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「イスラム国」の首領は死亡? (ロシアの声)
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/576.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 11 月 09 日 23:49:05: igsppGRN/E9PQ
 

「イスラム国」の首領は死亡?
http://japanese.ruvr.ru/news/2014_11_09/279814428/
17:22 ロシアの声


イラクの特務機関は「イスラム国」のリーダー、アブ・バクラ・アルバグダディがイラク北部の空爆の際に殲滅された可能性があるという情報の真否を調査中。

「現段階では把握している情報は非公式的な情報筋からのものであり、信憑性のある証拠はつかめていないが、同時にこの情報は否定もされていない。情報の真偽は調査中。」AFP通信が同機関の報道官の声明を引用して伝えた。

9日、米軍機は「イスラム国」の司令官の集会が行われていたアルアンバル州の都市アルカイム付近を空爆。その後、マスコミにはアルバグダディが負傷したというニュースが流れ、同時に殲滅されたという情報も流された。

リアノーボスチ通信


 

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コメント
 
01. 2014年11月10日 20:50:00 : iZMnjfAAzI
死んだことにして金を受け取り南米で暮らしているらしい。

02. 2014年11月11日 02:16:31 : TGgfYEbPRU
アメリカが真っ先に飛び付きそうなネタなんだがな・・・。
ビン・ラディンの一件があるからガセだと思うが・・・。
IS の戦闘員の数も 9,000〜17,000人とか言い始めてるし・・・。

03. 2014年11月11日 07:04:39 : jXbiWWJBCA

【第516回 】 2014年11月11日 高岡 豊[中東調査会上席研究員]
「イスラーム国」とは何者か
どこから来てそしてどこへ行くのか
――中東調査会上席研究員 高岡 豊
2014年6月初旬から本稿執筆時点まで、イラク、シリアでの「イスラーム国」の活動や、それに対する各国の反応、国際的な影響について日本の報道機関でも取り上げられない日はないほどである。8月からはイラク、9月下旬からはシリアでも、アメリカが主導する「国際同盟」による対「イスラーム国」攻撃が続いている一方で、世界各地で「イスラーム国」に惹きつけられたり、触発されたりする者が相次いである。このように世界的に注目を集める「イスラーム国」は、なぜ現在のような姿になり、今後どのようになってゆくのだろうか。

「イスラーム国」の起源


たかおか・ゆたか
新潟県出身。1998年早稲田大学教育学部卒、2000年3月上智大学大学院外国語研究科博士課程前期修了(修士)、同年4月在シリア日本国大使館専門調査員、06年中東調査会研究員、08年11月上智大学研究補助員、11年3月 博士号取得(上智大学)、14年5月から現職。主な著作に『現代シリアの部族と政治・社会』(三元社)。
 最近にわかに注目を集めたからといって、「イスラーム国」は突如現れた団体ではない。また「イスラーム国」の起源は、実はイラクでもシリアでもなく、アフガニスタンにある。アフガニスタンについては、1980年代にムジャーヒディーンと呼ばれるアラブ・ムスリムの義勇兵が、ソ連軍と戦ったことが知られている。「イスラーム国」の前身となった団体を結成したヨルダン人のアブー・ムスアブ・ザルカーウィー(本名アフマド・ハラーイラ)は、1989年ごろにアフガニスタンに渡航したとされている。

 もっとも、この時期にはソ連軍との戦闘はほとんどなかった上、ザルカーウィー自身もその後数年間はヨルダンで逮捕・収監されていた模様だったため、同人がアフガニスタンで武装集団を結成して本格的に活動に乗り出したのは1990年代の末である。当時のアフガニスタンではムジャーヒディーンの著名人としてウサーマ・ビン・ラーディンが活動していたが、ザルカーウィーらの活動はビン・ラーディンに完全に従属してはおらず、資金や人材の獲得をめぐって競合する場面もあったとされる。

 ザルカーウィーにとっての転機は、アメリカが推進した「テロとの戦い」である。2001年のアメリカ軍によるアフガニスタン侵攻により、アフガニスタンでの拠点を失ったザルカーウィーはイラクに潜入し、2003年にアメリカ軍がイラクを占領すると、アメリカや同国に協力する主体に対する武装闘争を開始した。ザルカーウィーが率いた団体は、多数を殺傷した自爆攻撃や、外国人の誘拐・斬首で名を馳せた。当時、彼の団体は「タウヒードとジハード団」と名乗っていた。

 2004年10月、ザルカーウィーはビン・ラーディンに忠誠を表明し、団体名を「二大河の国のアル=カーイダ」に改めた。ザルカーウィーは、ここで初めて“アル=カーイダの一員になった”のである。日本人旅行者・香田証生氏が誘拐・斬首されたのはこれと同時期であり、「二大河の国のアル=カーイダ」は日本にとっても忘れ難い存在である。「二大河の国のアル=カーイダ」は、アメリカ軍やイラク政府、そしてシーア派に対する激しい攻撃で猛威をふるったが、2006年6月にザルカーウィーがアメリカ軍に殺害されるなど、衰退局面に入っていった。彼らのイスラーム解釈や実践、苛烈な闘争方針がイラクの社会に受け入れられなかったことが、衰退の一因である。

退勢を挽回のきっかけはシリア紛争

 2006年10月、「二大河の国のアル=カーイダ」はイラクの武装勢力や部族の連合体として「イラク・イスラーム国」の結成を宣言した。彼らが国家を自称し、閣僚や省庁を設けたのはこの時からである。ただし、「イラク・イスラーム国」の実態は、「二大河の国のアル=カーイダ」による他党派の解体・併合路線に過ぎなかったため同派は孤立を深め、アメリカ軍やイラクの治安部隊、シーア派民兵とだけでなくイラクで活動するほとんどの武装勢力と深刻な敵対関係に陥った。

 武装勢力や部族の一部はアメリカ軍によって「覚醒評議会(サフワ)」として組織化され、「イラク・イスラーム国」掃討の前線に立つようになった。こうして、2011年までには「イラク・イスラーム国」の政治・社会的影響力は著しく低下した。2011年初頭からは、「アラブの春」と呼ばれる政治変動がアラブ諸国を席巻し、報道機関の関心がそちらに移っていったことも、「イラク・イスラーム国」の影響力低下に拍車をかけた。

「イラク・イスラーム国」が退勢を挽回するきっかけとなったのは、シリア紛争である。当初はアサド政権に対する民衆の蜂起という形で推移した紛争は、諸外国が各々の利害や政策的目標に沿って介入したことにより国際紛争に変質した。その過程で、アサド政権を打倒しようとする諸国は反体制派の武装闘争を援助し、アサド政権を攻撃するならばどのような主体でも活動を肯定・黙認した。

「イラク・イスラーム国」は、紛争初期には「ヌスラ戦線」との名称のフロント組織を通じて、2013年4月以降は「イラクとシャームのイスラーム国」と改称してシリア紛争に参入し、シリアを窓口として世界各地からヒト、モノ、カネ等の資源を調達する経路を確立した。この間、同派を“テロリスト”として追跡していたはずのアメリカなどは、同派による資源調達を阻止する有効な対策を講じなかった。シリア紛争を口実にイスラーム過激派が自由に資源を調達することにより、「テロとの戦い」に重大な綻びが生じたのである。

 一方、イラクでは様々な政治勢力間の権益争いが嵩じ、選挙や議会・政府が政治・経済的な紛争を解決する手段として機能しなくなっていた。その結果、サフワの一部が職務放棄や反政府蜂起に転じ、治安が悪化していった。6月に「イラクとシャームのイスラーム国」がイラクで大攻勢をかけ、モスルなどの重要拠点を占拠できた原因の一端は、イラクの政治の行き詰まりにある。

 また、同派はシリア紛争を通じて調達した外国人の自爆要員などをイラクでの攻勢に大量投入し、戦果をあげた。彼らは、2014年6月末に自派の指導者をカリフに推戴してカリフ制(*)の樹立を宣言、名称を「イスラーム国」と改めスンナ派共同体全体を代表する存在としてカリフ国を僭称するまでに至った。アフガニスタンでソ連と戦ったムジャーヒディーンに起源をさかのぼる「イスラーム国」は、2001年以来の「テロとの戦い」を経て、イラクでの国造りの失敗とシリア紛争を促進要因として、現在の姿へと“発展”したのである。

(*)カリフ制=預言者ムハンマドの代理人(=カリフ)を首長とする政治体制。

恐怖による合理的な広報戦術


インターネットやメディアを通じた広報が「イスラーム国」を支える Photo:Abaca/Aflo
 インターネットや報道機関で「イスラーム国」について膨大な情報が流れていることが、「イスラーム国」を支える柱の一つになっている。「イスラーム国」は斬首や戦闘場面などの残虐映像や、高度な技術を基に作成された広報映像を盛んに発信し、注目を集めている。彼らが熱心に広報活動を行う理由は、自らの政治的要求や主張を広く知らしめる、敵対者に恐怖感を与え世論を動揺させる、支持者となり得る人々に実績を強調して資源を調達する、などが考えられる。

「イスラーム国」にはアラビ半島諸国の個人やNGO(非政府組織)などから巨額の資金が寄せられている他、サウジアラビア、チュニジアをはじめとするアラブ諸国から多数の戦闘員が参加している。最近では、欧米諸国出身の戦闘員も目立つようになっており、広報を通じた「イスラーム国」の影響力拡大に貢献している。このように、イラクやシリア以外の場所で調達する資源は「イスラーム国」にとって非常に重要である。それ故、「イスラーム国」が残虐行為を含む過激な振る舞いをすることには、より社会的な関心を引き付けるという合理的な広報戦術としての性質もある。

 2014年2月、アル=カーイダは総司令部名義で声明を発表、「イスラーム国」との絶縁を宣言した。その結果、アル=カーイダと「イスラーム国」との間でイスラーム過激派からの支持・名声・威信、そして資源の獲得競争とも言える状況が生じている。現時点では、この競争で「イスラーム国」が優位に立っているとみられるが、それはアル=カーイダが「イスラーム国」の活動場所を既存の国家を単位としてイラクに制限しようとしているのに対し、「イスラーム国」がイラクとシリアとの国境を破壊・超越して活動したり、カリフ国を僭称したりしてイスラーム共同体の統合という理念により忠実に見えること、「イスラーム国」が現場で連日戦果をあげていることなどの結果である。

