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キエフ軍に虐殺された住民の遺体が発見され、コロモイスキー知事が戦争責任を問われる可能性
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201410040000/
2014.10.04 17:01:17 櫻井ジャーナル
ドネツク近郊、キエフ政権がネオ・ナチを中心に編成した親衛隊の駐屯していた地域で「集団墓地」が発見されつつある。調査中のため、犠牲者数がどの程度になるかは不明だが、そうした「集団墓地」の存在をOSCE(欧州安全保障機構)も確認している。
言うまでもなく、キエフ政権はアメリカ/NATOを後ろ盾にしている。今年2月、クーデターで実権を握った勢力が作った流れの中で登場した政権で、西側資本の影響下にあるオリガルヒやNATOの訓練を受けてきたネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が柱だ。
親衛隊が駐屯していた理由はウクライナ東/南部の民族浄化。この地域には天然ガスなどの資源が眠っていると言われ、西側資本が狙っていた。反キエフ派を殲滅するだけでなく、住民を追い出すことで開発がしやすくなるという読みもあったようだ。そうしたことからIMFは融資の条件として東/南部の制圧を求めていた。
民族浄化が成功していれば虐殺を隠蔽できたかもしれないが、キエフ軍は住民側(人民共和国の義勇軍)に敗北、住民の遺体が発見されてしまった。西側の政府やメディアが宣伝していた「民主化を目指す解放軍」というシナリオは崩壊状態。それを何とか取り繕おうとする姿は無様だ。もっとも、「見猿、聞か猿、言わ猿」、支配層に媚びを売るしか能がない猿のようなマスコミよりはマシかもしれないが。
こうした状況になると、責任を個人に押しつけようという動きが出てくるものだが、その「生け贄」にされそうな人物はドニエプロペトロフスクのイゴール・コロモイスキー知事。民族浄化の黒幕と言われているが、住民を虐殺したとして拘束された戦闘員の中に、このコロモイスキーから住民の殺害を請け負っていたと証言する人物がいる。
コロモイスキーは今年4月に武装集団アゾフを組織している。200名ほどのメンバーは右派セクターの中から流れてきたという。その約半数は犯罪歴があり、6月14日にキエフのロシア大使館を襲撃したグループの中心だったとされている。そのほかアイダル、ドンバス、ドニエプルという武装グループも作ったという。
民族浄化作戦の幕開けは4月12日。ジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問したのだ。その2日後にアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行が制圧作戦を承認した。電話での指示は盗聴される恐れがあるため、乗り込んだのだろう。
次いで4月22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作に関する会議が開かれた。出席したのはアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行、アルセン・アバコフ内相代行、バレンティン・ナリバイチェンコSBU長官代行、アンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてオブザーバーとしてコロモイスキー。
会議の10日後、5月2日にオデッサでクーデター政権を拒否する住民が虐殺された。
http://orientalreview.org/2014/05/14/bloodbath-in-odessa-guided-by-interim-rulers-of-ukraine/
この時に労働組合会館で殺されたのは50名弱とメディアではされているが、これは上の階で死体が発見された数。多くは地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名と言われている。70〜80名はどこかに埋められた可能性が高い。
コロモイスキーはスイスのジュネーブを生活の拠点にしているイスラエル系オリガルヒで、ウクライナとイスラエルの市民権を持っていることが知られていた。二重国籍が問題にされた際、キプロスのパスポートも持っているので三重国籍であり、二重国籍でないから問題ないと主張している。
こうした人物を知事に任命したのはアルセニー・ヤツェニュク首相であり、そのヤツェニュクをクーデター前から高く評価していたのがアメリカ国務省のビクトリア・ヌランド次官補。ヌランドの夫、ロバート・ケーガンはネオコン(親イスラエル派)の大物だ。コロモイスキーの人脈はアメリカ政府につながっているわけで、その戦争犯罪はアメリカも責任を免れない。
ところで、建造物を破壊、住民を虐殺することで恐怖心を煽って追い出すという手法は1948年にパレスチナで使われている。この年の4月4日に「ダーレット作戦」を発動、6日にはハガナ(後にイスラエル軍の中核になった)の副官がイルグンやスターン・ギャングの代表と会って軍事協力で合意した。
この合意に基づいてイルグンやスターン・ギャングは8日にエルサレム近郊のカスタルを占領、9日未明にデイル・ヤシンを襲撃した。その時間には仕事で若い男は村にいないことを知った上での攻撃で、国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性、35名は妊婦だった。
この虐殺を見て多くのアラブ系住民が避難、約140万人いたパレスチナ人のうち、5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ避難、その後1年間で難民は71万から73万人に達し、その場にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎない。ウクライナの場合も100万人近い住民がロシア領へ逃れて難民化した。
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