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ウクライナ東部集団虐殺を決して見逃すな!集団埋葬された跡が発見される(ロシアの声)
http://www.asyura2.com/14/warb14/msg/311.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 9 月 25 日 01:36:16: igsppGRN/E9PQ
 

ウクライナ東部集団虐殺を決して見逃すな!
http://japanese.ruvr.ru/2014_09_24/277730640/
17:15 ロシアの声


ウクライナ東部ドネツク市近郊で大量虐殺の後、集団埋葬された跡が発見された事実に関して、ロシアは国際的な査察の実施を要求する。集団埋葬が見つかったのはそれまでウクライナの国家親衛隊が駐屯していた場所だった。

最初に集団虐殺の跡が見つかったのはドネツク近郊のコンムナル村。工兵らがうっすらと土に覆われた死体を発見した。工兵らは村をまわり、地雷や手榴弾の配線を除去する作業にあたっていた。こうした爆発物は通常ウクライナの国家親衛隊が陣営をたたむに当たって置き土産においていくもの。コンムナル村をシロビキが去ったのは休戦締結後、21日(日)になってからだった。ところが今回見つかったサプライズは地雷などを上回るおぞましいものだった。欧州安全保障協力気候の監視官のいる前で集団埋葬地からは4人の遺体が見つかった。男性1人に女性3人。そのうち1人は妊娠しているものと思われる。 4人はみな軍服ではなく、普段着を着ており、手は縛られ、頭部には銃弾の跡があった。しかも2つの頭は完全に胴体から切り落とされている。この人たちは何者なのだろうか? いつ殺されたのか? この問いに取り組むのは司法医療鑑定士らの仕事であり、殺害の状況調査は国際レベルで行われなければならない。ロシア戦略調査研究所の専門家、アジダル・クルトフ氏は真犯人の責任逃れは断固として許してはならないとして、次のように語っている。

「次々に浮かび上がる新事実から、殺害されたのが武器を持たず、義勇軍側にたって戦闘行為に加わったのではない市民だったことが裏づけられる。見つかった集団埋葬地から、市民は拷問を受け、体の一部を切り落とされ、皮膚に焼印を押されていたことが証明された。そうした焼印にはナチスの象徴もあった。この事実は国際的な調査を開始する根拠となる。なぜあんなにも人権を寿ぐ西側が未だに、たとえばバルカン戦争での人道基準の違反について活発に議論を戦わせているのか? ボスニア、ヘルツェゴビナの悲劇は新聞やテレビの見出しから消えることはないというのに、なぜ同じテーマがウクライナ南・東部に関しては取り上げられないのか?」

西側の、現在のキエフ政権の支持者らは自らの腹心の犯罪には目を向けようとはしない。オデッサの悲劇も全く進展がない。2014年5月2日、オデッサではナチスらがキエフのクーデターに反対する市民を組合会館へと追いたて、これに放火して焼き殺した。48人の市民が生きたまま炎に包まれ、火から逃れようとして死んだ。200人を超す市民が負傷した。ロシアの圧力でウクライナはオデッサの事件の特別調査委員会を設置したが、4ヶ月以上たった今も何の結果も表されていない。国際鑑定団は調査には加わることができないからだ。

ところが今回、ウクライナ国家親衛隊によるドネツク近郊で集団虐殺の跡が発見された後、親衛隊の一般市民に対する犯罪責任は間逃れない。ロシア議会下院国際問題委員会のプシコフ委員長はこう力説した。ロシアは国際的な法的フィールドとして欧州会議、欧州議会議員会議、欧州安全保障協力機構にこの問題を提示する構えを見せている。

ここ数日間に集団虐殺が発見されたのは、コンムナル村だけではない。この近郊の居住区の入り口でも穴が掘られ、そこに5人の遺体が放り込まれているのが見つかっている。地元民の話ではウクライナ国家親衛隊が来て、義勇軍との関わりを糾弾したあと、銃殺したという。居住区では数人の市民の行方が未だに不明のままだ。この周辺にまだ多くの集団埋葬地が見つかる確率は非常に高い。

