01. 2014年10月30日 06:35:24
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田岡俊次の戦略目からウロコ 【第40回】 2014年10月30日 田岡俊次 [軍事ジャーナリスト] 「イスラム国」との戦いが我々に示す 戦いは始まればエスカレートするもの 「イスラム国」の台頭とそのイラク、シリアでの支配地域の拡大に対し、当初オバマ米大統領は不介入の姿勢を示した。だが6月になって「300人以下の軍事顧問をイラクに派遣」と発表し、8月にはイラク領内の「イスラム国」拠点に航空攻撃を開始、9月にはシリア領内の「イスラム国」拠点への航空攻撃、軍事行動を拡大せざるをえなくなった。10月にはついに「地上部隊を出すか否か」が米国内で議論の焦点となった。戦いは一度始まると、国の指導者には不本意でも、エスカレートしがちなことを歴然と示す例だ。日本が集団的自衛権行使で自衛隊を海外に派遣するか否かや、尖閣諸島での日中対立を考える際にもこれを「他山の石」とし、常にエスカレーションの危険性を勘定に入れる必要があることを我々に示している。かつてCIAがISISに武器供与 2011年に始まったシリア内戦で、米国はトルコ、サウジアラビア、カタールなどイスラム・スンニ派諸国と共に、シリアのアサド政権打倒を目指し、反政府軍を支援してきた。当初はシリア軍から離反したスンニ派将兵が主体の「自由シリア軍」に援助をしたが、これは住民の支持が低くて士気も振るわず弱体化し、反政府勢力の主力はアルカイダに属する「ヌスラ戦線」や、あまりの残虐、悪辣な行動が一因でアルカイダから破門された「イラク・シリアのイスラム国」(ISIS)などイスラム過激派武装集団に移った。外国から供与された資金、武器、車輌もそれに流れることが多く、米中央情報局(CIA)がISISに武器を供与し、ヨルダンで訓練している、との報道も米英で出た。 米国の予想に反し、アサド政権は倒れず、主要都市を次々と奪回し平定を進めた。「自由シリア軍」は弱体化し、「ヌスラ戦線」はアルカイダ系、クルド人はシリア政府に懐柔されたから、CIAなどがシリアで支援する相手としては「反アルカイダ」のISISしかなかったのだろう。 これで戦力を強め、戦闘経験を積んだISISは砂漠が広がるシリア東部のユーフラテス川沿いの地域やトルコとの国境地帯を支配し、昨年12月30日からイラクに侵攻、1月8日に首都バグダッドの西約50キロのファルージャ(人口32万人)を占拠した。だが、この時には米国政府はほとんど関心を示さず、メディアでも注目されなかった。米軍はすでに2011年12月にイラクから撤退を完了しており、失敗したイラクのことは考えたくもなかったろうし、ISISをなかば味方のように見ていたのだ。 ところがISISは6月6日、イラク北部で大攻勢に出てイラク政府軍2万人以上を潰走させ大量の重装備を捕獲、9日に油田地帯の中心地モスル(人口66万人)を占拠、急速に南下して11日にはバグダッドの北約150キロのティクリートを制圧した。ISISは首都に西と北から迫る形勢となっただけでなく、米国石油企業が進出しているイラク北部のクルド人地域の油田地帯を脅かすことになったため、米国では俄かに関心が高まった。 不介入から空爆までの経緯 だがオバマ大統領は6月13日にこの問題に対し初めて出した声明で「地上戦闘部隊は派遣しない。航空攻撃を含む選択肢を検討する」としたが、同19日の記者会見では航空攻撃も見送り、「最大約300人の軍事顧問を送る」と発表、「米軍は1つの宗派を支援するために軍事行動をとることはない」と事実上の不介入宣言を行った。軍事介入はしないのだから、「軍事顧問」も状況把握のための派遣の性格が濃かった。 一方、ISISは6月29日「イスラム国」の樹立を宣言し、イラク北部のクルド人自治区の中心地アルビル(人口100万人)の近郊でクルド人部隊と戦闘が続いた。アルビルの付近では外国の石油企業の油田開発が進み「第2のドバイ」とも言われる程で、米国の総領事館も設置されていた。