★阿修羅♪ > 戦争b14 > 700.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
湯川遥菜イスラム国で保育士 情報の真相を父が告白(週刊文春)
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/700.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 12 月 25 日 18:25:05: igsppGRN/E9PQ
 

             なぜかネット上に出回り、保育士情報のもとになった写真


湯川遥菜イスラム国で保育士 情報の真相を父が告白
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4699
週刊文春 2015年1月1日・8日 新年特大号


「世間には本当にご迷惑をおかけしたと思っています。しかしやはり掛け替えのない息子です。どうか生きていて欲しい。いますぐシリアに飛んでいって抱きしめてやりたい」
 父は目を真っ赤にして、こう語った。湯川遥菜(はるな)さん(42)がイスラム過激派組織「イスラム国」に拘束されてから4カ月が経過した。

 衝撃的な映像がネット上にアップされたのは8月17日のことだった。

〈Where you from?〉

〈ジャ、ジャパン……〉

 兵士からナイフを突きつけられた湯川さんの額からは、血が流れていた。

「今年初めに民間軍事会社を立ち上げた湯川さんは、7月下旬に現地視察のため、シリアに入りました。しかし、湯川さんは軍事教練も未経験の素人。すぐに戦闘に巻き込まれ、イスラム国に拘束されてしまったのです」(外信部記者)

 拘束した外国人の処刑映像を次々と公開してきたイスラム国。だが、湯川さんに関する動画は拘束時のもの以外は出てきていない。

 そんな中、11月に入るとネット上で「湯川さんはイスラム国で保育士になっている」という驚愕の情報が流れだした。イスラム国関係者が、幼い女の子を肩車して笑っている湯川さんの写真をアップしたという触れ込みだ。だが、父親の正一さんに当該画像を見せると、力なく首を振る。

「これは息子が今年6月にイラクに行った時の写真で、イスラム国とは関係ありません。いろいろ情報が出回っているのは知っていますが、惑わされないよう、耳を塞いで暮らしています。

 いまも外務省からは2週間に1回くらいの間隔で連絡が入りますが、『安否はまだ確認できません』という報告だけです」

 一方ジャーナリストの常岡浩介氏は「少なくとも10月6日までは湯川さんは生存していたと思う」と語る。

 10月6日とは、北海道大学の学生が、イスラム国への参加を計画していたとして「私戦予備・陰謀」容疑で警視庁公安部から家宅捜索を受けた日。常岡氏は北大生のイスラム国入りを同行取材する予定だった。

「その日まで、私は取材を通して知り合ったイスラム国の司令官から、『ユカワは元気でいる』と聞いていました。9月には、司令官が湯川さんに会わせるというので、私とイスラム法学者の中田考先生の2人でシリアに渡りました。しかし、タイミング悪く、大規模な空爆が始まってしまったため面会は中止になった。その後も司令官とは連絡を取り続け、再渡航する準備を進めていましたが、私自身も家宅捜索を受けたことがきっかけで連絡が途絶えてしまったのです」

 湯川氏は無事なのか。

「彼らは日本の対応を見極めながら交渉カードとして湯川さんを生かしているのではないでしょうか。いまイスラム国は劣勢に立たされています。追い詰められた彼らがいつカードを切るか」(外務省関係者)

 一刻も早い救出が待たれる。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2014年12月25日 22:08:07 : hhSA9meW9Q

危険なイスラム過激派の拡大を止められないアフリカ
イスラム国が急速に浸透する歴史的背景〜関係国はどう対応するのか(3)
2014年12月25日(Thu) 吉田 彩子
 現在のサハラ・サヘル地域1におけるテロリストグループは、1990年代のアルジェリア内戦で活動していたグループに発している。

 当時、GIA(武装イスラム集団、1992年に設立)と呼ばれるイスラム過激派テロリストグループが有名になり、その後1998年にはGSPC(Groupe Salafiste pour la Prédication et le Combat)と呼ばれるGIAの分派が設立された。

90年代から始まった北・西アフリカのテロリストの台頭

 GSPCは2006年にアルカイダに忠誠を示すようになり、翌年からAQIM(al-Qaeda in the Islamic Maghreb、イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ)と名乗るようになった。

