諸国が弱体化し、結果として「混乱」、すなわち「野蛮」が生じる。それに乗じて、シャリーアを広め、セキュリティと、食糧や医療などの社会サービスを提供することで人々の人気を集め、それらの領域に最終的にカリフ制に基づく「イスラム国」を打ち立てることを明確に提示したのである。 例えば、人質の活用についても明確な提言を行っている。アブ・バクルは、人質に関する要求が満たされない場合には、「人質は、恐怖を煽るように処理されねばならない。これこそが、敵とその支持者の心に恐怖を植え付けるのだから」と指摘するのだ。 『野蛮の作法』によれば、暴力は恐怖をつくり出すだけではなく、「大衆を戦闘に引きずり込む」ために活用される。この戦略においては、ムスリムの世界を恐怖によって分裂させ、米国の支援を求める穏健な人々にも、そのような希望はもはや無意味であると思わせることにある。 また、同書には、敵が例えばアラビア半島やイラクで(イスラム過激派に)攻撃を行う場合に、それへの対応(テロ行為)がモロッコやナイジェリア、インドネシアで起きれば、敵はそれに直接反応できず、また、世界のムスリムに実践的なメッセージが伝わるであろうという、いわば非対称戦略まで明快に指南されている。 この指南書をよく読み込んだのがダーイシュの幹部であったのだろう。実際、アブ・バクル・ナージの教えをなぞった考えが、ダーイシュの発刊する『ダービク』という宣伝雑誌にうんざりするほど出てくるのだ。実際、一連の人質の残虐な殺戮は、鮮明にこの戦略そのものを実施していると言ってよいほどだ。今、ヨルダンの国論に亀裂が入ったことを最も喜んでいるのは、彼らなのだ。 実は、『野蛮の作法』の中では、敵を火刑にすることすら、7世紀の初期イスラム時代に預言者ムハンマドの教友であったアブ・バクル(初代正統カリフ)も行ったことだとして、この極刑を推奨すらしている。 「イスラム」を錦の御旗にすることで、世界の諸国から戦闘員をリクルートし、暴力を拡大し、宗派間の対立を煽り、イラクという国家を引き続き恐怖に引きずり込み、そして、アラブの春以降の力の空白につけこみ、周辺の国々まで巻き添えにしようとする。このようにして「野蛮」な領域が拡がれば、拡がるほど、ダーイシュの「幻想の国家」は大きくなっていくことになる。 今や、彼らは日本や欧米諸国、全ての有志連合に参加する国々を確信的に巻き込もうとしているのである。これは一言で言えば、サラフィー・ジハード主義者とイラク戦争の敗者からなるハイブリッドな組織による渾身の巻き返しなのである。 確信的に実行している3つの戦術 では次に、ダーイシュが現在とっていると考えられる3つの戦術を解き明かそう。 (1)移住(ヒジュラ)の実行 (2)忠誠(バイア)の誓い (3)一匹狼型の攻撃(ジハード)の煽動 第1に、彼らの雑誌『ダービク』は、西欧やアラブ諸国に住む人々に対して、「イスラム国」への移住(ヒジュラ)を推奨する。これは初期のイスラム史において預言者ムハンマドがメッカからメディナへと移住(ヒジュラ)を行い、異端者らとジハード(聖戦)を戦った史実を象徴的に活用している。自発的な移住を推奨することで、結果的に彼らの戦闘に必要な兵士を容易にリクルートできることになる。多くの外国人戦闘員の流入も、彼らのイスラム史のメタファーの狡猾な利用に基づくものなのだ。 第2に、「イスラム国」へ容易に移住できない場合には、現在、住んでいる場所において「イスラム国」に忠誠(バイア)を誓うことを要請する。その結果、世界各地の過激派組織が、忠誠を相次いで表明。自称カリフのバグダーディはこれに対して、将来的に各地の州(ウィラーヤ)を「イスラム国」が承認することを示唆している。こうして、世界のイスラム主義者が住む地域が次々に、忠誠を誓うだけで、あたかも「イスラム国」の一部となるという錯覚を作り出しているわけだ。 