このため米国は8月8日から「アメリカ人を守るため、標的を絞った攻撃を行う」としてアルビル郊外で「イスラム国」軍に対し、空母「G・H・W・ブッシュ」の戦闘・攻撃機FA18、2機による攻撃を行い、同市の防衛には成功、10月中旬までにイラク領内での航空攻撃は350ソーティ(のべ出撃機数)を超えた。 だがイスラム国の本拠はシリア領内にあるから、イラク領内で枝葉を叩いても効果が限られるのは当然で、オバマ大統領は9月10日「シリア領内でも航空攻撃を行う」と表明し、21日にはケリー米国務長官がシリアのムアッレム外相と会談して「シリア領内での航空攻撃」を通知し、事実上の承認を得た。同月23日、巡洋艦「フィリピン・シー」と駆逐艦「アーレイ・バーク」からの巡航ミサイル「トマホーク」47発や、艦載機FA18、ステルス戦闘機F22、爆撃機B1などにより、「イスラム国」本部があるシリア北部のラッカなど4ヵ所を攻撃した。シリア領内の航空攻撃は10月中旬までに250ソーティを超えた。 ところが、「イスラム国」の行動は衰えず、9月16日からシリア領内のトルコ国境のクルド人の町コバニ(クルド名、アラビア名ではアイン・アル・アラブ、人口約4万人)に迫り、迫撃砲、戦車で攻撃、10月中旬には町の半分を制圧した。米軍機の激しい爆撃と同月19日から行われた米空軍のC130輸送機による武器、弾薬、医薬品の投下でクルド人は持ちこたえ、「イスラム国」軍は約2000人の兵力中、死者500人余が出たとも伝えられる。だが米国では40日も続く攻囲戦の決着がつかないことに苛立ちが高まり、10月15日発表の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙とNBCテレビの共同世論調査では「イスラム国討伐に航空攻撃と地上部隊が必要」とする人が41%(前月比7%増)、「航空攻撃だけ」が35%(同5%減)、「軍事作戦に反対」が15%だった。軍事介入に慎重だった統合参議本部議長デンプシー陸軍大将も9月16日米上院軍事委員会で「軍事顧問が前線で(イラク軍に)助言する可能性がある」と述べており、「特殊部隊だけでも出せばどうか」の論が米国で高まっている。 エスカレーションが招く失敗 オバマ大統領はそもそも前ブッシュ政権が始めたイラク戦争を批判して2008年の大統領選挙で当選し、イラクからの全面撤退を行い、アフガニスタンからの戦闘部隊の撤退も進めてきた。2009年にノーベル平和賞まで受けている。それだけに中東での戦争に再び引き込まれるのは不本意の極みだし、財政危機に直面して国防予算の大削減を進めるなか、戦費がかさむことは耐え難い思いだろう。6月19日の記者会見で「これは主権国家であるイラクの問題だ。アメリカは一つの宗教(イラクのシーア派)を支援するために軍事行動を取ることはない」と冷淡な態度を示したのが本音だったろう。 ところが8月8日にアルビル近郊で戦闘機2機により「イスラム国」の自走砲を破壊させたことがきっかけとなり、ずるずると戦闘に巻き込まれた。すでに航空攻撃はイラクとシリアで計600ソーティを超え、当初は「絶対にない」と言っていた地上部隊の派遣までが論議される状況になってしまった。これはエスカレーションの典型的な例だろう。まるで禁酒に成功したアルコール中毒患者がつい「ワイン1杯なら」とグラスに手をのばし、症状が再発したようなかっこうだ。 「イスラム国」の本来の発生源は米国占領下のイラクで、サダム・フセイン政権の残党として公職から追放されたり、迫害を受けたイラクのスンニ派バース党員の一部が米軍等に対するテロ活動を始め、シリアで内戦が始まるとそちらに移動し、米国とその友邦の支援で増殖した。だから、前ブッシュ政権の残した「負の遺産」の面もあるが、2011年に始まったシリア内戦で反政府派を支援したのはオバマ政権で、その責任も大きい。11月4日の中間選挙を前に共和党はイスラム国問題でのオバマ大統領の無為無策をあげつらっている。もし当初の不介入政策を保ちアルビルでアメリカ人が死亡でもすれば非難の的になるのは明白だったから、やむなく8月8日の航空攻撃に踏み切ったのだろう。世論は対外関係では概して威勢が良くて分かりやすい強硬論支持に傾くから、民主制の国では政治家は本来の意向に反してもエスカレーションの方向に流されがちになる。 