 アルジェリアでも活発なテロ活動を展開したが、強力な治安機関の弾圧を受け、サハラ・サヘル地域(特にアルジェリア、モーリタニア、マリ、ニジェールそしてチャドの一部を含む国境付近)へ追いやられる形となった。

 AQIMは、この地域に中央政府の力が及んでいないことを利用し、麻薬売買などの犯罪にも深く関わりながら、影響力を強めていった。その戦略の一つとして、AQIMの幹部たちはその地域出身の女性と結婚し、地域との関係を築き、コミュニティに徐々に溶け込んでいったことがあげられる。

 例えばモフタール・ベルモフタール(MBM)2はマリ北部のアラブ系Barabicha族のリーダーの娘の1人と結婚し、地域をコントロールしている遊牧民族との関係を深めていった。

 その後、MUJAO(英語ではMOJWA:西アフリカ統一聖戦運動、2011年に作られたAQIMの分派)やアンサール・ディーン(Ansar Dine:サラフィスト・イスラム過激派グループ3)などのグループが作られ、もともとあったトゥアレグ(遊牧民)独立運動グループの活動と一体となりながら2012年のマリ紛争へと繋がっていく。

1 サハラ砂漠南縁部に位置する半乾燥地帯。大西洋から紅海に及ぶ国々を含む。カーボベルデ、セネガル北部、モーリタニア南部、マリ、アルジェリア最南部、ブルキナファソ北部、ニジェール、ナイジェリア最北部、チャド中部、スーダン中部を含む。エリトリア、ソマリア、エチオピア、ジブチを加えることもある。

2 MBMはGSPC、そしてAQIMで活躍していたが、2012年12月に「イスラム聖戦士血盟団」(Les Signataires par le sang)として独立、2013年1月のアルジェリア(イナメナス)人質事件において犯行声明を出した。その後2013年8月にはMUJAOと合併し、「Al-Mourabitoune」を設立した。

3 リーダーのイヤド・アグ・ガリ(Iyad Ag Ghali)は1990–1995年のトゥアレグ独立運動における主要メンバー。

 マリ紛争は、2012年1月17日、MNLA(アザワド解放民族運動、トゥアレグ独立運動グループ)とアンサール・ディーンが北部のマリ軍駐屯地を襲撃したことにより始まった。その後、ジハーディスト集団であるAQIMとMUJAOが加わり紛争が激化、複数の街がこれらの武装集団の手に落ちていった。

 AQIMが各国政府のコントロールなしに国境を行き来し、様々な犯罪行為を繰り広げていたのはもう何年も前からのことであった。そこへリビアのカダフィ政権の崩壊によって武器と武装兵が流れ込み、マリ北部の反乱グループはマリ軍兵士たちの手におえなくなっていた。それが2012年3月のクーデターに繋がっていったのである4。

 こうしたマリ国内の不安定な状況を利用し、トゥアレグ独立運動グループとイスラム過激派グループはそれぞれの主張そして要求を叫び、次々と活動地域を広げようとした。MNLAは2012年4月、アザワド独立宣言5を行なったが、その後、アンサール・ディーンとの同盟は破棄され、ほかのイスラム過激派グループとも交戦状態になっていった。

イスラム過激派の拡大阻止に動いたフランス

 こうして、イスラム過激派が北から徐々に南下していき、穏健なイスラム教徒であったマリの人々にシャリア(イスラム法)を押し付け、人々の目の前でむち打ちの刑を行うなどの残虐な光景がメディアでも多く報道されるようになっていった。

 そして2013年1月11日、マリ政府の要求のもと、国連安全保障理事会の承認(国連安保理決議2085)を得て、「イスラム過激派の南下を防ぎ、首都バマコを守り、マリがその領土を保全する」との目的のもと、フランスのセルヴァル(Serval)作戦が展開された。

 この軍事介入は議論を呼んだが、実際には、マリ軍はAQIMなど砂漠での紛争に慣れたテロリストグループに対抗するために必要な能力のある軍隊と装備を持っていなかったことが指摘されている。