 それでは、「イスラーム国」はアル=カーイダを凌駕する名声と威信を獲得し、世界各地のイスラーム過激派団体が「イスラーム国」に忠誠を誓うような状況が生じるだろうか?今のところ、既存のイスラーム過激派諸派の間で「イスラーム国」への支持は広まっていない。インターネットなどで「イスラーム国」への支持を表明したり、同派の活動に共鳴する事件を起こしたりする者がいることは事実だが、主流とはなっていないのが現状である。

 この点については、かつて世界各地のイスラーム過激派団体の間で、アル=カーイダの支部が広がっていったかのように見えた現象と、現在の「イスラーム国」の活動の特徴から考える必要がある。アル=カーイダは、世界各地の政情やイスラーム過激派の作戦行動について盛んに論評を発表し、個々の団体や作戦を賞賛・正当化することによって、自らと作戦実施主体の影響力を高める効果を上げてきた。

 一方、「イスラーム国」の活動は、軍事的にはイラクとシリアでの活動に集中している上、2014年7月〜8月のイスラエルによるガザ攻撃にも全く関心を示さないなど、広報面でも自派の資源調達のための活動が中心となっている。すなわち、「イスラーム国」の活動は、組織や影響力を外部に拡散させる傾向よりも、世界各地のイスラーム過激派の資源をイラク、シリアに吸引する傾向の方が強いのである。既存の団体が「イスラーム国」に忠誠を表明したり、「イスラーム国」に同調する団体が新たに発足したりする動きが世界各地で流行するには、「イスラーム国」自身がイラク、シリア以外を対象とした活動と広報を本格化させる必要があるだろう。

欧米諸国は標的になるか

 アメリカはイラク・シリアでの「イスラーム国」の攻勢を前に、諸同盟国を糾合して2014年8月にイラクで限定的な空爆を開始した。空爆の範囲は次第に拡大し、9月下旬からはシリア領内での空爆も行われるようになった。ただし、空爆参加国はいずれも地上軍を派遣して「イスラーム国」を掃討する意向を示していない上、イラクでもシリアでも地上で「イスラーム国」を制圧する態勢が整備されていないため、「イスラーム国」対策は長期化するとの見通しが主流である。

 さらに、「イスラーム国」対策では軍事的な掃討だけでなく、「イスラーム国」向けの資源の供給を遮断することが重要だが、イラクやシリアでの情勢に対する立場が異なる各国が協調して必要な措置を取ることができるかは心許ない。国連安全保障理事会でも加盟国に「イスラーム国」の資源調達を規制する立法措置を義務付ける安保理決議2178号が採択されたが、「イスラーム国」の資源調達に対する取り組みは端緒についたばかりである。

 現在、「イスラーム国」に対する国際的な懸念事項は、「イスラーム国」に参加した者が帰還し、欧米諸国やそれらの権益に対して攻撃を仕掛けることである。また、イラク、シリアでの「イスラーム国」に対する攻撃が拡大するにつれ、「イスラーム国」が欧米諸国を舞台に作戦を企画するのではないかとの恐れも出ている。この問題については、「イスラーム国」の活動の中でイラク、シリア以外の国々がどのように位置づけられているかという観点から考察すべきである。

 確かに、「イスラーム国」は、欧米諸国や既存のアラブ諸国を思想上の敵対者と位置付けている。しかし実際の活動においては、これらの諸国は資源の調達地・経由地として利用されている。上述の通り、「イスラーム国」の資源調達を抑える取り組みはまだ不十分であり、その結果「イスラーム国」がイラク、シリアでの活動に必要な資源は特段の障害もなく調達され続けている。実際、2014年6月以降も毎月1000人もの外国人が「イスラーム国」に合流しているとの報道もある。となると、「イスラーム国」にとっては、現在の状況で欧米諸国で攻撃を起こし、資源調達のために構築したネットワークや組織のようなものを危険にさらすことに何の合理性もない。

 つまり、組織としての「イスラーム国」による欧米諸国での作戦行動や欧米諸国の権益に対する攻撃の可能性は、欧米諸国が自国内での「イスラーム国」による資源調達の仕組みを真剣に取り締まるようになるとより現実的になるのである。そうした意味では、たとえ「イスラーム国」に加わった経験のある者による犯行でも、組織としての戦術に基づいたり、何らかの政治的なメッセージを帯びたりしているわけではない単独犯による事件は、「イスラーム国」による作戦行動と区別して考えるべきものである。

 そうした中で、イラク、シリアでの「イスラーム国」による破壊と殺戮の実態や、イラクでの政情混乱の打開、シリア紛争の終息のようなより根本的な課題に対する関心や取り組みは十分なものとは言い難い。「イスラーム国」の発生と発展には、アフガニスタン、イラク、シリアの情勢に対する国際的な取り組みが影響を与えているため、現在の状況を契機にこれらの問題に対する各国の立場や政策にも検証・修正すべき点があろう。
http://diamond.jp/articles/-/61943


04. 2014年11月12日 06:34:42 : jXbiWWJBCA

【第228回】 2014年11月12日 週刊ダイヤモンド編集部
【「宗教」を学ぶ:座談会拡大版 (1)】
僕らはなぜ、イスラムの戦地を目指すのか?──テロリストとは違った過激派の表情
シリアの戦地を踏んだ若者たちが本音でトーク
敵への首切りや奴隷制の復活など過激な行為で、世界中でニュースとなっているイスラム教過激派組織「イスラム国」。彼らが勢力を伸ばしているのは、「アラブの春」以降に内政が混乱したシリアとイラクで、現在も米国による空爆など激しい戦闘が続いている。
『宗教』を学ぶ」で、内戦下のシリアで、戦闘に参加したり、反政府組織に接触した若者たちに座談会を掲載した。ここでは、誌面に収めきれなかった、若者たちの目で見たシリアと反政府組織の“実像”を、3回にわたって紹介する。 週刊ダイヤモンドでは、11月15日号の第1特集「ビジネスマンの必須教養
森川 潤) (構成/週刊ダイヤモンド編集部