戦争は初めから双方の国民や指導者が「長期の大戦争になる」と覚悟して始めることは少ない。大多数は短期、限定的な作戦のつもりで出兵し、それがエスカレートして多大な人命、財産の喪失を招くのだ。イラク戦争前には、ラムズフェルド米国防長官などの主戦派は「兵力7万5000人程度、数週間で勝てる」と言っていたが、2003年3月から2011年12月まで8年半、米軍は最大13万8000人を投入して事実上敗退した。直接戦費は8000億ドル(約80兆円)だが、今後の負傷兵3万人の障害給付や国債の利払いなどを含むと3兆ドル(約300兆円)との試算もあり、米国財政は破綻に瀕することになった。 アフガン戦争も2001年9月のニューヨークとワシントンでの大規模テロ事件の報復として、アルカイダをかくまったアフガニスタンのタリバン政権に懲罰的一撃を加えるつもりだったが、戦闘以来すでに11年がたっても完全に足が抜けない。ベトナムでも米国は1956年から南ベトナムに軍事顧問を派遣し武器援助を行っていたが、反政府活動は収まらず、61年から米軍はヘリコプター部隊を出して戦闘に加わり、65年には全面的に参戦、とエスカレートした。最大時62万人以上を投入して5万6500人の死者を出し、固定翼機3600機以上、ヘリコプター4800機以上を失って73年に撤退、米国は世界最大の債権国から債務国に転落した。 戦史に枚挙の暇ない誤算の数々 ソ連のアフガニスタン介入失敗(1979〜89年)はこれ以上に致命的だった。隣国のイランでのイスラム革命が、ソ連の属国化していたアフガニスタンに波及し、イスラム・ゲリラが蜂起し、その勢力が拡大したため、ソ連はアフガニスタン政府にイスラムとの宥和策を勧めたが、頑固な社会主義者だったアミン大統領は逆に対ゲリラ作戦を強化し状況をさらに悪化させた。ソ連の介入は強硬派アミンを退陣させ、温和でソ連の忠告に従うカルマルに代える目的で行われた一種のクーデターで、ソ連は戦争になるとは考えていなかった。だが、ソ連軍の侵入はゲリラ活動を一層激化させ、ソ連はその財政的負担に耐え切れず、結局9年後の1988年5月から撤退を開始した。これでソ連が軍事的威信を失ったため、その直後から東欧の親ソ政権が次々に倒れ、ついにドミノ現象はモスクワに達し、1991年12月のソ連崩壊にいたった。 日本が第2次世界大戦で惨敗したのも、元は1937年7月、北京郊外でのきわめて小規模な銃撃戦、盧溝橋事件がエスカレートして日中の全面戦争に発展した結果だった。この戦争で首都南京を日本軍に奪われた蒋介石は武漢、重慶に逃れたが、米、英は蒋介石を援助し、武器、弾薬はフランス領インドシナ(「仏印」・ベトナムなど)を経由して重慶に送られていた。フランスは1940年6月ドイツに降伏、親独政権が生れたため、日本は同年9月フランスに迫って、蒋介石への援助物資を停めるため、北部仏印に進駐を認めさせ、翌年7月には南部仏印にも日本軍がフランスの同意を得て進駐した。これに対し米国は8月、日本の在米資産を凍結、ついで石油輸出禁止の措置を取った。当時日本の石油輸入の80%は米国からで、それが止ればまさに日本は存立が危ういから、備蓄の石油が尽きる前にオランダ領インドネシアや英領ボルネオの油田を奪おうとし、それを妨害するであろう米太平洋艦隊をまず撃滅するため真珠湾に打って出た。 南部仏印に進駐すれば石油禁輸をすることを米国は事前に日本大使に示唆していたが、日本の軍部は「仏印進駐にとどまる限り、禁輸なしと確信す」(大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」)などと自己中心の甘い期待を抱いていた。このため米国の石油禁輸に愕然とし、勝算の無いことは承知の上で対米戦を決意するに至った。 一度紛争や軍事的対決が始まると、こちらがエスカレートさせるつもりがなくても、相手側がそうする場合もよくある。政府や軍の当局者はたがいに誤算をしたり、強硬な世論に押されて、後から見れば非合理な行動をしがちなものだ。