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【社説】
新・戦争文学 戦後70年の“臨場感”
東京新聞 2015年1月16日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015011602000140.html
戦争を知らない世代が二十一世紀初頭に突然出現させてしまった戦争文学−。芥川賞を逃した「指の骨」を、このように評した人がいる。戦後七十年。時代は何を語らせようというのだろうか。
芥川賞は小野正嗣さんの「九年前の祈り」が四度目の挑戦で受賞した。一方で話題になったのが高橋弘希さんの「指の骨」だった。
高橋さんは三十五歳のミュージシャン。戦場、ましてや太平洋戦争そのものを体感できる由もない。だとすれば、その圧倒的な現実感は何なのか。
第二次世界大戦中期、ニューギニアの飢餓戦線に取り残された日本軍の野戦病院が、その主な舞台である。戦闘場面は、ほとんどない。糧食も薬品も尽き果てた過酷な戦場の真ん中で、傷病兵や軍医にとって、戦友の死や狂気は日常で、ある種の静謐(せいひつ)さえたたえる描写がかえってリアルに思われる。
たとえば、マラリアの高熱に侵された傷病兵が、突然むくりと起き上がり、病室に並ぶ寝台を巡って、そばの注文を取り始める。「揚げ玉いっぱい入れてくれよぉ」と応える傷ついた兵士たち。
<南海の孤島の野戦病院は、途端に隅田川沿いの蕎麦(そば)屋と化した…>。戦争のかけらも知らないはずの青年の感性は、まるで追憶するかのようである。
<我々は誰と戦うでもなく、一人、また一人と倒れ、朽ちていく。これは戦争なのだ…>
野戦病院を出て、“黄色い道”を果てしなくさまよう<わたし>のつぶやきは、作者自身の独白に思えてしまう。また、過去でなく、今を書こうとしているようにも。
高橋さんは、多くの戦史や戦争文学を読み、七十年前の戦争に、深い関心を持っていたという。だがそれだけではないはずだ。新潮新人賞受賞後のインタビューで、高橋さんは話している。
「子供の頃、毎年夏になると放映される戦争の番組を観(み)ていて、なぜかそれほど遠い出来事とは思えませんでした」(「新潮」十一月号)
戦後七十年。この国は“戦争のできる普通の国”への後戻りを始めているようだ。
大戦の記憶の風化、戦争や戦場、命に対する現実感の喪失が叫ばれる中、戦争を知らない世代の想像力が、新たな文学に昇華した。その意味をよく考えてみたい。戦争、戦史を知れば知るほど、不戦の思いは自然、強まるのではないか。
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≪立ち読み≫
【第46回新潮新人賞受賞作】
「指の骨」高橋弘希
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20141007_1.html
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