──本日は、ジャーナリストの常岡浩介さんの協力の下、現在内戦下にあるシリアで反政府組織に参加されたり、接触された若い方々に集まってもらいました。
 常岡浩介僕は1998年から取材活動をしているフリーの記者です。シリアは平和な時代から含めると92年以来10回以上、行ったり来たりしていて、平和な時代は本当にいい所でした。
アラブ社会の中でも一番多様性のある所で、例えば少数宗派であるアラウィー(イスラム教から派生した宗教で、輪廻転生を取り入れるなど異端とされる)とか、少数民族のクルド人、アルメニア人、他にも、イスラム教のスンニ派のゴリゴリの人もいれば、世俗的な人もいたり、共産主義者もいるという、すごく多様性のある社会で、その多様性が面白かったんですよね。 
とにかく、どこへ行ってもみんなとんでもなく親切で、泊めてくれたり、飯をおごってくれたり。そういうところは、どの宗派だろうがどの社会主義者だろうが共通していまして、行った人はみんなシリアが好きになるんですよね。 
常岡浩介(つねおか・こうすけ)/45歳。早大卒。長崎放送記者を経て1998年フリー記者。チェチェンなどで戦争取材を続け、ロシアなどで政府系組織に誘拐された経験も。シリア内戦ではイスラム国にも接触。
今年9月シリアを訪れた常岡氏(左上)、イスラム国が攻略したアサド政権空軍基地に横たわる戦闘機の残骸(右上)、アサド政権が支配するアレッポの空軍基地を、イスラム国エジプト部隊が迫撃砲で攻撃(左下、右下)
それが3年前に今の内戦になってしまって……。僕はアラビア語が全然わからないものですから(入国を)諦めていたら、チェチェン人の友達が連絡をくれて、シリア内にいるチェチェン人を紹介してくれたもので、行くはめになりました(笑)。誰かが誰かを紹介してくれて、信頼を得て、また次にも行けるようになる社会でもあるんですよね。それで「イスラム国」にも行けるようになってしまって3回行きました。 
さらに、ニュースにもなったイスラム国行きを志願して逮捕された北海道大学の学生に紹介されていたものですから、彼のインタビューまで取っていまして、結果、(私戦予備罪で公安警察に)自分も家宅捜索まで受けて、参考人、つまり当事者になってしまいました(笑)。  
ロマンチックに
夕食に誘う
シリアの痴漢
谷川ひとみ私は27歳で、大学院で(旧ソ連の)北コーカサスの歴史を勉強しています。私もシリアは6年前に行ったことがあって、その時が初めてだったんですが、確かにすごく親切で私もすごく好きになって、当時は治安もよかったですし、安いし、気持ち良かったです。痴漢以外は……(笑)。 
常岡エジプトの痴漢とかものすごく有名だけど、シリアでもやっぱりいるんだ。 
谷川シリアもイランもヨルダンも。ヨルダンよりはまだマシかな。 
常岡へぇ。 
谷川民族色があるんですよね、やり方に。ヨルダン人はいきなり触ってくる人がいたりするんですが、シリア人は夕飯に誘ってくれて、「噴水があってきれいだよ」って言ってくれたり……(笑)。「とってもロマンチックな場所だから」と。他の場所と比べると、シリアはちょっとマシな人たち(笑)。 
鵜澤佳史でも、いわゆるイスラム原理主義の人たちは全然違うんですよ。サラフィー主義(イスラム教スンニ派の中で厳格な復古主義を主張、7世紀の生活を守ろうとする。シリアでは、サラフィー・ジハード主義という過激派になる者も多い)の組織は、女性が歩いて来ても「見るな」みたいな。 
──そうなんですか。
鵜澤友達の家に行っても奥さんは絶対に出てこないし、奥に入ったままだったり、一切、女性との会話はなかったです。 
鈴木美優私もサラフィー主義の人に会いましたけど、私は女性なので(周りに男性が)いなくなるまで見ててくれるんですよね。 
常岡男はね、サラフィーのあの世界に行くと、女性にインタビューするどころか、まったく姿も見られないという感じになりますね。 
鵜澤映像でもダメですしね。絵本とかでもだめなんです。女性を隠しちゃって。 
──ああ、そこまで。
鵜澤徹底している。 
常岡 現地に入った人でも、男性と女性では、見ている世界が全然違ったりしますね。 
鈴木テレビを見る時間とかも分かれてるんです。 
谷川え、そんなに! 
鈴木夜8時からは女性がこの部屋に入ってテレビを見る、みたいに。その間、男性は一切立ち入り禁止です。 
常岡レストランとかどうですか。自分が行ったときは、女性が全然いなかったんですけど。 
鈴木まず、行かない……。 
常岡そういう所、行かないんだ。谷川さんは「ニカブ(イスラム教の女性が着用するベールで、目以外の顔と髪をすっぽり覆う)大嫌い」って、捨てて帰ったでしょ。 
谷川はい、シリアを出国した後に取って、ゴミ箱にバンっと捨ててバイバイと(笑)。 
常岡鈴木さんはニカブ、適応してたんですか。 
鈴木私はトルコにいた時はずっとしてました。トルコで、会う人がヌスラ戦線(シリア内戦で、2012年ごろ台頭したサラフィーの過激派。アルカイダからの支援が判明)とかイスラム系の人たちだったので。必ず着けて来てくれって。 
常岡ああ、そうですね。 
鈴木そうでないと、他の周りの人が見たときに「未婚の男女がカフェで会ってるぞ」ってなる、と言われました。 
しかも、女性はニカブ着てないと「あれはどういう関係なんだ」と指摘されちゃうんのですが、その割には、コーヒーとかご飯とか誘ってくるんで……、どうすればいいんだろうと(笑)。私はとりあえず、一番隅っこの席で、壁を向くように座って、そこで初めてニカブを取って、顔を出していいよっていうサインが出たら、パッて外したことがありました。 
常岡(ニカブを)やっていて辛いとかはあった? 
鈴木歩いてても最初はやっぱり暑いし、話す時は自分の顔を出したいなというのはありました。 
──話が脱線しましたが、6年前にシリアに行かれてその後は?
谷川ひとみ(たにかわ・ひとみ)/27歳。大学院生。2013年8月、チェチェン人を主とする外国人義勇兵を訪問し、なぜ旧ソ連出身者がシリアで戦っているのかを追った。滞在地で毎日、アサド政権からの砲撃があった。
谷川私はその後、旧ソ連に興味を持ちまして、北コーカサスの勉強をしてチェチェンに行きました。チェチェンだと、戦争の歴史が大きくて、戦争も全然わからないままでは理解できないと思い、シリアにいるチェチェン人の戦士に会いに行きました。 
常岡彼女は今、チェチェンで戦っているグループの一番の親玉の家族と家族ぐるみの友達になったりしています。 
 谷川チェチェンにも、サラフィーの粋がった若者たちがいるのですが、ギャル男的な感じで……(笑)。髭とか生やしているんですけれど、何かカッコよくないですよね(笑)。
「戦士として死にたい」
反政府軍に参加し
刑務所襲撃作戦に
──次、鵜澤さんお願いします。
鵜澤はい、かなりマスコミを通じて広まっている部分ありますけど、改めて。僕はシリアには、内戦になってから今回初めて行きました。自分の生き方として、戦士として戦い、戦士として死にたいみたいなものがありまして、それでいろいろ、世の中のものを突き詰めて考えていたときに、絶対的な価値観とか不変的な価値というものが世の中に何もないなと思ったんです。 
人の命の重さとか、自分の命の重さとか、それも社会の中で相対的に決まるものですし、それはすべて自分の価値観で選択をしていけばいいと思ったんです。 
だから自分も戦士として戦うというのを、人に迷惑をかけなければやっていいかなと思い、民間人がアサド政権に虐殺をされていたシリアを選びました。弱者の側に僕が加わって戦ってという気持ちがあったので、戦うことによってうまく自分の気持ちと社会的な意義のマッチングを図れるかなと考えたんです。 
──そもそも、特にイスラムだったりシリアに興味を持っていたわけではないのですか?
 鵜澤当初は、候補地が3つあって、南スーダンとソマリアとシリアでした。
迷っていたのですが、ソマリアに行ったら恐らく人質になって日本に迷惑をかける(笑)。一方、南スーダンは情報が出てきてなくて、その点シリアは結構、海外メディアの人が入っていて、いろんな情報が取れました。しかも、内戦の構図が政府VS反政府という分かりやすい対立構造になっていて、政府側に囚われても身代金儲けされることもないので、人質にされることもない。もし、やられるなら首チョンでそれで終わり、と考えてシリアにしました。 
──実際、行かれたのは?
 鵜澤昨年4月に行って、本来はトレーニングとかを向こうで受けるんですが、自分はもともと、行く前に自衛隊などでトレーニングしていまして、それで現地でのしょぼい訓練はすっ飛ばして実戦に行ったんです。
それで、刑務所の襲撃作戦の際に、中に突入して、戦車と装甲車が待ち構えているところに、カラシニコフ・ライフル(第二次世界大戦後まもなく旧ソ連が開発した歩兵用ライフル)一つで入り込みました。 
敵と肉薄をしたわけではないのですが、隠れる場所が何もなくて見事に吹っ飛ばされました。その際に、動脈を砲弾がそれていってくれたんですが、砲弾の破片が足を貫通したんですね。 
──貫通ですか……。
 鵜澤そうです。右足を貫通して12〜13センチぐらいになりました。周りに一緒に隠れていた10人ぐらいのうち7人が死傷しまして。私は、自分で手当をして、十数時間、救出が来るまで待っていて、そのまま野戦病院に運ばれてリハビリ生活に入ったんです。
裂傷、貫通、骨折、
大火傷で皮膚移植……
砲弾の破片が目の中に
──それで帰って来られたと。
鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)/26歳。元戦士。中学卒業後、自衛隊を経て大学に入学。その後農産物販売会社を起業。2013年4月にシリアを訪れ、反政府組織ムハンマド軍のメンバーとして戦闘に参加。現在は会社員。
 鵜澤また戦いに行こうと思っていたんです、実は。「クソッ」と思って、1ヵ月半でやられたんで悔しいじゃないですか(笑)。
 常岡それは知らなかった。
 鵜澤1ヵ月半で復帰しようと思っていたんですよ。ですが、結果的に、退院するまで2ヵ月くらいかかって……。
それで、日本の家族になにも伝えずに現地に行っていたので、もう一度行くと決めた時に「次は死ぬな」と思って、家族にも遺書とかFacebookでいろいろ公開してから、戻ろうと思ったんです。それで、「これでもう思い残すことはない」とシリアに戻ろうとしているときに、目の調子が悪くなってきたんです。視野が狭くなってきて、暗闇で閃光が走ったり、おかしいなと病院に行ったときに、目の中に破片が入っているよと。 
常岡砲弾の破片? 
 鵜澤失明するから早急に手術したほうがいいと言われたんですけど、トルコの技術で難しいと言われて……。
──医療はしっかりしているんですか?
鵜澤シリアは結構、外科手術はやってくれるので。縫合手術だとか、III度のやけどを負ったので皮膚移植もやりました。結構、至れり尽くせりの状態で(笑)。右足が裂傷で、貫通症、左が骨折。火傷で皮膚移植もやって、全身、何十個もまだ弾が入っています。 
 谷川痛くないんですか。
鵜澤 痛くはないですね、もう。
やられた当初は目とかあらゆる所から血が出ていたんですよ。多分爆風とか、飛んできた火でやられたのかなと思ったのですが、最初にシリアの眼科の先生に目をチェックしてもらった時は、充血してはいましたがしばらくしたら引いてたんです。 
ですが、その後トルコで調べ直したら、破片が目の奥にスポッと入っているのが分かったんですよね。 
 谷川何個入っていたんですか。
 鵜澤目の中に表面と奥と合わせて3つ。右目は眼球の手前で止まっていたようです。
──詳しい話は後々お聞きするとして、最後に鈴木さん、自己紹介をお願いします。
鈴木美優(すずき・みゆ)/24歳。ジャーナリスト。横浜市立大学在学中の2013年9月、シリア北部の村を取材し、自由シリア軍やヌスラ戦線にインタビュー。14年3〜7月、シリア国境に面するトルコの都市に滞在。
 鈴木私は昨年9月にシリアに行ったのが初めてで、その時はまだ大学生でした。
入国に2週間ぐらい待たされていたのですが、たまたま泊まっていたホテルにシリア人難民がたくさんいて、その人たちの紹介で、知り合いに電話をかけてもらってシリアに入りました。 
最初はアトメという北部の小さい村に行って、そこで世話になった密輸屋が、色々なグループに繋がりがあって、自由シリア軍(アラブの春後、反体制派の受け皿として誕生した。世俗色が強いのが特徴)やヌスラ戦線の戦士らにインタビューしました。 
その次は、当時「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」と名乗っていた「イスラム国(サラフィー・ジハード主義の過激派で「イスラム国家」の樹立を宣言。虐殺を繰り返し、シリア、イラクで勢力を拡大している)」のインタビューも取れたのですが、最終的には行けませんでした。 
というのも、日本人3人で行こうとしたのですが、私はシリアに入る前にイランに入っていたものですから、これは絶対スパイ容疑をかけられる、と言われ(笑)。 
──スパイ容疑ですか。
 鈴木さすがに、ちょっとやめておきました(笑)。それで、泣く泣くイスラム国行きを諦めた際に、現地で一緒だった方々が「トルコに帰れ、シリアから出ろ」という風に言われたんです。
──というのは?
 鈴木なんか、我々日本人に3人で2000ドル賭けられてたらしくて……。ISISが密輸屋の人に、「2000ドルやるから、この日本人たちをくれ」と持ち掛けたみたいなのですが、断ったっていうんです。それで、とりあえず駆け足でトルコに逃げました。
ワードの文書3枚で
プロポーズしてきた
アルカイダの戦士
──研究がシリア関係だったのですか?
 鈴木いや、特に。私は大学を4年で休学して世界をぶらぶら旅していて、その時にシリアをちょっと見てみたいと思いました。当時まだ内戦が始まったばかりで、そういう場所を見たことがなかったので……。ちょうど日本に来たシリア人がいて、その人に話をしていたら、ちょっと行ってみたらいいよと言われて、行ってみようかな、と。その時、アフガニスタンとかイランなど中東の国に行ったりして、結構燃えてきて(笑)。
常岡ボコハラム(「西洋の教育は罪」を意味するナイジェリアのイスラム教過激派組織。200人以上の女子生徒を誘拐した)の拠点にも行ってたでしょ。 
鈴木そんな匂いのする所に惹かれるようになってしまい……。 
常岡ヌスラ戦線の戦士から結婚申し込まれたんでしょ。 
鈴木はい。ワードの文書3枚で(笑)。 
──それでどうしたんですか?
鈴木断ったら泣いてしまって……。何でアルカイダ(2001年の米同時多発テロを実行したとされる過激派組織。ヌスラ戦線はアルカイダの一派とされる)の戦士がこんなことで泣いちゃうんだろうと(笑)。 
常岡確かに、女性でシリアに行く人は、結婚目的で来る人が結構多いのも事実なんです。 
 鈴木結構いますね。
常岡ヨーロッパに、そういう人が多いですね。 
鈴木マレーシアからもそういうツアーがありました。嫁にもらって、イスラム国を支えようみたいな、ツアーでした 
谷川私もそういうのは知っていて「それって、頭大丈夫?」とか言ってました。 
──その辺の話も興味深いのですが、偏りすぎるといけないので……。実際に現地に行かれてメディアで伝えられているのと違う現場の話はありますか?
常岡  まず、イスラム国に行こうとした北大生の問題は、報道が全部ずれてるなあと思いますね(笑)。 
もう一つは、シリア内戦が現在、「イスラム国」の問題として世界中に喧伝されていることです。 
これまで、イスラム国が殺したとされる人間の数は9000人と言われています。ですが、その前に、この内戦が始まってからシリア国内で少なくても19万人が殺されている。 
その中心は、アラブの春以降に虐殺を進めたアサド政権によるものという実態があるのですが、今世界のニュースを見るとそのアサド政権の問題が話題にすら上っていない。イスラム国が世界の脅威だと言っているばかりです。 
今でも、イスラム国がやっている残虐行為と同様、アサド政権がやっている虐殺も深刻なのに、そっちは完全にスルーされているという事態になっています。そこが、世界が問題にしているのと現場の実態は全然違うなというふうに思いますね。 
過激派のほうが
規律はしっかりしている
盗みなどは絶対しない
──この中で、実際に戦闘に参加されたのは鵜澤さんですが、メディアで聞いていたことと違うと感じた部分はありますか?
鵜澤僕は最初、(参加する)反体制派の宗教色がコテコテだと嫌だったので、自由シリア軍という世俗的なグループに加わろうと思っていたんです。 
ところが、自由シリア軍の人に紹介されたのが、(厳格派の)ヌスラ戦線と仲がいいムハンマド軍という、サラフィー系の原理主義組織だったんです。たまたま紹介されただけだったのですが、世間のテロリストと言われている人たちのイメージと全然違っている表情が垣間見えまして、そこで一番大きな衝撃を受けましたね。 
──表情というのは?
鵜澤彼らはオウム真理教みたいな、狂信的な、クレージーな集団と思われているかもしれませんが、全然そんなことはなく、彼らには彼らなりの信条とか正義があって、きちんと人としての暖かさとかを持っていました。 
家族も大切にしますし、仲間も本当に大切にします。戦いの前になるとみんなで泣き始めたり、本当に人間らしい人たちだなあと感じました。そういういうところはある種、米軍と同じですよね。何を信じているかが違うだけで、テロリストかどうかという区分けは曖昧な感じだな、と。 
常岡テロという言葉の定義自体、英国のメディアでは、政治的、恣意的に使われるだけの言葉だから使わないようになって来ているみたいですね。 
米国や日本のメディアはテロという言葉を使いますけど、今、自由シリア軍は「アサド政権のテロリズム」と言っていますし、タリバン(パキスタンとアフガニスタンのイスラム主義の運動)はタリバンで、「アメリカのテロリストが──」って言い続けていましたし。政治的に自分たちの敵対者を常にテロリストということで「自分たちが対テロの正義である」という使い方をするだけの言語になっています。 
ちなみに、原理主義という言葉も、現地のアラビア語とペルシャ語では、言葉自体が存在しないんですよ。 
──宗教という観点では、ここにいる4人のうち、3人がイスラム教に改宗されています。
常岡谷川さんは、サラフィーが嫌になってイスラムに改宗する気がなくなったっていう(笑)。 
谷川シリアに行って初めて嫌だって思いました(笑)。 
鵜澤僕が入ったのは、イスラム過激派で、メディアでは「明らかに悪い人」みたいに思われている組織でした。ですが、向こうの人からしてみれば、むしろ過激派のほうが規律がしっかりしてる。盗みもしないし。 
鈴木確かに信用もできる。私が向こうで一番信頼していたのは一般的に過激派と呼ばれるような人たち。彼らは絶対イスラムに反することはしないから、窃盗なんかも絶対しない。ただ、逆に世俗的な自由シリア軍だとお金欲しさに物を盗んじゃったり、ちょっと騙そうとして高額なお金を請求してきたりとかっていうのがあるんですよね。 
鵜澤我々の組織は、住人が避難してしまっても空になった豪邸を拠点にしていたんですけど、目ぼしいものが置かれていそうな鍵がかかった部屋があるんですが、そこは一切、手をつけませんでしたね。 
──盗みはしない、と。
鵜澤そうなんですよ。いかに戦争中であっても、あくまで借りるだけで、人の物は一切取らないという主義が彼らの中にありましたね。 

