03. 2015年1月06日 00:39:47
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日本と世界の重要論点2015 【第2回】 2015年1月6日 ダイヤモンド・オンライン編集部 【2015年、中東情勢はどうなる?】 日本人も信じ恐れる「イスラム国」の虚像と実像 残酷な神のベールに包まれた真の素顔と目的は? ――酒井啓子・千葉大教授に聞く イラクとシリアの国境地帯を制覇して「カリフ国」の樹立宣言を行い、勢力を拡大しながら政府と対峙するイスラム国。国際社会からは、得体の知れない存在と見られている。奴隷制を復活させ、残酷な刑罰を占領地域の住民に強いるなど、ニュースで報じられるその思想は過激で前近代的だ。戦闘員として現地へ渡ろうとする若者の存在が報じられてからは、遠く離れたかの国に対して、日本国内でも恐怖が募っている。いったいイスラム国とは何者で、報道されている姿は真実なのか。彼らの台頭によって、2015年の中東情勢はどう変わるのか。国際政治学者で中東研究の第一人者である酒井啓子・千葉大学法政経学部教授に、詳しく聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)中東情勢における最大の懸念勢力 得体の知れないイスラム国の正体 ――今、日本でも話題になっている「イスラム国」ですが、多くの人は彼らに対して「得体の知れない過激派組織」という印象を持ち、怖い存在と捉えています。もともと中東地域は、近代以降における欧米の中東戦略との絡みのなかで、情勢が複雑化し、絶えず紛争が勃発してきた地域。イスラム国の台頭は、国際社会にも大きな波紋を広げています。ひとことで言って、どのような国なのでしょうか。 さかい・けいこ 1959年生まれ。中東研究者、国際政治学者。千葉大学法政経学部教授。東京大学卒業後、アジア経済研究所に勤務。24年間の同研究所在任中に、英国ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)で修士号取得。1986〜89年、在イラク日本大使館に専門調査員として勤務。2005年より東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。2012年より現職。専攻はイラク政治史、現代中東政治。主な著書に『イラクとアメリカ』(岩波新書、アジア・太平洋賞大賞受賞)、『<中東>の考え方』(講談社現代新書)、『中東から世界が見える』(岩波ジュニア新書)など 正直な話、イスラム国の行動様式や組織の中身などについて、詳しい情報はまだ十分に出てきていません。重要なのは、イスラム国のような存在がなぜあれだけの力をつけて大きくなったのか、という背景について知ることです。
イスラム国が生まれ、勢力を拡大した原因は大きく2つあります。1つはシリア内戦の影響、もう1つはイラク戦争の戦後復興の失敗です。 イスラム国は2006年の段階で出現しましたが、もともとイラク戦争の戦後復興のやり方に反対する反政府勢力によって組織化されました。中心メンバーは、当時イラクにいた米軍の駐留政策や新政府の政策に不満を持つスンニ派(シーア派と並ぶイスラム教の二大宗派の1つで、主流派)の住民や、戦後にパージされてしまった旧体制派の人々。そうした人々の不満を吸収する形で、イラクのファルージャを中心に「イラクイスラム国」ができたのです。そのうち外国人の義勇兵なども参加し、彼らのいる地域はイラク国内の無法地帯のようになって、拡大して行きました。 しかし、米国の掃討作戦に加えて、2008年頃から駐留米軍が新政府の政策に反対する人々を取り込む復興政策へと方針転換したこともあり、反対派が政府に協力的になった結果、一旦内戦状態は収まります。そのため、外国から入ってきた義勇兵などは居場所がなくなって追い出されてしまった。これが第一の原因です。 