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最期の一撃 第二話 山下大将の第二遺訓
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2014年12月26日 武田邦彦 (中部大学)
山下大将は次に第二遺訓を残している。
「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとえ破れたりとはいえ、かくも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうということであります。
私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発、あるいは生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」
科学者としての私がこの遺訓の前段と後段を読むと胸迫ることがある。当時、戦闘はまだ肉弾戦が中心だったから、敵のトーチカに向かって突撃し、トーチカに辿りつた兵士が手榴弾をトーチカの中に投げ込めれば友軍の勝ち、それまでに小隊が全滅したらこちらの負けというようなことだった。
だから、シンガポール要塞を落とすときに多くの日本兵が命を落とした。その一人一人には、「平和の光輝く祖国」へ帰ることができたのだという思いが山下大将にあった。軍隊は「戦争するため」にあるのではなく、「平和を保つ」ために存在するのだから、山下大将が「平和の光輝く祖国」と表現したのはよく理解できる。
後段はさらに私の心を揺さぶる。
大東亜戦争、太平洋戦争は資源を豊富に持っていて、世界に植民地を有しているイギリス、フランス、オランダ、アメリカが日本の資源輸入を止めたことによって始まった。もし科学技術が発達していて、日本が独自に資源を獲得し、豊かな生活を国民に保証できれば、日本軍はシンガポールを攻撃しなくてもよかった。
しかし、科学技術者はそこまで行くことができず、禁輸によって困窮した日本は軍隊で石油やゴム、スズなどを東南アジアから調達せざるを得なくなった。現在では「必需品の禁輸」は戦闘行為と同じとされているが、当時は「直接に軍隊を派遣しなければ開戦とはみなさない」という概念であって、今でも反日日本人は禁輸の意味を知って知らぬふりをしている。
山下大将が麾下の兵士を失いつつシンガポールを攻めていたとき、「ああ、もう少し日本の技術が進んでいたら、兵士を死なせなくても良いのに、またここまで進軍する必要もなかったのに」と苦しい心中だったと推測される。
山下大将の第一遺訓にもあるように、国が栄えるかどうかはそこにいるひとりひとりの道徳的判断力による。マレー半島を制圧した日本軍に対して中国華僑が妨害工作を続けたのに対して、辻政信のような道徳的判断力に乏しい将校が短期的視野から殺害を主張したのに手を焼いたのも、「道徳的判断力」に他ならない。
いま、やや日本の科学技術は山下大将の希望にそった状態にある。自動車、家電製品、電子製品、建築技術などは世界有数または世界一になっている。また資源も石油や石炭、鉄鋼石などの粗原料の鉱山は日本にないが、「世界トップレベルの資源技術」を有していて、世界の資源国は日本の技術がなければ資源を掘り出すことや、優れた鉄板を作ることができない。
資源があるかどうかはその国の土地の構造によるが、資源を獲得できるかは資源技術の勝負になってきた。石炭の山を持っていても、かつてはツルハシと人夫があれば良かったが、今は世界最優秀の石炭掘削機械を有さないと現実的に石炭を掘り続けることはできない(大赤字になる)。だから、山下大将が希望した「資源と豊かな生活を保証する日本の科学技術」はかなりのレベルで現実になったと言える。
ご安心ください。私たちのご先祖が命を捧げて守った日本を私たちも全力で守ろうと思っています。
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