01. 2014年9月24日 07:43:32
: jXbiWWJBCA
欧州に蒔かれたイスラム過激派のタネ 反省しない西側諸国と狂信的なジハード戦士が迷い込んだ袋小路 2014年09月24日(Wed) 川口マーン 惠美 9月6日、フランクフルト空港で、ケニアから帰国したドイツ人3人を、国境警察が待ってましたとばかりに捕まえた。この3人は23歳から28歳の男性で、ソマリアでアル・シャバブのメンバーとして反政府テロに参加しており、ちょうどケニア経由で戻ってきたところだったという。ドイツのイスラム移民に急増する過激派 アル・シャバブというのは、ソマリアで一番強いイスラム勢力で、イスラム法シャリアを厳守するイスラム国家の建設を目指しているのは、アルカイーダや、シリアとイラクのIS(イスラム国)や、少女を200人以上も拉致したままになっているナイジェリアのボコ・ハラムなどと同根だ。 大学襲撃で13人死亡、ボコ・ハラムか ナイジェリア 17日、ボコ・ハラムによる襲撃事件が起きたナイジェリア北部カノの連邦教育大学で、損傷を受けた講義ホールを見る学生 ©AFP/AMINU ABUBAKAR〔AFPBB News〕 その中で、3人は自発的に戦闘に参加していた。このたびの帰国の理由は詳しい聴取を待たなければ分からないが、ドイツでのテロを画策しているわけではなく、おそらく戦闘の修羅場に疲れ、夢破れ、戻ってきた可能性が高いようだと報道されている。 その5日前の9月1日に、米軍によってアル・シャバブの指導者が殺されたことと3人の帰国は無関係ではないとも言われる。多くのテロを実行し、米国のウォンテッドのリストの最上位にいた指導者が米軍の空爆でやられ、アル・シャバブは現在、混乱しており、3人はその混乱に乗じて組織を離れたのではないかという。 名前から見ると、1人はアブドゥルサラム、もう1人はアブドゥラーなので、この2人はアラブ系移民であることは確実だ(苗字は伏せられている)。もう1人はStevenだが、これも移民である可能性は高い。ドイツ人の「シュテファン」なら、スペルはvではなく、fかphを使うことの方が多い。 2012年の1年間でドイツに帰化した外国人の数は11万2348人だった。すでに帰化した人と、ドイツで生まれ、自動的にドイツ国籍を得た人などを含めると、外国系ドイツ人の数は836万人に上り、総人口の1割を軽く超えている。そして、その半数近くがイスラム系だと推定される。 その一部には、ドイツに溶け込まず、それどころか敵意を持っている人もいる。イスラム過激派の一派はサラフィストと呼ばれ、ここ数年、毎年1000人というすごい勢いで増え続けており、すでに6600人ほどいるらしい。 彼らが集中して住むようになったドイツの一部の都市は、いまや、イスラムの牙城のようになってしまっている(それについては後述)。そのサラフィストとISのメンバーは、かなり正確に重なっているという。 この現象に一番迷惑しているのは、ドイツでごく普通の市民生活を送っている穏健なイスラム系の人たちだろう。ドイツにいるイスラム系の女性は、たとえスカーフをしていたとしても、それはアイデンティティーの問題であり、中身は自立した、先進的な魂であることが多い。 私の通うジムは女性専用なので、イスラム系が目立つが、颯爽と体を鍛えたあと、キッチリとスカーフで髪を隠してジムを後にする姿を見ていると、彼女たちこそ、西洋のものがすべて良いわけではないということを一番よく知っている人たちのような気もする。 しかし、そのスカーフのせいで、過激なイスラムと一緒くたにされてしまうこともあるだろう。イスラムの男性も同様。大変、気の毒だ。 サラフィストが台頭、“警察”を名乗る組織も サラフィストの台頭には、手を焼いている自治体が多い。際立っているのは、北ライン・ヴェストファーレンという州のメンヘングラットバッハという町。 金曜日になると、砂漠の民のような出で立ちのサラフィストたちが、街の中心の広場に小さな絨毯を手にして集まり、地べたに額を着けて一斉にお祈りを始める。よくテレビで流れる映像だが、とてもドイツでの光景とは思えない。 それだけでも一種異様な雰囲気なのに、それについて否定的な報道をしたジャーナリスト、あるいは、テレビカメラの前でサラフィストについての不満を述べた住人などがあからさまな恐喝を受けるため、町はすくみ上がっているという。 住民が立ち上がり、政治家と共に抗議集会をすることもあるが、報復を恐れる気持ちが先に立つのだろう、勢いはあまりよくない。 サラフィストの多いところには、当然、IS の信奉者も多い。ISは、インターネットでの宣伝に余念がなく、イスラム教への改宗と「聖戦」への参加を呼びかけている。 イスラムの法典は必ずしも西洋の民主主義とは相いれないし、また、その呼びかけは、布教というよりも、治安の攪乱を目指していると思えるところもあり、政府は対策に腐心している。ただ、ドイツの基本法は信教の自由を保障しているので、具体的な被害が出ない限り、布教活動を取り締まるわけにもいかない。 