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最期の一撃 第一話 山下大将の第一遺訓  武田邦彦
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/722.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 1 月 01 日 03:05:05: igsppGRN/E9PQ
 

最期の一撃 第一話 山下大将の第一遺訓
http://takedanet.com/archives/1016239856.html
2014年12月24日 武田邦彦 (中部大学)



戦争に負けた翌年の昭和21年12月23日。シンガポール攻略戦とフィリピン守備戦で指揮を執った山下大将がアメリカ軍によってマニラで裁かれ絞首刑となった。その時に彼は「待てしばし勲のこしてゆきし友 あとなしたいて我もゆきなむ」と辞世の句を読んだ。


軍隊の指揮官たるもの自らの命令で国のために命を落とす戦友に早く会いたいという願いを持っている。それが指揮官というものだ。辞世の句を説明するとその価値は半減するが、山下大将は「いま少し待ってくれ。戦死した君のもとに私もすぐ行くから」と詠った。


軍事法廷で山下大将に課せられた罪は、おそらく戦争直後に姿をくらまし、ほとぼりがさめた頃に出てきた辻政信に責をとうべきものだっただろうが、それもまた戦争の一つのあやに過ぎない。戦争は個人の運命を飲み込んで一気に進んでいくものである。


辞世の句とともに残した山下大将の遺訓が四つある。その第一。戦争直後の日本の軍人の書いたものである。


「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この倫理性の欠除ということが信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。


この人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。


諸君は、いま他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人といえども、この責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶことは許されないのであります。ここにおいてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」


1 自由なる世界においては誰でもが、
2 自らの意思、道徳的判断力、自己責任感を持ち、
3 責任回避と安易な方法を避けよ。


戦争前夜から大戦中、山下大将は日本政府、日本軍部、日本国民が自らの強固な意志、道徳的判断力、自己責任感を失い、付和雷同し、責任回避をして安易な方法を選択してきたことを、敗戦直前に正確に指摘している。


ところで戦前のことが語られるとき、「日本の軍部の暴走」とよく言われるが、軍部も一体ではなかった。細かい細工をして自分の仲間の利益だけを優先したグループと、山下大将のように細工をせず、政府の命令に従い、事実を優先するグループがあった。


歴史は皮肉なものだが、細かい細工をする人たちの行動は表面から見ると実にまともに見えるので多くの人の賛同を得る。これに対して愚直に誠実に任務を果たした人たちはまるで罪人のようになる。


世に言う関東軍の暴走、ノモンハン事変、シンガポール攻略に伴う華僑の虐殺、パターン死の行軍、ガダルカナルの玉砕など、日本軍の汚点とされるものは「細工をするグループ」の主導によるものだが、「細工をする」という自体が「表面を塗布する」ことであり、それを潔しとしない人は細工をしないが故に、その責任を一身に受けることになる。山下大将はそういう人だった。


「私は貝になりたい」とはこの世の常でもある。


現在、かつての日本軍を批判する人が果たして山下大将のようなしっかりした倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っているだろうか? 人を批判するのは簡単だが、批判は事実の範囲内でなければならない。このあと、山下大将の第二遺訓を紹介していく。そこには現代社会でも驚愕の指摘があるのだ。


 

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コメント
 
01. 2015年1月01日 10:18:21 : DKhwYBOUus
勝つ戦争しかしてはいけない。

戦国時代であれば戦に負ければ武将は自ら切腹したが、先の大戦では戦勝国により裁かれても自決した高級将校は聞かない。

国民を塗炭の苦しみに導いた国家の中枢にいた者たちと高級将校の責任を問わなかったお人好しの日本国民だから今も政治家に騙され続けている。

大将が自決せずに辞世の句を読むのが大和魂だとしたら、無能故に大量の兵を死に追いやった乃木のほうが殉死しただけましになってしまう。


02. 2015年1月01日 13:00:37 : w3M1BHSquE
しかし、この山下奉文大将 実は日米開戦に 反対していた事はあまり知られていない

マレー シンガポール攻略の 最前線に行かされたのは、一種の懲罰人事とも言えるのです
(もっとも、開戦反対だけではなく 2.26事件でも味噌を付けていた事も響きましたが)
皮肉にも それが結果的に大活躍して、マレーの虎と異名を取り 国民的英雄となるのですが
その割には軍中枢からは冷遇されており、あれほど大活躍したのに 天皇陛下に拝謁は出来なかったのです

したがって、軍中枢への恨み節は 当然持っている事でしょう

そして、山下将軍のみならず、開戦時の最前線司令官 ジャワ方面の今村均 ビルマ方面の飯田祥二郎 フィリピン方面の本間雅晴、皆すべて日米開戦には反対もしくは消極的意見を
述べた者たちばっかりだったのです

アメリカとの戦争に反対すると言う事は、それだけでもマトモな戦略眼を持っていたと言う事
皮肉な事に懲罰人事的な 優れた指揮官の配置によって、序盤の快進撃が成された訳です

しかし、結局は 意思決定する軍中枢部には、開戦強硬派の妄将ばかりが名を連ねていては
快進撃は最初の内だけだったのです。


03. 2015年1月01日 16:22:42 : BMxeq67UWc
> この人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

確かにこれも大切だが、他にもっと大切なことがある。
日本政府は、真珠湾攻撃時にアメリカ政府の真の意図を知ることができなかった。

アメリカ政府の真の意図は、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図っていた事である。
フランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)の前任者、フーバー第31代米大統領は 「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」[1]
と言っている。
アメリカ政府の真の意図を知らなければ、戦争を回避する方法も分からない。

> 現在、かつての日本軍を批判する人が果たして山下大将のようなしっかりした倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っているだろうか?

「倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っ」だけでは、全く不十分である。
「日本全体の動き」だけでなく、中国共産党人民解放軍、ロシア、アメリカ、韓国・北朝鮮等、世界の国々の動きについて見識を持つことが必須である。

[1]【真珠湾攻撃70年】 「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」 フーバー元大統領が批判★3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1323310737/
1 :有明省吾 ◆BAKA1DJoEI @有明省吾ρ ★:2011/12/08(木) 11:18:57.96 ID:???0 ?PLT(12066)
【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、
米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、
「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した
「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。


04. 2015年1月01日 18:39:43 : EO8ytS4QYC
不都合は すべて軍部に 押しつけて
見事逃げ切り 官僚・メディア

05. 2015年1月01日 20:49:01 : gOvaB2LO7A
>>03
やむにやまれぬ戦争だったという意見表明、これすなわちすべて負けた側の論理なり。
なぜならば勝者の論理が歴史を作っていく必然と同時に、時が往けば必ず敗者の論理も汲み上げられるのは必然であるがそのことによって勝者の歴史が揺り動くことは微動だにしない。
それも当然のことで、負けた側の論理が汲み上げられたところで勝者の歴史の時間の中で取り上げられた一種の気休め、または慰めの域を出ぬものであることは言を待たない。
戦争は狂気を成した同士が、その裏では実に冷徹で一進一退を賭けて明日の存亡を巡って戦う合理的かつ敵を破壊せしめ陣を崩していくゲームである。
したがい、勝ち負けにも勝ち方と負け方というものがある。
勝てないまでも負けないという戦い方もある。
また、勝った側が勝利の歓喜を味わえぬような後味の悪い勝ちというものもある。
第二次大戦の日本は負け方のいずれも戦略の隅に置くこともなくただただ敗れるべくして敗れた。
勝者の歴史の上で敗者の論理を語るは、負け方にも戦略というものがあるを実行し勝者側に目に物見せた場合だけで、ただたんにグッチャグチャにやられてタコ殴りに殴られたような日本が言ったところで負け犬の遠吠え、引かれ者の小唄でしかない。


06. 2015年1月01日 23:09:24 : BMxeq67UWc
>>05. 2015年1月01日 20:49:01 : gOvaB2LO7A
> やむにやまれぬ戦争だったという意見表明、これすなわちすべて負けた側の論理なり。

ハーバート・フーバー第31代米大統領の意見「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」 は、負けた側の論理ではない。
ハーバート・フーバ大統領は、アメリカの大統領であり、日本の大統領では無い。
何故、アメリカの大統領が「負けた側の論理」を言う必要があるのか?

> 勝者の歴史の上で敗者の論理を語るは、負け方にも戦略というものがあるを実行し勝者側に目に物見せた場合だけで、ただたんにグッチャグチャにやられてタコ殴りに殴られたような日本が言ったところで負け犬の遠吠え、引かれ者の小唄でしかない。

ただたんにグッチャグチャにやられてタコ殴りに殴られたような非論理的な文章を書くのは、日本語をまともに理解できないからか?
それとも朝鮮語しかまともに理解できないからか?
または、朝鮮学校では論理的な思考法を教えないからか?


07. 2015年1月02日 03:54:20 : w3M1BHSquE
05さんの意見に賛成 「やむにやまれぬ戦争」 は、体制側の人間による ただの“言い訳”である

本当に 「やむにやまれぬ戦争」 と考えて始めた戦争ならば、もっと早くに止めれたはずである
昭和19年6月 マリアナ沖海戦での惨敗で、日本に勝ち目は完全に無くなった事は素人でも解る事
よしんば最後に一矢を報いるために決戦を挑んだのが、捷一号作戦すなわち フィリピン決戦である
(山下将軍も日本陸軍の切り札としてフィリピンに投入されている)

ここで初めて神風特攻を採用し、敗れはしたものの 米軍上層部や兵士達に衝撃を与えた事は事実
されにこの捷一号作戦は、戦後 連合軍の評価で、「日本海軍の採った作戦で 最も優秀な作戦である」
と、評価されていたのである
「やむにやまれぬ戦争」 と、考えていたのなら この昭和19年で終戦出来たはずである

そして、ここで止めていたなら もっともっと有利な講和が成し得た事は確実である
さらに昭和20年の 目を覆うような数々の惨劇も 避けられたことは言うまでもない

「やむにやまれぬ戦争」 などでは無いのである、「負けるはずが無い戦争」 だったのである
やむにやまれぬ などと考えていた人達など、ほんの一部の人達だけである
その一部の中の人間に、山下将軍はいたのかもしれない しかし、大部分の馬鹿な見識しか持たない
先の見えない妄将どもによって、終戦は先延ばしにされ 危うく本土決戦まで続けてしまう所だったのだ

もう勝ち目が無いと判ってもなお 一年近くも無駄な戦争を続けてしまっておいて
何百万という国民や兵士を無駄死にさせておいて
「やむにやまれぬ戦争」 などと言えるはずは無いのです

06さん、アメリカが欧州の戦争に参加したくて 日本に戦争を仕掛けさせる策略が有った事は確かでしょう
しかし、あの戦争の原因を作ったのは 大部分は日本側に有る事は紛れも無い事実
それを巧くアメリカに利用された面は 有る事は有るものの 日本による侵略がそもそもです

今年の新年の年頭での 天皇陛下の談話を聞きましたか?
「今年は終戦70年、満州事変から始まるあの戦争を・・・・」
わざわざ満州事変から と仰られているのですよ 満州事変からと、この意味が判りますね。


08. 2015年1月02日 09:25:39 : BMxeq67UWc
>>07. 2015年1月02日 03:54:20 : w3M1BHSquE
> 「やむにやまれぬ戦争」 と、考えていたのなら この昭和19年で終戦出来たはずである
> そして、ここで止めていたなら もっともっと有利な講和が成し得た事は確実である

アメリカの戦争目的は、日本を無条件降伏させ、アジアの覇権を日本から奪うこと[1]。
昭和19年に、日本がアメリカの無条件降伏の要求を受け入れるはずが無い。
「もっともっと有利な講和が成し得た事は確実である」は、アメリカ政府の真意を知らない愚か者の妄想に過ぎない。

> 今年の新年の年頭での 天皇陛下の談話を聞きましたか?