 

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コメント
 
01. 2014年9月25日 08:09:56 : 358VeCXh4E

>地元民の話ではウクライナ国家親衛隊が来て、義勇軍との関わりを糾弾したあと、銃殺

どこかの秘密警察がやりそうな手口だが

状況によってはロシアの再介入があるという布石か


02. 2014年9月25日 10:52:42 : gf4gGIfLFY
カチンの森を思い出させる。
これはポーランド軍将校数千人をを虐殺したものだったが
『ナチスの仕業」と言いつくろった旧ソ連(プーチン)
しかしソ連占領地(親露派)と思えばつじつまが合う

03. 2014年9月25日 15:20:39 : TGgfYEbPRU
住民に対しての脅し・・・。
親ロ派に協力するとこうなるぞって・・・。

04. 2014年9月25日 22:24:04 : 358VeCXh4E

ウクライナも大分、先は暗いが

国民の多数派の反ロシア感情は大分高いし

今更ロシアに屈服する形で終わるのは内政的にかなり難しそうだな

http://matome.naver.jp/odai/2138079268160333901
ソ連の行った計画的飢餓「ホロドモール」が残酷すぎる
ホロドモールとは、ウクライナ社会主義ソビエト共和国をはじめ、カザフスタン共和国および現ロシア連邦のクバーニ、ヴォルガ川沿岸地域、南ウラル、北シベリアなど、ウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉とされる事件のことである。(1932-1933) 更新日: 2014年07月26日
palezioさんpalezioさん

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ウクライナにおける民族対立の一つは、ウクライナ人とユダヤ人の対立だ。その歴史の深い闇の一つがソ連による計画的飢餓「ホロドモール」である。
計画的飢餓「ホロドモール」

出典
img5.blogs.yahoo.co.jp
1932年から1933年にかけて、当時ソビエトだったウクライナにおいて、大規模な飢饉が発生しました。この大飢饉が当時のソ連の計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていたのです。2006年にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対するジェノサイド」であると認定しました。また、米英など西側諸国においても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしています。
ホロドモールはナチスによるユダヤ人虐殺よりはるかに大規模な、規模の大虐殺である。
白人によるインディアン虐殺、黒人虐殺、インド人虐殺に次ぐ規模である。
餓死があたりまえの社会
ホロドモールによる餓死者とされる写真
出典
upload.wikimedia.org
ホロドモールによる餓死者とされる写真
群集が集まる中、路上に放置されている。

出典
upload.wikimedia.org
飢餓により街頭に倒れ込んでいる農民と気を払うことなく通り過ぎるようになった人々。(1933年)
人口の大幅な減少
ウクライナの人口減少 (1932-1933)
出典
3.bp.blogspot.com
ウクライナの人口減少 (1932-1933)
地図上の赤い地域では25%の人口が失われ、オレンジ色の地域でも20%以上の人口が失われた。実に人口の5人に一人以上が餓死したことになります。
オリンピック開催の地ソチも悲劇の起きた場所だった
出典
al-sportings.com
オリンピック開催の地ソチも悲劇の起きた場所だった
冬のオリンピックが開催されているソチもまた、ホロドモールの舞台にありました。
ホロドモールを歴史上の事実として認めないロシアがこの地で平和の祭典を開くというのはいかにも皮肉としか言いようがない。
出典
ソチはコーカサスのロシア - マイティ53の日記
600万人の飢餓を伝える当時の新聞
出典
www.zioncrimefactory.com
600万人の飢餓を伝える当時の新聞
ソビエト・ロシアにとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は貴重な外貨獲得手段でした。飢餓が発生してもウクライナの小麦は徴発され、輸出に回され続けたため、それが更なる食糧不足を招くことになりました。