(続く)
■大半が自己紹介で終わってしまった第1回。続く第2回は11日13日公開です。
http://diamond.jp/articles/-/61992


05. 2014年11月12日 08:11:02 : OIxNYWfJog
テロ組織ISIS系列の広報サイトが、この組織の指導者であるバグダーディー容疑者がイラクで死亡したことを明らかにしました。
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/49745-
イラクの情報筋によりますと、ISIS系列の機関エテサームは、バグダーディー容疑者の死亡を報じると共に、「近いうちに、この容疑者の死亡に関する詳細な情報が開示され、新しい指導者が発表されるだろう」としています。
イラクではこの3日間、空爆によるISISの指導者の死亡、或いは負傷をめぐるニュースが報じられていました。
イラク国防省情報局は、「先週土曜、イラク西部のアルアンバール州・ガーエム市に対するイラク軍の空爆で、バグダーディー容疑者が頭部に重傷を負い、同氏の外科医も死亡の恐れがあることから彼の外科手術を差し控えていた。このため、ISISはこの人物をシリアに移動させた」と表明しています。
こうした中、イラクのジャアファリー外務大臣は10日月曜、ツイッター上で、「バグダーディー容疑者は、アルアンバール州でのISISのリーダー会議の会場に対する空爆で負傷した後、死亡した」と語りました。
一方、アメリカ軍はバグダーディー容疑者の死亡については情報を得ていないとしています。

06. 2014年11月12日 08:25:36 : OIxNYWfJog
さらに、地域諸国におけるイスラムの目覚め、そしてアメリカに従属する独裁体制の崩壊について触れ、「こうした流れに対抗しようとする敵の陰謀は、自由になった国々を内戦や宗教戦争に巻き込もうというものであったが、地域ではこうした陰謀に対抗しようとする新たな目覚めが起こり、地域での内戦は今や対テロ戦争に変わりつつある。そして、国内の独裁に対抗する目覚めの動きも、世界的な覇権主義や植民地主義に対抗する目覚めに変わってきており、このことは極めて重要である」と語っています。
続きはリンク
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/49733-

つまりアサドやプーチンを悪魔化して戦わせる洗脳から目覚め、アメリカ覇権主義、新植民地主義への戦いへと目覚めて居る?


07. 2014年11月12日 19:30:23 : LBtbDXFoS6
そろそろ幕引きが始まったかな

08. 2014年11月13日 07:08:04 : jXbiWWJBCA

『週刊ダイヤモンド』特別レポート
【第229回】 2014年11月13日 週刊ダイヤモンド編集部
僕らはなぜ、イスラムの戦地を目指すのか?
──死ぬ間際でも、イスラムを意識していた……
【「宗教」を学ぶ:座談会拡大版(2)】
シリアの戦地を踏んだ若者たちが本音でトーク
敵への首切りや奴隷制の復活など過激な行為で、世界中でニュースとなっているイスラム教過激派組織「イスラム国」。彼らが勢力を伸ばしているのは、「アラブの春」以降に内政が混乱したシリアとイラクで、現在も米国による空爆など激しい戦闘が続いている。

週刊ダイヤモンドでは、11月15日号(11月9日発売)の第1特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ」で、内戦下のシリアで、戦闘に参加したり、反政府組織に接触した若者たちに座談会を掲載した。ここでは、誌面に収めきれなかった、若者たちの目で見たシリアと反政府組織の“実像”を、3回にわたって紹介。前回に続き、今回は第2弾をお届けする。
(構成/週刊ダイヤモンド編集部 森川 潤)


──イスラム教に改宗されたのはいつですか?

鵜澤 初めは改宗するのはめんどくさいと思ったんで、自由シリア軍に行ったのですが、世俗的な自由シリア軍でさえも、仏教徒じゃ難しいよと言われて、仕方ないからと(改宗しました)。

鈴木 確かに、自由シリア軍にはキリスト教とかはいました。

常岡 自由シリア軍にはアラウィー教徒だろうが、キリスト教徒だろうが受け入れることになっていますね。

鵜澤 (彼らにとって)キリスト教とユダヤ教はまだOKなんですね。(元々が)同じ神様なんで。仏教徒は全然わけわかんないものを信じているからダメって、神道も。

──イスラム教徒には劣るが、自分たちと同じく旧約聖書を聖典のひとつとする「啓典の民」として存在は認めるというものですね。今、イスラム国が奴隷化しているというヤジディ教徒も異教徒なんですかね?

常岡 ヤジディ教は、彼らが崇めている“天使”が、イスラムで言うイブリース、キリスト教ではルシフェールと呼ばれる“悪魔”に当たる存在です。つまり悪魔を神として崇めていて、(イスラム国には)悪魔崇拝者だと言われています。無神論者より悪いという扱いになっていますね。

鵜澤 それだと、徹底的に敵対しますね。

──ちなみに鵜澤さんが参加されていた組織の信仰はどうだったのですか? やはり、信仰より、政権への怒りがあったのですか?


鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)/26歳。元戦士。中学卒業後、自衛隊を経て大学に入学。その後農産物販売会社を起業。2013年4月にシリアを訪れ、反政府組織ムハンマド軍のメンバーとして戦闘に参加。現在は会社員。
鵜澤 アサド政権がシリア人の虐殺をしていて、倒さなければいけないというのが根底にありました。原理主義の人たちは、表向きは「シリア国民のために戦っているのではなく、あくまでアッラーのために戦っているんだ」と言うのですが、裏側にはやっぱり同胞を助けたいという気持ちがあるのかなと僕は感じましたね。

常岡 それが一致してるんだと思います。アッラーのために戦うんだけども、アッラーに反する存在としてのアサド政権というものがあって、敬虔なイスラム教徒や他のいろんな民衆が苦しんでいる中で、苦しんでいる人たちを救ってアサド政権と戦うのはアッラーのための戦いになる、という考え方だと思います。

敵よりも恨まれ
憎まれるのは
金で動く裏切り者

──戦いの中では、「怒り」はモチベーションになっていますか?