集団的自衛権により自衛隊に「グローバル」な活動をさせるのなら、最初は短期の局地的な紛争のつもりでも、長期の大戦争になる可能性があり、そうした例は戦史に枚挙の暇がないほど多いことを計算に入れて判断をする必要がある。 軍人は「最良の事態」を想定しがち 尖閣諸島の防衛についても同様だ。防衛省・自衛隊はそれが占領された場合、奪還するために「水陸両用団」(海兵旅団)を編成し、水陸両用装甲車AAV7を52輌輸入することを決め、MV22垂直離着陸輸送機(オスプレイ)の導入や、大型の「多機能艦」(強襲揚陸艦、満載排水量2万トン余)の建造などを検討している。だが無人の小島の奪回だけを考え、それ以上に戦闘が拡大し沖縄や日本本土に戦火が拡がることを「想定したものではない」と言う。 だが戦略を考えるにあたって自分に都合の良い状況を想定してシナリオを描くのは絶対に禁物だ。相手はこちらの弱点を突こうと必死で考えるから、自然災害以上に「想定外」の事態が生じる可能性が高い。軍人、特に参謀将校は日頃の演習では演習を成り立たせるため、勝手に状況を設定をする癖が付いており、予算獲得に都合の良い理屈を述べ立てる。だから実戦になっても作戦計画に反するような情報や、敵の可能行動については「それはありえない」と主張しがちだ。口では「最悪の事態に備える」と言いつつ、実際には自分達にとって好都合な「最良の事態」を想定していることが多い。 例えば冷戦時代には陸上自衛隊は「北海道にソ連軍約4個師団が侵攻」との前提で部隊配備や作戦を考えていたが、実はこれは北海道に陸上自衛隊4個師団があり、本州と九州から2個師団規模の増援を得れば相手の4個師団を撃破できる、との発想から「4個師団の侵攻」を想定したもので、かつて大胆な陸上幕僚長が私に「ソ連軍がこちらに都合の良い兵力で攻めて来てくれるとは私は思いませんがね」と笑って話したこともあった。 また陸上自衛隊の演習の想定はほぼ常に「航空戦力は彼我伯仲」としていた。相手が制空権を持つと想定すると、地上部隊は洞穴にでも潜むしかないので、戦車、自走砲、装甲車、ヘリコプターなどの部隊が活躍する演習にはならない。一方こちらに制空権があれば、相手は渡洋侵攻してこれないから、航空戦力は「伯仲」と決め、こちらから反撃に出る際には制空権を取り戻している、という想定にするわけだ。だが、もし制空権を取りもどせば、相手は補給が途絶えて立枯れになるから、反撃の必要は乏しい。演習だけならまだしも、それを基にした防衛計画を作り、敵の制空権下ではまず使えないような大型ヘリなどの装備を発注し、部隊を編成する一方、対空火器は少なかった、など頓珍漢と感じることが多かった。 尖閣諸島の防衛に関しても制空権(航空優勢)が決め手で、それが日本側にあれば誰も攻めて来られず、仮に相手が隙を突いて上陸しても補給が切れて自滅する。逆に相手に制空権があればこちらの揚陸艦など水上艦船は航空攻撃の標的となるだけだ。実際には東シナ海は中国にとり近年まで最重要だった「台湾正面」だけに、そこを担当する南京軍区には台湾の戦闘機約330機(旧式のF5E/Fを除く)に対抗できるよう、中国空軍の戦闘機約320機、海軍航空隊の戦闘機約70機がいて、うち日本のF15、台湾のF16などに匹敵する「第4世代戦闘機」はロシアのSu27系と国内開発のJ10が計250機程度と推定できる。対艦ミサイルを搭載する中型爆撃機や対艦攻撃機も数多配備されている。 一方日本は那覇空港にF15が20機、近く40機になるが、相手は多分その6倍だ。中国の戦闘機パイロットの飛行訓練は新型機で年間150時間と見られ日本と同等だ。 航空戦での勝算は乏しいし、もし戦争になれば相手が尖閣周辺だけで戦ってくれる保証はないどころか、こちらの発進基地である那覇空港や那覇港などを叩きに来るのは定石だ。佐世保港や九州、本州にある航空基地を爆撃したり、巡航ミサイルなどで攻撃してくることも当然ありうる。それは「想定しない」とはあまりの机上の空論。演習の想定や予算要求のための理屈と実戦との区別が出来なくなった「平和ボケ」参謀の発想だ。 戦いは一旦始まれば大体はエスカレートするものだ、という平凡な事実を「イスラム国」との戦いは我々の眼前に示している。 http://diamond.jp/articles/-/61365 |