なぜこれが「計画失敗」や「横暴」ではなく「計画的」と言われるのか。それは、実はこの地域を故意に飢餓に陥らせる動機があったと考えられているからだ。
犠牲者を追悼する老婆
出典
gdb.rferl.org
犠牲者を追悼する老婆
事件から80年が経とうとしている。当時の犠牲者は今も追悼される。
迫害されたウクライナ人
1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、コルホーズではなく巨大な監獄のようなものでした。村にいながら軍隊に包囲され、飢えるままにされたのです。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできませんでした。都市も軍隊に包囲されていたのです。
出典
ソビエト人民代議員 アファナシェフ:テレビインタビュー
飢饉は、それまでロシアが経験したことがないほど厳しいものでした。およそ一年半の間に500万人が飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びました。
出典
HEAVEN ポヴォーロジエ飢饉:500万人が餓え死に、人肉食が当たり前とされた日々―ロシア
ホロドモールにおける食人については、写真が残されており、グーグル画像検索などでも見つけることができる。
人工的な飢饉?
ウクライナは、16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展しています。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達していた場所でもありました。
人口的な飢饉、すなわち、故意で飢饉が起こされたと言われているのは何故でしょうか?
ユダヤ人によって引き起こされた人工飢饉という側面
ロシア帝政末期、迫害の対象とされたユダヤ人は、やがてロシア革命を通じてソビエト政権の中枢の大部分を占めていました。彼らにとってウクライナの人工飢饉は報復の意味合いがあったのではないかと言われています。逆に、ホロドモールはウクライナ人やポーランド人の強い反ユダヤ感情を産み出すことになりました。1941にポーランドのLvovで発生したポグロムでは実に60000人のユダヤ人が、ウクライナ人市民の手によって殺害されることになったのです。
コサック撲滅政策という側面
当時のソビエトは、コサックを迫害していました。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生した人々の集団でした。当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤ人とウクライナ人の顕著な対立がありました。
国内パスポート制度

出典
img5.blogs.yahoo.co.jp
1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられたのです。ウクライナの国境は封鎖され、自由な出入りは許されなくなりました。
遂に人々は病死した馬や人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死しており、赤ん坊を食べた事さえもあった。通りには死体が転がり、所々に山積みされ、死臭が漂っていた。
出典
ホロドモール - Wikipedia

出典
2.bp.blogspot.com
それでも認めなかったソ連
ソ連政府が飢餓の事実を認める事はウクライナ農民に譲歩することを意味したが、5ヵ年計画の成功を宣伝し、外交的承認を得ようとしていたソ連としては飢饉を認めるわけにはいかなかった。
出典
ホロドモール - Wikipedia

出典
img5.blogs.yahoo.co.jp
ソ連政府が一連の飢餓の事実を認めるのは、1980年代まで待たなければならなかった。
出典
ホロドモール - Wikipedia

出典
upload.wikimedia.org
現在でも「計画性」の有無については議論が分かれている。
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/41806
国の存続をかけて
ロシアと「戦争」するウクライナ
「プットラー」に立ち向かうも、経済は崖っぷち
2014年09月25日(Thu) 松本 太

ウクライナ・キエフのマイダーン(広場)での演説集会。「ウクライナに栄光あれ」と人々が叫んでいる(筆者撮影)
 ウクライナのキエフまで足を伸ばしてみた(9月17日記)。ここで行われている「戦争」がいったいどういったものなのか、この目で見極めるためである。

 最初に記しておきたい。東京で勝手に想像していた「紛争下のウクライナ」というステレオタイプのイメージは、首都キエフにはない。キエフは、表向きは夏の名残を感じさせる暖かな陽射しの中で、紛争の最中と思えないほどの平穏さに戻っている。

 この日曜日には、人々は、街の中心のマイダーン(広場)につながる、歩行者天国とされた大きな目抜き通りを闊歩して、夏の終わりを存分に楽しんでいた。この8月にかけて、2013年末以降マイダーンを占拠していた自警団のテントや、革命の残滓がきれいに片付けられて、ようやく夏の終わりを楽しむべく、人々がわれこそと一斉に繰り出したかのようだ。