天皇陛下が国際政治の専門家だとは聞いたことが無い。
それなのに、天皇陛下の談話を持ち出すのは、天皇の政治的利用。
憲法では天皇陛下は政治的権力を持っていないし、政治的な利用は憲法に違反する。

[1] 講義名 アメリカのオレンジ計画
http://www.kanda-zatsugaku.com/130628/0628.html#19
16 フランクリン・ルーズベルト大統領が
「1936年版オレンジ計画」を策定
次にアメリカが、「オレンジ計画」に増補・改訂したのは、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの第一期目の1936年である。「オレンジ計画」の研究は、フランクリン・ルーズベルト大統領のもとで、再び活発に行なわれた。

フランクリン・ルーズベルトは、海軍次官としての立場から、「オレンジ計画」の本質が、「仮借なき包囲攻撃で日本を完膚なきまでに打ちのめし、日本に『無条件降伏』を強要して『アメリカの意志』を押し付ける、『19世紀的な古典的帝国主義』の実践」であることを十分に熟知していた。


09. 2015年1月02日 10:23:26 : lXGrF7OLvM
>>01. 2015年1月01日 10:18:21 : DKhwYBOUus 馬鹿だろ、莫迦しかいねえ
>勝つ戦争しかしてはいけない

戦争をしてはいけない。

戦争する前に考えろ。殺されるぞ!


10. 2015年1月02日 12:18:53 : w3M1BHSquE
>天皇陛下の談話を持ち出すのは、天皇の政治的利用

典型的な ウヨ論理ですね、そもそも天皇を散々 政治的に利用していたのは 元々ウヨ勢力ではないか
都合の悪い事になると、「天皇を利用するな」 は、あまりにも身勝手なウヨ論理としか言えない

まず、明治維新の 錦の御旗に始まり(この錦の御旗も 実は偽物だったと言う説も有力)
昭和に入ってからは、事有るごとに 「統帥権干犯」 の論理を持ち出し、常に政治に介入していたのは
彼らウヨ勢力と軍人達ではなかったのか?


11. 2015年1月02日 13:25:56 : BMxeq67UWc
>>10. 2015年1月02日 12:18:53 : w3M1BHSquE
> まず、明治維新の 錦の御旗に始まり(この錦の御旗も 実は偽物だったと言う説も有力)
> 昭和に入ってからは、事有るごとに 「統帥権干犯」 の論理を持ち出し、常に政治に介入していたのは
彼らウヨ勢力と軍人達ではなかったのか?

「明治維新の 錦の御旗に始まり」「「統帥権干犯」の論理」も、憲法違反だった?
典型的な 朝鮮論理ですね。

>>07. 2015年1月02日 03:54:20 : w3M1BHSquE
>「今年は終戦70年、満州事変から始まるあの戦争を・・・・」
わざわざ満州事変から と仰られているのですよ 満州事変からと、この意味が判りますね。

分かります。
満州事変から大東亜戦争までの歴史を十分に学ぶと、今後の日本のあり方として、次の結論に至る[1]。

1.食料やエネルギーやその他様々な資源をできる限り他国に依存せず、自給率を高めることが重要だ。(TPPには絶対に参加してはならない)

2.戦争というのは、日本がどれほど避けようとしても、避けられない場合があり、その場合に備えて、できるだけ防衛力を増強しておくことが重要だ。
特に、核攻撃をされないようにするため、日本も核武装がすることが重要だ。

3.支那人、米国人、ロシア人、そして朝鮮人などを絶対に信用してはいけない。

『昭和天皇独白録』文藝春秋
「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは自然の理と云わねばならぬ」

「(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。」

[1] 天皇陛下「歴史学ぶことが大切」 新年迎え所感
2015/1/1 5:01、日本経済新聞
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/


12. 2015年1月02日 13:57:23 : 3URFwg9g4g
シンガポール攻略戦は日本が大英帝国に「勝った」のですよ。

それまでの数百年この地区の国は西欧諸国の植民地にされ西欧人に従わさせられ何の権利もない状態に置かれていたわけです。いわば奴隷状態でした。
マレーシア、シンガポール、ビルマはイギリスに
インドネシアはオランダに
ベトナム、ラオス、カンボジャはフランスに
フィリピンはスペインにその後アメリカに ずーと支配されていました

親も祖父母もその前の世代もすっとそうして西欧の宗主国に従って生きてきたのです、当時西欧の不敗神話は厳然と存在していたわけです。腹の底から西欧人は現地人をばかにしていたはずです。土人か家畜程度にみていたでしょう。

開戦当初のイギリス人も現地人もそう考えていたのです。アジア系の日本人はばかで目も悪いからマレーシアのジャングルでは道に迷って進めないとか放言していたようです。
それが開戦3日目にイギリスの誇る戦艦プリンオブウェールズと巡洋戦艦レパルスは沈められ、2か月後にはシンガポールは山下将軍によって陥落したわけです。
これはこの地区の価値観を永久に変えたしまったのです。そう永久にです。
日本がその後敗れたのは付け足しにすぎず戦後この地区は旧宗主国の再占領政策をはねのけて次々独立を果たします。フランスもオランダもまた軍隊を送り込んできました。しかし西欧の「不敗神話」はもう崩壊していたのです。

ホーチミンは再占領をはかったフランス軍を打ち破りました。
スカルノは同様にオランダ軍を打ち破りました(デビ第三夫人はまだ生きているようです)
マレーシアはイギリスからの独立を勝ち取りました(シンガポールを含む)
アメリカは体裁を取り繕ってしぶしぶフィリピンを独立させました。

その意味でこの地区は帝国主義国同士の戦争でもありましたがアジア独立戦争のきっかけにもなりました。日本の緒戦の勝利はこの地区の歴史を変えたのです。日本は侵略者でしたがその勝利はこの地区の歴史を確実に変えたのです。不敗を誇ったイギリスの将軍が白旗を掲げて山下将軍に降伏する。
この光景を見た現地の人の意識は一気に変わりました。それはインドのネルーもマレーシアのマハティールもベトナムのホーチミンも述べています。日本が侵略者ではあったがこの出来事は自分を興奮させ世界の見方が一気に変わったと。


