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この土地こそわが理想の地、という主張は、それを謳(うた)いあげる者にとって実に甘美な言葉だ。かつてそこに美しい祖国があった、という夢には、最も愛国心をそそる力がある。
だが、夢に目が眩(くら)み、踏みしだく土地に他者が住んでいることを忘れてはいないか。自分たちの理想を共有しない者に、住む権利を認めない暴力が、横行してはいないか。
7月から激化したイスラエルによるガザ攻撃は、パレスチナ側に2100人以上の死者を出すという事態に至っている。世界でも有数の人口密集地であるガザでは、イスラエルが設けた壁と検問による封鎖で、住民は外部への移動もままならない。天井のない牢獄に、空から爆弾が降り注ぐ状況に、世界中で数万人規模のデモや抗議が繰り広げられる。
イスラエルとパレスチナの対立の根源にあるのは、イスラエルという国の建国でそこに住んでいたパレスチナ人が追い出された、そのパレスチナ人が生命と人権を取り戻すための戦いに他ならない。逆に言えば、パレスチナ人の生命と人権がなぜいまだ得られていないか、ということこそが、問題である。
そもそも、ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人が祖国の建設を願うに至った結果、パレスチナに異教徒、異民族が住んでいたにもかかわらず、それを追い出してまで、イスラエルという国をユダヤ人のための理想郷として造った。そんな国造りをしてもいいのだ、と考えた100年前の発想と、ヨーロッパには住めないと切羽詰まるまでユダヤ人が迫害され続けた、ヨーロッパの排除の歴史そのものにこそ、疑問が投げかけられるべきではないのか。
そんな昔のことは、いまさら問い直しても仕方がない、というかもしれない。過去に問題があっても、すでに70年近くその問題を前提に国際社会は動いてきたのだから、そこは不問に付そう、というかもしれない。そもそも、自由と民主主義の国アメリカからして、もとは理想を掲げてヨーロッパを脱出した者たちによって、現地住民に対する迫害の上に造られたわけだし。
だとすれば、今イラク北部に勢力を広げて住民に恐怖を与え、難民を多く生んでいる武装組織「イスラーム国」が同じように考えたとしても、不思議ではないかもしれない。「シリアとイラクで無法と化した地域に、自分たちの理想のイスラーム国を造って秩序を与えよう。そのためには、現地住民を殺害したり追放したりしてもかまわない。理想を共有する同胞が、チェチェンや北アフリカなど、世界中から集うから」
オスマン帝国を最後に潰(つい)えたイスラームのカリフ制を再興しよう、という思想自体は、イスラーム国に限らず、さまざまなイスラーム主義者たちが掲げてきたものだ。国際社会は、イスラーム国の少数民族や少数宗派に対する不寛容な政策を懸念しているが、そんなことは歴史的に繰り返されてきたじゃないか、ほら今でもイスラエルが、などと、イスラーム国は言わないだろうか。
かつて私の土地だったという記憶を辿(たど)れば、クリミアもまた、誰の土地かが複層的に絡まる土地である。だが、どこまで遡(さかのぼ)ることが許されるのか。ロシア人の土地かウクライナ人かは紛争の渦中にあるが、かつてクリミア住民だったタタール人やユダヤ人は、ほとんど言及されない。
クリミアやイラク北部の少数民族や、さらにはイスラエル建国までアラブ社会の一員だったユダヤ人もまた、これまで共存の歴史を続けてきた。それを崩すのは、土地の外から聞こえる「これはわが土地」との主張である。地元社会が聞きたい声は、違う。これは住んでいる人たちすべての土地だ、との言葉だ。
外から夢を押し付けるものたちには、暴力はあるが政治はない。そこに住む多様な人々が求めているのは、多元性を調整する政治なのだが、今、政治がない。
(さかい・けいこ 1959年生まれ。千葉大教授・中東研究。著書に『中東から世界が見える』など)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11320314.html
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