03. 2014年9月18日 07:02:59
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【第37回】 2014年9月18日 田岡俊次 [軍事ジャーナリスト] 「ウクライナ停戦」と 「シリア領内空爆決定」が示す 「敵の敵は味方」戦略の複雑怪奇 NATO首脳会議が開かれているさなかに、突如、ウクライナの停戦合意が成立し、紛争当事者と非難されていたロシアは一転して仲介者となった。一方、米国は中東で勢力を伸ばす「イスラム国家」のシリア領内の拠点を攻撃することを決定。これまで打倒の対象だったシリアのアサド政権を支援する結果になる。「敵の敵は味方」は戦略・国際政治の不易の原則とはいえ、この2大事件はその複雑怪奇さを我々の眼前に示した。ロシアは紛争当事者から仲介者に 「昨日の敵は今日の友」、これを裏返せば「今日の友は明日の敵」となった例は軍事史・外交史に数多いとはいえ、東ウクライナの親露分離派とウクライナ政府軍の内戦で、ウクライナ政府がこれまで「侵略者」と呼び、米・西欧諸国が激しく非難していたロシアが突如「仲裁者」となり、プーチン・ロシア大統領の主導で9月5日停戦合意が成立したのは誠に珍妙な事態だ。 また10日にはオバマ米大統領が、シリア東部からイラク北部に勢力圏を拡大する「イスラム国」打倒のため、シリア領内の過激派拠点に航空攻撃を行う事を表明した。これまで米、西欧諸国、トルコ、サウジアラビア、カタール等はシリアのアサド政権打倒をはかり過激派が主力となっていた反政府勢力を支援してきた。ウクライナがロシアの調停を受け入れたり、米国が敵、味方を事実上逆転させざるをえなくなったことは、これまでの米国の情勢判断の誤りを示している。 東ウクライナの停戦は8月26日、プーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領がベラルーシの首都ミンスクで初の個別会談をして方向が決まり、9月3日の両者の電話会談で大筋が固まったもので、プーチン氏は停戦案として「双方の攻撃停止」「国際的停戦監視団の駐留」「捕虜全員の交換」「人道支援物資輸送の回廊設定」「ウクライナ軍の東ウクライナからの撤退」「一般市民に対する航空攻撃の禁止」など7項目を示したと報じられた。5日のミンスクでの停戦協議には、ウクライナ政府代表、分離独立を宣言しているドネツク州、ルハンスク州の「人民共和国」代表がプーチン案を基礎に協議し、駐ウクライナのロシア大使、欧州安全保障協力機構(OSCE)代表が立合人となり、ウクライナ政府代表と分離派代表が署名した。ロシアは紛争の当事者ではなく、OSCEと共に停戦の仲介者になったわけだ。7日にOSCEが公表した停戦合意文書では「ウクライナ軍の撤退」は入らず、代わりに「違法な武力集団、武器、傭兵のウクライナからの撤退」(ロシアの義勇兵やウクライナの極右集団のことか)が書かれた。最も重要なのは「ドネツク、ルハンスク両州の特定の地域に暫定的自治権を与える法律を制定する」として大幅な自治権を持つ「特別な地位」を認めたことだ。 なぜウクライナは停戦に応じたか 国の中で一部地域の住人が分離独立を目指して武装蜂起し、州都を占拠、政府軍と戦うのは「反乱」であり、日本の刑法でも「内乱罪」の首謀者は死刑か無期禁錮だ。政府がそれを鎮圧できず、反徒と「停戦協定」を結び、自治権を認めるのは明らかに政府側の敗北だ。またウクライナは従来「数千人のロシア軍が侵攻してきた」と主張していたのに、当のロシアの仲介により停戦、とは辻褄の合わない話だ。ウクライナがこれを呑んだのは政府軍が各地で分離派民兵等により寸断、包囲されて2000人以上の捕虜を取られており、さらに大量投降が起きかねない状況にあったこと、ウクライナ国庫はほぼカラで戦費が続かないこと、ロシアからの天然ガス供給は6月16日以降代金未納を理由に停止され、冬を前に妥協を迫られていること、によると考えられる。 