鵜澤 あんまり、「怒り」というのは感じなかったですね。彼らはベースに宗教があって、生活の中で怒ることは、あまりよくないこととされてるんですかね。

常岡 チェチェン人と一緒にいた時、彼らは「聖戦士に怒りはない」っていう言い方をしていました。「怒りで戦うのではなくて、アッラーの愛に満たされて戦うのである」と言う人は結構いましたね。

鈴木 それが仕事だみたいな。アッラーの仕事だから、と。

──すると、怒りの連鎖が内戦につながっているわけではない?

鈴木 反政府軍の人たちは、アサド政権は背教者だって言うんですが、特に腹が立つみたいなことを言うわけではなくて、アッラーのためにということを繰り返していますね。

常岡 怒りは、多分、自由シリア軍とかのほうが多いんですかね。

鈴木 自由シリア軍のほうは「革命」という意識が強いと思うんです。

鵜澤 怒りというより、トップ層のほうは割と冷静に物事を見ているイメージでした。

鈴木 自分の家族が亡くなった人も多いですが、それでも特に怒っているっていうよりは、俺が戦うとか、純粋にただ悲しいっていうふうに言っていただけでした。

鵜澤 そうですね。あまり怒りは感じなかったんです。

 実は、戦場では、子どもたちも結構、戦うんですよ。地元の16〜19歳ぐらいの子が。肉親が殺されて、その怒りで戦いに来ているのかな、と僕も思っていました。

 子どもたちは部隊の幹部の所に来て、毎晩のように泣きながら懇願するんです。「俺も早く戦わせてくれ」って。ですが、怒りによるものかなって思っていたらそういうわけではなくて、みんな同胞を助けたいみたいな気持ちだと感じました。

 ただ、そういう子どもたちは、部隊から止められてても、あまりにも気持ちが強くなって戦場に行くんですが、経験がないからすぐ死んじゃうんです。

谷川 私は「シャビーハ」に対する怒りとかは結構、話していて感じました。

常岡 シャビーハは、アサド政権のアラウィー教徒で構成する武装集団と言われています。政権による暗殺なんかを昔から仕切ってきたとか言われています。

鈴木 確かに、恨みの対象みたいになっている感じはします。

鵜澤 秘密警察とはちがうんですか、シャビーハって。

常岡 違いますね。

谷川 なんか、政権の小間使いみたいな感じなんですか。

常岡 そんな感じでしょうか。

鈴木 秘密警察が雇ってるっていう感じですよね。なので、余計に裏切り者っていうか、同じ民間人なのに金のために動く、より汚い人たちみたいなイメージです。

鵜澤 裏切り者に対する彼らの憎しみって強いですよね。

常岡 敵よりも裏切り者のほうが厳しいですよね。

鈴木 うん、うん。

鵜澤 そういう意味では、裏切り者に対する憎しみはあるかもしれないですね

天国に行った
チェチェン人の血は
いい匂いがする

──ところで、戦場で、彼らにとってのイスラム教の重要性を痛感させられる場面はありましたか?

鵜澤 象徴的に彼らがイスラムだなって思ったのは、僕が砲撃で吹き飛ばされたときですね。

 周りにいた仲間たちがみんなやられる中、僕より手前にいた機関銃手がもっと重症を負って死んだんですけど、死に際に「アッラーの他に神なし」って言って死んでいったんです。本当に死ぬ間際でもイスラムを意識して死んでったんです。

──「助けてくれ!」とかじゃないんですね。

鵜澤 ないんです。本当に「アッラーの他に神なし」でした。その後に天国に行くのを意識していたと思うんです。

 他にも、他部隊のチェチェン人指揮官が迫撃砲でやられて、僕が入院している病院に運ばれてきたんですが、その時、看病していたボスニア人が「これ、さっき死んだチェチェン人の血なんだ。いい匂いするだろう」って言うんです。「天国に行ったからいい匂いがするんだ」と言ってたんですが、彼らは現世はあくまで仮のものであって、本当の人生は死後に始まるというスタンスがあって、そういう死生観の違いが生き方の根本的な価値観というか、そこがそもそも違うと思いました。

──鈴木さんは、改宗された理由はありますか?


鈴木美優(すずき・みゆ)/24歳。ジャーナリスト。横浜市立大学在学中の2013年9月、シリア北部の村を取材し、自由シリア軍やヌスラ戦線にインタビュー。14年3〜7月、シリア国境に面するトルコの都市に滞在。
鈴木 サハラのモーリタニアでイスラム教徒しかおらず、村人も「イスラム教徒しか見たことがない」という村に行ったんですが、そこは、10日間ぐらい電気も水もないところで、でも、信仰だけはあって生きているのを感じて。

──ムスリムでないと、取材は難しかった?

鈴木 そうですね。私はずっと3月にヌスラ戦線にくっついて行ったんですが、改宗していないと色々と難しさもあったんじゃないかとは感じました。もちろんムスリムでなくても、ニカブとかは着ていったと思うんですが。

──難しさというのは?

鈴木 まず、向こうに仲間意識を持ってもらえますよね。ブラザーとかシスターと呼び合うので。そんな感じで呼び合うと、隔たりがちょっと消えますね

── 一般市民と戦士で、信仰に違いはありますか。

鈴木 いや、そこは共通だと思います。そこが戦場か戦場でないかっていう違いだけですね。

常岡 そもそもシリアは戦争が始まる前までは全然、宗教色がないアラブって言われましたね。

谷川 私は最初、シリアでも「ムスリムではない」と明らかにしていなくて……。

鵜澤 聞かれないですか。

谷川 聞かれもしないので特に自ら言う必要もないし、私はチェチェンとかに行って彼らの生活の仕方はわかっていたので、それに合わせてやっていました。「ムスリムになったら?」みたいなことは言われたりもしましたけど。

鵜澤 「イスラム教徒になれ」と、みんながみんな言われるわけではないんですね。

谷川 コーカサスの人はそんなに言わないですね。

常岡 コーカサス人というか、旧ソ連の人は、イスラムでないのが周りにいるのが当たり前ですから。

 僕がアラブが苦手で旧ソ連が好きなのは、アラブってイスラムが当たり前だと思っていて、イスラム教徒じゃないと異常と思われてしまうので……、アラブだって本当は多様性のある社会なのに。

 旧ソ連では、「自分はサラフィー(イスラム教の厳格派)だ」と言いながら、「アラブ人のサラフィーとは違う」と言い張りますね。

谷川 確かに、みんなといるときは私にも「ニカブを被れ」と言うのですが、たまたま誰かと二人になったら「取っていいよ」って言い出します。

コーランの文脈を無視した
イスラム国の
「首切り」行為

──ちなみに、常岡さんはいつ改宗されたんですか。


常岡浩介(つねおか・こうすけ)/45歳。早大卒。長崎放送記者を経て1998年フリー記者。チェチェンなどで戦争取材を続け、ロシアなどで政府系組織に誘拐された経験も。シリア内戦ではイスラム国にも接触。
今年9月シリアを訪れた常岡氏(左上)、イスラム国が攻略したアサド政権空軍基地に横たわる戦闘機の残骸(右上)、アサド政権が支配するアレッポの空軍基地を、イスラム国エジプト部隊が迫撃砲で攻撃(左下、右下)
常岡 2000年の2月、モスクワで改宗しました。もともと、92年にアルジェリアに行った時が、最初のイスラム世界の接触で、コーランを勉強しなければと思い、一人でコーランを読んで勉強するようになりました。

 最初は訳がわからなかったんですが、90年代の半ばぐらいにはイスラム教徒になりたいと思いまして、タイミングを図っていたのですが、フリーになってから最初に行ったアフガニスタンでは、戦争が続いていて、そういう所で改宗するのは後味が悪いと思い、チェチェンの取材に行ったついでのモスクワで改宗しました。

──すると、鵜澤さんのように必要性に駆られてではない?

常岡 そうですね。僕はコーラン一冊でイスラム教徒になったと言ってもいい人間です。世の中にはスンニ派とシーア派がいて、あとスンニ派の中にサラフィーだのがいるわけなんですが、コーラン以外の「イブン・タイミーア(13世紀のシリア人イスラム法学者。コーランを字義通り厳格に解釈する立場で多くの著作を残した)」を読んでどうのとかをやってないので……。

 私からすると、イブン・タイミーアは馬鹿げているんですよ。コーランに並ぶ経典とされる「ハディース」も僕には馬鹿げたものにしか思えない。コーランは、7世紀のアラブ世界で書かれたこととは分からないぐらいの本に思えるんですけど、ハディースはアラブの当時の思い込みがいっぱい混じっているように感じます。

 そもそも、コーランは神の言葉とされていますが、ハディースはムハンマドとその弟子たちが喋ったことや、したことをまとめた本なので、違うのは当たり前なのですが、ハディースが信仰の対象になっているのが僕はおかしいと思っています、そういう考えは、一般的なイスラム世界からは異端視されると思いますが。

──逆にいうと、イスラム教は7世紀のコーランから変容する部分が全然あり得ないのでしょうか。

常岡 イスラムが始まったのが7世紀ですが、9世紀にイスラムの解釈を独自にすることが建前上禁じられてしまってるんです。それまでにできた解釈を基に勉強しろみたいになっていまして……。

鵜澤 最近、サラフィーとは別に柔軟に解釈を変えているような考え方があると聴きましたが。

常岡 ちゃんと解釈していく動きは常にあるんですが、イスラムの場合は、キリスト教と違ってローマカトリック教会のような組織があるわけでもないので、解釈をまとめる存在がないんです。

 それは、「異端」というような存在も生み出さないので、非常に自由とも言えるのですが、一方で“正しいこと”をまとめる存在もないので収拾がつかない。みんなが「俺イスラム」になってしまう。

 そこが良い部分だとも思うのですが、サラフィーの人たちは、それが気に入らず9世紀のままでやっていこうとしているわけです。イブン・タイミーアは13世紀の人ですが、教義問答みたいなことをすること自体を禁止しています。

 まず、コーランは7世紀のアラビア語で書かれているので、単語自体が非常に少なく、その分一つ一つの単語の意味が非常に広いんですよね。なので、解釈の幅が広くなる分、文脈で読まないといけないわけですが、サラフィーは絶対に文脈で読むことを拒否しているのです。

 例えば、「あなた方が敵に会ったらどこでもその首を打ち取りなさい」っていう表現。それは敵に攻撃されている戦闘の中での教えなので、例えば逮捕されている捕虜とか囚人を見せしめで首切るのは、文脈上おかしいということになるはずなのですが、イスラム国は今、捕虜とかの首をどんどん切ってさらしていますね。

「敵に会ったらどこでも首を討ち取れって書いてあるから、これでいいんだ」っていうのが彼らの主張なのですが、つまり文脈を無視しているんです。

豆みたいな装備でも
「アッラーがついている」と
気合と根性で敵に突進

──イスラムの戦士たちはコーランを読み込んでいるんですか?