 また、フランスがセルヴァル作戦以前から、DGSE(Direction Générale de la Sécurité Extérieure、対外治安総局)、COS(Commandement des Opérations Spéciales、特殊作戦司令部)などの活動を中心に、サヘルにおける危機に対応していた点も重要である。

4 クーデターの推進者であるサノゴ(Sanogo)大尉は、武器弾薬の不足や中央政府のテロリズムに対する無能力さから反乱を起こしたとされているが、実際は内部対立も一因であったといえる。当時のマリ大統領アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(Amadou Toumani Touré、ATT:ATT自身は赤ベレー出身)は 、マリ軍の赤ベレー(bérets rouges)と緑ベレー(bérets verts)に待遇の違いを設けて赤ベレーを優遇したため、緑ベレー(サノゴ大尉は緑ベレー)の反発を買っていた。

5 一方的な宣言であり国際社会からは認められなかった。

 COSはコードネームを”SABRE”(日本語で「刀」を意味する)と名付け、モーリタニア、ブルキナファソ、ニジェールに特殊部隊を送っており、1er RPIMa(第1海兵歩兵落下傘連隊)やCPA10(空軍第10落下傘コマンドー)などが活躍していた。

 派遣の目的は自国の資源戦略の重点となっているニジェール(マリの隣国)のウラニウムの保護6および人質の救出7であった 。2008年頃は、モーリタニアがテロの標的となっていたため、フランス−モーリタニア対テロ協力体制が築かれ、フランスはモーリタニアの特殊部隊の編成とテロリスト撲滅を支援8していた。

 このセルヴァル作戦においては4500人の兵士が投入され、フランス軍側は9人が死亡、約60人が負傷する結果となった。しかし数百人のテロリストを殺害9し 、約200トンの兵器や弾薬、および爆薬の原料となる約20トンの硝酸アンモニウムが押収された。

安保理、マリ軍事介入を全会一致で承認
マリ・ガオの通りを歩くイスラム主義組織MUJAO(西アフリカ統一聖戦運動)の若い構成員(2012年7月17日撮影) ©AFP/ISSOUF SANOGO〔AFPBB News〕

 3段階で行なわれたこの作戦では、まず首都に向かっていたテロリストの南下を阻止し、次にニジェール川北部のテロリストの温床となっていた地域を制圧してマリの国家主権(選挙を含む)を回復させた。そして最後は、段階的に作戦権をマリ及び国連ミッション(MINUSMA)へ移転させていった。

 このようにしてセルヴァル作戦は終わり、サヘル地域におけるフランス軍の再編成が行われ、“対テロを目的とした”バルハン(Barkhane)作戦に移行したのである。

 今年8月から始まったこの作戦では悪化するリビア情勢も重視されており、ルドリアン仏国防相は「リビアから大西洋にわたる広い範囲でのジハードグループの台頭を阻止し、この地域がさまざまな犯罪の温床となるのを避けることは、私たちの安全を守ることにつながる」と発言、長期化が予想されるバルハン作戦の重要性を強調した。

 日本では、2013年1月のアルジェリア人質事件を契機として一挙にこの地域への関心が高まったようであるが、この地域の治安悪化はフランスにとって以前から悩みの種であった。サヘル地域の国々はフランスの旧植民地であり、軍事・政治・経済などの面で現在も緊密な関係が続いているのだ。

6 フランス原子力企業アレヴァ(AREVA)はニジェールでウラニウム鉱山の開発を行っている。フランスの電力の80%近くは原子力に頼っている。

7 フランスはこの地域で多数の人質事件の被害に遭っている。今月9日にはセルジュ・ラザレヴィック(Serge Lazarevic)がAQIMから解放され、公式には拉致された仏人がいなくなったが、過去において拉致された仏人は、合計15人ほどになる時期もあった。

8 その結果、AQIMはマリの方へ押し出される形となったとも言える。

9 最初の4か月間で400人から800人のジハーディストを殺害したという。

アフリカがイスラム過激派の温床になる歴史的背景

 この地域でのテロリズムの展開の流れや特色をまとめると、次のようになる。


アフリカにおける武装テロリストグループ
黒と白の縞模様は武装グループの主要後方基地となる地域、◆はトゥアレグ族の民族政治運動(出所:La Croix) 拡大画像表示
◆ 2008年のパリ・ダカールの開催中止(その後南アメリカへ移動)に見られたように、かなり前からこの地域の危険性と不安定な情勢は続いていた10