ドネツク州では4月6日に分離派が州政庁を占拠、騒ぎはルハンスク州にも拡がり、両州では5月11日に住民投票が行われ、翌12日「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」が独立を宣言した。これに対しウクライナ軍は5月以降、東ウクライナで両州都奪回をめざして攻勢に出て、ドネツク市、ルハンスク市を包囲して砲撃、爆撃を加えた。住民約100万人が難民となり、4月からこれまでに双方の死者2729人(マレーシア航空機の298人を含まず)と人権担当の国連事務次長補が9月8日に述べている。だが8月中旬から分離派が反撃を開始して形勢が逆転した。ポロシェンコ大統領は8日「停戦によりこれまでウクライナ兵1200人が解放されたが、なお863人が残っている」と語った。計2000人余の捕虜を取られたほか、死傷した将兵も少なくないはずで、ウクライナ軍が東ウクライナに派遣した兵力の大半は失われたのではないかと考える。 この戦局の変化をウクライナ政府は「ロシア軍が本格的に侵攻したため」としているが、ロシアはこれを否定している。プーチン氏はクリミア編入を決めた3月18日の演説で「我々はウクライナの分裂を望まない」と語った。これは東ウクライナのロシア系住民に対し、分離活動を起こしても助けない、と通告した意味を持つ。現に5月12日にドネツク、ルハンスク両州が独立宣言をした際にもプーチン氏は全く取り合わなかった。もし領土拡張、併合を狙っていたなら、独立宣言は絶好の機会で、これを歓迎、支持声明を出したはずだ。ロシア語人口が9割を占めたクリミアと違い、それが7割程度の東ウクライナ2州を併合すれば、3割は不服でゲリラ、テロなどで抵抗しかねず、ドロ沼に入る危険があるから、プーチン氏がそれを避けたかったのは当然だ。 だが、ウクライナ軍の攻勢で両州都では食料も水も欠乏し、多数の市民が死傷、難民がロシアに流入する状況となった。それを傍観していればロシア国内では「同胞を見殺しにした」と非難され、より強硬な民族主義者が台頭し政権に就く可能性があるから、プーチン氏は8月13日人道支援物資を積んだトラック280輌をウクライナの抵抗を排して両州都に派遣した。この他、密かに武器弾薬を供与したり、一度ロシアに逃れた難民の一部が武器を持って戻ったり、同胞救援に向かうロシア人義勇兵が越境するのを黙認したことはありそうに思える。 肩透かしを食ったNATO ウィーンに本部を置く中立的なOSCEは3月以降、ロシア・ウクライナ国境に200人以上の監視団を派遣しているが「ロシア軍の侵攻」の報告はなった。ただ「ロシア軍の制服らしきものを着用した者の流入」が増えたとの報告がある。ウクライナ軍は1991年の独立までソ連軍の一部だったから、戦闘服や装備はほぼ同一で、ロシア兵なのかウクライナ人の民兵か見分けるのは困難だが、民兵、義勇兵が三々五々越境して戦列に加わったことは十分考えられる。ロシアが越境を防ぐには国境地帯に多数の兵を配置する必要があるが、これは「威嚇している」と非難されたから撤収し、黙認状態になったのは皮肉だ。 東ウクライナで活動したロシア将兵の数をNATOは「1000名以上」とし、ウクライナの言う「4000〜5000人」とは大差がある。プーチン氏は「やる気なら2週間でキエフを占領できる」と言ったとイタリア紙が報じたが、これは単なる脅迫ではなく、もしロシア陸軍が侵攻するなら数万人の大部隊を投入するのが従来のやり方だ。僅か2個大隊程度の兵力で介入する、とは考えにくい。プーチン氏は「介入」を否定できる程度の分離派支援でウクライナに圧力を掛けつつ、ポロシェンコ大統領と8月26日に6時間会談し、うち2人だけで2時間深夜まで話し合い、個人的な信頼関係を作ったから、停戦合意の仲介者となり得たのだろう。