http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/743.html
Tweet |
アクチャカレにあるシリアとの国境検問所。向こうのシリア側はイスラム国の支配下にある(大内清撮影)(写真:産経新聞)
台頭するイスラム国 収入源は「原油密輸、誘拐」 洗脳作戦「毎日1人は暴行」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150110-00000532-san-m_est
産経新聞 1月10日(土)14時22分配信
2001年の米中枢同時テロから13年余を経て、世界は「テロの新時代」を迎えた。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」がシリアとイラク北部一帯に「国家」の樹立を宣言。その主張に共鳴する若者が各地から合流し、テロの潜在的懸念が全世界に拡散しつつある。再び台頭するイスラム過激派の脅威の実態などについて、現場ルポや証言から解き明かす。
■収入源は「原油密輸、誘拐」
シリアに隣接するトルコ南部アクチャカレの国境検問所前に、うまそうにたばこを吸う男の姿があった。「国境の向こうで見つかるとまずいんだ」。反体制派武装勢力「自由シリア軍」戦闘員のムハンマド・アッラーウィさん(25)は、イスラム国が管理するシリア側検問所に目をやった。
イスラム国の支配地域では、信仰上の禁忌としてよく知られる飲酒はもちろん喫煙も禁じられる。見つかるとムチ打ちの罰を受けるため、愛煙家らは「ヒスバ」と呼ばれるイスラム国の警察組織の目の届かない場所でたばこを楽しむ。
アッラーウィさんの部隊がある東部デリゾールもほぼ全域がイスラム国の掌握下にあり事情は同じだ。しかし、アッラーウィさんは「イスラム国は強力。言いなりは仕方ない」と話す。
米欧の支援を受ける自由シリア軍はイスラム国と敵対しているが、現場レベルでの関係は戦闘力に左右される。アッラーウィさんの部隊も、イスラム国から月100ドル程度の給料を受け取り、アサド政権側との戦闘ではイスラム国部隊の指令で動くという。
地域によっては対立組織をも実質的な隷属状態に置くイスラム国。検問所に列を作るシリア人らは、話を聞こうとすると迷惑そうな視線を向けてきた。
イスラム国は、シリア内戦の中で台頭し、勢力を急拡大させた。2014年6月にはシリアからイラクにまたがる地域に、全イスラム教徒を束ねるとする「カリフ制国家」の樹立を宣言し、シャリーア(イスラム法)による統治を掲げる。
最近は、支配域内で流通する現地通貨に代わり、不換紙幣を否定するイスラムの考え方に基づいて独自の金銀貨を発行すると発表。学校では社会科や理科が排除され、アラビア語とイスラム教の聖典コーランなどだけが教えられるようになったという。女性は全身を黒衣で覆うのが義務だ。
収入源とみられるのが、支配地域の油田から産出される原油の密輸出収入に加え、外国人を誘拐して獲得する身代金だ。これまで誘拐された外国人のうち、身代金を払ったとみられるフランスなど出身の人質は軒並み解放されたが、「テロリストと交渉しない」政策を掲げる米英からの人質は次々と殺害されている。
一方、商業活動などについては「放任」を基本とし、インフラ設備の運営も元々の行政機構をそのまま利用しているとみられる。イスラム国に掌握されているイラク北部モスルの女性(21)は、産経新聞の電話取材に「イスラム国が表に出てくるのは、スパイ(と疑われた人間)の処刑の時などだけ。怖いけれど、普段は姿を見ない」と話す。
12月、アクチャカレのシリア難民キャンプで、シリア北部から逃れてきたばかりというサレハ・アーラブさん(26)と知り合った。
アーラブさんの村は約1年前にイスラム国の支配を受け、以前より多く税金を取られるようになった。物価は2〜3倍。「それでも、イスラム国の逆鱗(げきりん)に触れなければ生活はできる。ほとんどの人はそう考えてまだ村に残っているよ」。
アーラブさん自身、村を出たのはイスラム国への米国などによる空爆が激化すると予想したからだった。「できるなら自宅に戻りたい」のが偽らざる本音だ。
