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ジャーナリストの斬首は演技だった疑いが浮上、シリアやイラクへ米が軍事介入する雰囲気作りか
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201408260000/
2014.08.26 22:34:00 櫻井ジャーナル
アメリカ政府はIS(イスラム国。ISIS、ISIL、IEILとも表記)を脅威だと宣伝、シリアへの空爆を口にする一方、国内で治安を強化する必要性を宣伝し始めた。イギリス政府も同調している。この武装集団を編成、育成、支援してきたのがアメリカ/NATOやサウジアラビアなどのペルシャ湾岸産油国であり、自らが作り上げた「脅威」に大騒ぎするとは奇妙な話だ。
そうした宣伝を始める切っ掛けは、フォトジャーナリストのジェームズ・フォーリーの首をISが切ったとする映像の公開。ところが、彼が殺されたのはカメラの前ではなく、問題の場面は演技だと指摘する人が少なくない。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/iraq/11054488/Foley-murder-video-may-have-been-staged.html
首の前で6回ほどナイフは動いているものの、実際に切っていないうえ、最後まで血が噴き出していないというのだ。これまでISは多くの人の首を切り落としてきたとされているが、アメリカ政府が今回に限り、激怒して見せているのもおかしいという意見がある。
フォーリーの経歴を見ると、大学を1996年に大学を卒業、2009年にUSAID(米国国際開発庁)のプロジェクトでイラクへ入っている。USAIDとCIAとの緊密な関係は有名だ。2010年にはイラクを離れ、フリーランスのジャーナリストとして米陸軍の第173空挺旅団や第101空挺師団に同行、アフガニスタンで取材している。アメリカ軍へ従軍する際、身元や経歴を詳しく調べられるのだが、ジャーナリストとして認められるほどの仕事はしていないのではないかという指摘もある。2011年にリビアで拘束されたが、この時は44日間で解放され、12年11月にシリアで拉致されたときにはグローバルポストやAFPの仕事をしていた。
2012年といえば、フォーリーを殺したISの主要メンバーがヨルダン北部に設置された秘密基地でアメリカのCIAや特殊部隊から訓練を受けたいたが、8月にジャパンプレスの山本美香がシリアで殺された年でもある。彼女は日本テレビの仕事でトルコから密輸ルートを使ってシリアへ入り、FSA(自由シリア軍)の案内で取材していたという。
その2カ月前、イギリスのテレビ局、チャンネル4のアレックス・トンプソンを中心とする取材チームがFSAの罠にはまり、危うく政府軍から射殺されるという事態に陥っている。
http://blogs.channel4.com/alex-thomsons-view/hostile-territory/1863
ホムスで取材していたそのチームを反政府軍の兵士は交戦地帯へと導き、政府軍に銃撃させるように仕向けたというのだ。
メディアと国家機関との協力関係は昔からあるのだが、それでもベトナム戦争までは気骨あるジャーナリストが権力者にとって都合の悪い情報を暴くことも少なくなかった。そうした中、ミ・ライとミ・ケ両地区(ソンミ村)の虐殺も暴かれ、その背後にあったフェニックス・プログラムも今では知られている。虐殺は1968年3月にあったのだが、直後の報道では非戦闘員が殺されたことには触れられていない。有名なシーモア・ハーシュの記事が出るのは1969年11月だ。
ウォーターゲート事件を調査、リチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだことだワシントン・ポスト紙の記者、カール・バーンスタインは1977年に同社を辞め、その直後にローリング・ストーン誌で「CIAとメディア」というタイトルの記事を書いているのだが、その中で400名以上のジャーナリストがCIAに雇われていると書いている。1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供、また記者の組合である「ANG(アメリカ新聞ギルド)」のスタッフもCIAの仕事をしていたという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
その後、CIAのメディア対策は強化され、少しでも気骨のある記者は排除されていくのだが、それでも1980年代の初頭まではそうした記者が活躍する余地は残されていて、中央アメリカでアメリカの傀儡政権が住民を虐殺、反革命ゲリラが麻薬密輸で資金を調達していることを書いた記者もいた。急速にメディアの腐敗が急速に進むのはそれからだ。
メディア管理の実態を多くの人が知るようになるのはアメリカが2001年10月にアフガニスタンへ軍事侵攻した時だろう。その直前、イギリスのイボンヌ・リドリーがアフガニスタンで拘束されるのだが、その時に西側の情報機関はタリバンに彼女を処刑させるように仕向けていたが、タリバンは解放したとリドリー本人は語っている。
衝撃的な出来事といえば、2005年3月の出来事。その前の月にイラクで拉致されたイタリアのジャーナリスト、ジュリアナ・スグレナをSISMI(イタリアの情報機関)が救出したのだが、ふたりのエージェント(ニコラ・カリパリとアンドレア・カルパリ)とスグレナを乗せた乗用車をアメリカ兵が銃撃、カリパリが射殺されたのである。スグレナはアメリカの軍事侵攻に批判的で、彼女自身によると、アメリカの情報機関は彼女の救出を快く思っていなかった。
こうしたことを考えると、アメリカ政府が黒幕だとは言わないまでも、フォーリーの解放に消極的だったとしても不思議ではない。
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