ロシアと国境を接する2州をウクライナ領に残しながら、親露的自治州にする、という狙いも達成したようだ。ポロシェンコ氏は「チョコレート王」と称される実業家だけに、理屈にこだわらず現実的な判断をしたと思われる。 おりしも9月4日、5日英国ウェールズのニューポートではNATO首脳会議が開かれ、対露戦略を協議していた。そのさなか、突如「停戦合意成立」のニュースが飛び込んだのだからNATOは肩透かしを食った格好だ。このため米国では「停戦合意に実効性はあるまい」と期待を込めた見通しが多く出た。事実、5日午後6時の発効後も小規模な戦闘が続き、さらにウクライナ政府がドネツク州の暫定州都としている同州南部の港町マウリポリとドネツク空港では政府軍が立て籠もり、分離派部隊が包囲して、ときおり砲撃も起きた。だが捕虜交換は進み、ドネツク市では水道、電力が復旧した。ポロシェンコ大統領は2州の特定の地域に3年間「特別の地位」を認め、@独自の地方選挙、Aロシア行政機関との関係強化、B地元住民からなる警察隊の組織、C検察、裁判官の任免権などを許す法案を16日議会に提出、同日可決されており、停戦合意は実行されている。 米国・西欧諸国が制裁強化した思惑 NATO首脳会議は5日、4000人規模の即応部隊を創設することを決めたが、これはウクライナよりはバルト3国を念頭に置いたものらしい。バルト3国はウクライナと同様に18世紀から帝政ロシア領で、ロシア革命に乗じて1918年に独立したが、第2次大戦中の1940年にソ連に併合され、1991年に再び独立した歴史がある。ロシア系人口は3ヵ国平均で17.6%、ウクライナ全土の17.3%と同等だ。3国合わせて人口680万人の小国だから、ロシアがまた併合を図るのでは、と恐れるのも無理はない。 バルト3国は2004年にNATOに加盟を認められたが、NATOはロシアと1997年に「双方は敵ではない」と宣言した「基本文書」に署名しており、それは堅持する方針だから常駐部隊はバルト3国に置かず、その地域の飛行場等に燃料、弾薬などを備蓄、空挺部隊を急速に展開しうる形にしてバルト3国の不安をなだめることを狙うようだ。NATOのメンバーであるバルト3国を守る姿勢を示すことで、その東のウクライナは別、との一線を画す効果を持つかもしれない。またNATO諸国はウクライナの防衛力強化に1500万ユーロを拠出することも決めたが、財政が極度の窮乏状態にある同国の陸、海、空軍将兵約13万人に約20億円では1人当たり約1万5000円にすぎず、1ヵ月分の食費程度だ。米軍は西ウクライナで共同演習を行うことも決めているが、数百人を派遣する例年のPKOの訓練で、これも形ばかりだ。米国も西欧諸国もウクライナでロシア軍と戦争をするつもりはさらさら無いから、こうなるのも当然だ。 EUもNATOに呼応して5日にロシアに対する経済制裁強化を発表したところ、その日に停戦となって間の悪い状況になった。そこでしばらく様子を見ることにしたが12日から発動し、米国も11日に金融などでの追加制裁を発表した。ウクライナ政府と東ウクライナ分離派との紛争がロシアの仲裁で停戦となったのだから、ウクライナもロシアが紛争の直接当事者ではないことを認めたわけで、「停戦の功労者」の形になったロシアに制裁、とは理屈の合わない話だが、現実には今後も自治権の具体的内容などについてウクライナ政府と分離派の折衝が続くはずで、そのためには経済制裁の圧力をロシアにかけ続ける必要を米国、西欧諸国は感じるのだろう。 他方ロシアにとっての最大の懸念はウクライナがNATOに加盟を認められ、米空軍基地が同国に造られたり、黒海岸のオデッサなどが米海軍基地となることだ。それによりロシア人が孤立感を抱き、伝統的な対外恐怖心が復活し、祖国防衛に凝り固まった独裁政権が生まれれば、日本海を隔ててロシアと向かい合う日本の安全保障にとっても大問題だ。