13. 2015年1月02日 15:55:26 : DU0X2QTMdA
日本がアジアからの欧米帝国主義への回答として帝国主義戦争に介入し奪いそれがために後に独立の契機をつくったことはその通りだと思う。
けれどもベトナム戦争においてわが国はアメリカの基地としてアジア(ベトナム)の独立を邪魔する側にいた。
このどうしようもない歯がゆさはやはり日本の下手な戦争の失敗として教訓にしなくてはご都合主義で片づけられてしまうだけだと思う。

14. 2015年1月02日 16:31:48 : w3M1BHSquE
ウヨ連中が どんなに糊塗しようとも、あの戦争は立派な侵略戦争である

五族協和だの八紘一宇だのアジアの解放だの、すべては掛け声だけのスローガンに過ぎません
その本音は 「日本の領土拡大」 でしか無かったからです アジアの解放は、結果的にそうなっただけの事

そもそもの始まりは満州事変、石原莞爾と板垣征四郎による自作自演のテロ(柳条湖事件) に乗じて
瞬く間に満州全土を武力制圧し、そこに住んでいる人達を追い出し 日本人を入植させたのです

それ以前に、満州での利権確保に散々利用して来た張作霖を爆殺したのは 河本大作の仕業
これにより張作霖の息子で親日家だったはずの張学良を完全に敵に回し 蒋介石と結託させてしまったのです
(日本で留学し 明治の乃木将軍を殊の外 尊敬崇拝し、日本を知り尽くしたこの張学良が実に手強かった)

さらにこの満州から世界の目を逸らすために、第一次上海事変を起こしたのも 田中隆吉による自作自演
これも田中隆吉自身が、本まで出して その侵略の手口すべてを暴露しています

誰が何と言おうとこれは、侵略以外の何ものでも無いのです そもそもの日本の拡大路線が元凶であり
それを巧くアメリカに利用された面はあるものの、戦争の原因をアメリカに押し付ける事は出来ないのです。


そして、だから わざわざ 「満州事変から」 と、念を押しているのです陛下の談話は
「満州事変 」で検索すれば、ウヨ連中や歴史修正主義者たちにとって都合の悪い事実はワンサカと出てきます。


15. 2015年1月02日 19:25:01 : l3mYaAdEjo
BMxeq67UWc はネトウヨ脳の典型かw
だから>>06でトンチンカンなことを書いてるのねw

>ハーバート・フーバー第31代米大統領の意見「ルーズベルトは、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」 は、負けた側の論理ではない。
ハーバート・フーバ大統領は、アメリカの大統領であり、日本の大統領では無い。
何故、アメリカの大統領が「負けた側の論理」を言う必要があるのか?


>>05はフーバーのことを指してやむにやまれぬと言ったのではなく、フーバーを持ち出して日本に戦争を仕掛けさせた、結果日本はやむにやまれぬ戦争に突入せざるを得なかった被害者だと開き直ることを負けた側の論理と言っているのに過ぎんのだよ。
フーバーの暴露に一定の理があるにしても、それだけであの戦争の大敗北が免罪されるわけがない。
負け方があのザマだということは、その過程がいかに酷いかというところに思いが至らなければいつまでたっても日本の外交はお子チャマの域を出ない。
だからオマエのようなネトウヨ脳がしゃしゃってくるわけだ。



16. 2015年1月02日 21:37:16 : BMxeq67UWc
>>14. 2015年1月02日 16:31:48 : w3M1BHSquE
> ウヨ連中が どんなに糊塗しようとも、あの戦争は立派な侵略戦争である

朝鮮人連中がどんなに糊塗しようとも、韓国政府の竹島占拠は立派な侵略行為である。
その本音は 「韓国の領土拡大」 でしか無いからです。
そもそもの始まりは李承晩ラインによる公海の私物化に乗じて瞬く間に竹島を取り込み、その周辺で漁業を営んできた日本人漁民達を追い出し 朝鮮人を侵入させたのです。
つまり、韓国政府こそ現代の侵略国家なのです。

>>15. 2015年1月02日 19:25:01 : l3mYaAdEjo
BMxeq67UWc はネトウヨ脳の典型かw
> だから>>06でトンチンカンなことを書いてるのねw
>、フーバーを持ち出して日本に戦争を仕掛けさせた、結果日本はやむにやまれぬ戦争に突入せざるを得なかった被害者だと開き直ることを負けた側の論理と言っているのに過ぎんのだよ。

日本語の文章を全く理解できないようなので書くが、これを最後とする。

フーバー大統領を持ち出した>>03 では

日本政府は、真珠湾攻撃時にアメリカ政府の真の意図を知ることができなかった。
アメリカ政府の真の意図を知らなければ、戦争を回避する方法も分からない。
「倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っ」だけでは、全く不十分である。

と武田邦彦さんの主張に反論し、「日本全体の動き」だけでなく、中国共産党人民解放軍、ロシア、アメリカ、韓国・北朝鮮等、世界の国々の動きについて見識を持つことが必須である。

と書いた。この文章の何処にも「結果日本はやむにやまれぬ戦争に突入せざるを得なかった被害者だと開き直」ってはいない。
日本語の文章も理解できないでトンチンカンなことを書いても無意味である。
そのような能力では日本の学校の試験では零点しかとれないだろう。

> だからオマエのようなネトウヨ脳がしゃしゃってくるわけだ。

だからオマエのような朝鮮脳がしゃしゃってくるわけだ。
何故、朝鮮人は大嫌いな日本に住み続けるのか?
本当に日本に強制連行されて来たのならば、何故、さっさと帰国しないのか?


