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最期の一撃 第一話 山下大将の第一遺訓
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2014年12月24日 武田邦彦 (中部大学)
戦争に負けた翌年の昭和21年12月23日。シンガポール攻略戦とフィリピン守備戦で指揮を執った山下大将がアメリカ軍によってマニラで裁かれ絞首刑となった。その時に彼は「待てしばし勲のこしてゆきし友 あとなしたいて我もゆきなむ」と辞世の句を読んだ。
軍隊の指揮官たるもの自らの命令で国のために命を落とす戦友に早く会いたいという願いを持っている。それが指揮官というものだ。辞世の句を説明するとその価値は半減するが、山下大将は「いま少し待ってくれ。戦死した君のもとに私もすぐ行くから」と詠った。
軍事法廷で山下大将に課せられた罪は、おそらく戦争直後に姿をくらまし、ほとぼりがさめた頃に出てきた辻政信に責をとうべきものだっただろうが、それもまた戦争の一つのあやに過ぎない。戦争は個人の運命を飲み込んで一気に進んでいくものである。
辞世の句とともに残した山下大将の遺訓が四つある。その第一。戦争直後の日本の軍人の書いたものである。
「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。
この人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。
諸君は、いま他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人といえども、この責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶことは許されないのであります。ここにおいてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」
1 自由なる世界においては誰でもが、
2 自らの意思、道徳的判断力、自己責任感を持ち、
3 責任回避と安易な方法を避けよ。
戦争前夜から大戦中、山下大将は日本政府、日本軍部、日本国民が自らの強固な意志、道徳的判断力、自己責任感を失い、付和雷同し、責任回避をして安易な方法を選択してきたことを、敗戦直前に正確に指摘している。
ところで戦前のことが語られるとき、「日本の軍部の暴走」とよく言われるが、軍部も一体ではなかった。細かい細工をして自分の仲間の利益だけを優先したグループと、山下大将のように細工をせず、政府の命令に従い、事実を優先するグループがあった。
歴史は皮肉なものだが、細かい細工をする人たちの行動は表面から見ると実にまともに見えるので多くの人の賛同を得る。これに対して愚直に誠実に任務を果たした人たちはまるで罪人のようになる。
世に言う関東軍の暴走、ノモンハン事変、シンガポール攻略に伴う華僑の虐殺、パターン死の行軍、ガダルカナルの玉砕など、日本軍の汚点とされるものは「細工をするグループ」の主導によるものだが、「細工をする」という自体が「表面を塗布する」ことであり、それを潔しとしない人は細工をしないが故に、その責任を一身に受けることになる。山下大将はそういう人だった。
「私は貝になりたい」とはこの世の常でもある。
現在、かつての日本軍を批判する人が果たして山下大将のようなしっかりした倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っているだろうか? 人を批判するのは簡単だが、批判は事実の範囲内でなければならない。このあと、山下大将の第二遺訓を紹介していく。そこには現代社会でも驚愕の指摘があるのだ。
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