だがEUがギリシャよりはるかに財政・経済状態の悪いウクライナの加入を認めるか否かは疑問だ。NATOにとっても、ウクライナを加盟させ、その防衛義務を負うよりは中立的緩衝地帯として残す方が得策、との判断に傾く可能性が高いのではあるまいか。 「イスラム国」の豊富な資金源 一方、イラクとシリアの「イスラム国家」への対応は焦眉の急だ。米国は8月8日から艦載機によるイラク領内の拠点や車輌に対する攻撃を続け、その支援下でイラク軍とクルド人部隊がモスル北方の大ダムを奪還するなどの効果も上げたが、「イスラム国」の支配を揺るがすにはとても到らない。6月10日にイラク北部の大都市モスルを制圧し、首都バグダッドに北と西から迫るイスラム・スンニ派の「イラク・シリアのイスラム国」と称する超過激派集団は6月29日「イスラム国」の樹立を宣言、7月3日にはシリア東部デリゾール県でシリア最大のオマール油田を占拠した。 「イスラム国」の支配下にある油田は最大日産7万バレルとも言われ、国際価格ではバレル(159リットル)約90ドルの原油を30ドルないし60ドルでトルコなどのヤミ商人に売却、1日に100万ドル以上の収入を得ている、と見られている。兵には月400ドルを支給、その妻には100ドル、子ども1人に50ドルの家族手当も出しているという。CIAは「イスラム国」の兵力を約1万人としていたが、9月11日に突然「3万1500人」と3倍にした。これまでシリアの反政府勢力を支援するのに、その主体がイスラム過激派ではまずいから少なく言っていたが、今回敵にすることになったため、相手の勢力を大きく見積もって予算を確保する、いつもの手ではと思われる。 仮に3万人として、1人に月500ドルを支給しても1500万ドルだから戦費を使っても余裕があり、支配地住民の生活保護も行っていると報じられる。「イスラム国」には2003年の米英軍によるイラク侵攻後、サダム・フセイン政権の残党として公職から追放され、その後もシーア派主体のイラクのマリキ政権に圧迫されたスンニ派の元将校、官吏が多数参加し、その組織、作戦、統治能力は過激派ゲリラ集団の域を脱している。装備もシリアでの反政府活動で諸外国から受け取った物や、モスルでイラク軍2万人余を制圧して得たものもあり充実しているが、資金源を断ち、攻撃を続ければやがて衰弱しそうだ。 シリアでは2011年4月にアサド政権打倒を目指すスンニ派の反乱が起った際、米国やスンニ派のトルコ、サウジアラビア、カタールなどは反政府軍を支援し、当初はもっぱらシリア軍から離脱したスンニ派軍人主体の「自由シリア軍」に援助をし、同年中には反政府側が優勢となった。だがこの軍はイスラエルを支持するアメリカの支援を得ていることが明らかだったため、シリア国民の強い支持を得られず、逆にアサド政権側の作った民兵組織「国民防衛隊」はアサド家が属するイスラム教アラウイ派(人口の10%余)、キリスト正教徒(約10%)だけでなく、かなり広範な支持を得て士気が高く、地域の警備のほか最近は攻撃にも加わっている様子だ。 2013年に入ると形勢は逆転、政府軍が反攻に出て西部の各都市を奪還、あるいは主要部分を確保する状況となった。自由シリア軍が弱体化した結果、反政府勢力の主力はアルカイダに属する「ヌスラ戦線」と、あまりに悪辣な行動(人質をとり身代金を要求など)のためアルカイダからも破門された「イラク・シリアのイスラム国」になり、約2000人の外国人兵も加わった。このため反政府勢力への米国とその友邦諸国からの武器、資金援助がイスラム過激集団に流れる皮肉な現象が生じた。 シリアでは敵と味方が逆転 シリア問題に注目してきた米上院の共和党議員ランド・ポール氏は今年6月CNN、NBCテレビで「米政府はアサド政権打倒のためISIS(イラクとシリアのイスラム国)に武器を供与してきた」と述べ、英国のガーディアン紙なども「CIAがヨルダンの秘密基地でISIS要員を訓練している」報じたことがある。