ただ、村に残っても先は見えない。住民は、イスラム国におびえながら支配を受け入れ、消耗を強いられている。(トルコ南部アクチャカレ 大内清)
■洗脳作戦「毎日1人は暴行」 中学生148人拉致
2014年5月末、シリア北部アレッポ近郊で、クルド人の町アイン・アラブ(クルド名コバニ)出身の中学生148人がイスラム国に拉致された。全員が解放されたのは約半年後の11月。現在はトルコに逃れる生徒たちの証言からは、支配地域で子供の拉致や強制徴用を繰り返し、次世代の戦闘員の養成などを図るイスラム国の「洗脳」作戦の一端がうかがえる。
監禁場所はアイン・アラブに近いシリア北部ムンバジの学校だった。監視役は8人で、生徒らは毎日、少なくとも1人ずつ暴行を受けた。「タイヤに体を突っ込まれて蹴られたり、腕を折られたり熱湯をかけられた」とリーダー格のサアドゥン君(15)は言う。
イスラム教の聖典コーランを読み続けるよう命じられ、覚えが悪いと真っ暗な「独房」に送られた。夜は、イスラム国戦闘員が捕虜や外国人の首を切り落として処刑する際の記録映像を見せられた。監視役からは「人の殺し方を教えてやる」と言われたという。
1日2回の食事は「おいしかった」が、毎日認められていた校庭での運動は、脱走者が出て禁じられた。
サアドゥン君は、脱走に成功した一人だった。同情した近隣住民に匿われ、アイン・アラブの家族が金を払った密輸業者の手でムンバジから脱出できた。
7月、クルド側との間で、拘束されたイスラム国戦闘員と生徒たちとの“捕虜交換”の話が持ち上がった。だが交渉は成立せず、イスラム国側から「お前たちは見捨てられた」と言われた。このとき生徒たちは「腹が立って、イスラム国に入りたいと志願した」という。ある生徒は「なぜそう考えたのか、よく分からない。そのときはジハード(聖戦)に参加すべきだと思った」と振り返る。
生徒たちはアイン・アラブの戦闘が激化した11月に解放され、家族のいるトルコ南部スルチの難民キャンプに身を寄せた。「戦闘の邪魔になったのかもしれない」という。現在は学生組織のセミナーなどに参加し、心のケアを受けている。(トルコ南部スルチ 大内清)
■注目集めた「カリフ制」宣言 武装闘争路線、アルカーイダから継承
イスラム国は、中東の植民地化と西洋化への抵抗として近代に入って生まれた「イスラム主義運動」の一形態に位置づけられる。
イスラム主義運動は、シャリーア(イスラム法)の統治原則などのイスラム的価値の復興を主張。オスマン帝国解体に伴ってカリフ制が排され、西欧主導で現在の国境が定められた1920年代以降は強い政治性を帯びるようになった。
こうした運動組織の代表格が、エジプト発祥のムスリム同胞団だ。同胞団は究極的にカリフ制の復活を目指しつつも、個人から社会、国家へと段階的な浸透を図り、選挙を通じた政治参加も模索している。
しかし、60年代には同胞団のイデオローグ、サイイド・クトゥブ(66年に刑死)が、人民主権を否定する「神の主権論」や、非イスラム的政体の統治下にある社会は預言者ムハンマド以前の「無明時代」に等しいとする議論を展開し、これに影響を受けた急進的イスラム勢力による武装闘争路線に道が開かれた。
2001年に米中枢同時テロを起こしたアルカーイダは、信仰の敵に対する世界規模でのジハード(聖戦)を唱導。03年のイラク戦争後にイラクでテロを活発化させたアルカーイダ系組織を前身とするイスラム国にも、その思想は受け継がれている。
一方、イスラム国は早い段階で領域支配を指向した点で、各地の組織が緩やかなネットワークを形成するアルカーイダとは一線を画す。またイスラム国の指導者、バグダーディ容疑者が全イスラム教徒を率いる「カリフ」を名乗ったことは、他の過激派に比べても際立って急進的だ。
同容疑者がカリフを自称するのは、高い学識や預言者と同族出身であることなどの「要件」を備えているとの自信の表れだ。だが、イスラム主義運動はこれまで、カリフ制復興を目標としながらも具体的な存在としてのカリフを想定しておらず、バグダーディ容疑者をどう扱うかについての議論は棚上げされている。(大内清)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。