イラクから追い出された人々は、2011年から始まった「アラブの春」の潮流の中で、隣国のシリアが政府軍と反政府軍との泥沼の内戦状態に陥ったことをきっかけに、息を吹き返しました。無法地帯となったシリアを拠点にして勢力を増し、再びイラクに舞い戻ってきたのです。第二の原因がこれです。 なぜそうなったかと言うと、2008年以降、国民融和策をとってきたイラクに登場したマーリキー政権が権力集中を行ない、せっかく取りこんだスンニ派の人々を排斥するスタンスを、2011〜2012年頃から強めたせいです。そのため、イスラム国の前身が生まれたファルージャ周辺において、昨年頃から反政府活動が再燃しました。この隙を狙って、かつてイスラム国を形成していた勢力が入り込んだのです。 彼らは、今年6月にイラク第二の都市・モスルを制圧・奪取。この約3週間後、それまで使っていた「ISIS」(イラク・シリア・イスラム国)から「イスラム国」へと国名を変更し、現在のイラクとシリアの国境地帯にカリフ制国家を樹立すると宣言しました。現在、事実上彼らの支配下にある地域は、シリア北部のアレッポからイラク中部のディヤラあたりまでとなっています。 なぜか世間に広まっている誤解 「イスラム国はアルカイダ系」 ――なるほど。そう言えば、イスラム国を形成する勢力は、もともとアルカイダと関係が深かったという話を聞きます。しかし、イスラム国の生い立ちを聞く限り、あまり接点がなさそうですね。どういう経緯でアルカイダと結びついたのですか。 イスラム国はアルカイダ系だとよく言われますが、一概に言うことは難しい。アフガニスタンで活動していたアルカイダのグループと、アルカイダを名乗るそれ以外の人々とは、実は直接つながりがない場合が多く、実態がよくわからないのです。 アルカイダを標榜するほとんどの人たちは、ネームバリューのあるアルカイダの「分派」を勝手に名乗っています。ただ一部には、以前アルカイダでウサマ・ビンラディンに次ぐナンバー2の幹部だったアイマン・ザワヒリに認められて分派を名乗った人たちもいる。イラクでイスラム国につながる反米武装活動を主導したヨルダン人のアブ・ムサブ・ザルカウィなども、その1人です。 ザルカウィは、もともとアルカイダと関係がなかったのに、勝手に「アルカイダ」と名乗り始め、だいぶ後になってからザワヒリに、「メソポタミアのアルカイダと名乗ってもいい」というお墨付きをもらったようです。 よって、関係があると言えばありますが、アルカイダとイスラム国に直接のつながりはありません。アフガニスタンの活動家がイラクに流れて、イスラム国を形成したわけでもありません。 ――それは意外でした。「イスラム国はアルカイダ系だ」という思い込みが、彼らに対する恐怖を増幅しているフシもありますから。ところでイスラム国は、占領地域の拠点に省庁をつくったり、独自の警察部隊を持ったりと、足もとで国家としての体を本格的に整え始めていると聞きます。そもそも彼らの目指すところは何なのでしょうか。1つの国として独立し、国際舞台で影響力を行使したいのか、それともイラク・シリア地域で勢力を強めたいだけなのか。報道からは、彼らの目的がよくわかりません。 イスラム国は今年6月のカリフ制樹立宣言のとき、指導者のアブ・バクル・アル=バグダディを「カリフ」とし、あらゆる場所のイスラム教徒のリーダーであると謳いました。 つまり、彼らの言葉を額面通りに受け取れば、「カリフ国を築く」ことが目的です。カリフ制は、「預言者であるムハンマド(マホメット)の後継者たちがイスラム共同体の長たるべし」と考えるシステム。オスマン帝国が解体されるまで、スンニ派の諸国家で連綿と続けられてきた国家システムですが、イスラム国はそのシステムを現代に復活させようとしています。 「空き地」にできたコミュニティ 国家承認される可能性はかなり低い なのでその意味では、何らかの国の体系をつくりたい気持ちはあるのでしょう。ただそれは、国際社会で言うところの国家とは次元が違う。これまでイスラム国の勢力があったところは、イラクであれシリアであれ、中央政府による統括ができておらず、行政が破綻状態にあった地域でした。