常岡 最近は、一生懸命勉強している人たちは多いですね。シリアはもともと、イスラム法学の研究が進んでいたところで、インテリっぽいアラブなんです。イスラム法学だけでなく、医学とかも進んでいたし、一時期は核兵器も作れるんじゃないかと疑われたりもしましたよね。

──そこは、戦場で感じられるところはありました?

鵜澤 僕のところは、50歳ぐらいのエジプト人が部隊の司令官にいて、コーランの指導者みたいな役目でもあったんですよ。

 コーランの輪読を宗教施設の中でやったり、戦闘中の休憩時間にコーラン読んだり、襲撃作戦が目前に迫る中で、精神を落ち着かせるためにコーランを読んだり、そういう場面はよくありましたね。

──その時は鵜澤さんもコーランを読まれるんですか。

鵜澤 読まない(笑)。だって、僕はコーランを読んでも精神は落ち着かないし(笑)。ひたすら目の前のことに集中していました。

──首切りの話がありましたが、規律はどうでしたか?

鵜澤 僕は首切りまでは出くわしたことはありませんが、人の物品を取ってもいいかというと、「敵のものだったらどれだけでも取ってもいい。だけど一般市民のものは絶対取るな」と、厳格に定められていました。

 シリアのアレッポ周辺の駐屯地には、周りは普通の民家で誰もいなくなって、敵の大佐の家があったんです。豪勢な家だったんですが、周りの家は全然手付かずだったのに、大佐の家の中だけはベッドからなんから引っ剥がして、金目のものは全部、サラフィーの人たちは取って行きましたね。ある種そこでメリハリが効いているというか……。

──逆に、怖かったりびっくりしたりっていう場面はありましたか。

鵜澤 戦いは、今まで戦争映画とか小説で読んだものよりも圧倒的に怖かったですが、彼ら(戦士)に対して言えば、むしろすごく優しかったですね。

 自爆テロを強要されるんじゃないか、とかビクビクしてたんですけど、全然そんなこともなかったですし、捨て駒みたいな感じで使われるかと思ったら、命懸けで銃弾が飛び交う中で救出してくれたりとか、そういう場面にしか僕は会わなかったです。運がよかったのかもしれないですが、彼らには、本当に助けられましたね。

──敵はどうでしたか? 生身の人間としての実感はありましたか。

鵜澤 僕が直接会ったのは、全部重火器だけだったんです。戦車とか装甲車とか……。拠点が空港だったり、刑務所だったりと大規模施設が多くて、内側を重火器で固められて、なかなか近づけない場所だったんですよ。

──すると、持っている武器のレベルが違ったんですか?

鵜澤 全然違います。爆撃機から迫撃砲をボンボン撃ってくるんですが、こっちはカラシニコフとマシンガンだけ。豆みたいな装備だったんです。

 でも気合と根性で「お前らにはアッラーがついているからな」って突っ込んでいくんです(笑)。仲間で、今生き残っているのは3割もいないと思います。

日本では得られない
死を目の前にした
仲間同士の戦場の絆

──今も仲間と連絡は取っているのですか。

鵜澤 Facebookで写真が挙がってくるんですが、顔を出して映ってくるのは、みんな死んだ仲間たちですね……。集合写真を見ると、3カ月後の時点で、2〜3割しか残っていませんでした。死傷率が非常に高い。

 僕もたまたま生き残りましたけど、基本的に圧倒的な火力の差があるので、太平洋戦争でアメリカ軍と戦う日本軍みたいな……。こっちの究極兵器が自動車爆弾での自爆攻撃みたいな感じで、普通の豆みたいな兵器しかなかったです……。


谷川ひとみ(たにかわ・ひとみ)/27歳。大学院生。2013年8月、チェチェン人を主とする外国人義勇兵を訪問し、なぜ旧ソ連出身者がシリアで戦っているのかを追った。滞在地で毎日、アサド政権からの砲撃があった。
谷川 私は村の中で、戦闘も見せて下さいとも言っていなかったのですが、それでもバンバン毎日のように砲撃されましたね。戦闘員はほとんどいなくて、8〜9割が非戦闘員の住民なのに、毎日毎日戦車砲で攻撃されて、数百メートル内ぐらいにバーンと落ちて火事が起きて、「ここ、戦闘員、ほとんどいないんですけど」って思ってびっくりしていました。

 山の上から下の町が見えたのですが、鵜澤さんがおっしゃったように攻撃が一方的なんですよ。夜になると赤い線で見えるのですが、全部一方的で……。逆方向への攻撃はひとつもなくて、火力の差をすごく感じましたね。

鵜澤 本当、一方的ですよね。

谷川 私を撃ってきたのは向かいにある基地で、向こうからいつも撃って来るのを見ていると、ここは戦闘員同士の戦場ではないはずなのに、民間人が犠牲になるだけだなと、強く感じました。

──実際、死ぬ覚悟で戦った者同士の結束感は、日本では得られないものだったのでしょうか?

鵜澤 圧倒的に違いますね。

 自分が本当に死ぬって思っている時に仲間が必死になって助けようとしてくれるんですよね。それでも、すぐにマシンガンが打ち込まれて、できなかったりするんですけど、そういう姿勢を見せてくれるだけでも、なんかシンパシーが湧きました。戦場から引きずり出してくれた時にも、日本では感じたことがない、ものすごい感謝というのを感じました。感謝という一言では言い表せないくらいの戦場の絆というか……。

──確かに、日本で命をかけて戦う場面はありませんね。

鵜澤 逆に、僕は、自分は自分、イスラムの人はイスラムの人、と割り切って考えてしまって、仲間が負傷したときに、助けに行けなかったんです……。今すごく後悔しているのですが。

 動いたらすぐに撃たれるような100mぐらいの至近距離でマシンガンをがんがん打ち込まれた状況だったんですが、その時に助けに行けなくて……。結局、別の仲間が助けに行ったんですけど、自分が行けなかったことを後悔しています。

──じっくり考えられる判断ではないですよね。

鵜澤 考えたらできないです。反射なんで。子どもだったら助けに行っていたかもしれないですが……。

(続く)

■続く第3回は11日14日公開です。
http://diamond.jp/articles/-/62089


09. 仁王像 2014年11月13日 20:10:15 : jdZgmZ21Prm8E : j31t5GPeVq
 >>03、04、08

 勉強になります。


10. 2014年11月14日 05:59:46 : jXbiWWJBCA

【第230回】 2014年11月14日 週刊ダイヤモンド編集部
僕らはなぜ、イスラムの戦地を目指すのか?
──戦場に来ているのは“落ちこぼれ”じゃない
【「宗教」を学ぶ:座談会拡大版(3)】
シリアの戦地を踏んだ若者たちが本音でトーク
敵への首切りや奴隷制の復活など過激な行為で、世界中でニュースとなっているイスラム教過激派組織「イスラム国」。彼らが勢力を伸ばしているのは、「アラブの春」以降に内政が混乱したシリアとイラクで、現在も米国による空爆など激しい戦闘が続いている。

週刊ダイヤモンドでは、11月15日号の第1特集「ビジネスマンの必須教養 『宗教』を学ぶ」で、内戦下のシリアで、戦闘に参加したり、反政府組織に接触した若者たちに座談会を掲載した。ここでは、誌面に収めきれなかった、若者たちの目で見たシリアと反政府組織の“実像”を3回にわたって紹介。第1弾、第2弾に続いて今回は3弾目をお届けする。
(構成/週刊ダイヤモンド編集部 森川 潤)

──鈴木さんは、実際に戦地に行かれて、印象はどうでしたか?


鈴木美優(すずき・みゆ)/24歳。ジャーナリスト。横浜市立大学在学中の2013年9月、シリア北部の村を取材し、自由シリア軍やヌスラ戦線にインタビュー。14年3〜7月、シリア国境に面するトルコの都市に滞在。
鈴木 私はバンバン撃ち合っているところを見たわけではないんですが、今年5月に訪れたハマの北部の方が、アサド軍から塩素ガス攻撃を受けた後の場所で町が崩壊していました。

 病院では医者が全滅して、医者も患者として他の病院に運ばれるという事態になっていて、私が行った日の深夜には、さらにアサド軍の攻撃を受けました。基本的に夜のみんなが寝ている時間に、普通の何もない村の病院や学校、モスクなど人の集まる場所を狙うことが多いですよね

──塩素ガスで崩壊した町というのが想像できないんですが。

鈴木 ただ、黒い。匂いも初めて嗅ぐ匂いでした。

 白内障というか、眼球が白くなったような被害者もいて、4歳5歳の子どもが重症を負ってトルコに運ばれている間に命を亡くすケースもありました。

鵜澤 塩素ガスはいやですね。

──アサド軍にはどの国が武器を供給しているんですか?