 これも9月5日の分離派との停戦がかろうじて発効したおかげなのだろうか。しかし、街を歩けば歩くほど、ウクライナ人と話をすればするほど、筆者のナイーブな第一印象はもろくも消え去った。なぜなら、普通の日本人には直視することが困難なほどの、ウクライナの直面する現実の過酷さが迫ってきたからだ。

「スラーヴァ・ウクライニ」(ウクライナに栄光あれ)

 腐敗したヤヌコビッチ前政権を倒すために、人々が立ち上がったマイダーンでは、今でも政治活動家の代表者と思われる人の演説に酔わされて、多くの人々が口々に「スラーヴァ・ウクライニ(Slava Ukraini)」と叫んでいた。

 それは、「ウクライナに栄光あれ」という意味の、第1次世界大戦の際の第1次ウクライナ独立の際に使われ始めたというスローガンだ。とりわけ第2次世界大戦においてドイツ・ナチに蹂躙された際にウクライナ西部において広まったという。もともとは「イエス・キリストに栄光あれ」という典礼から派生した言葉だそうだ。ウクライナの人々にとって、ウクライナが直面する現在の事態が、過去に幾度も訪れた危機と、きっとどこか似通っているからだろう。

 そして、ヤヌコビッチ政権の崩壊からすでに半年以上が経とうとする中で、そうしたスローガンさえ繰り返し使われる内に、最近ではやや「クリシェ」(常套句)になってしまったという。ウクライナの革命後の混乱は、本当に駆けぬけるかのごとく、日々装いを新たにしつつある。

 広場のあちこちには、ユーロマイダーン革命や、ロシアとの「戦争」で犠牲になった人々の写真が掲げられ、追悼されていた。9月10日付のとりまとめによれば、すでに2905人の市民と935人の兵士の死者が生じ、軍民合わせて1万人以上の負傷者が出ている。

 東部のドネツク州およびルガンスク州、クリミア半島からの国内避難民の数は、今や170万人を数えている。わずか4500万人ほどの人口の国で、これだけの被害が出ていれば、誰もがこの紛争を戦争と呼ぶことに何ら不思議はない。

 ロシアが関与を正式に認めようと認めまいと、この紛争はウクライナにとってはもはや国の生存をかけた本当の「戦争」なのである。

 今週発刊されたウクライナの英語の週刊誌タイトルが、いみじくも「We Will Survive」(我々は生き残る)と大きく印刷されていたのは、まさにウクライナ国民の気持ちを現している。

ロシアの野望はウクライナの分割?

 ウクライナ人が冷静に評価するロシアの野望は、日本で私たちが考えている以上に暗い未来を指し示している。

 ウクライナを代表するシンクタンクである「ラズムコフ・センター」の専門家は、最近結ばれた2度目の停戦合意も決して長続きはしないと見ている。実際9月5日から1週間ほどは、ドンバス地域での衝突が収まったかに見えたが、この数日の間はまたウクライナ側の軍民双方の犠牲者が増え続けている状況にある。

 「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」と名乗る親ロ派組織は、必ずしも停戦合意を順守しているわけではないのである。また、ロシアが派遣した正規軍も東部地域から全く撤退していない。筆者が話をしたOSCE監視団の関係者によれば、ドネツクにおいて数日前にもOSCEの監視団の車両からわずか数メートルの距離に砲弾が着弾し、危うく監視員が犠牲になりかけたという。

 では中長期的にはロシアは何を目論んでいるのか。ウクライナの国防専門家によれば、クリミア半島を併合し東部2州を事実上の管理下においた後、戦略上の必要性から、クリミアへの陸路の回廊を形成し、オデッサを含む黒海沿岸、すなわちウクライナ南部をおさえ、さらにはロシア系住民が多いモルドバ東部のトランス・ドニエストル地域まで虎視眈々と狙いを定めているという。