つまり、「空き地」に勝手に陣取って、自分たちが好きな国づくりをやっているようなもの。 「国」という言葉がつくので誤解されがちですが、彼らがつくっているのは単なるコミュニティに過ぎません。歴史上の似たケースで言えば、太平天国のようなもの。そもそも彼ら自身にも、「まともな国家として国際社会に認められたい」などという気持ちはないと思いますよ。 ――そうした状況は、近世以降、国家が統一されている状態が当たり前だった日本人にとって、実感がわきづらいですね。たとえば、そんな彼らが今後、大方の予想に反して、国際社会に認められるような国家体制を樹立することはあり得ますか。またあり得るとしたら、それにはどんな要件が必要でしょうか。 まずないでしょうね。あり得るとすれば、アフガニスタンのタリバンのように、過激派勢力が政権を奪取するというパターンでしょうか。 ただ、タリバンは初めから国政を目指していたし、政権を取った後は国家承認もされて、アフガニスタンのほぼ全地域を統治していました。また、彼らはもともとアフガニスタン生まれの組織なので、アフガニスタン人の組織が国家を統一して政権をつくり上げたという、正当性を持っていた。それでも、当時タリバン政権のアフガニスタンを承認したのは、パキスタンをはじめとする一部の近隣諸国だけでしたが。 一方イスラム国は、ある勢力が国の主権を取るというパターンと違い、「空き地」に勝手に陣取っているだけの勢力です。もし彼らが国際社会に認められようとしたら、その前にまずイラクやシリアから正式に独立しなくてはならない。でも、シリアのアサド政権もイラク政府も、そんなことは絶対に認めないでしょう。そうなると、国境の設定自体も大変難しい。 だから、現実的にあり得るとすれば、1つの国家の中の一地域に治外法権のマフィア国家のようなものができるというもの。住民がうっかりそこを通ってしまうと、高い通行税をとられたり、ひどい目に遭ったりする、という場所になるわけです。 いずれにせよ、わけのわからない人たちが棲みついて、無法地帯をつくって、元から住んでいた住民が強制的に支配下に置かれているわけなので、現地人にとっては大きな恐怖でしょうね。 イスラム国について語られる 「残虐性」の誤解と誇張 ――わかりました。恐怖と言えば、イスラム国について国際社会が抱く恐怖の原因の1つに、ニュースで報じられるような「残虐性」があります。たとえば、罪を犯した者の手首や足を罰として切断すること、女性の過度な抑圧が行われていることなどです。歴史的に中東地域には、欧米などの先進国と協調しながらやってきた人々がいる一方、こうした非常に前近代的な思想を持つ人々もいる。その思想的な背景には、どんな違いがあるのでしょうか。 実は、彼らの残虐性については誤解や誇張もあります。「カリフ国を築くべし」と考える人たちは他にもいますが、イスラム国が特徴的なことは、イスラム教が成立した7世紀当初の法体系や統治法をそのまま導入するという、極端に厳格な政策を採用していることです。 つまり彼らは、罪を犯した者の刑罰のやり方も当時に則しているだけ。手首を切り落とすといった、現在から見れば残虐な刑罰は、当時いくらでもありました。同じ時代の日本にも、普通にあったでしょう。こうした7世紀の刑法が現代にそぐわないのは、誰でもわかることです。イスラムの国々では、時代の流れに応じてイスラム法学者らが刑罰の考え方を近代化させて行きました。 イスラム主義というのは、そもそもそのように、現代にそぐわないイスラムのシステムをいかに現代に適応させて活性化させていくかを考えて生まれた思想なので、イスラム主義を政治に導入しようという発想の多くは過激派ではなく、穏健派の人たちのものです。反対に、イスラム国はそうした工夫の努力を最初から無視して、イスラムを狭く解釈して適用しようとしているのです。 日本でもそうですが、冠婚葬祭は宗教的な思想・慣習が色濃く残る部分。