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米国の世界制覇戦略を実現するために存在しているNATOには秘密部隊が存在、ウクライナでも活動
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201408300001/
2014.08.31 04:54:52 櫻井ジャーナル
アフガニスタン、リビア、シリア、そしてウクライナで「西側の軍隊」として登場してくるのはNATO(北大西洋条約機構)である。1949年に創設された軍事同盟で、当初の参加国はアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、ベルギー、オランダ、そしてルクセンブルクだ。ソ連軍の侵攻に備えるという名目だったが、西ヨーロッパをアメリカが支配することも大きな目的のひとつだった。
1990年10月にイタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの内部に秘密部隊が存在することを認める報告書を出した。本来の目的はソ連軍に占領された時にゲリラ戦を展開することにあったが、実際はアメリカの巨大資本にとって都合の悪い人を処分、組織、政府を破壊してきた。イタリアの「グラディオ」は有名だが、こうした秘密部隊は全てのNATO加盟国に存在する。
http://www.youtube.com/watch?v=GGHXjO8wHsA
この組織をさかのぼると、1944年にアメリカとイギリスが創設した「ジェドバラ」に行き着く。
その3年前、1941年にドイツ軍は東へ向かって進撃を開始している。バルバロッサ作戦だ。当初はドイツが優勢でソ連軍はスターリングラードまで後退、そこでの攻防戦は1942年から43年の初めまで続いている。ドイツが優勢な間は傍観していた米英だが、ソ連が反撃に転じると慌てて動き始め、1944年の初夏にノルマンディー上陸作戦を実行した。ナチスと正面から戦ったのはソ連であり、その記憶をロシア人は持ち続けている。
米英がジェドバラを組織した頃、すでにドイツ軍は東部戦線でソ連軍に敗れて総崩れ状態になっていた。ドイツが占領していた地域で展開されていたレジスタンスの主力はコミュニストで、それに対抗することがジェドバラを創設した一因だろう。この人脈は戦後、OPC(後にCIAに吸収されて破壊活動を行う)を作っている。このOPCと連動する組織が西ヨーロッパでも設立され、NATOが創設されるとその内部に入り込んだ。そのひとつがグラディオだ。
その後、NATO加盟国は増えていくが、新規加盟するためには秘密の反共議定書に署名する必要があるという。(Philip Willan, “Puppetmaster”, Constable, 1991)スイスの研究者、ダニエレ・ガンサーによると、議定書は「右翼過激派を守る」ことを義務づけている。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)つまり、NATOの秘密部隊は「右翼過激派」を手先として使っているわけで、ウクライナでネオ・ナチが前面に出てきたのは必然だ。
アメリカの支配層とナチズムとの関係は第2次世界大戦の前から始まる。その象徴的な出来事が1933年にあった。ウォール街の巨大資本がフランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派を排除するためにクーデターを計画したのである。これは海兵隊のスメドリー・バトラー少将とジャーナリストのポール・フレンチが議会で証言、明るみに出ている。
議会で証言したということは記録に残っているのだが、長い間、西側ではメディアもアカデミーの世界も知らん振りしていた。最近はインターネットで探せば情報を見ることができるが、それでも有力メディアは触れようとしない。(この問題に触れない「リベラル派」や「革新勢力」はありえない。)
大戦後、アメリカ政府はナチス残党の逃走を助け、保護し、雇っている。「ブラッドストーン作戦」だが、こうして雇った反コミュニスト勢力を次の世代でも訓練、ソ連消滅後に「帰国」して体制転覆の準備を進めた。ウクライナにもそうした人びとがいると言われている。
ソ連ほどではないにしろ、西ヨーロッパは戦争で荒廃したことも影響し、アメリカの支配下に入る。その仕組みのひとつがNATOだ。政権を狙える勢力でアメリカから自立していたのはフランスのシャルル・ド・ゴール派だけだった。
1947年にフランスで社会党系の政権が誕生するのだが、その際、政府を不安定化するために右翼の秘密部隊が創設されたと当時の内相が口にしている。その年の夏に米英の秘密部隊がクーデターを起こす計画があり、ド・ゴールは暗殺されることになっていたという。
これは実行されなかったが、ジョン・F・ケネディ米大統領が暗殺される前年、1962年にはOAS(秘密軍事機構)のジャン=マリー・バスチャン=チリー大佐に率いられた一派がド・ゴール暗殺を試みて失敗している。暗殺未遂から4年後、フランス軍はNATOの軍事機構から離脱し、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)がパリを追い出される。フランスがNATOへ復帰したのはニコラ・サルコジ政権時代の2009年のことだ。
ド・ゴール主義の継承者と言われていたジャック・ルネ・シラクは職員架空雇用の容疑で起訴され、2011年に執行猶予付きで禁固2年の有罪判決が言い渡されている。この段階でド・ゴール派はアメリカに潰されたと考えて良いだろう。つまり、現在のEUはアメリカの傀儡ばかりだ。
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