17. 2015年1月02日 22:27:44 : 6fbpTylnwQ
イギリスの首相 チャーチルは日本が真珠湾攻撃をしたとき,”これで戦争に勝った”と言って大喜びした。
何とかアメリカを戦争に巻き込もうとしていたが,当時のアメリカ国民は戦争に加わることにあまり賛成していなかった。しかし真珠湾攻撃でアメリカ国民は怒って,ルーズベルトの戦争に参加するという意見に同調した。
又,中国の蒋介石はアメリカに戦争に参戦してくれるよう懇願していたが,アメリカはなかなか動かなかったが,真珠湾攻撃でアメリカ参戦が決まり蒋介石も喜んだ。

まあ,日本の軍部は戦略眼がなかった。戦争は根性主義で勝てるようなものではない。
いまもネトウヨの諸君は嫌韓・嫌中をわめいているが同じ過ちを日本は繰り返すだろう。


18. 2015年1月03日 00:06:11 : l3mYaAdEjo
>>16
>日本政府は、真珠湾攻撃時にアメリカ政府の真の意図を知ることができなかった。
アメリカ政府の真の意図を知らなければ、戦争を回避する方法も分からない。
「倫理観、職業観、日本全体の動きについて見識と信念を持っ」だけでは、全く不十分である。


真の意図?
先制攻撃を仕掛けた時点でもうそれは戦争に突入することを覚悟したということであろうに、負けた後に引かれ者の小唄を歌ってなんの意味があるのかね?
戦争とは駆け引きも裏取引も、ちゃぶ台返しもケタグリもなんでもありの、自分が勝つために手練手管を弄すそういうものである。
だから勝ちと負けにも程度があると言っている。
完膚なきまでに叩きのめされたら程度も糞もないのだ。
真の意図がどうたら、そんな泣き言がいまさら通用するわけがないだろう。
いいかげん、戯けたことを抜かしてないで糞して寝ろ。


19. 2015年1月03日 03:16:00 : w3M1BHSquE
日米開戦に至った経緯については、そもそも日本の領土拡大路線が最大の原因ではあるものの
日本にだってそれなりの理屈はある訳で、多少は 同情すべき点も有っただろう
( しかし、それは“盗人にも三分の理”というやつでしかないが )

しかし、未来永劫 本当に我々が絶対に忘れてはいけない事、それは 「絶対に勝ち目が無くなった戦争」 を
だらだらと一年余りも続けてしまった事に有る マリアナ沖海戦の後は 完全に無駄な戦争である
東京大空襲 沖縄の地上戦 広島長崎の原子爆弾 これらで死んだ国民は全て無駄死に犬死にである

もう勝ち目が無い と言う事をひた隠しにして国民を欺いておきながら なにが やむにやまれぬ戦争なのか
嘘と虚飾に塗れた大本営発表、ただ死にに行くだけの神風特攻、昭和天皇が聖断を下さなければ
全ての国民が 死に絶えるまで 戦争を続ける事になるところ だったではないか

そしてどれほど 大勢の国民があの戦争によって、耐え難い塗炭の苦しみを受けたのか
明日 子供たちに食べさせる物が無い という状況が、どんなに情けない事だったのか
道端の雑草を喰らいながらやっと生き抜いた世代の人達は 皆が皆 口を揃えて例外なくこう言う
「あんな戦争、もう二度とやってはいけない」 と、絶対にこう言うのです

さらにその8月15日の終戦にだって、戦争継続を叫びクーデターを起こした馬鹿どもがいたのだ
「宮城事件」 で検索すれば良い。


20. 2015年1月03日 19:03:57 : RQpv2rjbfs
>>16 竹島なんかで国際裁判に提訴しないのは、それを利用して、あんたたちを踊らせたいんだよ、解決しちゃあ困るんだ、まあ良く踊ること。防衛省あたりの役人がほくそ笑んでいるわ。

21. 2015年1月04日 00:21:39 : zcmYB6veRg
アメリカ様から教わった歴史観を忠実に勉強している人が如何に多いことか。

日米開戦に至った原因は、資源の対日輸出を禁止したことが一番大きい。
世界中植民地になってしまっていて他に売ってくれるところも無い。
近代国家にとって資源がないということは、国が滅び行くことと同じことである。

世界で最後の有望な植民地が日本だったからアメリカは、宣戦布告したのだ。
当時の経済封鎖は、宣戦布告である。


22. 2015年1月04日 02:57:03 : w3M1BHSquE
都合の悪い事だけスルーして、勝手な解釈ばかり“お勉強”しているネトウヨさん
一番肝心な、「なぜ経済封鎖を受けたのか」 と言う事には 決して触れないんですね

日本を植民地にしたいのなら どうしてしなかったのですか? 日本が満州や朝鮮でしたように
日本がアメリカの州の一つになりましたか? 英語が公用語になりましたか? 皇室は廃しましたか?
そこに住んでいた日本人を追い出して アメリカ人を入植させましたか? 妄想は程々にしましょうね

GHQが進駐してきた終戦直後なら、やろうと思えば どんな事でも好き勝手に出来たはずです
それが嫌なら、始めからアメリカなどと戦争しない事です。


23. 2015年1月04日 08:56:33 : zcmYB6veRg
都合の悪い事だけとはいったいどのことでしょうか?

アメリカが日本を敵国としたからに決まってるじゃないか。
英語が公用語になった??
何言ってんだよ。
おまえが妄想大好きなんだろうよ。大丈夫か!?

大東亜戦争後、世界中で植民地解放がおこり日本全体を植民地にすることなどできない世界情勢になったからであろう。
日本が戦わなければ、世界中植民地の流れは続いていただろうな。
歴史には流れがあるからのぅ。
もっと勉強したまえ。
まずは、山下奉文大将や東条英機のことを勉強するのがよかろう。
それから自分でよく考えなさい。


24. 2015年1月04日 12:11:32 : w3M1BHSquE
都合の悪い事 それは そもそも経済封鎖を受ける事になった最大の原因が
日本による大陸への侵略と軍部の暴走にあるという事実
自作自演のテロを演出し それに乗じて満州全土を武力制圧した 関東軍の暴走です
そしてそこに住んでいた人達を追い出して、わざわざ日本人を入植させた侵略行為です

そしてその満州国は、国際連盟において圧倒的多数で 国際法違反の烙印を押されます
それを受けて今度は日本は、国際連盟に脱退状を叩き付けます つまり、外交と言う話し合いを放棄したのは
日本側なのです
国際社会から孤立の道を選んだのは日本国自身なのであって、孤立させられたのでは無いのです