イスラム国に限らず、冠婚葬祭に関わる民法の規定にイスラムの教えをなるべくそのまま残すという考え方は、イスラムを政治に導入していない他のイスラム教徒の国々であっても、普通にあります。 一方で、世俗法をとっているトルコだけでなく、イスラム教徒の多い国でも、平気で飲酒を認める国は少なくありません。北アフリカや地中海諸国は、ワインの一大生産地でもあります。また、女性がスカーフを被らなければならないということを国として決めているのは、イランやサウジアラビアのように少数の国しかありません。イスラム教徒の多い国が全てイスラムを政治に導入しようと考えているわけではないし、イスラムが文化や生活に及ぼす影響も、国によって大きく異なっています。 イスラム国のようにイスラム法の順守を厳格に主張するような人々は、現代風に解釈することによって規律がどんどん緩くなることに、危機感を感じている。だから、7世紀にできたコーランに書かれていることをそのままをやれば「間違いがない」という発想になります。つまり、手首を切り落とす刑などは「そう書いてあるから、そうしておけば無難だ」と思ってやっている。それが現代にマッチしているか否かの検証については、思考が停止しているのです。 イスラム世界における「奴隷」の 位置づけは現代人の認識と違う ――そういうことだったのですね。イスラム国は「奴隷制」の復活も唱えているようですが、これも同じ考え方によるものなのでしょうか。 そうです。ただ、イスラム世界における奴隷の位置づけは、主人に隷属して重労働を課せられていた欧米の奴隷のそれとは、意味合いが違います。 たとえば中世には、イスラム国家が捕虜にしたキリスト教徒を軍人として雇い入れることがよくありましたが、そうした人々も奴隷と呼ばれました。逆に彼らは、イスラム教徒に改宗すれば自由人になれた。そうした経緯を経て出世した奴隷も、たくさんいました。 イスラムの歴史には「奴隷王朝」と呼ばれる国がいくつも出てきますが、これはイスラム帝国が拡大して行く過程で、奴隷の身分で帝国に参画し、後に自由人となって将軍にまで上り詰めた人が建国した王朝。だから、一口に奴隷制と言っても、日本人がすぐにイメージする悲惨なものばかりではありません。 このように、イスラム世界でかつて存在した奴隷のイメージに近いのは、「移民」でしょう。たとえば、インドから欧州へ移民してきた家族が、最初はその国で国籍をとれなくても、二世、三世と代を重ねるなかで国籍を有するようになる、といったパターンですね。 ただし、現在ではそうした奴隷制はイスラム世界でも廃止されています。ですから、今の世の中で「かつての奴隷制を復活させたい」とイスラム教徒の人々が考えているわけでは決してありません。7世紀のイスラム教では、「キリスト教徒の女性を、自由に妻や召使いにしてもよい」とされていましたが、今の世の中では当然人権問題になります。 イスラム国のように、イスラムを厳格に解釈して、その統治を暴力をもって住民に強要する集団は、近代以降においては後にも先にもないでしょう。 なぜ日本の若者までもが 彼らにシンパシーを感じるのか? ――そうした思想を強く持った人々がなぜあの地域に出て来たのでしょうか。 イスラム国のような思想を持つ人たちは、もともと数としてはあまり多くありません。ただ、彼らの思想に魅力を感じる人々が少なからず出てきて、大きな勢力になってしまうことはあります。 たとえば、シリア内戦でアサド政権と戦っているときに、イスラム国の原理主義的な思想に賛同して戦いに参加していた人は、少なかったと思います。逆に、彼らがアサド政権や米国と戦っていることを素晴らしいと思い、戦いに参加していた人は多いでしょう。 というのは、シリア内戦でアサド政権がイスラム国だけではなくシリア国民を残虐に弾圧する映像を、欧州の人たちは国際ニュースなどでたくさん見ていました。そうすると、「悪い政権と健気に戦う反政府勢力は偉い」と考える人も出てくる。結果として、「おれも戦うぞ」と自らシリアの反政府勢力に参加する人たちもいたわけです。