常岡 ロシアとイランです。現場に行った人はみんなアサド政権を問題にするんですけれど、外にいると、イスラム国だけを問題にしてしまう構図がありますよね。日本にはなぜか、アサド政権を支持する人までがたくさんいる……。

鵜澤 今の虐殺映像は全部デマとか、プロパガンダだとか。

鈴木 アサド派はみんなそう言いますね。

常岡 (アサド政権による)化学兵器が発覚した時に、あれは誤ってぶちまけてしまったものであるという見解を話した方も。

鵜澤 ファンタジーですね(笑)。

──世の中には陰謀論がはびこりやすいです。

常岡 日本のメディアが弱いんではないでしょうか。中東も陰謀論が多いんですけど、それは情報がちゃんと公開されていないからっていうのが大きいですね。

谷川 留学している時、アラブ人の大学の先生がたくさん来て講義してましたけれど、彼らも陰謀論ばっかりなんですよね。インテリっていう人たちまでも。それはさすがにびっくりしました。

イラク戦争直前の
フセイン政権に似た
イスラム国の体制

──この中で、イスラム国と接触されたのは常岡さんだけですね。


常岡浩介(つねおか・こうすけ)/45歳。早大卒。長崎放送記者を経て1998年フリー記者。チェチェンなどで戦争取材を続け、ロシアなどで政府系組織に誘拐された経験も。シリア内戦ではイスラム国にも接触。
今年9月シリアを訪れた常岡氏(左上)、イスラム国が攻略したアサド政権空軍基地に横たわる戦闘機の残骸(右上)、アサド政権が支配するアレッポの空軍基地を、イスラム国エジプト部隊が迫撃砲で攻撃(左下、右下)
常岡 3回行っています。もともと「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」が「イスラム国」を名乗りだしたのは6月末ですね。突然、(指導者の)アブバクル・バグダディが「カリフ(ムハンマドの後継者で、イスラムの最高権力者)」を名乗り、「今日からイスラム国である」と言ったわけです。

 それまで、シリア側で活動するISISだった時は、バグダディの直接の影響もほとんどなく、他のグループとあまり差はありませんでした。その時点でも一番残酷だと言われていましたが。

 3回目に行った時に分かったのは、支配領域の民衆にインターネットも使わせなかったり、プロバイダや携帯電話も全部禁止にしたりしていることでした。理由は、スパイ利用されるから。結局、命令系統は無線しかないのですが、命令は上から下には行くけれども、下から上へのフィードバックが全然行かなくなっている。

 そういう体制って、心当たりがあるんですよ。2003年に行ったサダム・フセイン政権におけるバグダッドがまさにそうでした。イラク戦争直前のフセイン政権で、バース党が秘密警察にずっと支配されていた時代のことですね。

 イスラム国のバグダディも(イラクに)米軍が来た時に出現した抵抗運動の主導者の一人だったようですが、元から首切り作戦ばかりやってるような人のようです。

 今、イスラム国の幹部になっているのは、バース党の元幹部だそうで、要は、サダム・フセインの政権の残党です。そうなると、イスラム国の中身は、サラフィー(イスラム教の厳格な復古主義を主張し、7世紀のカリフ時代を理想とする。一部が過激派に)ですらないのではないか、と感じます。

 今、バース党の残党でやっているのはナクシュバンディ軍だと思われますが、彼らはサラフィーと敵対関係にあるスーフィー(イスラム教の神秘家)なんです。そうなると、事態がちょっとおかしくみえる。つまり、イスラム国にとってサラフィーの理念はあくまで後付けであって、カリフ制再興がサラフィーの中で高まっているのを、あくまで利用しているだけじゃないかと、僕は考えます。

鵜澤 ちゃんとした人たちは利用されていると知っている?

常岡 はい、そう思います。

 僕は、イスラム国の中に知り合いがいて、エジプト人で、ムバラク政権に何十年も抵抗を続けてきて服役して、刑務所で拷問を受けたりしてきたような人です。

 前回会いに行った時に、彼に打ち明けられたのが、仲間がバグダディに対するバイア(忠誠)を取り消すべきだと表立って発言したところ、すぐに捕まえられて処刑された、と。その後、何日も食事ができないぐらい悩み、「今のイスラム国はまともではない」という言い方をしていました。

 シリアの反政府組織は、外国人が所属するのは「イスラム国」、シリア人は「ヌスラ戦線」という風に、入る組織が分かれていたりするのですが、ずっとシリアの内戦を戦っていた人たちの中には、「今の状況はかなりとんでもない」と考えている人が増えています。暴力は内側に向かっていますんで。

 英紙が書いていましたが、イギリス人で帰国を希望している人に対して、処刑の危機が迫っているという内容がありました。内部の裏切り者を恐怖で締め付ける方向に行っていますよね。

鵜澤 それ、シリアも同じですか。

常岡 シリア内でのことです。


カリフが出てきた!
その喜びからイスラム国に
合流していく戦士たち

──バグダディには、それほど求心力があるのでしょうか?

常岡 本人は、自分はバグダッド大学のイスラム法学の博士号過程修了と言ってますが、僕は怪しいと思っています(笑)。

 バグダディ本人は、前から「イラクのイスラム国」を名乗っていて、以前から国づくりを目指してたとは思うのですが、「カリフ制」の再興をやたら掲げ出したのは結構最近のことですね。

──過激派の人たちのアイコンになっているのでしょうか?

常岡 バグダディ本人は、一度しかメディアに出ていませんね。7月にYouTubeにアップした金曜礼拝の説教の映像ですが、演説の内容は当たり障りがなく、彼の思想も未だによくわからないままですが、唯一他のグループと違うのは、彼が「カリフ」を宣言したということだけです。

 今、サラフィーの人たちはみんな、「カリフ制を再興し、シャリーア(イスラムの儀礼的日常的生活規範)が指向されるようになれば、みんなが幸せになれる」という考えを持っているんです。でも誰もカリフ制再興は実現できてないという共通認識がある中で、突然「俺がカリフだ」と言い始めたのがバグダディなんですよ。

 当然、大半の人は、「お前がカリフっておかしいでしょ」と思うわけですが、カリフ制再興に憧れを持ち続けた人たちは、「カリフ出てきた、やったー!」と反応しちゃうんです(笑)。そういう人たちが世界中から集まっちゃう。

鵜澤 (自分が所属した)ムハンマド軍は、結構二分しているんですよ。イスラム国に合流する人とと、独自に戦っている人に。

常岡 「カリフ出てきた、やったー!」の人たちは、行っちゃうんじゃないですか?

鵜澤 特に残虐ではなかったんですけど、優秀なチュニジア人の40代ぐらいの副隊長が合流したみたいで……。

常岡 残虐なことをしたくて行くわけではないですよね。結果的にそうなっているのは、恐怖心で押さえつける政策をバグダディがとっているからと思うんです。参加する人たちは残虐なことをしたいというよりは、カリフ制が素晴らしいといって行くわけですよね。

鵜澤 残虐なことをしているのは知ってるんですかね?

常岡 カリフの命令であればジハード(聖戦)は正当化されるとか、「カリフの命令であれば」という理念を持っていますから、残虐に見えるが、カリフが命令している以上、正当な理由があるはずだろう、みたいな考え方をする傾向があるんじゃないでしょうか。

鵜澤 確かに、彼らは、盲目と言えば盲目ですからね。

──実際に合流された方に聞くしかないですね。

鵜澤 実は、合流した仲間にFacebookでメッセージを送ったことがあります。

 何で合流したか聞いたら、彼は「色んな報道があるが、欧米メディアのプロパガンダだよ」とか言っていたんです。

 3万人も部隊がいる大きいところなので、場所によるのかな、とも思ったんですよね。結構、重要な視点かなと僕は思っています。

──確かに、イスラム国によるヤジディ教徒の奴隷化は、話題になってますね。

常岡 一般的に、イスラムは奴隷を開放する宗教だと言ってきたんです。ムハンマドが所有していた黒人奴隷「ビラール」は、イスラムに改宗したことで解放され、イスラム世界の偉人になったという経緯があって、ムスリムの平等という原則もそこで象徴されています。それで、ヨーロッパよりも先に奴隷を否定して解放したと言うわけです。

 ですが、サラフィーというのはコーランをあくまで字義通りに捉え、解釈は徹底的に拒否するという立場なので、ムハンマドが奴隷を所有していた時代があるということは「奴隷制は許されている」という方向に行ってしまう。異教徒だった時のビラールは奴隷だったので、「異教徒は奴隷でいい」という考えになっているんです。

 それで、異教徒としてのヤジディ教徒は奴隷でいいのだ、という主張しているわけです。

死んで天国に行くと
72人の絶世の美女に
囲まれ生活できる?

──これまで奴隷という手段をとった組織はあるんですか?

常岡 実は、チェチェン人が、ロシア兵の捕虜を奴隷化して取って来るというのがありました。

谷川 何をさせるんですか。

常岡 畑を耕させる(笑)。でも僕が一時期世話になっていた家にはロシア兵の奴隷が二人いたんですが、畑は耕されてたけど、二人とも逃げちゃった(笑)。

鵜澤 イスラム国に、ヤジディ教徒が性奴隷として扱われているという報道がありますが、自分が見てきた限り、サラフィーは性行為には厳しいはずなんです。

鈴木 確かに想像できない。

常岡 でも、サラフィーでも、痴漢だって中東にはあるわけで。

鵜澤 サラフィーにも?

常岡 サラフィーもあります。

 結局、システムを作っているのはサラフィーだけど、利用する側はサラフィーではないという構図があって、サラフィーでなくても金で買ってしまう悪いやつはいくらでもいますしね。


谷川ひとみ(たにかわ・ひとみ)/27歳。大学院生。2013年8月、チェチェン人を主とする外国人義勇兵を訪問し、なぜ旧ソ連出身者がシリアで戦っているのかを追った。滞在地で毎日、アサド政権からの砲撃があった。
谷川 私は、寮にいるアラブ人にたくさん誘われましたが、「そんなに言うんだったらいくら出してくれるの」って聞いたら、ゲンナリして「そんな悲しいこと言うなよ」って言われました(笑)。

常岡 結納金ですよ(笑)。

谷川 「ちょっと美味しいもの食べさせてくれるとかないの?」って聞いたら、「なんでそんなことしなきゃいけないの」と開き直られました(笑)。本当に一番、話を聞かないのがアラブ人で、特にシリア人は聞かない印象です。仕方がないから、私は唐辛子の粉をそいつに撒いて追っ払いました。

常岡 どうなったの?

谷川 くしゃみして泣いてました(笑)。キッチンで、「ふぇーっ」て泣いてましたよ。

鵜澤 やばい。

谷川 それくらいしないと、話聞かないですけどね。鈴木さんはそういうのなかった?

鈴木 私はずっとニカブ(イスラム教の女性がつける目以外を覆い隠すベール)なので。

常岡 ニカブ着けたら大丈夫?

鈴木 ニカブ着けたら、本当に親しくなった人しか、目は合わせてきませんね。

常岡 真面目な人とだけ付き合ってたんだね。

鈴木 シリアでは私は「ムスリムだ」と言い張ってました。世俗的な自由シリア軍の場合は適当なので、車で隣り合わせに座ってもいいかとか聞いてきましたが。

鵜澤 僕の知り合ったシリア人は、欧州留学した時、女の子から結構誘いがあったらしいんです。

 それで思い悩んで師に教えを仰ぐと「それは良くないことだ」と忠告され、頑なに貞操を30歳まで守り通したといってました。

谷川 頑張りますね。

鵜澤 そういう人が周りには結構多かったので、あんまりネガティブなイメージはないんです。

谷川 友達の真面目なアラブ人が「あいつは異教徒だから、こんにちは、も言いたくない」と言っていて、他のアラブ人に強制しようとしていましたね。

常岡 サラフィーの人?

谷川 はい。

鵜澤 それは、異教徒がいなかったからわからないですね。

 うちの部隊では、タバコ吸っただけで大問題になってましたよ。「誰の吸殻だ!」って。殺されるんじゃないかと思いましたが。

──タバコはなんで禁止されているんですか?

