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Listening:長崎原爆「煙幕で原爆回避」米で反響 小倉で捕虜の父無事「人生なかったかも」
毎日新聞 2014年08月22日
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20140822org00m040004000c.html
(写真)1989年8月6日、家族で記念写真に納まるミラード・ハイルマンさん(前列右)。後列右が長女のリンダ・リッテンさん=リンダ・リッテンさん提供
長崎に原子爆弾が投下された1945年8月9日、福岡県八幡市(現北九州市)の八幡製鉄所で、米軍爆撃機B29の来襲に備え煙幕を張ったという新証言を報じた毎日新聞の記事が、米国内で反響を呼んでいる。毎日新聞のニュースサイトの英訳記事には延べ約30万回の閲覧(PV)があり、約9割が米国内からだった。記事には多数の意見も寄せられた。
記事は7月26日付朝刊に掲載。「構内でコールタールを燃やして煙幕を張った」という八幡製鉄所の元従業員の証言などを伝えた。米軍は視界不良を理由に原爆投下の目標地点を小倉市(現北九州市)から長崎市に変更したが、煙幕が視界不良の一因になった可能性が浮上した。
「B29が小倉に原爆を投下していたら、私たちはこの世にいなかったかもしれない」。米ワシントン州に住むリンダ・リッテンさん(67)も記事に驚いた一人だ。父のミラード・ハイルマンさん(94年に80歳で死去)は戦争中、フィリピンで旧日本軍の捕虜となり、終戦直前は小倉にあった捕虜収容所から八幡製鉄所に通い、作業に従事していた。
ハイルマンさんは当時の体験を著書にまとめており「朝、いつもの通り小倉の捕虜収容所から列車で八幡製鉄所に連行され仕事に就いた。午前10時過ぎ、B29が飛来し激しい爆撃が始まった」と、空襲の様子を記している。
リッテンさんは、小倉に原爆が落とされていたかもしれないことを知って驚く一方で「長崎で多くの人が亡くなったという事実に深い悲しみを覚える」との意見も寄せた。【曽田拓、比嘉洋、ロバート・サカイ・アーヴィン】
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