 ウクライナ人の安全保障のプロフェッショナルたちによれば、ロシアの野望は事実上のウクライナの分割にあるとまで断言する。彼らは、ロシアとドイツを筆頭とするEUによる様々なウクライナに対する圧力は、そのような極端なシナリオすら否定できないと静かに指摘してくれた。

 これでは、まさに18世紀にウクライナを含む当時のポーランドが3度にわたって分割され、その存在が消えたような結末すら暗示しているかのようである。

ウクライナは生き残ることができるのか

 このような過酷な状況の中で、ウクライナは本当に生き残ることができるのだろうか。なぜなら、ウクライナの置かれた現在の地政学的な状況と、ウクライナのアイデンティティの追求という綱引きがもたらす緊張は、容易ならざるものがあるからだ。

 筆者が話をしたウクライナ知識人の1人は、今後のシナリオは4つあるという。1つはウクライナにおいて強力な独裁政権が生まれるシナリオ、第2は、ドネツク州とルガンスク州からなる「ドンバス」と呼ばれる地域との間でウクライナの連邦制を形成するシナリオ、第3は、現在の「戦争」と「平和」の間にある不安定な現状が継続するシナリオ、第4は、旧ユーゴスラヴィアのようにウクライナが分裂するシナリオだという。

 いずれの帰結もウクライナにとって悲劇的である。それをウクライナの誰もが分かっている。そして、誰もそれに解決をもたらすことはできないとも分かっているのだ。これを悲劇と呼ばずして何と言うのだろう。

 かつて数学を専攻し、フランス革命に関する分厚い本を著した老獪なウクライナの社会科学者は、「数学では、解がないということが分かれば、解を得たことに変わりはない。ウクライナは、まさに解がないことが分かりきっているだけに、すでに解は出ているのだよ」と禅問答のように筆者に話してくれた。

 ウクライナの人々の感情はもはや普通の状態にはなく、異常な心理状態にあるという。ウクライナのナショナリズムと愛国主義は、ユーロマイダーン革命後の今も一層強くなり続けている。そして、そうした心理に人が陥るのも無理もない。停戦が合意されたというのに、東部2州では発的な衝突がいまだ続いており、死傷者は増え続けているからだ。

 ウクライナの知識人の前で、「ロシアの侵略とウクライナのナショナリズムは、どちらが脅威なのだろう」と筆者が少し意地の悪い質問をすると、先方は数秒ほど黙った後で、結局その答えを出せなかった。それほどまでに合理性を維持することが困難な局面にウクライナはあるということだろう。

ウクライナに本当の友人はいるか

 ロシアと西欧の間にあるウクライナは、2つのパワーの間の、いわば「緩衝国家」として生きざるを得ない宿命を背負っている。もちろん、自らのことを緩衝国家と呼ぶことなど、誇り高いウクライナ人には無理な相談である。

 残念ながら、ロシアにしてもEUにしても、本音を言えば、ウクライナを自らの勢力圏内に完全に統合したいとは必ずしも考えていないだろう。そしてそれはウクライナから見れば、危機の際に助けてくれる真の友人はいないということを意味する。

 すなわち、ウクライナの知識人に言わせれば、プーチン大統領も口では2週間以内にキエフまで占領できると言ったとしても、ウクライナのキエフまで侵攻するような意図はいささかもないし、EUも外交上はようやくウクライナを加盟候補国と認め、政治的な支援を確約しても、すぐさまウクライナをEU加盟国に本当に格上げしたいとは、本音ではいささかも考えていないということなのだ。

 辛口のウクライナ人は、米国ですら、今のウクライナの不安定な情勢を“戦略的には心地よい状況”と考えているに違いないとまで言う。すなわち、ロシアとの直接的な対決に米国が巻き込まれないのであれば、不安定なウクライナの存在こそが、米国にとっての利益になっているからだと断言する。