ところが、9月の初め、やはり北ライン・ヴェストファーレンのヴッパータールという町で、衝撃的と言えることがあった。 サラフィストのグループが、シャリア・ポリスと大書した赤いベストを着て、チラシを配るだけではなく、警官のように町をパトロールし始めたのだ。北ライン・ヴェストファーレン州では、2011年以来、サラフィストの数が500人から1800人以上に増えたという。 シャリアとはイスラム法で、その教義は、アルコールや賭け事や麻薬を禁止しているだけでなく、音楽も男女交際もすべてご法度だ。シャリアに違反している人間に圧力をかけることが、シャリア・ポリスの目的なのだろうが、現在、ドイツに住む人間で、シャリアに違反していない者などいない。 とはいえ、ミニスカートを穿いて、ボーイフレンドと手を繋いでディスコに入ろうとしたところで、彼らに睨まれたら、足がすくむに違いない。 これには政府も怒り、デ・メジエール内相は、「ドイツ警察の名前の悪用は許さない」と言い、マース法相は、「ドイツの治安を守るのは国の仕事であり、自称警察の出る幕はない」と言い、当の北ライン・ヴェストファーレン州政府の内相は、「法治国家に対する挑発行為」として、シャリア・ポリスと書いたベストの着用を即刻禁止した。 自国の国籍を持つイスラム過激派への対応に苦慮する欧州諸国 過激イスラムの勢力は、ドイツだけでなく、次第にヨーロッパの問題となりつつある。 9月12日、さらに事態は進展。ドイツ政府はついに、ISを非合法組織と認定した。今後は、ISの活動はすべて取り締まりの対象となる。ネットやフェイスブックでの宣伝活動も、布教も、集会も、印刷物や映像の配布もすべてだ。 これからの課題は、ISとドイツ国内で活動中のサラフィストたちの接点を証明して、効果的な措置を取っていくことだろう。 ブリュッセルのユダヤ博物館で発砲、3人死亡 今年5月、銃撃事件が発生したブリュッセル市内のユダヤ博物館付近を調べる、警察の法医学専門家ら ©AFP/BELGA/NICOLAS MAETERLINCK〔AFPBB News〕 ドイツが困っているのは、ドイツ国籍を持ったISの信奉者が、シリアやイラクに行って戦い、また、ドイツに戻ってくることだ。ドイツ人だけではない。先日、拉致したアメリカ人の首を切ったのも、覆面をしてはいたが、その英語なまりのアラビア語から、イギリス国籍の人間であろうと言われている。 彼らが帰ってきてテロ事件を起こすというシナリオは、すでに想像上の話ではない。ベルギーのブリュッセルでは、今年5月末、ユダヤ博物館が襲撃され、4人が亡くなった。犯人はフランス人で、シリア帰りのサラフィストだった。 ドイツでは、したがって、どうすれば、そのようなリスクを少なくすることができるかということが議論されているが、ドイツ国籍を持っている人間に、ドイツへの帰国を拒否するわけにはいかない。 ドイツ人が外国でテロ組織に加わったなら、ドイツのテリトリーに入ったところで逮捕することはできるが、国籍を奪うことはできない。もちろん、ドイツ人をドイツから国外追放もできない。現在、ドイツ人から国籍を剥奪できるのは、他国の軍隊で参戦、あるいは、他国の国防省の下で任務を遂行したことが分かった場合だけだという。 9月15日には、去年、やはり空港で捕まったシリア帰りの20歳男性の公判が行われた。コソボ出身のドイツ人(20歳)で、シリアの激戦地アレッポで軍事訓練を受け、ISのメンバーとして、衛生兵や見張り番のような任務で戦闘にも加わっていたという。ドイツはユーゴ内戦のときに多くの難民を受け入れたため、今、約30万人のコソボ出身者が定住していると推定される。そのほとんどがイスラム教徒だ。 解決の糸口が見えない欧米とジハード主義者の関係 ヨーロッパはアラブから近い。ISの影響はイラクとシリアだけではなく、その周りのアラブやアフリカの国々に及び、さらにヨーロッパでも無視できなくなっている。15日には、パリで各国の外相などが集まって、ISへの対策が練られた。米国のケリー国務長官が懸命に同志を募っているが、フランス以外は軍事協力には消極的だ。 イランは同会議には出席しておらず、米国からの協力要請は「汚れた手を持つ者(←アメリカ人のこと)と共闘はしない」とはねのけたし、ドイツは武器と人道的援助のみで留まっている。ISの駆逐という大枠では一致しているものの、集まった30カ国の足並みはなかなか揃わない。 本当は、ISへの攻撃よりも、まずは、なぜイスラム過激派の勢力がここまで伸びたのかという原因を追究すべきなのではないか。それは、いわば、過去に虐げられてきた者の逆襲と見るべきかもしれず、もしそうなら、ここ数世紀の西側の態度にも、大いに責任があると感じる。対症療法だけでは、問題は解決しない。 とはいえ、西側は過去のできごとを反省などしないだろうし、実際問題としては、今、あそこまで好戦的で、狂信的で、死を恐れない人たちを相手に、外交的な解決も望めない。世界は、抜け出すのがひどく難解な袋小路にはまり込んでしまっている。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/41778 |