それらが「イスラム国」に流れた。 ――日本でも最近、戦闘員としてイスラム国に参加しようとする若者が増えていると報じられ、波紋を呼びました。ただでさえ、中国・韓国との領土問題などもあり、今の日本は右傾化していると言われます。原理主義的な思想を持ち、悪と健気に戦うイスラム国の人々に、日本の若者がシンパシーを感じる風潮が強まっているのでしょうか。 その傾向はあると思います。また右傾化に加えて、「今の社会が不安だ」「この国はやはり何かおかしい」と不満を感じている若者が、今はたくさんいる。彼らから見てイスラム国の人たちは、いいか悪いかは別として、みな自分の信念に従ってバリバリ突き進んでいます。それがうらやましいと思う人たちは、日本のみならず世界中にいると思います。 しかも、シリア政権のように虐殺を行う悪者を相手に戦うという建前があると、イスラム国の戦いが正しく思えてくる。そして、彼らが唱えるイスラムの理想も、「よくわからないけど、正しいに違いない」と思えてしまう。そういう自己満足に浸れるわけです。イスラム国は、インターネットで美しい映像を使って自分たちをPRするので、余計に憧れる若者も出て来るのでしょう。 「得体の知れない人たち」と警戒される一方で、イスラム国は一部の人たちが確実に魅力を感じる国なのだと思います。 「日本にいるよりずっといい」 そう思う若者だっているかもしれない ――それにしても、先進国において「戦闘員としてイスラム国に行こう」と思い立つ若者がいるのは何故なのか。なかなか理解できませんね。 ニュースなどで見る限りでは、日本でも欧州でも、「実際にイスラム国が何をやっているのか」「何のために戦っているのか」をよく知らずに行く若者が多いようですね。そして、「残虐なシリア政府はけしからん」と参加してみたら、実はイスラム国自身が結構ひどいことをしていた。それがわかって抜けようとしても抜けられなくて困っている、という話は結構あるようです。もっとも欧州サイドが言っていることなので、本当に当事者たちが抜けたいと思っているのかは、よくわかりませんが。 ――普通に考えれば、いずれ抜けたくなるような気もしますが……。 私もそう思いますが、全てそうとは言い切れません。たとえば、北アフリカのチュニジアからイスラム国へ渡る人が最も多いと報道されていますが、アフリカは世界の中で相対的に貧しい地域です。べつに熱心なイスラム教徒でないけれども、職もない、お金もない、結婚もできないといった、将来に希望を見出せない人がイスラム国へ行くことも、多いのではないかと思います。 そんな人たちが呼びかけに応じてイスラム国へ行ってみたら、夜露をしのげるし、三食食べられるし、わずかではあるものの給料をもらえるし、同じくイスラム国を理想と考えて参加した女性とも結婚できる。何より周囲にいるのが、皆自分の祖国に不満を持って来ている人たちであり、同じ理念に従って突き進んでいるので、連帯感があってとても温かい感じがする。 こうした環境を、居心地がいいと感じる人は少なくないでしょう。日本のワーキングプアの若者が現地へ行って、「日本にいるよりずっといい」と感じることだって、あるかもしれない。躊躇する点があるとすれば、戦闘員として人殺しをしなくてはいけないことですが……。 ――戦闘員が給料を貰えるということは、コミュニティの中にちゃんと貨幣経済のシステムがあるわけですね。 あります。たとえばイスラム国は、制圧したモスルで最初に市の財源を全て押さえました。その財源を原資に、公務員にはそのまま給料を払い続けている。要は、イスラム国の言うことを聞いていれば、元からいた住人に危害は加えない、ちゃんと普通に生活させてやる、ということです。 市の財源はだんだん減ってきますが、一方で彼らは周辺地域の石油資源を密売したり、誘拐した外国人ジャーナリストの身代金を要求したりと、闇経済によってやりくりしています。なので、到底国家とは呼べない状態ではあるものの、一応経済・財政の概念を持っているわけです。 