 現在のウクライナにとって、かろうじて国際社会の関与が目立っているのは、ウクライナでの監視活動や政治的な仲介を担っている欧州安全保障協力機構(OSCE)ぐらいである。もっともOSCE関係者も自嘲気味に語る通り、OSCEそのものがウクライナに問題解決をもたらすことはなく、あくまでも国際社会の監視の目を提供するという役割にとどまっている。

 すなわち、欧州の安全保障機構であるNATOも、欧州の政治機構であるEUも、そして米国との関係ですらも、ウクライナにとっては必要にして十分な安全保障を提供するものでは全くない。そして、残念ながら、ウクライナがこれらのパートナーとの関係を深めようとすればするほど、ロシアのウクライナに対する不安定化工作は、今後、激しさを増すことになるだろう。

 ウクライナが誰から見ても「生かさず殺さず」という境遇に置かれることが、結果的にウクライナ以外のいずれのパワーにとっても戦略的利益となっているとすれば、これほどの過酷な運命をいかにウクライナは甘受できようか。

 日本が東アジアの辺境にあって、日米同盟という安全保障システムから得ている価値の大きさは、現在のウクライナの混乱を見つめれば見つめるほど明らかになってくる。

ウクライナと台湾の地政学的な類似点

 これまで歴史的にもウクライナは、東はロシアから、西はポーランド、ドイツ、オーストリアといった国々による支配を常に受け続けてきた。ウクライナが正式な独立を勝ち取ったのはまだわずか23年程前のことなのだ。

 ウクライナ自身のナショナリズムは、いまだ未完の作品と言ってよい。しかし、自らを守ってくれる本当の友人がいない状況で、自らのナショナリズムが突出すれば、血が流れざるを得ないだろう。

 ウクライナの地政学的な位置づけは、少しコンテキストは異なるが、東アジアにおける台湾と多分に似ている。どちらも大きな「パワー」のすぐ隣にあって、その影響力をいやというほどに受けざるを得ない運命にあるからだ。

 そして、いずれの地域でも民主化の進展の中では、真の独立に向かう感情的なナショナリズムと、自らのサバイバルのための冷静な合理性が、時として激しくぶつかり合うことになる。

 ポロシェンコ大統領は、ドンバス地域における停戦合意という大きな譲歩をした上で、さらにドンバスの一部地域に特別の地位を与えることを内容とする法案を提示した。もちろん、大統領自身も含めて、このような譲歩に満足しているウクライナ人など誰一人としていない。

 しかし、こうした動きはウクライナの合理性への回帰の動きと言えるかもしれない。ポロシェンコ政権は、国民の信頼を得た上で時間をかけながら譲歩をし続けざるを得ないだろう。なぜなら、ロシアの協力なしでは、ウクライナ経済そのものが立ち行かないからなのだ。この点も台湾の中国大陸経済への依存という構造とずいぶん似通っている。

このままではウクライナ経済は奈落の底に

 19世紀のウクライナの代表的な詩人シェフチェンコは、「さくらの木のある家」という言葉を残した。ウクライナの広大な土地にある1軒の田舎の家を想像するとよい。ウクライナという国には、さくらの木の他には本当に何もないという暗喩でもある。

 欧州において、ウクライナは最も貧しい国の1つである。1人あたりの年間GDPは、せいぜい4000ドルに届くか届かない程度である。ウクライナ政府の実効支配が及ばないドンバス地域は、ウクライナにとってGDPの20%近くを占めている。そして、ロシアとの経済関係が途絶した今、ウクライナは輸出の40%が失われたままなのである。今後とも戦争が長引けば、今年のウクライナ経済の落ち込みは、GDP成長率マイナス6%〜7%も覚悟せざるを得ないという。

 とりわけ、ロシアからのガス供給停止がこの先も続く中で、ウクライナは氷点下20度を下回る寒い冬を迎えようとしている。ウクライナは、欧州からのガスの逆輸入で当面の危機を何とか乗り越えようとしているが、決して楽観できる状況ではない。