ところが今回、米国が姿勢を一転し、シリア領内でも「イスラム国」への航空攻撃を行う決定をしたことは、アサド政権が進めてきたスンニ派武装集団の反乱の鎮圧に重要な「貢献」となる。航空攻撃だけで「イスラム国」を打倒できないのは明らかだが、オバマ大統領は「地上部隊を派遣することは決してない」と明言している。米国が支援する「自由シリア軍」は弱体だから、結局はシリアでは米空軍、海軍機の支援を受けつつシリア陸軍約20万人が同国東部の「イスラム国」支配地域の奪還に乗り出し、イラク側でもイラク軍とクルド人部隊が米軍機の傘の下で攻勢に出る戦略にならざるをえないだろう。またトルコ、サウジアラビア、カタールなどが「イスラム国」の支援を中止し、その石油輸出を許さないよう協力して資金源を断つはずだ。 すでにシリアは米国がシリア領内のイスラム国家拠点を攻撃することに協力の意向を示している。ただしシリア政府の同意が条件で、両国の軍同士の調整が作戦の成功に不可欠なのは自明だ。CNNでは「シリアですら協力する」との報道があったが、ほぼ独力でイスラム過激派集団と戦ってきたシリアが、この敵と味方の逆転を誰よりも歓迎するのは当然で、“Even Syria”(シリアですら)との表現は米国人の国際情勢への感性の鈍さを示していた。 ウクライナ問題では米国と対立するロシアもチェチェン問題でイスラム教徒のテロに悩まされたし、元々がシリアとは友好関係にあるから、すでにイラクに「イスラム国」攻撃のためにSu(スホーイ)25対地攻撃機を提供している。ウイグル人の抵抗を抱える中国も「米国がシリアの主権を尊重しつつ、イスラム国を攻撃する」ことを支持、シーア派のイランはシリアのスンニ派の反乱に対し、アサド政権を支援してきたから、これも米国のシリア領内での攻撃に基本的には賛成だ。スンニ派諸国も過激派が自国内に蔓延しては危険だし、反アサドだった欧州諸国も「イスラム国家」軍に加わった自国民が帰国してテロ活動を行っては大変だから、その制圧に協力する立場だ。 独立国家樹立を求めるクルド人は反イラン、反サダム・フセインだったし、今はイラク、シリアで「イスラム国家」に対しても善戦しているから、それへの支援は米国にとり一見矛盾がなく、クルド人への武器などの供与を積極的に行ってきた。だがクルド人2500万人ないし3000万人のうち最多の1150万人はトルコに住み、トルコは東部のクルド人地域の分離独立活動の阻止につとめ、そのテロ活動の対象となってきたから、米国等がクルド人を対「イスラム国」戦争の同盟者として武力の強化をすることには警戒せざるをえない。 またイスラエルにとっては1967年以来、国連安保理決議242が求めている「イスラエル軍の撤退」に応じずゴラン高原の占領を続け、シリアと対立してきただけに、イスラエルの後ろ盾のアメリカが「イスラム国」との戦いでシリアと共闘し、同盟状態になっては一大事だ。11月の米国の中間選挙を前に、議員たちがユダヤ票を気にする時期だけに、米国のシリア領内での攻撃でシリアと連携することを妨げようと努めるかもしれない。他方、アルカイダすら破門した程過激な行動を取り、組織力も資金もある「イスラム国」が地歩を固めることもイスラエルにとって危険だから、イスラエルには王手飛車がかかったったような形だ。 「敵の敵は味方」は戦略・国際政治の不易の原則だが、どの国にとっても敵は1つとは限らないし、利害関係は複雑だから、「侵略者」と言われた国が突然「調停者」に変わったり、敵と味方が逆転するような奇怪な事態も起こりうることを、9月にたて続けに起きた珍事態、「ウクライナ停戦」と「シリア領内攻撃決定」は我々に示している。 http://diamond.jp/articles/-/59258 |