鵜澤 自殺禁止なんです。基本的に、自分の体を痛めつけることは禁止なんです。

常岡 自分を害してはいけない、というのがコーランにあります。

鈴木 自由シリア軍だとぷかぷか吸っていて、ヌスラ戦線だと絶対吸わないし、持ち込みもしない。

鵜澤 トラックとかでタバコを捕獲したら全部燃やしますからね、サラフィーの人は。それで自由シリア軍の人たちが怒るんです。「なんで燃やすんだ!」と(笑)。

常岡 自由シリア軍側だと、タバコは貴重品みたいなものですし。

鵜澤 逆にサラフィーだと、「死んで天国に行くと72人の絶世の美女に囲まれながら生活できる」と言って、それに猛烈なモチベーション感じていまして……。

鈴木 それは皆言いますね。ジハード(聖戦)で死ねば、72人の美女が待ってるんだって。

鵜澤 普段、接しているときは堅いんですが、実はみんな好きという一面もあって、世界の男は皆変わらないんだなぁ、と。

戦士の給料は
1カ月60ドル
生活するには十分過ぎる

──ところで、戦地には日本人やアジア人はいたんですか?

鵜澤 インドネシアはいましたね。マレーシアとかその辺も。

鈴木 私は結構、聞きましたね。「日本人がいるよ」って。

常岡 戦場まではいないじゃないんですか(笑)。

鈴木 でも15、16人数えてた。

鵜澤 僕も聞いたんですよ。でも中国人じゃないか、と。

鈴木 でも、「パスポートは確かにジャパンて書いてあった」と。

鵜澤 マジですか。

鈴木 偽造してるかもしれないですが、「この前1人、日本人死んだよ」と聞きました。鵜澤さんじゃない?(笑)

鵜澤 じゃない、じゃない(笑)。死んだことになってたのか、「お前生きてたのか」とか言われましたけどね。

鈴木 なんか日本人が13人やってきて武装して、半分ずつヌスラ戦線と、アフラールシャームに分けられたという話を聞いたんです。逢いたくてしょうがなかったんですけど……。

──ちなみに鵜澤さん、給料は出たんですか。

鵜澤 1カ月60ドル。

鈴木 あ、もらえるほうですね。

常岡 そういう感じなんですね。イスラム国もそのくらいって聞きましたけど。

鈴木 ヌスラは少ないですね。

常岡 いくらですか。

鈴木 10ドルとか。

常岡 10ドルは少ないな。

鈴木 部隊によっても違ったりとか、近くの難民キャンプに流れたりとか、ヌスラの試験でパンを配ったりとかで、給料がちょっと減っちゃうんですって。

鵜澤 人が多いとそうなりますね。うちは食料とかも部隊が全部用意してくれて、まとめて町に買い出しに行って炊事当番が作るかたちでした。給料は自分の娯楽費として、外食とか、個人的な日用品とかしか使わなかったです。

 50ドルでも十分過ぎるぐらい。10ドル、20ドルぐらいでもいいぐらいでしたね。


戦場に来ているのは
“落ちこぼれ”じゃない
欧米主導の価値観への疑問

──鵜澤さんは、もう一度戦地に行きたいと思いますか?


鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)/26歳。元戦士。中学卒業後、自衛隊を経て大学に入学。その後農産物販売会社を起業。2013年4月にシリアを訪れ、反政府組織ムハンマド軍のメンバーとして戦闘に参加。現在は会社員。
鵜澤 今、別の人生テーマを見つけてやっているので、今後は行かないかな。今までは、ずっと「戦い」というテーマを自分に課していました。戦いを通して、 「自分の殻を壊す」ということに重きを置いていたんですが、今は、いかに色んな人と協調し、そこから新しいモノを見出していけるかに今は重きを置いていま す。

 自分の今までの価値観と全く違う軸に触れてみることで自分の人間力が高まるかな、と思っているところもあるんです。両親や日本社会への恩返しをしたいというのもあって……。

常岡 びっくりするのは、鵜澤さんって元々、有機農業の会社を自分でやってたでしょう。

鵜澤 そうですね。

常岡 で、戦いに行って帰ってきたら会社員になられた?

鵜澤 フリーランスです。自営業とも言うし、会社員とも言う。会社と契約をして、社員ではないけど、住む場所も仕事場所も場合によって借りて、転々として結構自由な感じでやってるので、遊牧民と名乗っています(笑)。

常岡 シリアに来ちゃう日本人って社会に適合できない“ダメ人間”が多い(笑)。ですが、鵜澤さんは社会にも適合してるところが異端というか、戦場に行く人の中では少ない方じゃないか、と。

鵜澤 戦場に行く理由って、結構違いますよね。

常岡 はい。鵜澤さんは別に戦場マニアじゃないですよね?

鵜澤 マニアじゃないです。僕は元から、日本社会の価値観や枠組みに何か疑念を感じることが多くて、自衛官時代にも、起業したときにも、それは消えなかったんですね。だから、日本の枠組みから抜け出したシリアという場所に行ってみようと思ったんです。

──戦場と一般社会の起業を並列で並べて語れる……。

鵜澤 小学生時代には自殺願望もありました。

 そんな自分が嫌いで、「殻を抜け出したい」とも思ってたんですね。そのころ、ある戦争映画を見て、「破壊の象徴である“戦場”に身を置くことで殻を壊す」という目標ができ、そのためならどんな辛いことでも乗り越えて来れた。

 自衛官としても耐えてきたし、起業もやれたという側面もあるんですが、その時点で、死にたい願望はなくなったんですよ。一切なくなったのに、メディア報道では結びつけられて……。

鈴木 自爆をしたいとかはないんですか?

鵜澤 自爆って、特攻もそうですが、技術のある歴戦のパイロットは絶対そんなのやりたくないと思っていましたね。それと多分同様で、自爆ではなく戦いの中で自分を高めていきたいという気持ちがありましたから。撃たれて「もう死ぬ」って思ったときは、最後なので突っ込んでもいいと思いましたが。

鈴木 爆弾を装着して?

鵜澤 ただ、やっぱり諦めたくはないです、最後の最後までは。全力を尽くしたいから。

谷川 スポーツマンみたいな。

鵜澤 そうそう、スポーツマンシップ。たまたまそれが、自分はスポーツに向かず、戦いに向いていったんだと思います。「社会とどうかかわっていくか」という意識がありましたから。

谷川 なるほど。

鵜澤 だから、撃たれた相手には恨みも何もないし、戦っているときも決して恨みはなくて、むしろ自分との戦いでした。「この恐怖心をどうやって乗り越えていく」かとかに集中していて、「殺す」という殺意は全くなかった。これまでの報道を見ただけの人からはよく、「人を殺したかった」とか言われるんですよね……。

──「死にたい」「殺したい」ではなくて、「戦いたい」だったと。

鵜澤 ちゃんとした戦い。戦う人の道を極めたいみたいなものがありましたね。

 そもそも僕が戦いに向いていったのは、「価値」というものに疑問を感じてから。例えば水の価値って、アラブと日本では全然違いますよね。だから絶対的な価値とか普遍的な価値がないという意味では、「この世の中はバーチャルだな」って感じてました。

 普遍的な価値がないから枠にとらわれず、自分の好きな人生を歩めばいいと思ってて、結果として思いを抱いてきた戦士になるという経緯でした。

──ですが、世の中がバーチャルだと痛感したとしても、行動を起こすと起こさないは違いますよね。例えば「資本主義の競争社会を出たい」とかそういう理由で来られた戦士はいましたか?

鵜澤 いましたね。僕は資本主義社会に決して不満があったわけではなく、自分の生き方に理想があっただけで、決して事業がいやだというのはないんです。

 ただ、(シリアに)来てる人たちっていうのは、落ちこぼれとかじゃないんです。本当に普通の社会の中でやってきたけども、今の欧米主導の自由資本主義社会の中の価値観に、将来性であったりとか希望を感じられなくて、この先にいい未来があるんだろうかっていう問いがあったんです。

──その問いは、戦場で、皆さん満たされるんですか?

鵜澤 戦場というより、彼らにとっては「カリフ制」なんです。イスラムに則った“原理主義”って敢えて言っちゃいますけど、「昔ながらの生活をする」ということに一つの答えがある、と彼らは信じていますよね。

──これは、周辺諸国から来ている人でもそうですか?

鵜澤 欧州で資本主義社会を見ている人たちとかは特にそうだと思います。チュニジアとかで普通に仕事をしてたけれど、やっぱりそういう(カリフ制)社会の方がいいなっていうことで、仕事も子どもも奥さんもいるけれども、来ている人がいました。

──すると「戦う」のが目的じゃなくて、カリフ制なんですね。

鵜澤 彼らは、多分、「戦い」ではないと思います。

常岡 アラブは基本的には戦争が大嫌いな民族なんですよね。

谷川 私がよく話したのは、ベルギーで小さい頃から育ったチェチェン人戦士で、見た目は普通にその辺にいそうな男の子で「子どもが死んでいるのを見てかわいそうだから来た」と言っていました。特に資本主義がどうとかではなく。

鵜澤 確かに、そういう子もいましたね、ボスニアで。

谷川 学校も行ってたし、特にベルギーでムスリム差別にあったこともなく、不自由なく暮らしてたんですが、テレビを見て、「子ども助けたい」って。

鵜澤 欧州だと日本よりも報道されますもんね。

谷川 チェチェン人だと簡単に道が見つかるんでしょうね。あと、ずっとチェチェンで戦ってて、向こうの状態が悪いから歩いて来たっていう人がいましたね。パスポートも何も持ってなくて(笑)。

鵜澤 そんな人もいるんですね。

谷川 シリアまで1週間歩いて来たって(笑)。

常岡 チェチェン人も最近カリフ制の話をするんです。カリフ制の時代が来たら、国境はすべて人類の間からなくなるんだぜ」とかいう話をするんですが、お前ら最初からないだろう、と(笑)。

──話がそれましたが、すると鵜澤さんはもう戦わない?

鵜澤 本来であれば、戦い抜いて「もういいや」というところでやめようと思ってたんですが、今回それをものすごく打ち砕かれました、徹底的に。1カ月早々で吹き飛ばされましたし。

 それで日本に帰らないといけないとなったとき、「もう俺は終わった」と、ものすごい虚無感に襲われたんです。自分の中ではまだ残ってますが、一方で、周りの人の気持ちに対して感謝したり、過去の自分を振り返れるようになったのも事実です。今後は自分の経験を改めて考えながら、新しい世界を追求していきたいですね。

(終わり)
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