 ウクライナではこの10月26日に議会選挙が行われるが、この日付が選ばれたのも、冬になる前に選挙を行い、できるだけ経済問題が現政権の支持率に影を落とさないようにするためであると言われている。

 ウクライナの大半の知識人によれば、選挙では、ポロシェンコ大統領の政治ブロックを中心に安定的なコアリション(連合)が形成されることが予想されている。その意味では、ウクライナは革命の情熱を乗り越えて、徐々に理性の道を歩んでいると言ってよいだろう。

世界の秩序とウクライナ問題

 東アジアでも、そしてこのウクライナでも、これまで私たちが当然としてきた国際的な規範や法が、驚くほどこともなげに犯され続けている。大きな「パワー」の前では、無力な隣国は蹂躙され続けることがその運命となる。

 多少の不法行為が弱小な第三国に対して行使されているとしても、大きなパワーとの間で軍事的なエスカレーションを回避するためには、国際社会は妥協を選択することになる。

 ちなみに、ここウクライナでは、プーチン大統領をナチスのヒットラー総統になぞらえて「プットラー」と呼んでいる。(プーチン大統領とヒットラーの15の類似性を指摘するウクライナ・メディアを参照されたい)

 このような状況で、第2次世界大戦前のナチス・ドイツのズデーテン占領に対して、英国のチェンバレン首相がミュンヘンで妥協を行ったような宥和的な振る舞いを見せるならば、そのような国はウクライナにとってすぐさま敵となる。

 しかし、国際的な規範や法が侵食されることを国際社会が許容し続けるならば、最終的には世界の全ての秩序が崩壊しかねない。世界の秩序の終わりの後では、アナーキーでハードボイルドな世界しか残らないに違いない。現在のウクライナが直面する状況は、多くのチェンバレンはいても、チャーチルは1人も見つからない状況なのだ。

 今、国際社会に問われているのは、単なるパワーポリティックスの観点から自己の狭い利害を追求することばかりではなく、決して失われてはならない世界大の規範を確保することにある。結局、この2つをいかにバランスできるかが、私たちの「インテグリティ(首尾一貫性)」を左右することになる。

 ウクライナの問題は、これからもヨーロッパとアジアをまたいだ深い地層で私たちの立ち位置を揺さぶり続けることになるだろう。はたして、さくらの木があるこの小さな家の成り行きを、私たちはどれほどの真剣さで考えることができるのだろうか。

(本稿は筆者個人の見解である)

[次ページから、筆者がキエフで撮影した現地の写真を紹介します。9点の写真を3ページに分けて掲載します。]

【ウクライナの街の様子を写真でご覧ください(その1)】

マイダーン(広場)の前の歩行者天国の目貫き通り


マイダーンの風景
【ウクライナの様子を写真でご覧ください(その2)】

マイダーンの片隅において、革命と戦争の犠牲者への追悼の花束が捧げられている

キエフの国立美術館にて。戦争で負傷した兵士たちの特別展からの一枚の写真
【ウクライナの様子を写真でご覧ください(その3)】


ヤヌコビッチ前大統領がEUとロシアの間で股裂き状態にあっている風刺画。マイダーンの近くの通りで撮影

キエフ市内のカフェにあった看板。「わたしたちはコーヒーとスイーツを作っています。戦争は作っていません」
【もっと知りたい】
・「ウクライナ問題で欧米への過度の肩入れは禁物」(矢野 義昭)
・「ウクライナとロシア:平和ではなく、戦争」(The Economist)
・「ウクライナとロシアと欧米:長い闘い」(The Economist)
・「ロシアとウクライナ:束の間の中断」(The Economist)


05. 2014年9月26日 00:38:18 : omK6YEHpE6
十分納得できる。

米報道誌と違っておおげさな記述や、サバを読んだ数字など一切見られない。
第一発見者が犯人といういかにもバレバレなクサくエキサイトした表現もない。

これが事実と考える。


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