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― GAKU (@GAKU_IZ) 2014, 12月 20
「戦場体験」を受け継ぐということ
ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて
遠藤美幸著
●四六判・240ページ
●2014年10月24日発行
●本体価格2200円
●ISBN 978-4-87498-549-6
1941年12月8日のハワイ真珠湾とマレー半島への奇襲攻撃から半年たらずで、日本軍はマレー半島を席巻してシンガポールを、次いでスマトラ、ジャワ島、あわせてフィリピンを占領、翌42年5月にはビルマ(現ミャンマー)全土を制覇した。
一方で、蒋介石の率いる中国国民政府は、日本軍により首都・南京を追われ、奥地の重慶に本拠を移した。その国民政府を支援するため、米英両国は「援蒋(えんしょう)ルート」を通じて軍需物資を送った。その最大のルートが、ビルマのラングーン(現ヤンゴン)から北上して中部マンダレー、ラシオを通り、中国国境を越えて雲南省に入り、昆こんめい明に至る「ビルマルート」であった。
その「ビルマルート」を遮断するため、四二年5月、日本軍は中国雲南省西部の軍事拠点・拉孟(らもう)に陣地を築き、1300人の守備隊を配備した。しかしほどなく太平洋戦線での米軍の反攻が開始され、日本軍は後退を余儀なくされる。
そうしたなか、44年6月、米中連合軍は新たな「ビルマルート」の奪回作戦を開始、中国軍4万人が拉孟陣地を包囲する。100日にわたる死闘の末、9月7日、拉孟守備隊は全滅した。その拉孟全滅戦の実相が、奇跡的に生き残った将兵の証言により、ここに初めて明らかにされる。
本書は、その将兵と“奇縁”によって結ばれた戦後世代の女性研究者による記録である。
http://www.koubunken.co.jp/0550/0549.html
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