ネトウヨ君の論理は、「責任転嫁の論理」 でしかないのです

「張作霖爆殺」 「柳条湖事件」 「満州事変」 「華北分離工作」 「仏印進駐」 などで検索すれば
ネトウヨ君にとって都合の悪い事実は 腐るほど次々と出てきますよ

まずは、石原莞爾や板垣征四郎そして満州事変のことを勉強するのがよろしかろうと思いますが。


25. 2015年1月04日 19:45:40 : zcmYB6veRg

リットンは「満州事変を自衛とはいえない」と判断し­ている、ではあなたはその史観全てを鵜呑みにしているのですか?ジョンストンの認識のほうが正しいのではないですか?
『この紛争は、一国が国際連盟­規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに、­他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。また一刻­の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたといったような簡単­な事件でもない。』 あなたはこれが何を示しているかお分かりですか?
あなたは満洲事変は【何】が原因で起こり、【誰】と【誰】が戦い、【誰】が勝ち、【誰】が敗れ、その上で【誰】の権利が侵害され、【誰】の権利が守られたとお考えですか? 報告書もこの史観無くしてあれこれ語るなと述べたのではないでしょうか?
入植したのは朝鮮人と漢民族ですよね。そこに住んでいた人達を追い出した事実なんてありませんよ。無政府状態の満州に漢民族が入ってきて略奪、強盗、破壊等の不法行為をしましたね。これらに対して国際法にのっとって関東軍が自衛しました。
そして満洲国は準承認を含め23カ国に承認されていますよね。
そもそも世界中を植民地にしてきた欧米人達が国際法違反って暴論を吹っかけてくるのは、欧米人達が植民地として狙っていたんでしょう。

あなたは圧倒的に勉強不足で上っ面の知識で洗脳されています。
自分でもっともっと勉強してください。
世の中には捻じ曲がった歴史観が存在しています。そこは気をつけてください。


26. 2015年1月04日 20:33:37 : w3M1BHSquE
入植してきたのは間違いなく日本人が中心です 現在の金額にして150万円相当の支度金まで用意しているのです
そして柳条湖事件を自作自演したのは、石原莞爾と板垣征四郎が中心となって企んだ関東軍の謀略です
これは戦後ではなく、その当時から知れ渡っていた事です 関東軍上層部の将校から新聞マスコミの関係者は
直接聞かされていたのです ほとんど公然の秘密でした

もっとも、関東軍の自作自演である事を あらかじめ知っておりながら 誌面では 張学良の仕業だと
国民を欺いた新聞マスコミも立派な共犯者ですが 主犯実行犯はやはり軍部です

貴方は何処の 怪しいウヨサイトを見て“お勉強”しているんですか?
ネトウヨお得意の、「ウィキなんて信用できるか」 って言うくちですか?

満州国が23か国に承認されたなんてのは、完全に妄想です 圧倒的多数で否決されています
承認されたのは、「満州国を認めない決議」 の事ですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89


27. 2015年1月04日 23:11:23 : zcmYB6veRg
漢民族と朝鮮籍日本人が争いをしていたんだよ。
日韓併合してから朝鮮民族が日本国民を守らないのかと嘆願したから関東軍が治安維持をするようになったんだよ。それから紛争へと発展していったということだ。
日本の農民がわざわざ満洲に行くかよ。
治安がよくなってから日本農民は行ったんだよ。
満州事変でそういった事件があったことは知ってるよ。
そんな一部のことだけをみているんじゃなくて大局で話してるの。

ウィキには20カ国の承認となっているが、正確には23カ国の承認な。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD
なんて馬鹿さよなの。
その分だと、経済もとんでも論を信用しているタイプだろ。
金融緩和も反対、ハイパーインフレになるとかなw


28. 2015年1月05日 02:55:55 : w3M1BHSquE
>>27 貴方が貼ったリンクからですよ ↓

一方、満洲事変の端緒となる柳条湖事件が起こると、中華民国は国際連盟にこの事件を提起し、国際連盟理事会はこの問題を討議し、1931年12月に、イギリス人の第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とするリットン調査団の派遣を決議した。1932年3月から6月まで中華民国と満洲を調査したリットン調査団は、同年10月2日に至って報告書を提出し、満洲の地域を「法律的には支那の一構成部分なりと雖も」としたものの「本紛争の根底を成す事項に関し日本と直接交渉を遂ぐるに充分なる自治的性質を有したり」[13]と表現し、中華民国の法的帰属を認める一方で、日本の満洲における特殊権益を認め、満洲に自治政府を建設させる妥協案を含む日中新協定の締結を提案した。

同年9月15日に斎藤内閣のもとで政府として満洲国の独立を承認し、日満議定書を締結して満洲国の独立を既成事実化していた日本は報告書に反発、松岡洋右を主席全権とする代表団をジュネーヴで開かれた国際連盟総会に送り、満洲国建国の正当性を訴えた。

1933年2月24日の国際連盟総会での同意確認の結果、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)であり、国際連盟規約15条4項[14]および6項[15]についての条件が成立した。日本はこれを不服として1933年3月に国際連盟を脱退する。

ーーーーーーーーーーーー

↑ やっぱり都合の悪いとこだけ すっとばして都合の良い事だけ読んでいるじゃないですか
国際連盟では、圧倒的大差で満州国を承認していない 42対1でしょう

二十カ国って話は、国連脱退した6年後 第二次大戦が始まった1939年になっての話じゃ無いか
しかも枢軸国とその友好国ばかり これで国際社会から認められたなどと主張する気ならば
ネトウヨに感化されているとしか言えませんな

とは言え、まともにウィキのリンクを持ってきた事は偉い そこは認めましょう。


29. 2015年1月05日 07:44:40 : zcmYB6veRg
>>28
ちゃんと読んだか。
君のような勉強不足の人間に偉いと言われてもあまりうれしくは無いが、礼はしておく。
妄想ではないということがわかればよろしい。
安易に妄想だと喚くのは止めたまえ。