◆ 砂漠地帯の国境におけるセキュリティコントロールに限界がある

◆ 複数のグループが活動している(MNLA, AQIM, アンサール・ディーン、MUJAO、ボコ・ハラムなど、右図参照)

◆ 拉致によって得る身代金、そして麻薬やタバコなどの密売から得た資金で武器を手にいれている

◆ 南アメリカの麻薬マフィアとのつながりがある11

◆ リビア・カダフィ政権終焉後に大量の武器が流れ込んだ12

 また、この背景にはアフリカの歴史がある。アフリカ大陸はもともと人類の発祥の地であり、古い歴史を持っている。15世紀以前は複数の王国によって成り立っていた。

 しかし、ヨーロッパとの交流が15世紀末に始まると三角貿易と呼ばれる奴隷貿易が盛んになり、植民地としての歴史が19世紀末から始まる。1884年のベルリン会議ではヨーロッパによるアフリカ分割の原則が決められ、その後、国境線が引かれた。

 アフリカ諸国は1950年代後半からは次々と独立していったが、旧宗主国の影響力はいまだに強く残っており、独立後も様々な問題を抱えている。同一民族を分断して人工的につくられた国境線は対立・紛争を生んだ。

 また、植民地制度から生まれた白人に対する従属感、反発心などは簡単に解決できる問題ではない。そして資源が豊富な故に紛争が絶えないということも、“混乱が常に存在する大陸”と呼ばれる理由のひとつであろう。

10 DGSE(フランス対外治安総局)は2006年11月にこの地域のGSPC(Groupe salafiste pour la prédication et le combat、 AQIMの旧称)による危険性が拡大したため、政府にパリ・ダカールのルート変更(モーリタニアのネマ〜マリのトンブクトゥ間の中止)を提案している。

11 マリ東部のガオ(Gao)はフランス軍の介入があるまで「コカインシティ(Cité de la Cocaïne)と呼ばれ、南アメリカ麻薬マフィアの大きなネットワーク(ヨーロッパ・エジプト・トルコなどへの運送ルート)の拠点となっていた。現地の人々は、貧しさや政府・行政機関の機能不全から麻薬マフィアに協力するに至っていた。 当時のマリ大統領アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(Amadou Toumani Touré、ATT)はマフィアの賄賂を受け取っていたという。

12 リビアのカダフィ政権終焉後、武器をもったトゥアレグ(カダフィはトゥアレグの傭兵部隊を持っていた)はニジェールにおいては武装解除されたものの、マリにおいてはされなかった。そのため当時の大統領ATTは国民から不信感を買うことになった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42410
 


02. 2014年12月29日 12:39:23 : GFVdcPriAs
因果応報!

イスラム国は、アメリカに破滅された旧イラン政府が作っているようだ。
今のイランを見て、昔が良い国と民衆は思いますわね。
リビアにも、同じようなことが起こるような気がする。

アメリカ・西欧諸国の強欲は世界に通用しない。
テロ(これは正義が虐げられた人民の抵抗運動が正しいだろう)にはアメリカは負けるだろう。叩いても叩いても抵抗は出てくる。で、完全に叩きのめす時、そこは無人地帯となって利益が吸い取れない地域となる。
ベトナム等で懲り懲りしたはずでなかったようだ、性根がいらんアメリカ。

世界の収奪国家;アメリカには、どの国も鼻ツマミだ。
安倍には、この対策全くないようだ。


03. 2015年1月22日 17:53:04 : L7UxoU7Gsk

川島芳子の生まれ変わりだそうですw

Haruna プロフィール
http://profile.ameba.jp/yoshiko-kawashima/ より(+_+)した部分を抜粋


長所:超やさしい

短所:ないかも♪


前世の記憶も沢山あり、自分が生まれ変わる
前の事が分かります。

僕の前世の記憶、男装の麗人川島芳子の記憶と
生まれ変わり。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 戦争b14掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
戦争b14掲示板  
次へ