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2014.07.26 B29への体当たりを見た
メール通信「昔あったづもな」第17号
小澤俊夫(小澤昔ばなし研究所所長)
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あちこちの戦線で「玉砕」があったことが報道され始めた頃、ぼくたち中学二年生は「勤労動員」と称して軍需工場に労働力として駆り出された。このことは通信第11号「火薬作り」でも書いたが、ぼくは立川で、東京府立第二中学校に在学していたので、南多摩にある陸軍第二造兵廠に配属された。ぼくらの仕事は、出来上がった火薬を木箱に詰めて封印し、馬車で火薬庫に運びこむ仕事だった。送られてきた火薬を木綿に包み、木箱にきれいに並べて詰め、蓋を釘で打ち付ける。仕上がりの重さは30キロと言われていた。木箱を作業室の一隅に積み上げる。
箱がたまると馬車が来る。ぼくらは積み上げた木箱を肩に担いで馬車に積み上げる。それから、馬車と一緒に遠くの谷間にひっそりかくれている火薬庫まで運び、火薬庫の中にまたきちんと積み上げる。それが一連の仕事だった。火薬だから絶対に落としてはいけない。「万が一落としそうになったら、手がつぶれてもいいから、最後まで手を放すな」ときつく命令されていた。
木箱を担ぎ上げるには、箱の両側にひとりずつ立って持ち上げる。担ぎ手は肩を入れ、箱を45度に傾けて肩に乗せる。肩に食い込んで、肩当てをしていても痛かった。肩はだんだんに固くなり、翌年の敗戦のころには鉄板のように固くなっていた。
30キロの次に来たのは45キロの箱だった。中身は戦車地雷の火薬とのことだった。政府は、「本土決戦」という言葉を使って、アメリカ軍を本土まで「おびきよせて」本土で殲滅するのだという。そのための戦車地雷だった。サイパン、グアムで負けた日本軍が、本土なら勝てるというのである。もし天皇が本当にそこまで敗戦を決断していなかったら、日本本土での犠牲者は数知れなかっただろう。
次に来たのは60キロの箱だった。これも一人で担がなければならないので、箱を担げる人数は少なくなった。次の年になって来たのは90キロと110キロの箱だった。これは、九州の知覧特攻基地からアメリカの軍艦に向けて突っ込む特攻機が抱いていく爆弾の火薬だった。この重さの箱を担げるものはクラスに三人しかいなかった。ぼくは体が一番大きかったのでその中の一人だった。中学三年である。今、子どもにこんなことをさせたら大問題になるだろう。その頃はすべて「お国のため」だったのである。
空襲警報が鳴ると、ぼくらは谷間の火薬庫に避難させられた。グラマンなどの艦載機が超低空飛行でやってきた。ぼくらは、一発撃ち込まれたらお終いだと観念した。だがグラマンは撃ってこなかった。彼らはもう勝利を確信していたから、火薬庫は後で使えると思ったのだろう。実際、占領後はアメリカ軍が基地として使った。
B29の大編隊が東京空襲に向かって上空を通過したことが度々あった。ある日、ぼくらは空襲警報が出たので、火薬庫の防空壕に潜んだのだが、大編隊は東京方面に流れているので、呑気に上空の様子を見ていた。B29は三機で三角形の一組を作り、それが三組で大きな9機の三角形を作っている。光の点がそれに接近していき、またはなれていく。日本の戦闘機である。
そのうちに、光の点がB29に吸い込まれたかと思うと、次の瞬間、ちぎられた銀紙がパッと広がり、エンジンだけが黒煙を引いて地上に落下していった。戦闘機が体当たりしたのだった。この瞬間に、日本の飛行士もアメリカの飛行士も即死したはずである。ぼくらは言葉なく、空を見上げていた。
そのうちに、パラシュートがぽつっ、ぽつっと二つ開いた。当然アメリカの飛行士だと思った。ところが翌日の新聞を開くと、体当たりした日本の飛行士が奇跡的に生還したということだった。よほど運動神経の発達した人だったのだろう。体当たり寸前に戦闘機から脱出したのだそうだ。新聞は「軍神」と書き立てて大騒ぎをした。負けそうになっている日本人を奮い立たせるのに役立てたかったのだろう。だがこの飛行士も、たしか三回目には失敗して戦死した。
戦争は、人と人とが殺しあうものである。必死になって殺しあう。戦争になってしまうと、もうそれを止めることはできない。あのきれいな青空で、光の点がB29に吸い込まれた瞬間、アメリカの若者たちが死んだ。あの時生還した日本の飛行士も、同じように空で死んでいった。
戦争を始めたい人間はいつも「自衛」だという。自分に正義があるという。だが、正義の戦争なんてない。戦争を始めたい人間の言葉に騙されてはならない。(2014・7・16)
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