第3に、「イスラム国」のスポークスマンであるアドナーニは、昨年9月に、世界各地での個人による一匹狼による攻撃(ジハード)の実行を呼びかけた。この呼びかけが、有志国による空爆の開始と時期が重なったことは偶然ではない。この結果、欧米諸国において、過激なイスラム主義者による無数の攻撃や未遂事件が続発するようになっている。「イスラム国」のあらゆるメディア媒体は、強烈な映像とレトリックを駆使して、個人による攻撃を推奨しているのだ。 いずれも、イスラムという宗教に関わる言葉や、歴史、そしてロジックを全て駆使した上で、ダーイシュにとって最も費用対効果があがる形で、彼らの戦争を遂行しようとしている。 そうなのだ。イラクのサッダーム・フセインに仕えたスンニ派の元バアス党員や元イラク軍人たちは、自らの戦略的目標のために確信的に活用しようとしたのだ。 もともと彼らが狙っていたのは、カリフ制の樹立ではない。それは、むしろバグダードなのである。イラクという国家を自らの手に取り戻すこと。彼らを国家権力機構から追放した米国という敵に対抗し、復讐すること。これが彼らの真の狙いであった。カリフ制や「イスラム国」という名称もすべて、彼らの目標に到達するための手段にすぎなかったのだ。 イラクというローカルな土壌の中で育ったダーイシュに巣食う魔物は、アルカーイダ中枢が目指すようなグローバルジハードとは元より異なる肌触りがする。そうであるとすれば、ダーイシュという虚構の中にある真実こそが、彼らの弱点ともなるわけだ。彼らが本来持っている世俗性、物欲、権力への執着、そして、部族的な紐帯。これら弱点のまだら模様が、私たちの今後の戦略にとって有益なのである。 ダーイシュ内部の勢力争いの向こうに見えるもの しかし、昨年来、これらの元バアス党員や元イラク軍人たちも、組織の幹部の地位にいまだ多くついているとはいえ、急速に拡大し変化する組織の中で次第に台頭する過激なサラフィー・ジハード主義者たちに意志決定権を脅かされつつあるという見方もむしろ強くなってきている。 ダーイシュが驚くほどのスピードで変化する中で、現在、その内部に起きつつあるこの複雑なダイナミズムが様々な現象の背後にあることも同時に認識しておく必要がある。これは、悪魔の外套をまとっていたはずの人々が、悪魔そのものに変わりつつあるのかもしれないということなのだ。 人質を斬首するという行為も、このようなめまぐるしく変わりゆくコンテキストの中で、昨年8月から確信的に連続的に行われてきていることを理解する必要がある。 サラフィー・ジハード主義者と元バアス党員や元イラク軍人という二項対立の果てに何が見えるのだろうか。そして現在、継続されている有志国による空爆が、現在の組織の幹部をも次第に根絶やしにしていくとすれば、我々は来るべきダーイシュの変化の行く末に一層目を凝らして見極めるべきなのだ。 2003年に終わったはずのイラク戦争は、実はまだ終わっていない。イラクの本当の戦後は、ダーイシュとの戦いの末にようやくやってくるのだろう。そして、その未来の姿は、ダーイシュの本当の正体を見定めて初めてようやく始まるのだ。 イラクの復興にコミットした私たちは、イラクやヨルダンなどの周辺国への心からの支援を止めてはならない。私たちのコミットメントが揺らげば、ダーイシュはその影響力を伸張させることになろう。 私たちにひるんでいる暇はない。ダーイシュとの戦いにおいては、地域全体の秩序回復と真の復興への、私たち自身の一貫した真摯な姿勢が問われているのだから。 (本稿は筆者個人の見解である) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42854
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