闇経済が回る限りは存続できる イスラム国が周辺に与える影響力 ――闇経済でやって行こうと思えば、できてしまう。不思議な気もしますね。それにしてもイスラム国は、今の状態でいつまで存続できるのでしょうか。 案外長く存続するかもしれません。南米では国家経済と並行して、マフィア経済が無視できないほど大きな規模を占めていると言われます。それと同じことで、闇経済が回っている限りは、当面存続できる可能性があります。 ただ、今の状態では、将来国家承認される可能性はまずないだろうし、イラクやシリアを乗っ取れる力もありません。「空き地」にできた家の中で、家族がハッピーに暮らすという状況は、長く続くかもしれませんが。 ――よくわかりました。こうしてお話を聞くと、イスラム国は「中東紛争のあだ花」と言えそうです。そんななかで先進国は、イスラム国のような勢力も視野に入れながら、今後どういう中東政策を展開して行けばいいのでしょうか。米国も、イラク戦争後に新秩序の枠組みをつくることに苦戦し、むしろ国際社会における信頼や発言力を弱めてしまった観があります。 解決策は、1つしかありません。イスラム国は、国の統治が行き届かない「空き地」で勢力を拡大しているわけなので、イラクやシリアの政府がきちんと地方にまで目が行き届く政治体制をつくることです。 イラク政府は過去、反政府勢力の人々が国政に参加するチャンスを与え、一旦イスラム国を追い出すことに成功している。問題は、過去にそれができたのに今はできなくなったこと。イスラム国に制圧されている地域の人々に、「政府につくほうがもっとよいことがある」というメリットを、各政府がきちんと提示すべきです。 イラクは現在の政府の正当性が国際社会で認められているので、米国も気兼ねなくバックアップすることができますが、問題はシリアです。「アサド政権は国民をいじめている独裁政府だ」と国際社会で認識されているため、今シリア国内で、イスラム国が「空き地」に入りこまないよう統治を徹底させようとすると、それはアサド政権を認めることにもつながりますから。 言わば根深い中東紛争の「あだ花」 米国や周辺国はどう動くべきか? そうなると、これまで自由を求めてアサド政権に抵抗してきた反政府勢力が、逆にアサド政権に虐殺されることも起こりかねない。実は、周辺国のトルコやサウジアラビアが恐れていることも、それなのです。彼らはイスラム国を潰すのはいいけれど、アサド政権の追い風になることはしたくないわけです。 これではまさに、マッチポンプ状態。米国がイスラム国を潰そうとする一方、周辺諸国がアサド政権を潰そうとしている複雑な現状では、より一層大きな「空き地」が出現し、そこにまた得体の知れない勢力が入り込むリスクもある。まずは、米国や周辺諸国がきちんと話し合い、「アサド政権を残すか、残さないか」「残すとしたら、空き地をつくらないように、どうやってまっとうな政権に生まれ変わらせるか」という合意を、つくらないといけません。 ――お話を聞くにつけ、本当に複雑な状況ですね。中東地域は歴史的にずっと出口のない紛争を続けている印象があります。今後もこの状況は変わらないのでしょうか。 中東地域は、以前と比べて質的には大きく変わってきています。中東問題の諸悪の根源は、やはりイスラエル・パレスチナ間のゴタゴタ。第二次世界大戦後にイスラエルが国をつくり、パレスチナ人を追い出して、難民問題が半世紀以上続いている影響は大きいです。 さらに最近では、「アラブの春」の結果として独裁政権が崩壊し、その後国の統治がまともに行なわれない地域が出て来て、各地に「空き地」ができ、本来のパレスチナ問題とは全く関係のないところで、イスラム国のような過激派組織が台頭している。1つの紛争が次々に別の種類の紛争を呼び起こすような状態になっています。中東問題は、本当に根が深いのです。 http://diamond.jp/articles/-/64587
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