当時の国際社会をいうものは、世界中植民地で正味何カ国くらいなのか勉強してみるとよかろう。
もっと勉強しなさいね。


30. 2015年1月05日 12:14:06 : 9Yvyco93qU
私は12だがこのコメント欄がリットン調査団の正当性がどうだったかの論争になってきたことを歓迎している。

当時、西欧のすべての強国は、世界中を植民地として確保していた。あとからそこに割り込んできた日独と対立することになったのはある意味必然だったろう。西欧列強は日本が朝鮮半島、台湾を併合するところまでは認めたが、西欧諸国が利権を分け合う中国大陸で義和団の乱に端を発する北辰事変を平定した列強、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、日本 その他の国の中で日本だけが突出してこの地域で力をもつことは認められなかった。天津、上海には今でも治外法権の租界の跡地があるが英米が一番いい場所を確保している、日本の租界跡とは場末の雰囲気がただよう。

日本とその他の西欧諸国、どちらも侵略者であったことは間違いない。ただ当時世界のどこにも植民地を独立させるべきだという理念も空気もなかった。それでも日本が独善的な皇国史観を主張したことは世界の誰もが賛成しなかったし今後もしないだろう。自分たちをうまく見せる宣伝能力は当時も今も西欧諸国の方が一枚上手である。彼らには民衆の力で個人の人権を権力者から勝ち取ってきた歴史がある。世界のルールを決めてきた歴史もある。

今なお、日本人は「知らしむべからず、依らしむべし」の方針で統治する権力者の支配下にある。ここを突破しない限り権力者やマスゴミに誘導される情けない国民から脱皮はできないだろう。


31. 2015年1月05日 16:13:27 : w3M1BHSquE
「満州事変」 で、検索すると 半分くらいは ウヨサイトが出てきます(訪問者は少ないようですが)

ウヨサイトであるか否かは、満州事変について“都合の良い事実だけ”を語り
“都合の悪い”次の二点について全く触れないか あえて無視しています

◎ 事の発端、柳条湖事件が 関東軍(石原莞爾と板垣征四郎)の自作自演である事

◎ 満州国が国際法違反とされた決議を 国際連盟は42対1の圧倒的大差で採択した事実

以上、↑ この二点について、全く触れていないのは、都合の良い事ばかり強調し
満州事変の原因を 中国人による排日運動のせいにしようとする“ウヨサイト”です お気を付け下さい

27氏が、これを持ってこず ウィキのリンクを張ったのは天晴と見直した訳で
彼についてだけは、ネトウヨ呼ばわりは止めにします。


32. 2015年1月05日 21:51:16 : zcmYB6veRg
逆に君はその2点だけをゴリ押ししているが、国連加盟国が50ヵ国ほどだった時代に、世界23ヵ国が満州国を承認していたという事実をどうみているのかね。
リットン調査団の正当性はどう思う?
中華民国が100万人近い朝鮮人農民を追い出そうとして農工業妨害等のテロ行為はどう思うのかね?
この辺の大局的所見にふれないのは君のほうだよね。
だからバカサヨと言われてしまうんだよ。ネトウヨのほうがよっぽど博学だw
木を見て森を見ずとはまさに君のことだ。
偏見でしか物事を考えられないんだね。


33. 2015年1月05日 22:08:35 : ZMSBBa9MMU
>>32
------------------------------
満州国の承認国
1933 エルサルバドル
1934 ローマ教皇庁
1937-1938 イタリア、スペイン(フランコ政権)、ドイツ、ポーランド
1939〜 ハンガリー、スロベキア、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、クロアチア、デンマーク
大東亜戦争期 タイ、ビルマ、フィリピン、自由インド仮政府

日本、日本の占領国、ドイツおよびドイツの占領国を含めて、18カ国なのですが、残りの5カ国はどこですか?


34. 2015年1月05日 23:16:43 : zcmYB6veRg
中華民国南京国民政府、モンゴル
満洲国と国書交換を行っていたドミニカ共和国、エストニア、リトアニア
ソ連も承認していたとみてよい

35. 2015年1月06日 03:04:48 : w3M1BHSquE
あのですねえ、国際連盟で承認されなかった事実をすっ飛ばしてる時点でご都合主義なんですが
6年も後になって、国際社会が 連合国と枢軸国に分断してしまった時期での承認ですよ
しかもほとんど枢軸国ばかり、友邦ドイツとその手下や仲間ばかりでしょう

むしろ、真っ先に満州国を認めて良いはずのドイツが 6年も掛かってやっと認めたとも言える

ほとんど半強制的な承認など意味は有りません 満州国を認めない国は、ドイツの侵略だって認められず
枢軸国の中に入れる訳がありませんから。


36. 2015年1月06日 03:59:59 : w3M1BHSquE
(以下、引用) 

柳条湖事件は、当時の日本では、中国側による爆破とみられており、その後日本軍が中国軍から攻撃を受けたことになっている。日本軍の公式記録でもそうなっており(出典:秦郁彦著「昭和史の謎を追う 上」文春文庫、1999年 )、東京裁判でも特に問題にはなっていないようである。事件当時には、中国側の抗日運動として日本の権益がしばしば攻撃されていた状況から、こう判断することは不自然ではなかったと思われる。

 しかしながら、この通説は、1956年(昭和31年)(注:1955年とする説もある。)に、花谷正氏(注:花谷正氏は、柳条湖事件の時は、関東軍司令部付(奉天特務機関)であった。)の関東軍による謀略であるとする証言が発表されてひっくり返った(注:この時にはすでに、満州事変の主要な関係者は死去していた。)。これは、秦郁彦氏が花谷正氏からの聞き取りなどを基に書かれたもので、月刊誌「知性」の別冊(河出書房、昭和31年12月号)に花谷正氏の証言として「満州事変はこうして計画された」と題して発表された。この時、秦郁彦氏の名前は伏せられていた。(出典:LINK 花谷正 - Wikipedia および 秦郁彦著「昭和史の謎を追う 上」 )
「満州事変」に関する資料集(1)
 この関東軍による謀略説は、その後の戦後日本で広く知られて一般的となり、「20世紀全記録」(講談社、1987年)にも次のように記されている。
 『関東軍幕僚の大佐板垣征四郎や中佐石原莞爾は、早くから「満蒙問題は満州を武力で領有することによって解決できる」としており、この日の爆破はそのきっかけを作るために、2人が独立守備隊に命じて実行させたものだった。』(引用:「20世紀全記録」(講談社、1987年)p456。太字は当サイト管理人による。)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-5/ad1931a.htm

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

要するに、始まりの時点で自作自演なのであるから、中国人による排日運動のせいには出来ないのです

確かに激しい抗日運動 排日運動はあったでしょう、運動どころか正にテロ行為でしょう
満州と言う土地の複雑な事情も有ったでしょう だからと言って 侵略して良い と言う事にはならないのです


なお、↑ このサイトは決して軍部を叩くだけの左翼サイトではない
「当サイト管理人は、満州事変の関東軍による陰謀説について、疑問を持ちながら現在勉強中です」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-5/ad1931b.htm
と、あるように むしろ 軍部の暴走だけでは無い とする立場からのサイトです

このサイトのように、都合の良い事も悪い事も 全ての事実を受け入れ考察研究するのが本当の勉強でしょう
全てを受け入れてなお、日本にだって自衛の行動という面も有った というのなら反論はしません
都合の悪い事だけすっとばそう とするから私は反論するのであって 「自衛の面」 を、
すべて否定するつもりは無いのです。


37. 2015年1月06日 04:02:27 : GSHjWjaWEH
イタリアは1937年で、日独伊防共協定に絡んで承認したであろうと思われます.
ドイツは1938年で、おそらく日独伊3国同盟をちらつかせて日本に締結を迫りながら、承認したのではないでしょうか.

ソ連は日ソ不可侵条約の付帯事項に、満州国に対しても不可侵をうたっているだけ.ソ連が責めてくるとすれば満州なので、満州に対する不可侵は日本の当然の要求だったと言えるのですが.
が、満州が純粋な独立国であるならば、日ソ不可侵条約に満州が含まれる方が、おかしいのであり、日本の要求もソ連の対応も、満州は日本の属国であると言っているに等しいと言えます.


38. 2015年1月06日 22:42:47 : zcmYB6veRg
>このサイトのように、都合の良い事も悪い事も 全ての事実を受け入れ考察研究するのが本当の勉強でしょう

そうだな。異論なしだ。

日本が侵略をやめなかったからABCDラインを作り、日本に対する経済制裁に踏み切ったといいたいのだろう。
関東軍の行為は、テロ行為から自国民を防衛する無主の地での治安維持活動であり武装盗賊同然の奉天軍を成敗するものである。国際連盟は日本を侵略国と認定していない。
ABCDラインでの宣戦布告事由は成り立ち得ない。植民地の亡者達による侵略行動の常套手段ということだ。

君とは意見が合わないだろう。思想まみれの考えではないことはわかった。考察研究姿勢には、同意する。


39. 2015年1月07日 01:55:42 : yMsh7BNzLM
満州事変を起したのは、満州の陸軍(現地軍)であり、第二次上海事変以降の、日中戦争を行ったのは、海軍主導の日本軍.あるいは、大本営を設置して天皇が陸海軍を指揮して行ったと言えます.
関東軍が日中戦争を行ったのではありません.

大山大尉の事件を契機にして、第二次上海事変が始まったと考えている人も多いと思いますが、それも間違いです.
『渡洋爆撃隊』、あるいは『海軍木更津航空隊』等で調べれば分りますが、海軍木更津航空隊は大村基地へ、鹿屋航空隊が台湾へ進出し、渡洋爆撃の準備を完了したのは、大山大尉の事件の前日で、天候不良で延期されましたが、すぐにも作戦行動に入る予定だったそうです.
と言うことで、大山大尉の事件があろうがなかろうが、南京、揚子江流域に渡洋爆撃が行われたのは間違いなく、そして、渡洋爆撃に始まり南京攻略までの作戦は、揚子江流域の紛争時を想定した『海軍第3艦隊作戦要項内安』と言う文書に示された通りに進められました.

満州事変は、結果的に陸軍の大手柄で終わりました.海軍にしてみれば、自分たちも戦争を行って手柄をたてないと、軍事予算を陸軍に多く取られてしまうことになりました.山本五十六は渡洋爆撃機を開発し中国本土を爆撃しようと考え、開発されたのが96式陸上攻撃機で、渡洋爆撃隊として創設された、木更津航空隊と鹿屋航空隊に配備されました.

話を少し戻せば、海軍は天津近郊のDAGUと言う港町に艦砲射撃を行って、陸軍の北京進駐を支援しています.
それまでの戦争は、現地軍同士のいざこざであったり、あるいは陰謀であったり、いずれにしても現地の陸軍の単独行動の範疇であったのですが、北京進駐からは陸海軍共同の作戦であり、つまりは天皇の了承の元に行われた戦争であると言えます.

当時の欧米諸国の考えは、中国を植民地にするのではなく、経済的に支配することでした.鉄道を敷設すれば、駅、線路の用地は治外法権.競馬場を作ればその敷地内は治外法権.墓地も治外法権.日本も同様に、租借地の外に日本人が家を建てると警備のために交番を作り、その地域は日本の警察官が管理する.
その様な諸外国の経済的権益を、日本は戦争で破壊しまい、それに留まらず、横浜政金銀行−朝鮮銀行−現地の銀行のルートで通貨を発行し、経済の実権を握ろうとしました.ですから、欧米諸国が蒋介石に味方したのは当然の結果であったと言わなければなりません.
そして、南京に対して無差別爆撃を行ったため、ルーズベルトの隔離演説を受けることになったのですが、満州事変は欧米諸国に対してなにも実害を与えたわけでもなく、また、故意に民間人を犠牲にした事実もありません.
(裏側では、昼食に細菌ふりかけて、リットン調査団を暗殺しようとしたりしていますが)


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